第9話 エピローグ

文字数 1,649文字

 和男は笑っている。
 和男は液体を満たされたガラスケースの中で笑っている。
 ガラスケースは暗いこの部屋のそこら中にあって、全てのガラスケースの中に人が入って笑っている。
 場所は北海道某所。日本バイオ燃料の生産工場だった。
 日本バイオ燃料の原料について、寧々の説明には続きがある。
 研究が進み、豚の脂肪よりも効率的に燃料を生成できる物質があった…それは、人間が肝臓で作る中性脂肪だったのである。
 この研究結果を知った日本政府は直ちに行動を起こした。まずは、日本中に居るホームレスをかき集めた。ホームレス達をこの工場に詰め、バイオ燃料を生成し続けた。
 結果は良好だった。すぐに日本が年間で必要とする燃料の3分の1を賄う事が出来たのである。
 そして、政府は秘密裏にとある法案を通した。それは特定の職業に従事する場合には、その生死を日本国に預けるという内容の契約を可能にするものだった。生死にかかわる説明が書かれた書類を和男は受け取ったのだが、中身を読まないまま契約を結んでいた。
 日本人材再生機構とは、日本バイオ燃料に原材料となる人間を選定し、送り出すための日本政府直轄の秘密組織だったのだ。そして、和男は選ばれた。
 寧々と言うエージェントに薬を盛られ、昏倒した所を日本政府の職員が運び、秘密裏に北海道行の飛行機で空輸され、工場の設備に繋がれたのだ。
 今、和男はガラスケースに体を繋がれ、次々と供給される合成食料を腹に入れられ、中性脂肪を作り続ける。そして、合成食料に混ぜられた薬品の効果で、和男は楽しい夢を見続けるのだった。それは頭の中に作られた、和男だけの楽園だった。
 日本バイオ燃料の北海道工場では、日本で使用されるほとんどの燃料を生成している。
 和男達、契約した人間の命を材料にして。

「何が問題だと言うんだ!」
 バン!…両手で寧々の上司は机を叩いた。
 寧々が動じる様子はない。寧々は上司の机に赴き、移動申請を出したところだった。
 良いかね!と言って上司は続ける。
「奴らは、時代に甘え、会社に甘え、家族に甘え…今度は国に甘えようとしているんだ!そんなに糧を得たいのなら、自らが下級国民だと認識を改めて、地方都市なり田舎なりに活路を見出せば良かったんだ!労働力になれない、生きている事しかできないというのであれば、この国を動かすためのエネルギーになってもらう他無いだろう!」
 言い終えてからしばらくして、上司は吊り上げていた眉を緩めて「ふぅ」と溜め息をつく。
「君とは、もう何度、こんな議論をしたのかな…」
「覚えていません…」
「俺もだ」
「…」
 寧々は沈黙する、その顔には暗い影が差していた。
「なぁ、考え直さないか?君は優秀なエージェントだ、この部署の…いいや、国の宝だよ!そんな宝を失う俺の気持ちを、君は考えたことがあるのか?」
「ありません…けれど…」
「考えは変わらないか…」
「…はい」
 寧々は固辞した。
「そうか…」
 上司は机の上の異動申請書にサインをして確認印を押す。そして、両手で申請書をピンと張るように持ち、寧々の顔を見て言った。
「これは一旦人事部が預かって適性があるか審査に回されるんだが…まぁ、君の成績なら問題無く通過するだろう、人事が何か言う事があれば俺も口を添えよう…次の部署での活躍を期待している」
「はい…ありがとうございます…」
 寧々は上司の印鑑が押された異動申請書を受け取ると、上司の居室から出て行った。
 寧々は苦悩していた。ホステスの経験を生かした仕事をするつもりでここに来た。そして寧々は何度も何度も、何度も何度も、和男の様に苦悩して絶望して自分を頼ってきた人間を燃料にする工場に送り込んでいた事に、寧々は苦しんだ。
「は…ははは…」
 その苦しみからやっと寧々は解放されると思うと、疲れて乾いた笑いが出てくるのだった。
 フラフラ…、寧々はかつての和男の様に希望の抱けない未来を想像し、歩き出すのだった。
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