第3話

文字数 23,251文字

 六月といえば梅雨なのですが、良いお天気の金曜日、僕は東京駅の新幹線ホームにいます。
僕の横に立っている、白くて銀色でホームの皆さんの視線を独り占めしている人は同僚のエルフ、ソフィアさんです。
 僕たちは物見遊山に旅立つために駅のホームにいるのではありません、今日から僕とソフィアさんは奈良に出張です。
 特殊外来生物対策課の状況を鑑みるに、僕とソフィアさんが奈良に行っている場合ではないと思うのですが、諸事情があって行かないわけにはいかないのです。

 スライムの騒ぎがあってから、予想通り課の仕事は多忙を極めました。
 予防施術とスクロールの配布は、担当の新井さんを先頭に課のみんなが一丸となって頑張り、恙無く終了したのですが、一角獣・スライムと続けて異界の生物が出現したことで、課への取材申し込みも無視できないほど多数あり、結局、記者会見を開くこととなりました。
 記者会見では「適切に対応すれば危険がない」こと、今回も水際で防げた旨を区長以下、偉い人たちが説明しました。できるだけ地味に事務的にと配慮した記者会見ですが、ニュース映像として各メディアで流れると、区役所や隅田小学校周辺はやじ馬やスライムを捕獲しようとする人々でごった返し、隅田署の警察官も出動するなど、混乱を極めました。
 区役所近くの和菓子屋さんでは「スライム饅頭」なるものが発売され人気を博したそうで、下町の皆さんの商魂の逞しさには舌を巻くばかりです。
 新井さんのリクエストで、お茶請けとして僕が「スライム饅頭」を持参したのですが、天然色素で青く着色されたそれは某ゲームのアレに酷似しており、本物とはずいぶん違っていましたが、下町の皆さんのお茶のお供を長年続けてきた和菓子屋さんのあんこと表面の葛のもちもち感も絶妙で「青いと食べ物って感じがしないわね」とか言ってた新井さんは3個ほど消費していたようです。
 それらの騒ぎも葛西臨海水族園さんがスライムの展示を始めると、そちらに興味が移り、「ぷよ太」の地味な生態もあって、事態は急速に収束しています。
 とはいえ、課への電話でのお問い合わせや、「異界の生物を見た」という通報は増えており、福祉課から助っ人に来た鈴木さんも、もはや特殊外来生物対策課の人といっても過言ではない状態です。
 そんな中、僕たちが奈良へ向かうのは、日本で一番最初に異界の植物を栽培し始めた奈良への視察研修が目的です。
 以前より宮永課長が見学を打診されていたのですが、許可は下りず、この6月になって、(ええ、もう、なんと間が悪いことでしょう)お返事を頂いてしまいました。
 このところ世間の耳目を集めているからでしょうか、特殊外来生物対策課と意見交換も行いたいとのご依頼も一緒に頂いてしまったのです。
 この状況で、こちらからお願いをしていながら、「忙しいので、今回は伺うのは見送らせてい頂きたい」などと言えるものでしょうか、
 社会通念的にも、儀礼的にも許されません。

 そして10日前、宮永課長は僕の肩をたたきました。
「奈良へ行ってくれるかな、藤田君」
 既視感とはこのことでしょうか、
「いえ、僕のような若輩者がこのような大役を仰せつかっても…」
 課長代理ということでしたら荷が重すぎますし、帰ってくる間に溜まっているであろう業務を考えると、うっかり首を縦には振れません。
「では、私が…」
 ソフィアさんが挙手しています。
 ほっとするのもつかの間、
「じゃあ、二人で行ってくれるかな」
 何故、
「ソフィアさんは異界の薬学の専門だから適任だし、日本に不慣れな彼を一人で奈良まで出せないし…」
「業務は何とか回す」
 新井さんが鈴木さんの手を握りしめます、彼女が福祉課に戻れる日は来るのでしょうか、
 多分、当分無理です。

 やや早い時間とはいえ新幹線のホームには、それなりの人数がいて、人々の視線は僕の横にいるソフィアさんに注がれているようです。
 新井さんに「その衣装は暑そうだから何とかしなさい」と言われていたソフィアさんは、6月から白いローブに衣替えしました。白でも深緑でも何色でも、この時期に着用するには暑苦しいと思うのですが、
 ソフィアさんの白いローブの胸元には銀糸で複雑な美しい模様が刺繍されています。
「お洒落なローブですね、胸元の縫い取りとか、」
 僕が感想を述べると、
「紋章というか、校章のようなもので、装飾目的ではありません」
「えーと、制服? なのですか…」
 どこの?
「ええ、ほかに涼しげな色のものがございませんので、久しぶりに袖を通しました」
 どれくらい?
「何十年ぶりでしょうか…」
「物持ちが良すぎます」
 美しい銀髪のエルフが銀糸の縫い取りのローブで新幹線のホームに立っている状況を想像してみてください、両手に「東京バナナ」の袋を下げて…
 ホームの皆さんの視線が刺さるのは、僕の気のせいだけでは無いはずです。
「東京バナナ」の袋はあちらの職員の皆様への手土産です。これから伺う「奈良大和薬事植物研究センター」も発足時から異界のスタッフが駐在しており、その方はソフィアさんの同期の方だ と聞きました。
「彼女は白の塔に在籍していた時の同窓生です」
白の塔…、(の、元女学生さん…?)
「こちら風に言えばわたくしの母校でしょうか、」
 なんの学校? 魔法学校?
「ソフィアさんの母校?」
「ええ、そこで医術魔導師の資格を得ました」
「こちらの医科大学のようなものでしょうか?」
「正確には違いますが…、似たような物でしょう。医療術を行うことができる人材、魔導師を育成・輩出している機関ですから、」
「その学校、」
 さらに詳しく聞きたかったのですが、ホームに「のぞみ」が入ってきました。
 N700系の流線型の車体にソフィアさんが眼を輝かせています。普段は表情が少ない、感情表現の乏しいというか、冷静な方なので、そんなに新幹線が好きなのかと、ちょっと驚きです。
「好きなのですか、新幹線…」
「英国にいた時の同僚に鉄道マニアがいたのですが、彼が新幹線のことをすごく褒めていました。英国も鉄道の国なので素晴らしかったのですが、その国の方が絶賛するほどですから、今日は乗車できるのを楽しみにしていたのです」
 ソフィアさんにしては早口です。
「良かったですね、さあ、乗りましょう」
 キラキラしているソフィアさんを誘導します。
 指定席を確認して座席に着くとソフィアさんが、
「あの座席が回転すると聞いたのですが…」
 なんか、回転させたそうです…、
「他の乗客の迷惑になる場合もありますから…、このペダルを踏んで、こう回すと回転するんです」
 操作方法を説明して納得していただくしかありません。と、思っていたら近くの団体さんが座席を回転しています。
「おお、」
 小さくどよめくソフィアさん、…楽しそうで何よりです。
 車両がゆっくり発射します、少し落ち着いてきたところで、
「朝ごはんがまだでしたね、幕の内弁当ですが…」
 売店で購入した幕の内弁当を渡します、
「ありがとうございます」
 自販機のお茶「朝の茶事」で和みながら頂きます、ソフィアさんはお箸を使うのも上手です。
 異界にもお箸はあるのでしょうか、それに…、
「異界にも鉄道のような交通機関はあるのですか?」
「ないです」
 やっぱり、先ほどからのいつものソフィアさんらしからぬ、はしゃぎっぷりは初めて見る物への好奇心の発露であったようです。
「鉄道による交通網は、こちらの世界に来て初めて見ました。英国でも通勤や移動で利用していましたが、日本の鉄道網も素晴らしいです」
「ありがとうございます」
 僕が褒められているわけではないのですが、素直に嬉しいです。
「ところで、異界の交通事情はどうなっているのですか?」
 鉄道のような交通網がないと不便だと思うのですが、人力と馬車のような前時代的な交通網だけとも思えませんし、魔法で移動がすべてOKというわけでもなさそうですし…
「道路は意外と整備されていますが石畳です。地方は未舗装の道路も多くて、砂ぼこりがひどいです」
「陸路での移動は馬車か徒歩が主流ですね、」
 思ったよりも前時代的な感じなのでしょうか、
「…ですので、長距離移動は航空機が発達し、主流の交通機関になりました」
 航空機?
「こちらのジェット機やプロペラ機のような物とは違います、飛行船です。熱気球の原理が早く発見されて発達しました。風霊を操る飛空魔導師は子供たちあこがれの職業の一つです」
「それは、異界もこちらも同じようですね」
 パイロットに憧れる子供さんがいるのは異界もこちらも同じようです。
 航空史には疎いのですが、こちらで飛行船が普及しなかったのは運用コストが嵩んだり、推進力を得るのが難しかったり、横風に弱かったりといくつかの理由が考えられたと思うのですが、異界ではどのようにこれらの問題を解消したのでしょうか、
 燃料は只みたいなものだからネックは推進力と風対策かなぁ…
「推進力と横風、突風の問題を解決するために風霊を使役する方法が早くに編み出されました、より早い速度で、より安定するように、」
「風霊は私も使役していますが、文字通り風のようなものなので、お見せすることはできません」
 え…、
「今、使役中というか、可動中なのですか?」
「ええ、」
「何故?」
「ローブの下で空気を循環させています。涼しいですよ」
 ソフィアさんがピーポ君の着ぐるみを着ていても涼しげな様子だった理由が今わかりました。 が、
「暑かったらローブを脱げばいいじゃないですか」
「医術魔導師の公式装束です、勤務中は着用しませんと、」
 そんなものなのでしょうか、こちらの世界では脱いでも良いと思うのですが…、
 でも空気を循環させることができるのは、これからの季節に便利な機能で羨ましいです。
「僕のスーツも下で空気を循環させれば涼しいかなぁ、」
「ローブだと外から見ても使役していることは分からないですが、スーツですと裾が常時パタパタ翻って煩わしい状態になってしまいますが…」
「そうですね、」
 分かってもいいけど…、常時、裾がパタパタしていたら不審人物です。
「ほかに室温を調節する魔術のようなものは無いのでしょうか」
「火霊を使役すれば冬など快適でしょうが、細かな調節が難しいですし、危ないのでお勧めしません、こちらの空調設備のほうが優秀です」
 進んだ化学は魔法と変わらないと言いますが、僕は現代科学に頼ったほうが良さそうです。
 新幹線は滑るように快適に進みます。
 現代科学の恩恵のおかげで涼しく快適な車内で、僕は静岡を超えたあたりで意識がなくなってしまいました。
「藤田さん、」
 ソフィアさんの声で目が覚めます、
「もう京都ですか?」
「いえ、名古屋ですが、」
 もう少し寝ていたかったのに…
「先ほど、ワゴンサービスの方が巡回されていましたので、コーヒーで良いでしょうか?」
 僕の分も購入して下さったようです。
「すみません、代金を…」
 小銭入れを取り出す僕に、
「いつも、お世話になっていますし、いいですよ」
 微笑みながらコーヒーを差し出すソフィアさん、ありがたく、いただくことにします。
「こちらもどうぞ、」
 東京バナナも勧められます。手土産にしても三箱は多いのでは?と思ったのですが一箱は自分用だったようです。
「ありがとうございます」
 一つ頂きます、美味しいです。
「始めていただきますが、美味しいですね」
 ソフィアさんも「東京銘菓・東京バナナ」が気に入ったようです。
「ソフィアさん、スイーツ男子ですよね」
 そう、デスクの引き出しにお菓子が常備されていたり、お茶の時間の甘味に舌鼓を打ったりと職場でもスイーツ男子っぷりを発揮しているソフィアさんです。
「否定は致しませんが、カロリーを手軽に補給できるからという事情もあります」
「カロリーを…」
「こちらの世界では、あちらより体力を消耗してしまうので…」
 何故なのでしょうか、
 やはり慣れないこちらでの生活に気を使っているのでしょうか、
 あのポーカーフェイスの下には、なれない異郷の地での心痛や苦労が隠されているのでしょうか……
「こちらの空間の魔素が薄いので、常時自分の魔力を少しずつ消費している状態なのです」
「じゃあ、こちらでは」
「軽いランニングを常時続けているような感じでしょうか?」
 それは意外にというか、大変体力的にきついと思うのですが、
「慣れて居るし、消耗した分のカロリーは取っていますから…」
 そうか、
「それで、いつも甘いものを摂っているのですね」
 なんだかアスリートか音楽家のようです。
「いえ、ほかの栄養にも気を使っています」
 ソフィアさんが四つ目の東京バナナを口に運びます。
 ソフィアさんが意外に健啖家でスイーツ男子なのに体形を維持できている理由もここにありそうです。
 雑談を楽しんでいると「のぞみ」は京都駅に到着しました、ここから近鉄電車に乗り換えて奈良を目指します。

 近鉄奈良駅に着くとソフィアさんがきょろきょろしています、何か探しているようです。
「大仏像がありません!」
 東大寺に行きたかったのでしょうか、
「東大寺に行かないと大仏様は拝観できないですよ」
「困りました」
 何を?
「新井さんに伺ったのです、駅前に安置されている大仏像に五体投地して拝礼を行ってから奈良に入らないと敬虔な仏教徒である奈良県人の不況をかい、業務や交渉ごとに支障をきたすから必ず行うようにと、」
「それデマです」
 やめて、新井さん、雑な嘘やめて、
 それを信じちゃうソフィアさんもどうかと思うのですが、日本に来て間もないから仕方がないのかなあ…
「デマでしたか…」
「そうすると、「奈良銘菓のしかせんべいは是非とも食べてみるべき」というのも、」
「嘘です、鹿専用のおせんべいで、ふすまで作っています、味ないです」
「楽しみにしていたのに…」
 ソフィアさんの表情が曇ります、ひそめた眉根が憂いを帯びて美しい表情です。まさか、鹿せんべい食べ損ねての表情とは誰も思わないでしょう。
 ソフィアさんがふと顔を上げ、
「藤田さんは何で味がないのを知っているのですか?」
 何故そこが気になるのでしょうか、
「修学旅行で奈良に来た時に気になって食べてみたんです」
 小学生男子あるあるです、
 僕は、その後に鹿の群れから逃げ遅れ、鹿に囲まれ、埋もれて大変な目にあったのでした。
 鹿に食み食みされて涎でべとべとになった思い出に目を遠くしているとクラクションが聞こえました。
 車の横腹に奈良大和薬事植物研究センターと緑の文字で書いてあります。僕と同年代くらいの男性がこちらに手を振っています。
「薬事植物研究センターの青木です、遅くなりました」
「こんにちは、墨田区役所、特殊外来生物対策課の藤田とソフィアです、お世話になります。」
 挨拶をしながら車に乗り込みます。
 車内で名刺交換しながら改めてご挨拶します。
 さわやか好青年な雰囲気を漂わせた青木さんは、今年研究センターに配属されたばかりとのことです。
「隅田区は大変みたいですね、お忙しいのに、奈良までお疲れ様です」
「いえ、こちらこそ見学の許可を頂いて、ありがとうございます」
「そちらの方は、」
「紹介が遅れました。異界から出向しております、オフィィァ・ソフィアと申します」
 ソフィアさんが名刺を取り出します、ソフィアさんの使用している名刺の表には日本語、裏には異界の文字でソフィアさんの名前と所属が印刷されています。
 いろいろこちらに慣れてきたソフィアさん、名刺の差し出し方もスマートで美しいです。
「今回は異界の薬用植物に詳しいエルフさんにいろいろ伺いたくて、所長も待っています」
 車で半時間程、緑が多く、のどかな田園風景の中にある研究センターに到着しました。
 青木さんに研修室に案内され、所長の田所さんに紹介されます。
 また名刺交換から始まる一連の儀礼が繰り返され、ソフィアさんは「東京銘菓・東京バナナ」を渡しています。
 田所さんは福々しい感じの恰幅の良いおじさんで、奈良なので大仏様のよう…、と言いたいところですが、大仏様というより恵比寿様のような恰幅の良さです。
 鯛を抱えて釣り竿を持ったら似合いそうです。
「遠いところをお疲れ様です」
 握手の後はありがたいことにランチミーティングの予定になっています。
「お昼ごろに到着とのことでしたから昼食を用意させていただきました」
「大和牛ですよ」
 青木さんがお弁当を渡してくれます、大和牛のローストビーフ丼、空腹にはナイスチョイスです。
 早速、用意して頂いたお手拭きで手を拭いて箸をとります。
 食事をしながら配られた資料に目を通し、所長さんの説明に耳を傾けます。
 奈良では漢方の原材料である薬事植物の産業化を推進するための研究や活動を、十数年前から積極的に行っており、この研究センターも、その目的で設立されたものです。
 奈良は漢方や生薬製剤では奈良時代までさかのぼる文化的・歴史的背景がある地域で地場産業として配置薬が発展してきたのだそうです。
 置き薬と言えば富山と思っていたので、奈良と言えば仏像程度の予備知識しかない僕には驚きです。
「…高齢化社会に向けて未病を治す漢方が近年注目を集め、需要が増えているのですが、こうした奈良県での技術・知識の蓄積を生かして、原料となる薬用植物の生産、漢方関連商品にかかわる既存の業振興もさることながら、新たな商品・医薬品の開発も視野に入れ県内の産業活性化を図る目的で活動を推進…、」
 田所所長の立て板に水の説明が続きます。
 今朝早かったから……、意識が遠く……
 昼食後の睡魔と戦っていると事務員の方がコ―ヒーを出して下さいました、コーヒーの芳香に意識をしゃっきりさせながら乗り切ります。

「…以上です、お疲れ様でした」
 終わりました。
 ソフィアさんが、
「来るときに見かけた植物園のヤマトトウキについてなのですが…」
 質問をしている間に資料を整理します、でも肝心の異界植物についてはマンドラゴラの試験栽培を研究センター内で行っている、としか聞いていません。
 この後マンドラゴラの栽培を見学するそうですので、そこで詳しい話を伺えばよいでしょうか、マンドラゴラと言われても門外漢の僕にはさっぱりです。
 漢方の話もさっぱりですが、
 ソフィアさんが詳しそうだから報告は彼にお願い……
「じゃあ、ご案内しますね、」
 ぼんやり考えていると青木さんに促されます。
「薬草園の薬用植物のサンプルをいくつか頂けるそうなので楽しみです」
 ソフィアさんは楽しそうです。
 研究センターの敷地は思っていたより広く、大きな薬用植物園に畑、ビニールハウスが広がっています。この綺麗な木や花や植物すべてに薬効があるのは驚きです。
 西洋のハーブも植えられていて、よく整備された植物園で職員の皆さんの努力がしのばれます。

 青木さんに案内されたのは、センター内でも、ひときわ目立っている大きなハウスです。他のハウスや温室と違って、小屋の側面、壁の部分はしっかりした板張りになっていて、ビニールハウスというには堅牢で作物工場のようです。
「こちらですよ」
 青木さんがドアを開けてくださいます。
 明るいハウス内に午後の日差しが降り注いで…、天井部分が開閉するようになっているのに、じりじり熱いです。
 整備された畝に青々と植物が茂って良く手入れされている様子です。
「ほら、花芽がついているでしょう、もうすぐ収穫できます」
 マンドラゴラは始めて見るのですが、普通の植物に見えます。
「良く育っていますね」
 ソフィアさんが花芽を見ています。
 マンドラゴラを見ていると。奥にいた人がこちらに向かって手を振りました。
大柄な方です、背が高いソフィアさんより上背がありそうです。
 青木さんが手を振りながら、
「リチさん、見学の方が見えたので、よろしくお願いしますー」
 声を掛けています。
「今、行くー」
 カーキ色のタンクトップに軍パン、ドレッドヘアの…
 えーと…
「お久しぶりです」
 ソフィアさんも声を掛けています。
「おう、久しぶり」
 この方が、
「ズィナミ・リチだ、よろしくな」
「墨田区特殊外来生物対策課の藤田ワタルです、よろしくお願いします」
「彼女が、私の、えーと…、」
「同窓生?」
「こちらで言うとそうなりますね」
 異郷の地で同窓生と会ったのに、ソフィアさんの対応は意外とあっさりです。
「こっちの言葉じゃ発音しにくいだろ、ナミとかリチとかでいいよ」
 にっ、と笑った顔に白い歯がまぶしいです、すごく発達した犬歯?
 面食らっていると、
「お前、オーク見るの初めてかァ? こっちじゃ、そりゃあそうか、」
 リチ嬢はオークさんだったようです。
 僕の手を取って握手をしたのち、
「よろしくなァ!」
 と、尻を叩かれます。
「オーク式の挨拶ですか?」
「いや、そんな挨拶はない」
 新井さんといい、僕の尻は叩きやすいのでしょうか、
 リチさんは、獣相なのでしょうけど、高い鼻梁と笑ったような三つ口がとても親しみやすい雰囲気の女性です。ちょっと猫っぽくて、ざっくばらんな感じと容姿が一致している感じです。
短毛種のネコのような褐色の短い毛が均整の取れた全身を覆っていて、プリミティヴな美しさ、というのが当てはまるかもしれません。
 それと…、タンクトップから覗いている二の腕の発達した上腕二頭筋が眼を引きます。
 彼女に逆らってはダメだと僕の本能がささやきます……
「これを調整していたのですか、」
 ソフィアさんが何かを指差します。
 泥か土でできた人形のようです、体長は1メートルくらいでしょうか、
 顔は埴輪っぽい、体つきはアシモのような…
 見ているとリチさんが名刺ほどの大きさで乳白色の光る板状のものを取り出しました。
「おう、今こいつが仕上がって、」
 こいつをこうっと…
 リチさんが呟きながら、その板を、人で言えば肩甲骨と肩甲骨の間に埋めこみます。
 埴輪の板が埋め込まれた背中あたりにリチさんが手のひらを触れ、短く何か呟きます。
 手のひらがうっすらと光って、その光が埴輪の全身にゆっくりと波及して、ゆるゆると埴輪が立ち上がります。
「埴輪が動いた!」
「ハニワじゃねーよ、ゴーレムだ」
「埴輪というのは?」
 ソフィアさんが聞いています。
 いつも思うのですが、ソフィアさんの疑問は微妙です。
「古代の墳墓の副葬品です、奈良は古墳多いんです」
 青木さんが対応してくれています。
 埴輪、じゃなくてゴーレムは思っていたよりも滑らかな動きで畑の畝と畝の間を歩いていきます、奥のほうにも何体かゴーレムがいるようです。
「すごいですね」
「リチはこの手のことが専門ですから」
 ソフィアさんが言います。
「もう、ほとんど人の動きと遜色がないです、あなたの日々の研鑽が眼に見えるようです」
「まだまだだ、つーか、動きに滑らかさが足んないわなぁー」
 先ほど動き出したゴーレムは畝と畝の間の雑草をむしり始めました。
 指で器用にむしっています。
「そもそも、指のあるゴーレム自体が大したものですよ」
「指無いんですか?」
「指のような細く繊細な部分は造型が難しいです。複雑な手掌の動きをトレースするのも大変ですから、あちらで使役されている普通のゴーレムはミトンみたいな手をしています。ゴーレム本来の使い方としては重い荷物を運んだり、単純作業が主なものですから、それで事は足りるんです」
 横で青木さんがうんうん頷いています。
「高齢化が著しい農業や酪農業で、このゴーレムが使えるようになったら助かると思うんですよ」
「子供さんにも喜ばれそうですね」
 ゴーレムは水をやったり、畑のお世話をしたり、まめまめしく動いています。
 僕の部屋の掃除もお願いできないものかと思いましたが、部屋でゴーレムを稼働させると泥だらけになって大家さんに叱られそうです。

 リチさんの作業台の上に先ほどの板とよく似たものが置いてあります。その横にはソフィアさんの杖と似た形状のものが大小いくつか転がっています。
 大きなものでも15cmほど、もっと小さなものあり、太さはどれも筆記用具ほど、しげしげ見ていると、リチさんに声をかけられました。
「とっ散らかってて悪ぃな、未調整の制御板は触んないでくれよ」
 この半透明の石で出来ている板は、先ほどの発光していた板と同じもののようです。
「どのような仕組みでゴーレムを動かしているのか気になって」
「ええと、どう説明すればわかりやすいかな…」
 説明すんの苦手なんだよな、
 リチさんがぶつぶつ言っていると、
「私の杖と同じようなものです」
 ソフィアさんが代わりに説明をしてくれました。
「その説明はざっくりすぎないか?」
「藤田さんにはざっくりで丁度良いと思うのですが」
 何気に酷い言われ様です。
「杖の核もゴーレムの制御板も鉱石で出来ていて、コスト的にも雲母や石英が一般的です。その鉱石の上に施術者が組んだ術式が描き込まれ制御板となります」
「それを泥人形に埋め込んで、いっちょ上がり、術式を組み込まれた鉱石がゴーレムの作業動作を制御して動き出すって寸法だ」
「こいつらには石英の板を使っているんだ、手に入りやすいからな、」
 リチさんが石英の板を手に持ち、小さな杖を使って、もう片方の手で器用に何かを描きます。 描いた場所に、うっすらと金の模様(文字?)が浮かび、板は発光を始めました。
「これを繰り返して術式を描きこんでいくんだよ」
 根気のいる作業です。それとリチさんは意外に器用です。
「その小さな杖はソフィアさんの杖と同じようなものですか? 形状が似ていますが…」
「作業に合わせて大きさはいろいろとあって… どれも基本の構造は一緒だけど、あいつのは特別性で、核が金剛石、」
「金剛石?」
 あんなに大きいのにダイヤモンド製? とっても高価そうです、
「あいつの師匠の作った杖で…、ちなみにこれは鋼玉」
 リチさんがくるりと回して柄を外すと、青い結晶が引き出されます。
「鋼玉ということはサファイアですか、」
 こんな大きなものを細工するのは大変そうです。
 それに、こちらのサファイアはここまで乱反射して光らないと思います。
「そうだ、核に術式が描きこまれているのは、どれも一緒だ」
 ソフィアさんの杖と同じで、核と言われたものは蒼白く発光しています。
 ただ、リチさんの杖? は、表面に稲妻のような文様が不規則に金色に発光して浮かび上がり、ソフィアさんの杖とはまた違う何かで作動しているような気がします。
「ソフィアさんのとはまた違う感じですね、」
「ざっくりいうと…」
 ざっくり…
「あっちは医療用、こっちは工業用、って感じかねぇ…」
「ほんとにざっくりですね」
 あちらでは青木さんとソフィアさんが薬用植物について話しているようです。
 青木さんが胸ポケットからビニールを出して花芽をいくつか摘んで入れています。
「分析が楽しみです」
「花芽も薬効があるのですか?」
 青木さんに聞いてみます。
「ありますよ。乾燥させて薬として使っているのは根茎の部分ですけど、花芽のおひたし美味しいですよ」
 マンドラゴラの…、おひたし
「食べられるんですか、」
「食べられるものじゃないと薬用にも使えないじゃないですか」
 そりゃそうです。
 マンドラゴラだと言われなければ何の作物かわからないほど地上部分は普通です、
 畝に近寄って、しゃがみこんで観察してみます。
 ちょっと大根の葉に似ている、と思いながら見ていると地面が揺れました。
  ?
 何かが僕の背中に…
 何これ!
 頬に冷たいものが当たって…
 木綿を引き裂く男の悲鳴が僕の喉から出てます。
 背中を這い登るものはどんどん増えていってるようで、重さに耐えられなくなり前につんのめってしまうと、さらに何かが覆いかぶさってきます。
 もがいて振りほどこうとするのですが、離れません。
 口の中に土が入ってじゃりじゃりします。このままではここで圧迫死です。
 パニックになり、じたばたしていると、誰かが僕の襟首をつかんで引き起こしました。
「大丈夫か」
 リチさんです、僕の体重だって成人男性だから軽いものではないのに、片手で持ち上げています。
「…ありがとうございます」
 僕の周囲に、大根?
 大根が葉っぱをわさわさしながら突進してくる…、
「大根が、」
「違う、マンドラゴラだ」
「え、これが…」
 リチさんがマンドラゴラだという植物は、時々、地方紙やローカルニュースが紹介する手足があるように見える作物に激似で、地茎を器用に動かしながら、地面に這い出てきています。
 リチさんと青木さんは、僕の足に縋り付いた泥だらけのマンドラゴラを持ち上げるときれいに、すっぱりと、人で言えば首に当たる部分をカットしています。
 横で見ていると、大根の葉っぱの部分をカットしているように見え…
 ええ、大根はじたばたしませんが…
 さんさんと降り注ぐ午後の日差しの中、オークと好青年が、じたばたともがく大根を次々とカットし、畑を逃げ惑う大根、…阿鼻叫喚な光景です。
 収穫用の大ぶりな包丁を片手にソフィアさんも参戦しています。
「僕もお手伝いします」
 声をかけるとソフィアさんに手招きされました。
 しがみつこうとするマンドラゴラを避けて近づくと、しゃがむように促されたので、そこにかがみこみます。
 僕の頭にソフィアさんが手を置き、ソフィアさんの手が発光しました。
「そのままで、」
  ?
 ハウス全体が振動しています、
 遠くの畝のマンドラゴラも一斉に這い出してきました。
 作物だとわかっていても恐怖を感じずにはいられません。
 立ち上がろうとすると、
「藤田さんは囮です、そのまま、姿勢を低くしていてください」
 お、おとり…?
 ソフィアさんが短く何かを呟くと、何もない空中に光のサークルが浮かび、ハウス内を強い突風が吹き抜けました。
 天井部の窓が風で煽られて、大きな音を立てています。
 風の通過した後は上部を切断されたマンドラゴラが転がります。
「お前、相変わらず荒っぽいなぁ」
「あなたに言われたくないです」
 残ったマンドラゴラは僕のほうに這い寄って来ているのがわかります。
「ソフィアさん、僕に何をしたんですかぁ!」
「あとで説明しますから、収穫を手伝ってください」
 これを収穫といっていいものか…、
 残っていたのが、小ぶりな果物ナイフなので心もとないですが、マンドラゴラを押さえつけて上部を切っていきます。
 切断すると動きが止まるので畝に転がして、また次を切ります。
 最後の一本を切断して、みんなを見ると泥だらけです。
 ソフィアさんだけが白くきれいなままで、
「何で、ソフィアさんだけ、泥がついてないんですか?」
 美形の特権でしょうか、
「風霊を使役しているので、汚れも防げます。」
 なんか、ずるい…
 僕の量販店で購入した特売のスーツは泥だらけで、下着の着替えしかないのにどうしたものか…
 ぱたぱたと泥を払い落としていると、青木さんが収穫用のケースを持ってきました。
「数を数えてこれに入れて下さーい」
 マンドラゴラを数えながら地茎と地上の葉っぱ部分を分けていきます。
 ソフィアさんが風で切断したマンドラゴラは真ん中から切られているものもあって、それはよけていきます。
 最後に青木さんが数をチェックして、
「ありがとうございます、全部収穫できたようです」
 と、宣言して作業は終了しました。
「マンドラゴラが動き出すなんて知りませんでした…」
「こんなのはセンターでも初めてのことです」
 動くのは知っていたけど目にするのは初めてだと青木さんは言います。
「まだ大丈夫だと思っていたんだがなぁ」
 リチさんがマンドラゴラを手に呟きます、
「何が、大丈夫なんですか?」
「マンドラゴラには雌株と雄株があって、成長してくると受粉のために地上に出てきてパートナーを探すんだ。這い出てくる前に収穫するんだけど、思ったより生育が良かったみたいだな」
「ここの土壌とも関係があるようですね」
 ソフィアさんが畝の間に立っている杭を手にして引き抜くと、その周辺が微かに発光しました。
「去年までは普通の畑で作っていたんだが、連作障害がひどくてなー」
「新しいハウスができたので、空間に魔素を散布しながら育てていたんです」
リチさんの後を継いで青木さんが説明してくれます。
「異界とこちらでは環境が違うので、そのせいだと思うんですが…」
「生育も質も今一つで…、肥料や、畝を年ごとに移動するなどの工夫もしたんですが、連作障害は防げなくて、結局、畑を長期間休ませないといけないし…。それだと商品にできてもコストがかかりすぎて採算が取れないんです。もともとの生育環境に近づけるためにリチさんの作ったその木杭で異界に近い環境を作り出して、おかげで生育は良かったんですが…」
「良すぎて早々と花芽がついて、畝から脱走したと…」
 うんうんとリチさんと青木さんが頷いています。
「そろそろ収穫だったので、収穫時期を調節するために空間の魔素は減らしていたんですが、まだ不明な点も多い作物なので…」
 研修にいらしたのにトラブルに巻き込むことになってすみませんでした。
 と、頭を下げる青木さん、
「いえ、私たちのせいでもありますから…」
 ソフィアさんも謝罪しています。
 でも…、わたしたちのせい? って、
「藤田さんが小屋にいたので、マンドラゴラは這い出してきたんですよ、多分…」
 僕のせい?
「藤田さんは何度か私の施術を受けているでしょう、魔素を帯びているんです。それで、飢餓状態であったマンドラゴラの雌株は魔素を感知して藤田さんに群がったんです」
「いや、その理屈だと、ソフィアさんもエルフだから群がられますよね」
「そのためのローブですよ?」
 やっぱり、ずるい…
「リチさんは、」
「これとか着けてっから、大丈夫、」
 胸元から銀のプレートのようなものが覗いています。
 あとでソフィアさんに聞いたらプレートは護符だということでした、エルフやオークのように体質的に魔力を秘めている種族は着けていることが多いそうです。
「都心部にいても、寝ている間にスライムに貼り付かれたら嫌じゃないか」だ、そうです。

 この騒ぎで午後の栽培見学の時間は大幅に遅れ、大和の田園風景を夕焼けが紅く染めています。
 青木さんがこの騒ぎを報告に行っている間に、お借りした洗面台で顔を洗います。耳を拭いていると耳からも土が出てきて「とほほ」な気分になります。
 青木さんが貸してくれた作業着に袖を通して、やっと、こざっぱりした気分になります。
「大丈夫でしたか」
「ありがとうございます」
 青木さんが大きなビニールを持ってきて下さったので、僕の泥だらけのスーツはここに入れます。
「所長の許可も下りましたから、ここで夕食をいかがですか、」
 遅くなりましたし、ぜひ、と、青木さんに勧められます。
「そこまでお世話になっては…」と辞退していた僕たちですが、最後はリチさんに押し切られる形になって、お夕食を頂くことになりました。
「畑でとれた野菜で飛鳥鍋にしました。」
 カセットコンロを持ち込んで、研修室で鍋です。
 鳥ガラのスープに牛乳、白みそ仕立ての飛鳥鍋を食べるのは初めてです。
 牛乳の入った鍋は味の検討が付きませんが、頂いてみると牛乳のおかげか地鶏も臭みがなく、こっくりと美味しいです。
 お酒もふるまわれますが僕は下戸なので辞退します。
 意外ですがリチさんも断っています。
「酒豪な感じなのに意外ですね」
「いや、この間、酔った勢いでゴーレムを調整して暴走させて…」
 いま、禁酒中なんですよ。と青木さんに言われています。
「藤田は気にせず飲んでくれ」
 リチさんに勧められます、田所所長も、
「桜の酵母で醸造している地元の清酒だからね、味見だけでもどうかな」
 勧めてきます。
 さっきからクイクイいっているソフィアさんが、顔色一つ変えず、
「そんなに強いお酒ではないようです、藤田さんも大丈夫なのでは、」
 と無責任なことを言います。
 まあ、小さなコップ半分くらいなら…
「いただきます、明日もあるので少しだけ…」
 少しだけが不味かったようです。

 意識を取り戻したのは、お宿の寝具の上でした、
 朝の光の中、
「遅刻っ、」
 と、飛び起きて、一瞬、「ここは」ときょろきょろしてしまいます。
 昨日の記憶を反芻します、あの後の記憶がありません…。
 青くなっていると、身支度を整えたソフィアさんが
「おはようございます、早く用意して出ないと遅くなりますよ」
 声をかけてきます。
 時計を確認すると結構なピンチです。
「わたくしはご飯を頂いてきますが…」
 ご飯の余裕はありません、ソフィアさんに一人で朝食バイキングに行っていただきます。
 コップ半分の日本酒でへべれけになった僕は、お借りした作業着のままで寝てしまったようです。
 とにかくシャワーを浴びて、顔を洗って身なりを整えないと、社会人としてアレです。
 この作業着なのは仕方がないとしても…
 身支度を整えて、頭をがしがし拭いていると、ソフィアさんが帰ってきました。
「バイキングだったのでロールパンとオレンジジュースをもらってきました」
 ありがとおぉ、ソフィアさん、
 パンをオレンジジュースで流し込んで、ロビーに行くと、チェックアウトを済ませたソフィアさんと青木さんが待っていて下さいました。
「お待たせしましたー」と、走りよると、
 待ってないですよ、と笑顔の青木さん、やはり好青年です。
 昨日に続いてセンターまで送って頂く道中、恐縮しすぎて固まり気味にシートに腰掛けていると、ソフィアさんが昨日の経緯を説明してくれました。
 僕は、頂いたコップ半分の清酒で顔を真っ赤にしたかと思ったら、部屋の隅に行ってヤマネのように(ソフィアさん談)丸くなって寝てしまったのだそうです。
「…藤田さんが寝込んでから、皆で話し合った結果、雄株の収穫を手伝うことになったので、藤田さんにもご協力いただきたいのですが、如何ですか」
 何度も送迎していただいたのみならず、作業着もお借りしたままなので、ここで恩返しをするためにも「ぜひ手伝わせて頂きたい」とお伝えすると、
 青木さんが申し訳なさそうにぺこりと頭を下げます。
「すみません、助かります。もう、リチさんが作業を始めていると思うので、そんなに大変じゃないと思うんですが…」
 昨日よりは何とかなりそうです。

 昨日のハウスの横にある一回り小さなハウスが雄株を栽培している場所とのことです、身なりと準備を整えて行ってみると、扉の前にリチさんがいます。
「おはようございます、昨日はすみませんでした」
 お詫びをすると、
「すすめたほうも悪いからなあ、気にすんな」
 また、尻を叩かれます。
「ああ、藤田さんを担いで運んでくれたのはリチです」
 そうですか……
「青木さんは荷物を運んでくださいました」
 二人にお礼を述べます。
「ちなみに、私は藤田さんがいつ吐いても良いように袋を持っている係です」
 ありがとう、ソフィアさん…
 僕はもう奈良漬けも摂取するのはやめておこうと心に誓いました。

 これから収穫ですか、とリチさんに伺います。
「いま、ゴーレムがマンドラゴラを引っこ抜いてるから、もう少しかな、」
 締め切られた小屋のなかでゴーレムがマンドラゴラを収穫しているようですが、物音がしません、静かです。
「その割には煩くないですね」
 マンドラゴラは引き抜かれるときに、この世のものとは思えない奇声をあげるんですよね、
「ハウスが防音になっているからな、」
「耳栓しなくていいから、この方法は良いアイデアだと思います」
 ゴーレムを使った収穫実験第一号です、と青木さんは楽しそうです。
「ゴーレム便利ですね」
 感心していると、事務の方や田所所長も作業着でいらっしゃいました。

「昨日のこともあるからな、これを着けとけ、」
 リチさんが薄い石英の板で出来た護符をかけてくれました。
「微調整はソフィアにしてもらうといい」
 ソフィアさんに護符を見せると、ふむ、と護符の裏表を見て小さく何かつぶやきます。
 何度か護符が金色に発光すると、乳白色だった護符は薄く若草の色になります。
「リチが作ったものは質がいいし、これで変なものに寄り付かれることはないでしょう」
 ええ、昨日はひどい目に会いましたし、そう願いたいものです。

 小屋の扉が開かれると、ゴーレムがせっせと引き抜いたマンドラゴラを中央に集めています。
まだ、じたばたしているものもいますが、陸に上がった河童状態で、昨日の雌株のような「はつらつ感」は無いです。
 後は皆で菜切り包丁を片手に上部を切断して行きます。
 青木さんは一つのケースに入る数をしっかり数えています。
「しっかり管理されているのですね」
「逃亡されると厄介ですから…」
 厄介…
「そこらへんで自生されると外来種だから困ってしまうので…、アイダホの農場では駆除するのに大変だったそうですし、」
 アイダホ?
「初耳です」
「あんまり報道されませんでしたから、」
 所長の田所さんはマンドラゴラの泥をポンポン払うとケースに放り込みます。
「ゲートが開いた直後から、アメリカは異界植物の実験栽培を積極的に始めたそうですが…、実験栽培していた農場で、マンドラゴラが昨日と同じように脱走して、農場内に種子が散って、あちこちで自生して…」
「園芸種で入ってきて後で問題になったセイタカアワダチソウのようなものでしょうか」
「いえ、風に乗ってどこまでも飛んでいくタイプの種子じゃないのが幸いしたようで、被害は局所的なものだったと言われています」
 走っていくわけですしね、と青木さんが笑います。
「あっちと違って魔素がないこちらでは地中の栄養を根こそぎ吸収しちゃうみたいで、アイダホの実験農場も駆除に成功したけど、ひどい連作障害でぺんぺん草も生えない状態になって一時閉鎖したとか、」
 それは、厄介な…
「なので、作付けした分はきっちり収穫して、一株たりとも逃しません」
「しませんとも!」
 田所所長と青木さんが片手に泥付きマンドラゴラ、片手に菜切り包丁で胸を張ります。
 その後も作業は順調に進みます。
 作業の終わったゴーレムは壁に一列に並んで整列していて、お行儀が良いです。
「ゴーレムさんにも手伝っていただくと早いのではないですか」
「いんや、刃物とか持って誤作動するとあぶねーから、最後は人力で」
 確かにリチさんの言う通りです。
「この間の暴走事故すごかったですもんね」
「効率的な作業のために作業速度を早く設定してみたんだが、減速が上手くいかなくて、ハウスの内壁にがんがんぶつかって危ないし、破損するし、」
 結果、正常に動作しなくなったゴーレムがゾンビのようにハウス内を四肢で徘徊し、
「そこからの調整しなおしで、手間取ってなぁ」
 急がば回れって、ホントだなー
 と、リチさんが呟きます。

 ケースの中にマンドラゴラを収穫し終わったので、改めて、もう一度みんなで数を数えます。
 青木さんが首を傾げながら、
「一株足りない」と、番町皿屋敷のようなことを言います。
「このハウスの中ですから、野生動物が食べたとも考えにくいので、収穫し忘れがないか畝を見て頂いて良いですか」
 みんなでハウス内を探索します。
 上の葉っぱだけが千切れて収穫されていたとしたら、埋もれている地下茎はわかりにくくなります。それが収穫もれの原因かもしれないので、畝を少しずつスコップでかき分けながら探索します。
 結構、腰にくる作業で農家の皆さんのご苦労がしのばれます。
 よっこいしょと腰を伸ばすと、壁際に整列しているゴーレムの姿が目に留まりました。
 こんな、泥人形が複雑な収穫作業までこなしてしまうのですから異界の技術は凄いです。
 でも、やっぱり埴輪っぽい、と思いながら見ていると、僕に一番近いゴーレムの頭がこちらに傾きました。
 あれ?
 気のせいでしょうか、ゴーレムと目が合いました。
 愛嬌のある顔と言えなくも無いです、
 …こちらに歩いて来ます。
 誤作動か、それとも最後の一株に反応して収穫するためにこちらに来ているのでしょうか、
 足元に何かないか、もう少し念入りに探索してみようと畝にかがみこみます。

 …!? …お、重い、
 昨日もこんなことがあったような気がします。
 が、今日は一気に米袋を乗っけられたような重さです。
 一気に立ち上がって、振り払います。ドスンと鈍い音がして、背中に乗っていたものが転がり落ちて……
 先ほどのゴーレムです。
 ゴーレムは僕の足にしがみついて離れようとしません。嫌ぁっ
「リチさあぁん、」
 この場で誰に助けを求めるか、僕の判断は正しかったようです。
 リチさんは、ネコ科を思わせる俊敏な動作で移動、回し蹴りで、壁までゴーレムを吹っ飛ばします。
 派手な音をたてて壁に激突したのにゴーレムは動いています、結構頑丈です。
 とはいえ、体の表面に大きなひび割れが走り、ぎくしゃくとぎこちなく緩慢な歩き方で、畝に倒れこみます。
 倒れこんでも動きをやめないゴーレムにソフィアさんが近づいて、ゴーレムの背中に手を当てると動きが止まりました。
 ソフィアさんは背中のひび割れに手を差し込むと何かを探してるようです。
 手を引き出すと二つに割れた制御板が出てきました。
「すまん、昨日、急ごしらえで調整したのが良くなかったか、」
「誤作動でしょうか…」
「収穫は複雑な動作ですから…」

 みんなが制御板を見ていると、横に倒れているゴーレムが緩慢な動作で体の向きを変えました。肘をついて起き上がろうとするのですが、もう正常な動作は無理な様子で、ぎくしゃくと四肢を使って這いずるように僕の方へ近づきます。
 何なのこれえぇ!
 魂が宿っているとか、髪が伸びるお菊人形的なものでしょうか、
 僕にはゴーレムに恨みをかう覚えはありません!
 気が動転して逃げようとする僕の横でソフィアさんが壁に立てかけてあったクワを振り上げました。
 クワがゴーレムに振り下ろされます、どすんと重い音がして泥があたりに飛び散ります。
 ゴーレムとはいえ人の形をしているので、やや猟奇的な光景です。
 二度三度と迷いなくクワを振り下ろすソフィアさん、異世界の人はたくましいなぁ…
 動きを止め、土くれに戻りつつあるゴーレムをソフィアさんがスコップで掘っています。
「最後の一株ですよ」
 ソフィアさんが大根、もといマンドラゴラを取り出しました。
 生育が今一つなのでしょう、やや小ぶりなそれはゴーレムの体に根を張っていたようで細長く伸びています。
「マンドラゴラは地下茎でも増えますから、ゴーレムの体に根を張ってもおかしいことではないですね」
 クワで器用に上部を切断すると、うごうごしていた最後の一株の動きが止まりました。
 こうして、マンドラゴラの収穫は終わりました。

「すまん藤田、調整ミスだ」
 リチさんが割れた制御板を手にしょんぼりした顔をしています。
「今回は上手く調整できたと思ってたんだが…、人を襲うような誤作動は初めてだ」
「僕は大丈夫ですから気にしないでください」
 泥だらけですが…
「せっかくのゴーレムを一台破損してしまいました」
 ソフィアさんもクワを片手に肩を落としています。
「リチの努力の結晶を、すみません…」
「また、もっと良いのを作るから、気にすんな」
 でも…
「僕は異界の技術のことは全く分からないのですが、制御板が外れても動けるものなのですか?」
 いわゆる暴走状態だと、そのようなこともあるのでしょうか?
「いや、普通は動けない」
「そうですね、何か奇妙です。藤田さんを狙ってきたのも変ですし…」
「藤田さんリチからもらった護符を見せてください」
 首から下げていた護符を外してソフィアさんに渡します。
「正常に作動しています、藤田さんの魔素に誘発されての誤作動では無いと思います」
「僕はゴーレムに襲われる心あたりは無いです」
「偶然、藤田さんが襲われただけでは…」
「魂が宿って動き出したとか無いですよね?」
 やめて青木さん、オカルト的世界に誘うのは、
「あえてそっちの方向には考えないようにしていたのに…」
 怖いじゃないですか…、
 リチさんは真顔で、
「魂が宿ったとしたら、どんな作用でそうなったのか知りたいよ」
 と言います。ソフィアさんは頷きながら、
「疑似魂魄は魔導系技術屋の見果てぬ夢ですからね」
 同意します。
「…でも、そういった類の誤作動ではなさそうです」
「この制御板を解析して原因を探ってみるよ、新しい何かが見つかるかもしれないし、」
 リチさんがポケットに制御板をしまい込みます。
 疑似魂魄か… と呟きながら、
 後は皆でハウス内の清掃、収穫したマンドラゴラを片付けます。
 リチさんは他のゴーレムが誤作動してもいけないので「板を外しておく」と、小屋に残りました。
 青木さんが小屋の外の水道で濡らした手ぬぐいを貸してくれたので、遠慮なく顔をぬぐっていると、ソフィアさんが手ぬぐいをじっと凝視しています。
 古風な豆絞りの柄が珍しいのでしょうか?
「藤田さん、それを見せて下さい」
 ソフィアさんに手ぬぐいを渡します。
 手ぬぐいに着いた泥をしげしげと観察していたソフィアさんはそれを指でつまみ上げ、
「多分、これですね…」
 僕たちに見せます。
「泥ですね、」
「いえ、よく見てください、ここです、黄色いものが見えるでしょう?」
 確かに、泥に雑じって黄色い粉状のものが付着しています。
「何ですか?」
 土ではない、明るい黄色
「マンドラゴラの雌株の花粉じゃないかと思うんです、多分…」
 花粉… 言われてみればそうですが、
「何で僕に?」
「昨日付着したんでしょう、あんなにたくさんの雌株に圧し掛かられては花粉もくっつきます」
 耳を指さしながら、今朝はカラスの行水で耳の後ろ洗い忘れたんでしょう、とお母さんのようなことを言うソフィアさん、
 仰る通りでございます。
「青木さん、雄株のハウスも魔素は減らしていたのですよね?」
「雌株と同じ時期に減らし始めました」
「一足早く畝を抜け出した一株が雌株に出会えなくて、泥で出来たゴーレムに根を張りなおしたんでしょう」
「それで、僕が襲われたのは…」
「雌株の花粉が付いた藤田さんを雌株と誤認しての行動だと思うのですが…、断定はできないです。マンドラゴラに乗っ取られてゴーレムが誤作動した例を私は知らないので、寄生していた雄株と制御板を調べることで何かわかると思いますが…」
 初めての事例ですし、リチが喜びそうな話です。とソフィアさんが話をまとめました。
「花芽が付いたら花粉に要注意ということですね」
「有益な情報ですよ、藤田さんありがとうございます」と青木さんにお礼を述べられますが、なんだか釈然としません。
「ゴーレムも、根が張られないように土を素焼きにすると良いんじゃないかと思うんですが…」
 青木さん… ますます埴輪っぽくなるから、それは止めといた方が良いと思います。
 事務の方が麦茶と新しい作業着を持ってきてくださいました。
 また、洗面台とタオルをお借りして身なりを整えます。
 新幹線の時間が迫っているので、ソフィアさんは一足早く皆とマンドラゴラの成分分析票を前にミーティングをしています。
 途中から参加したのですが、専門用語が飛びかって、門外漢の僕には何かの呪文かお経のように聞こえる始末です。
「日本の気候はマンドラゴラの栽培に会っていると思うので、作付けは従来のやり方でいいと思います。連作障害予防のために、限られた空間に魔素を充填するというアイデアも継続してみては如何でしょうか、」
「脱走予防には魔素を収穫まで減らさず、花芽が付いたら早い段階で収穫したほうが安全でしょう。時期を見極めるのが今後の課題ですね」
 と、いうソフィアさんの提案は実感として分かります。
 マンドラゴラで圧迫死する人を出さないためにも大事なことだと思います。

 ぎりぎりになって新幹線に乗り遅れてもいけないので、少し余裕をもってセンターを後にします。田所所長や青木さん、親切にしてくださった職員の皆さんにご挨拶をしていると、青木さんが「送っていきますよ」と声をかけてくださいました。
「そんな、何から何までお世話になっては…」と辞退したのですが、
 田所所長が、
「バス停は遠いよ。一本見送ると30分以上は待つことになるし…」
 地方あるあるを仰います。
 素直にお世話になったほうが良さそうです。

 センターの皆さんに見送られながら、お伺いした時と同じセンターの車で送って頂きます。
 ソフィアさんはリチさんと結構話し込んでいました。やはり、異郷の地で同窓生と旧交をあっためていたのでしょうか、
「何をリチさんと話していたんですか」
「先ほどの私の仮説です。興味を持ったみたいで、ゴーレムの製造過程で植物の細胞を使ってみるか、って元気ですよ。早速取り掛かっているでしょう」
「熱心ですね」
 異界の方は本当にタフです。
「技術屋とか、研究者はそんなものです」
 そのようなものなのかと感慨にふけっていたら、
「少しお時間があるようなら、どこか寄ることもできますよ」
 青木さんが提案をして下さいました。
 いや、そのような…と思ったのですが、送って頂いたことで少し時間に余裕があります。
「帰りのお土産も必要でしょう?」
 好青年は気づかいの人でもあったようです。
 ふと、思い出したことがありました。
「それでは、青木さん、立ち寄りたい場所があるのですが…」

 ほんの二日間だったのですが、ずいぶん墨田区を離れていたような気がして、都内のじんめりとした蒸し暑い空気が懐かしく感じられます。
 早くに出勤して机を拭いていると宮永課長が出勤してきました、「おはようございます、早いですね」と元気よく挨拶をします。
「初めての出張はどうでした?」
 と、聞かれます。どう返そうかと考えていたら、同じく出勤してきたソフィアさんが、
「大変、頑張っておられました」
 と、紙包みと報告書を差し出しました、奈良銘菓「鹿サブレ」です。
「私と藤田さんからお土産です、」
「これは嬉しいな、今日のお茶請けはこれにしよう」
 ご満悦の課長。
 課長もそういえばスイーツ男子でしたね。年齢的にはスイーツ男子というよりスイーツおじさんかなぁ…、
 最後に新井さんがぎりぎりで駆け込んできました。あのヒールでよく全力疾走できるものだと感心します。
 バックから取り出したペットボトルでのどを潤している新井さんに、
「新井さん、留守の間ありがとうございました、お土産です」
 うやうやしく紙包みを渡します。
「ありがとう、気が利くじゃない藤田君」
 嬉しそうに手に取った新井さんは早速包みを開けているようです。
「藤田君、何これ?」
「奈良銘菓しかせんべいです」
 ソフィアさんも真顔で、
「是非とも食べてみるべき、なのですよね」
 追い打ちをかけます。
「ひどいー」
「ひどくないですよ、わざわざ買ってきたんですから、」
「味ないじゃん、これ」
「新井さんも食べたことあるんですか?」
「修学旅行あるあるでしょ、」
「ふすまの繊維がじゃりじゃりして舌触りもいまひとつなのよ」
 とか、ぶつくさコメントしている新井さんの手からソフィアさんが包みを取ると封を切っています。
 食べていいですか? と聞いています。
「味がしません…」
「ふすまと小麦粉が原材料だから栄養もあんまりないですよ」
 何で食べるかな、このエルフは、
「何事も実証して納得することは大切です」
 そのようなものなのでしょうか、
 そういえばソフィアさんも研究者なので、そんなものなのかもしれません。
 ソフィアさんから報告書を受け取った宮永課長が一読して、吹き出しています。
「大変だったね、藤田君」
 何を書いたんですかソフィアさん…

 始業とともにけたたましく電話が鳴り始めました。
 今日も忙しい一日になるのでしょう。
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