文字数 1,896文字

 警察署をでたのが十一時。家まで送るというのをことわって、あたしはタクシーをつかまえスカーレットにむかった。
 二時間ちかく警察にあれこれ訊かれてあたしにわかったことは、ママは午後七時から八時のあいだに店で殺されたということだけだった。四十九歳だった。
 スカーレットの営業は午後九時から翌三時まで。ママとマスターは八時ごろ店に入るときいていたけど、今夜も普段どおりだったかはしらない。あたしはいつも八時半ごろ店に入る。
 アリバイを訊かれた午後七時から八時のあいだ、あたしはずっと部屋にいた。いつものように昼すぎに起きて、八時すぎにアパートをでるまで一歩も外にでなかった。一人暮らしに証人などいない。けど七時半ごろ、幹也から電話がかかってきた。あたしはケイタイの電源をいれ、彼の番号を押した。
〈おかけになった電話番号は、お客さまの都合により、おつなぎできません……〉
 ため息が鼻からぬけた。幹也からの電話は公衆電話からだった。もうバクチはやらない。約束する。だから今回だけはたのむ。借金を返さないとヤバいんだよ。四十になっても懲りない男は、この半年なんども聞かされたセリフをくりかえした。あたしは音を消したテレビを見ながら聞きながしていたが、小銭がなくなったのか通話は途中で切れた。
「お客さん、寒くないですか」
 ルームミラーをチラチラ見ながら、ロマンスグレーの運転手が訊いた。
「いま言おうと思ってたのよ」
 冷房のきいた車内で、あたしの着ているベアトップは腕も肩も背中も丸だし。声は、ふるえ声になっていた。
 冷房が下げられ、ふるえ声もおさまると、今年の夏の暑さは尋常じゃないということで意見が一致。この街の出身だという運転手の話しはスカーレットの事件にうつり、赤線の変わりようを嘆くボヤキにかわった。
「ぶっそうなことがおこるのも、不景気だからでしょうかね。門限ができるまでは、にぎやかでしたからね」
「門限って、基地がだした禁止令のこと」
「ええ、それですよ。午前一時から六時まで、赤線への立ち入りを禁止するっていうんですから、店はたちゆきませんよ。よくもわるくも米兵あっての赤線なんですから」
 あたしは禁止令がでたあと赤線にきたから、にぎやかなころをしらない。ひところは米兵が通りにあふれ、スカーレットにも七人のホステスがいたという。
 廃山になった炭鉱町──赤線の第一印象は噂どおりだった。それでもボタ山から芽をだす雑草のような息吹をこの街に感じた。水商売から足を洗いそびれた女一人、どうにか活きていけると思った。
 愚痴っぽい話になって運転手は口をとじた。あたしはケイタイに目をおとしてつづけざまに番号を押した。ルルにもマスターにもつながらなかった。
 アドレス帳をひらいて年下の飲み友達をさがす。軽さとマメさが取りえの男は、二回のコールで電話にでた。
〈もしもし、コウ〉
〈ケイさん、いまどこっスか。マジ、ヤバいんスよ〉
〈わかってる、警察をでて、いまタクシー。ねえ、幹也見かけなかった〉
〈見てないっスよ〉
〈ルルは? 買物に行くとは聞いてたんだけど〉
〈しらないっス。でもツヨシなら見かけたっスよ〉
 ツヨシはルルのボーイフレンド。ルルよりひとつ年上の自称DJ。
〈どこで〉
〈マックの前っス。オレは車だったし、ツヨシは電話してたんで、声はかけなかったっスけど〉
〈それ、なん時ごろ〉
〈七時ごろかな〉
〈コウは、いまどこにいるの〉
〈ブラックバードっス〉
 〝ブラックバード〟はあたしと同世代の和江ママが営ってるカウンターバー。
〈お店は、どうなってる〉
〈スカーレットっスか。立入禁止っスよ〉
〈警察は、まだいるの〉
〈もう、いないみたいっスよ〉
〈なら、いってもだいじょうぶね〉
〈それ、ヤバくないっスか〉
〈あとで、そっちによるわ〉
 あたしはケイタイを切って顔をあげた。
「赤線の封鎖はおわったみたいですよ」
 運転手が伸びをするようにあごをあげて言った。

 赤線は文字どおり灯が消えたようだった。ほとんどの店がネオンを消し、カラオケも聴こえてこない。すれちがう人はみな通夜に来た弔問客のように、ちらりとあたしを見て目をそらした。
 スカーレットのドアには立入禁止のテープが貼られていた。そしてドアの下には数本の花が手向けられていた。ひまわり、ハイビスカス、マリーゴールド……。どれも華やかで、しおれていた。店に飾られていた花を、そっと置いていったのだと思った。
 他人(ひと)ごととは思えない。花からつたわる気持はあたしもおなじなだけに、悲しいより痛ましかった。ドアの前にしゃがみこんで掌をあわせても〝どうして〟という言葉しかうかんでこなかった。
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