文字数 2,611文字

 ドアをあけるとゴスペルが聴こえた。ブラックバードのカウンターには三人の男がすわっていた。まん中にいる金髪頭がコウで、両端の二人もしらない顔ではなかった。
 ふりむいたコウのとなりにすわると、和江ママが言葉もないというようにくびをふった。あたしはギムレットを、コウはラッパ飲みしているビンビールを、そして和江ママはウォッカを満たしたショットグラスを、それぞれ目の高さにあげて献杯にかえた。
「お葬式とか、どうするのかしら」
 ピスタチオをだしながら和江ママが言った。
「警察が家族に連絡するとは言ってたけど」
「ご遺体は、いまどこに」
「病院らしい」
「家族と連絡がつかなかったら、どうなるのかしら」
 和江ママの心配はあくまで実際的だった。あたしはビールを見つめているコウに言った。
「マスターと連絡がとれないんだけど、どこにいるかしらない」
「しらないっスけど、マスターのケイタイは警察が調べてるんじゃないっスか」
「マスター、疑われてるの」
「しかたないっスよ。第一発見者なんスから」
 あたしは和江ママを見た。彼女は沈痛な面持でうなずいた。
 マスターが出勤したのが八時ごろ。店に入ると利麻子ママが倒れていた。マスターはすぐにとなりの店にかけこみ、そこのママと居合わせた客の三人でスカーレットにもどり警察に通報した。
「だから警察がくるころには、もうみんなしってたっスよ」
 警察がくるようなことがおこった場合、互いに報せあうのが赤線(ココ)のルール。いきなり警察にこられてはこまる店もあるからで、和江ママもサイレンをきいたのは、事件を報せる電話のあとだったという。
「ねえ、コウ」あたしは顔を近づけ声をおとした。「警察って、ケイタイの場所とかも、調べられるのよね」
「それ、アリバイってことっスか」
 あたしはうなずいた。
「アリバイを訊かれた時間に、幹也と電話で話したんだけど、それじゃアリバイにならないっていうのよ」
「イエデンならともかく、ケイタイじゃ無理っスよ」
「だから場所とか、調べられないの」
「ケイさん、そのときどこにいたんスか」
「アパート」
「ビミョウっスね」
「わかるように言って」
「スカーレットとケイさん()は、電車でひと駅しか離れてないんスよ。基地局がおなじってことだってあるじゃないっスか」
「それだと、ダメなの」
「基地局がおなじだったら、どこにいたかなんて、わかんないっスよ。GPSじゃないんだから。でも……」
 コウは、なにか思いついたように言葉を切った。
「なに」
「来年、日本でも発売されるiPhoneには、GPSがつくって話しっスよ」
 あたしは目をしばたいた。
「すんません。かんけいなかったっスね」
 コウはビールビンをふって、お替りをたのんだ。
「幹也さんと、連絡つかないんスか」
「ケイタイが料金未納でとめられてるみたいなの」
「あちゃ~、なら幹也さん、どっからかけてきたんスか」
「どっかの公衆電話」
「それでさがしてるんすね」
「警察も幹也を捜してるみたいなの」
「ウラを取るためっスよ」
 あたしは寝ちがえたようにくびをまわして、コウをふりかえった。 
「ケイさんの話しがほんとうかどうか、幹也さんに確認するんスよ。ケイタイって相手がどこにいるか、だいたい感じでわかるじゃないっスか。だから幹也さんが、たしかにケイさんと話をした。そのときテレビの音がしたから家にいたと思うって言えば──」
「それ、ダメかも」あたしの声は尻すぼみになった。
「どうして」
「電話してるとき、テレビの音、消してた」
「あちゃ~」
 あいつが、いけないのよ。ろくでもない話しばかりするから。あたしは口のなかでぶつぶつ言いながら、ライムグリーンのカクテルに手をのばした。
「すぐまたかけてきますよ」
 コウはお替りのビールをごくりと飲んで、口もとをぬぐった。
「ルルちゃんとは、連絡ついたんスか」
 あたしはグラスを置いてくびをふった。
「ケイタイの電源を切ってるみたいなの」
「なんで」
「マスターから警察がさがしてるってきいて、こわくなって隠れてるのよ。そんなことをすれば、よけいまずくなるのに……」
「心配ないっスよ。警察は、話をきくために、さがしてるんスから」
「ならいいんだけど」
「だいいち犯人は、利麻子ママの顧客っスよ」
 あたしはコウの二の腕をつかんだ。
「顧客って、どっちのこと」
十一(といち)にきまってるじゃないっスか」
「誰にきいたの」
「きかなくたって、それくらいわかりますよ」
「声が大きい」
 あたしはつかんだ腕をひっぱたいた。
 利麻子ママが副業(ウラ)で金貸しをしていたことは、顔見知りならみんな知ってる。十日で一割は法外な金利だけど、面倒なしで借りられるというので、リピーターも多いという話しだった。
「警察でもきかれたんだけど」あたしは声をひそめた。「強盗がやったんじゃないの」
「開店前のスナックに入る強盗は、いないっスよ。ケイさん、警察でなにをきかれたんスか」
 コウの声は軽いままだったけど、目は笑っていなかった。
「だから顧客の名前とか、トラブルはなかったかとか。でもあたしはトイチにはノータッチだったし、ママも具体的なことは話さなかったから、くわしいことはしらないのよ」
「それはそうっスよ。そういうことは個人情報だし、企業秘密なんスから。でも警察が調べたら一発っスよ」
「そのとおり、時間の問題だ」
 話しに割りこんだのはカウンターの左端でウィスキーをあおっていた石川だった。
「因果応報というだろう。俺はね、いつかこんなことが起こるんじゃねえかと、思ってたんだよ」
「石川さん、そのくらいにしたら」
 和江ママにたしなめられても赤ら顔の石川は、左手をひらひらさせるだけで話しをやめない。
「死んだ人を悪く言うつもりはねえけど、利麻子ママは金にシビアだった。返済が一日でも遅れようもんなら、日に三度は催促の電話がかかってきたからな」
 石川が早期退職の退職金をつぎこんではじめた写真館が、閑古鳥の巣になっているということは周知の事実だった。
「あんたも金を借りてたのか」
 ずばり訊いたのは右端の男、地元消防団の太田団長だった。
「そんなこと関係ねえだろ」
「だったら滅多なことを言うもんじゃない。こんなときに不謹慎だろ」
 石川は耳まで赤くしてスツールを立つと金を払って店をでていった。和江ママは塩でも撒きかねない顔でにらんでいたかと思うと、ぷっと吹きだして言った。
「タコみたい」
 一拍おいて、しのびやかな笑いがおこった。
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