第3話

文字数 1,140文字

 別荘で過ごす残りの数日、身鶴さんはほとんど欠かさず会いに来てくれました。当時は高校生の忙しさなど少しも知らない子供だったので、このことを純粋に喜んでいたように思います。

 身鶴さんは生まれも育ちもあの町だそうで、ときおり周囲を案内してくれました。中でも僕が好んだのは小高い丘にある別荘のさらに上、山中と言っても過言ではない辺りです。そこは別荘からごく近い場所でしたが、周辺が木々に覆われているためまるで別世界に来たような気分になります。舗装された道を少し外れると現れる小さな神社、蔦まみれの洋館や閉鎖されたトンネル跡、夜に蛍が見られる池などがそれぞれ遠くない位置にありました。

 気軽に冒険気分を味わえるのはもちろんですが、なによりあの空気が好きでした。草木ばかりが生い茂る、ひっそりと青く涼やかな空間。そこでは僕の手を取る身鶴さんの筋肉の動きや息遣い、緑を反射する瞳の美しさがよくわかるのです。皮膚の下に流れる血潮や心臓の音までも聞こえてきそうな静けさがありました。

 多くの時間をあの山中で過ごした僕たちですが、ときには夜に花火をしたり、文化会館で行われる映画の上映会に行ったりしました。身鶴さんと過ごす日々は本当に楽しかったです。
しかし非情にも別れはやってきます。僕はその日、身体がバラバラに引き裂かれるような気持ちで彼に会いました。家に帰るのは平日の朝一番でしたから、別れを告げたのは別荘を発つ前日です。

「明日の朝、家に帰るんです。身鶴さん、一緒に遊んでくれてありがとう」

僕はどうにか涙をこらえて言いました。そのときどこにいたのか記憶が曖昧ですが、恐らく別荘内の客間だったように思います。

この言葉を聞いたとき、彼がどんな顔をしたのかはわかりません。身鶴さんの姿を見たら泣いてしまうと思い、自分の足元に視線を落とし続けていたからです。ただ長い沈黙がありましたが、それを気まずく感じる余裕すらありませんでした。

お互いどのくらい黙っていたのでしょう。突然、肩になにか温かな感触がありました。驚いて顔を上げると、隣に座った身鶴さんが僕の肩をぎゅっと抱き寄せていたのです。

「僕の方こそ、ありがとう。夏於留くんのこと、忘れないよ」

彼の顔を見ると、その大きな目から一筋涙がこぼれていました。それでいてちっとも寂しそうな感じはせず、その表情からはむしろ晴れ晴れとした印象すら受けます。そんな顔で微笑むものですから泣きそうな気持ちなど吹っ飛んでしまいました。その代わり浮かんだのは、いつかまたこの人に会うのだという強い決意です。

僕たちはこの日、互いの住所を交換しました。その後、自宅へ帰った僕はすぐさま一通の手紙を書きます。そしてこれが、今後数年に渡る僕と身鶴さんの文通の始まりとなったのです。
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