僕とバイブル

文字数 1,148文字

 僕が東京にいた頃に、とある大学の講義を聴講していたときの話である。教壇に立つ先生が、聖書を初めて読む場合のことを話した。
「〈読み物〉として初めて『聖書』を読むときは、〈新約〉から始めた方が良い。新約は一貫してイエスという〈主人公〉を物語るし、福音なので良い言葉がたくさん書いてあるからだ。〈読み物〉として〈旧約〉の〈モーセ五書〉から順に通読していこうとすると、躓くことが多い」
 そう、確かに言った。
 僕にもわかる。『創世記』と『民数紀』は、〈初見ころし〉だ。ひたすら数字が続く場面が断続的にあり、じっくり読むには、その数字を頭に入れても、物語を期待してしまうと、数字自体は普通に考えると伏線というわけでもないのである。それこそ「数秘術でもやるんかい!」と言うくらいの話である。人物名も馴染みがなくて覚えられない。
 創世記は「何々の系図は次の通りである。誰々は何歳の時、誰々をもうけた。後、何々年間生きて、死んだ」というのが断続的に続く。『民数紀』も、人口調査で氏族の名前と人数が列挙されるが、読み飛ばさないで読むと疲れる。
 友人などにその話をすると決まって「新約より旧約の方が面白いじゃん!」と言われるが、読み物の〈ナラティヴ・ストラクチャー〉を勉強したいなら、〈新約〉で〈俄然、面白く〉なるのは間違いない。それにそもそも僕が聴いていた講義は宗教学ではない(比較宗教社会学などは、その範疇だったけれども)。
 僕や先生と同じように思ったと思われる作家がいる。筒井康隆だ。筒井御大の短編小説に『バブリング創世記』という作品がある。その作品は、ジャズボーカル(ジャズ・スキャット)の「バブリング」という〈即興言語〉で『創世記』の、「誰々は何歳の時、誰々をもうけた。後、何々年間生きて、死んだ」を歌い上げるように小説として記述する。具体的には「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み……」という風に続く。なお、何故バブリングを採用しているかというと、「泡(バブル)」のように命の連鎖が続いていくから、という意味合いもこめられているだろう(バイブルだからバブルだが)。
 講義をしていたその先生の著作には、サイエンスフィクション作家がつくった特徴的な〈用語〉が先生の著作の用語のネーミングの元ネタになっているとおぼしきものも多い。それを鑑みると、一層、僕が今述べたことがその先生や講義と無関係ではなく、もしかするとその大学の先生も『バブリング創世記』を知っていることもあり得る。
 とりあえずバブリング出来てしまう箇所も存在する旧約聖書。その〈律法〉を語る「歴史書」は後回しにして、先生は〈新約〉——つまりイエスが届けた新しい契約である福音から知ることを推奨したのだと思うのだ。
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