第2話 浦川さんの訴え

文字数 2,458文字

 冒頭、参考人として出席した浦川(うらかわ)がテーブル中央のディスプレイに自分が撮影した画像を表示して訴えた。

「見てください。私のラボのパーテーションが一メートル手前に動かされているでしょう。これは悪質です」

 浦川は大きな目をくりくりと動かした。彼女は研究者グループの中では際立って若く、目立つ存在だ。

「私たちが一方的にやったものではないよ」櫓木(ろぎ)がすかさず反論した。「一昨日、浦川ラボ側から提案があり、自主的にパーテーションを動かしてくれたのだ。そうでなければ、こちらが勝手に動かせないでしょう」

 どうなんですか、と伊吹(いぶき)が訊くと、浦川は「内部に裏切り者が出ました」と悔しそうな顔を浮かべる。それを見た茶野(ちゃの)が「ほうっ」と呟いて目を細くした。

 黒田は手元の書類を見る。浦川ラボから櫓木ラボへの転籍を希望する研究員の書類だった。研究員は原則として企業から派遣されており、ラボを移るということは企業間移籍をすることを意味する。

 早い話、引き抜きが行われたらしい。

「パーテーションを動かした二名が、朝から櫓木ラボに(こも)ったままで連絡を絶っているんです。どういう裏取引があったのかは知らないが、やり方が汚いですよ」

 浦川が櫓木を睨みつけたが、櫓木は目を合わさない。にやりと白い歯を見せると、ゆっくりと首を横に振った。

「私のラボでは、研究を希望する者を受け入れただけだ。すでに地球の本社とは話がついている」

「ちょっと待ってください」船越(ふなこし)が手を上げた。「前回の管理会でも申しましたが、区画の変更は管理会の議決事項だ。議決を経ていないのだから無効でしょう」

 そうだよ、無効だね、と伊吹が頷く。船越と伊吹はラボが近いだけでなく、企業間で研究テーマの共有を打ち出していることもあって、日頃から仲が良かった。今日も管理会の前に二人だけで意見のすり合わせをしていた。

「だったら採決すればいい。議長、うちのラボの拡張と浦川ラボの縮小を提案する」

 櫓木が黒田に迫り、副船長は渋々五人に諮ることにした。

 少し離れた席に座る浦川は「ちょっと待ってください」と言いかけ、ぐっと堪える。彼女には発言権が無いのだ。

「じゃあ、浦川ラボの区画を縮小して、櫓木ラボに提供することを了承する者は挙手してください」

 手を挙げたのは櫓木と茶野の二名だった。二対三で否決である。

 安堵した黒田は、櫓木に「ではパーテーションを元通りにしてください」と指示をした。

 ところが櫓木は「それはできない」と即答した。黒田は唖然とする。

「できるわけがないだろう。私のラボではそれだけの面積が必要なのだ。研究に支障が出る」
 櫓木は膝を組むと、椅子にそっくり返った。

「ルールを守ってくださいよ」泡を食った黒田は必死に訴えた。「あけぼの号は民主的に運営されなければなりません」

 だが、隣席の茶野が「それは違う」と言い出し、さらなる混乱が始まった。

「我々に求められているのは研究成果です。より良い結果の前には、どのような公平性も一歩引くべきだと思いませんか」

詭弁(きべん)だよ」これまで黙っていた天野が立ち上がってテーブルを叩いた。「櫓木さんの横暴で、浦川さんの研究に支障が出る可能性が高い。そうなれば茶野さんの理屈は崩壊する。そもそも民主主義を成果主義が超越してはいけない」

 天野は黒田の席まで歩いてきて、その肩に手を置くと一同を見回す。母国に帰れば政治家に転身するとの噂がある彼の動きに、幹部たちは一瞬だけ魅了された。

「この際、私はペナルティが必要だと考えている」
 太くて澄んだ声で、天野は訴えた。

「これは明確なあけぼの号の運営規定違反なのだ。管理会の八十パーセントが賛成すれば、核融合エネルギーの一時使用停止措置となる。さあ、黒田副船長、採決してください」

 天野は黒田の肩をポンと叩くと、席に戻った。

 黒田は五人の幹部を見た。口をへの字に結んでそっぽを向いている櫓木。テーブルに肘を突き、組んだ掌の上に(あご)を乗せて目と閉じる天野。
 口許を隠しながら船越の耳元で何やら(ささや)いている伊吹。目を光らせながら頷いている船越。
 茶野は太い人差し指で、テーブルをせわしなく叩いていた。

「分かりました。これは天野さんからの動議ということで採決しましょう」

 黒田は険しい顔で櫓木を睨んでいる浦川を退席させた。ラボの処分に関する事項を決議するのに、管理会メンバー以外の者の同席はできない。

 入口のドアが閉まると、黒田は手元のスイッチでドアを施錠する。議場封鎖の手続きだった。初めての運用である。

「管理会の承認を経ずにパーテーションを移動させた違反により、あけぼの運用規定第六十九条を適用することに賛成する者は挙手してください」

 真っ先に手を挙げたのは天野。伊吹と船越はお互いに顔を見合わせながら、おずおずと手を上げた。
 櫓木が手を上げないのは想定内として、黒田が右隣りを見ると、茶野は腕組みをして目を閉じていた。

「茶野さん?」

「私は棄権します」茶野はそう言うと、薄く目を開けた。「この一大プロジェクトの目的は、みんなが仲良く平等に旅を楽しむことではなく、あくまでの新惑星についての調査研究の成果です」

 茶野の棄権により、賛成は八十パーセントに達しなかった。

「あんた、おかしいよ」天野が茶野を非難した。「浦川さん自身が迷惑を被っている。彼だっておのれの研究成果を第一に考えているんだ。それを侵害してはいけないだろう」

「浦川さんの研究員が自発的にやった結果ですよ」
「そいつらは浦川ラボを離脱して櫓木さんのところに行った。これはテロだ」

 押し黙ったまま櫓木を挟んで、天野と茶野の言い合いは次第にヒートアップしてきた。

「少し落ち着いてください」
 黒田は二人を(いさ)めると、幹部たちに全体協議会の開催を提案した。三百名の研究・技術者たちによる臨時会だ。何ら議決権を有しているものではないが、何が今問題となっているのか、、個々のメンバーに知ってもらうには格好の集まりである。

 幹部の中で協議会の開催に反対する者はおらず、久々に全会一致となった。
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