第7話

文字数 1,562文字

「この箱の中の者どもはどこへ行ったのじゃ?」僕の目を覗き込んだ男が言った。

 その言葉はあまりにもあっけらかんとしていて純粋だった。僕を見下ろす男は、顔面のスペースを全て占領してしまうかのような勢いの髭をザラザラと愛おしげに弄りながら、真っ白な歯と共に笑顔を見せた。僕は、男に釣られて思わず笑った。

 そして、その笑いは小さなものだったがキッカケとしてはとても大きなものだった。僕は男を見上げならが大声で笑った。それに呼応するように男も大仰に笑った。僕と男の声はあまりにも大きく、近隣の住民から苦情が来てもおかしくはない音量だった。でも僕はそれでも構わないと、思い切り笑った。
 
 思い切り笑った時、僕の脳裏に会社の同僚や上司の顔が思い浮かんだ。それらはとても不自然で人間とは思えない顔だった。未就学児が図工の授業で作った粘土細工のように不細工で、顔面のあらゆるパーツが歪んでいて、見るに堪えない顔だった。そういう映像を、僕は、大声で笑うことで、かき消した。そうして頭の中に浮かんだそれらの顔に向かってお前たちのことは大嫌いだと自信を持って蔑んだ。どうしてそんな気持ちになるのかは分からなかった。それでも僕は笑った。僕を取り巻く世界の摂理を否定するように。

 僕が起き上がると、男はもう一度さっきと同じ質問を僕にした。
「箱の中の者どもはどこへ行ったのじゃ?」
「これはテレビです。実際にこの中に人が入っているわけじゃない」
「そうか。カラクリか」
「そうですね。カラクリですね。カラクリの箱です」
「面白いのう。また先ほどの者たちと会うことはできるか?」
「いつでも見れますよ。こうやって」僕はそう言いながら床に落ちたリモコンを拾い上げて、テレビのスイッチを入れた。
真っ黒なテレビの画面はいつも通り唐突に、人工的な鮮やかさで映像を作り上げ目の前に現れた。
「おお」男はそう言いながら身を乗り出してテレビに近付いて、ゴツゴツとした両手でテレビの上を押さえ込むように掴んだ。
「あの、それ以上力を入れると壊れてしまいます」
「なに?」
「その、カラクリ箱が」僕はそう言いながらテレビを指差した。
「おお。すまんすまん。そうじゃったな。これはよく出来たカラクリ箱じゃった」
「そうです」僕はそう言いながら、また可笑しくなってきて少しだけ笑った。

 男はそれから黙って、僕の横に座り、じっとテレビを見た。僕も男の横で、同じようにテレビを見た。バラエティ番組は終盤に差し掛かっていて、次の放送の予告をしていた。それから数本のCMを挟んで、ニュース番組が始まった。外国で起きている戦争の行方を放送するイギリス国営放送をわかりやすく日本語で解説する内容だった。荒廃した街をさらに破壊するように空からミサイルが落ちる。画面は爆発による瓦礫と埃の拡散で真っ白になった。その直後に人々の悲鳴が聞こえた。カメラが忙しく動き周り、レポーターが顔面を酷く汚した状態で、英語で捲し立てた。それを後追いする形で翻訳者が日本語で解説した。

「戦か」男がつぶやいた。
「そうです。昔の戦とは違って今は一度にたくさんの人を殺せる飛び道具を使います」
「お主、飛び道具を知っておるのか?」
「はい。でも弓や鉄砲の比ではありません。村や街をたった1つの飛び道具で消し去ることも出来ます。核ミサイルと呼ばれています」僕はそう言いながら男の目を覗き込んだ。男は僕の説明を聞いているのか、あまりよく分からなかった。

 それから映像は東京のスタジオに切り替わり、神妙な顔をした司会者や専門家と呼ばれる人々で、戦争が起きた理由や、どちらが悪いのかという話で盛り上がった。その映像をしばらく見た後で男は言った。
「この者どもは戦に行かんのか?」
「行きませんね」
「そうか」男はそう言いながら表情を変えずにテレビを見続けた。
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