悪役令嬢の物語は始まりません。なぜなら、わたくしがヒロインを排除するからです。

文字数 4,651文字


 煌びやかなシャンデリアが舞踏会会場を明るく照らし出している。
 今日は運命の日。

 隣には婚約者であるディアム・クールレスト・ゾディアック王太子が、わたくしをエスコートしている。

 誰よりも美しく、誰よりも気高く。
 シュティリア・ホールオブ公爵令嬢。
 比類なき美貌と富と名声をもつわたくしを、皆が振り返る。

「踊っていただけますか? シュティリア」
「えぇ、喜んで」

 宮廷楽師達の奏でる曲と共に、わたくしは王子と共に踊ります。
 こうして共に踊るのは何度目でしょうか。
 くるくると回るたびに王子の金髪がさらりと流れ、朱金の瞳は熱を帯びてわたくしを見つめています。
 否応無しに胸が高まるのを感じます。
 
 周囲の人々は、わたくし達を尊敬と憧れの目で見つめています。
 あぁ。
 この日を、何度夢に見た事でしょう。
 
 本来なら、今日この日は、わたくしが断罪される日でした。
 王子の想い人であるジュリエッタ・ネルレート男爵令嬢を苛め抜いた罪で。

 そう、乙女ゲームの断罪イベントです。
 
 わたくしには、前世の記憶がございます。
 流行り病で生死の境を彷徨ったのは、五年ほど前のこと。
 高熱に浮かされながら思い出した前世の記憶、悪役令嬢と呼ばれるわたくしの事。
 目覚めてすぐは混乱しました。
 幼馴染であり、婚約者であるディアム王子が、わたくしを棄てて他の女性を愛するなんて。
 けれどどうしても熱が見せた幻とは思えず、わたくしは即座に行動に移しました。
 即ち、ジュリエッタの排除を。

 わたくし、前世ではいつも不思議だったのです。
 なぜ、ヒロインを排除しないのだろうかと。
 いえ、違いますね。
 排除のしかたが生ぬるいと申しますか。
 虐めですよ?
 虐め!
 公爵令嬢が虐め。
 なんですか、それ。
 
 えぇ、えぇ。
 ヒロインが王女や公爵令嬢、もしくは侯爵令嬢辺りならばともかく、相手は男爵令嬢。
 自分の愛する婚約者にまとわりつく下級貴族の令嬢など、その権力でもってさっさと学園を追放してしまえばいよいではありませんか。
 それを自らしゃしゃり出てあれこれ意地悪をして、最後に断罪されて終わるなんて、ねぇ?
 
 ありえませんわ。

 なのでわたくし、記憶を取り戻した五年前に即座に確認しましたの。
 ジュリエッタ・ネルレート男爵令嬢を。
 ですがこの時点では、まだジュリエッタは男爵家に引き取られていませんでした。
 彼女は男爵と平民のメイドとの間に出来た娘で、母親が流行り病で亡くなった事をきっかけに男爵家に引き取られるのです。
 母親が病床で形見としてジュリエッタに渡すのがネルレート男爵家の家紋入りのロケットです。
 その時初めて、ジュリエッタは自分が男爵家の娘である事を知るのです。
 つまり、母親が亡くならなければ事実を知ることはなく、引き取られることはありません。
 もう、お分かりですわよね?

 わたくし、乙女ゲームの回想でみた平民時代のスチルを頼りに、ジュリエッタの家を探し当てました。
 あぁ、もちろん探したのはわたくしではなく、我が家の優秀な使用人――情報収集に長け、場合によっては暗殺すらも請け負う影の集団ですけれど。
 
 ジュリエッタの母親は、乙女ゲームの設定通り、病に伏していました。
 でも、まだ亡くなってはいなかったので、ぎりぎり、間に合いました。
 ジュリエッタの母親が患っていた病は、わたくしと同じものでしたからね。
 治せない病ではありません。
 平民だと薬が高くて治せなかったのかもしれませんが、公爵令嬢たるわたくしにかかれば、薬代など、ねぇ?
 
「シュティリア、とても嬉しそうだね?」

 思わず思い出し笑いをしてしまったわたくしに、ディアム王子が優しい眼差しを向けてきます。

「少し、昔を思い出していましたの」
「思い出したことが、私とのことなら嬉しいのだけれど」
「もちろん、ディアム様との思い出は、わたくしにとってかけがえもなく大切で、嬉しい思い出ですわ」

 手入れの行き届いた芝生の生い茂る緑の庭を一緒に走り回った幼少時代。
 机を並べて、厳しくとも励ましあって共に学んだ日々。
 薔薇の咲き誇る王宮で、初めて口付けを交わした日。
 すべてが、わたくしにとって大切な想い出です。

 音楽が終わりました。
 名残惜しそうに、ディアム王子がわたくしの腰から手を外します。
 もう少し、踊っていたかったですね。
 踊りを終えたわたくしは、ディアム王子にエスコートされながらテーブルに戻ろうとし――。

 バンッ!

 一際大きな音が、会場に響き渡りました。
 振り向くと、そこには肩で息をするジュリエッタが。
 乙女ゲームの断罪イベントのときと同じく、穢れない白いドレスに身を包んだ彼女が。

 ……やっぱり、来てしまいましたのね。

 わたくしは、心の中で軽く溜息をつきます。
 ジュリエッタの母親を救ったわたくしは、次に辺境の伯爵家を紹介しました。
 メイドとして働けるようにです。
 男爵家を追われたジュリエッタの母親は、病に倒れるまでは町の食堂で働いていました。
 正直、余り評判の良い店ではなく、下種な男に言い寄られて困っていたようです。
 娘がいるとは思えないほどに若くて美しいですからね。
 さすがヒロインの母親でしょうか。
 彼女に邪な気持ちを抱く男は、娘のジュリエッタにも纏わり付いていたようです。
 ですから、病の癒えた彼女はわたくしの紹介に一も二もなく飛びつき、伯爵家でメイドとして働く事を了承してくれました。
 王都からは遠く離れてしまい、当然の事ながら王立学園にも通えない場所ですが、住み込みなので衣食住が保障されています。
 わたくし、ヒロインはきっちり排除すると決めましたが、路頭に迷えとも不幸になれとも思っていませんから。
 ただ、最愛のディアム王子を奪われたくないだけで。

 突然のジュリエッタの登場に、会場はざわめきました。
 知らない女性が突然乱入してきたのだから、当然ですね。 

「貴方は、一体……?」
「わ、わたしは、ジュリエッタ・アールクエイクですっ。ディアム王子に、一目、会いたくて……っ」

 ジュリエッタ・アールクエイク伯爵令嬢。
 えぇ、えぇ。
 彼女は、乙女ゲームの男爵令嬢よりもランクアップして、伯爵令嬢になってしまいました。
 ジュリエッタの母親が若く美しく気立ても良いので、アールクエイク伯爵に見初められてしまいましたの。
 本来であれば、アールクエイク伯爵の正妻にはなりえなかったでしょう。
 けれど運命は皮肉なもので、アールクエイク伯爵は結婚してすぐに奥様を亡くされ、それ以降ずっと独身を貫いていました。
 そんな彼の心の傷を癒し、慰め、愛し愛される夫婦となったのは今から半年前の事。
 伯爵は自分の子ではないジュリエッタも我が子として認知し、大切にしているとか。
 お茶会や夜会などには決して出ることのない彼女は、今日が始めてのお披露目となるはず。

「私に?」
「はいっ、どうかこれを見てください」

 皆が見つめる中、ジュリエッタはディアム王子にハンカチを差し出しました。
 王家の紋章が刺繍された白いハンカチです。

「これは、王家の物だね。届けに来てくれたのかい?」
「……っ、このハンカチは、ディアム王子から頂いたのです。わたしが、暴漢に襲われた時に助けてくださったディアム王子が、わたしの怪我した指先に巻いてくださいました」
「私が? それは、いつの事だろう。身に覚えがないのだが……」
「どうか、思い出してくださいませ。わたし、わたし…………っ」

 ジュリエッタが、潤んだ瞳でディアム王子を見上げます。
 対する王子は、困惑の浮かんだ瞳でジュリエッタを見つめています。

 えぇ、えぇ。
 身に覚えがあるはずがないのです。
 
 ジュリエッタが暴漢に襲われるのは、乙女ゲームのイベントの一つです。
 わたくし、それを覚えていましたから、ジュリエッタに護衛をこっそりとつけておきましたの。
 本来なら暴漢に襲われる所を乙女ゲームの攻略対象の誰かが助けるのですけれど、シナリオを代えてしまいましたからね。
 イベント事態が起きないのなら問題ありません。
 ですがまかり間違って誰にも助けられる事無く、取り返しの付かない酷い目にあってしまったら大変ではありませんか。
 何度も言いますが、わたくし、ジュリエッタを不幸にするのが目的ではございませんから。

 困惑する王子と、引かないジュリエッタ。
 沈黙が流れました。

「ジュリエッタ。貴方を助けたのはこの私です」

 沈黙を破る声に、皆が振り向きました。
 金色の髪に赤い瞳。
 優しげな顔立ち。
 ディアム王子とよく似た容姿の青年が佇んでいました。
 第二王子のデヴィット様です。
 
「貴方は……?」
「デヴィット、君はこちらのご令嬢と知り合いなのかい?」
「はい。三ヶ月前、シュティリア様とカレンと共にアールクエイク領に赴いていたのです。
 その時、ジュリエッタを街で見かけたのです」

 わたくし、イベントが起きる時期を覚えていましたからね。
 念には念をで、デヴィット様とアールクエイク領へ視察に行っておいたのです。
 もちろん、二人きりではありませんよ?
 末姫のカレン様も一緒です。
 アールクエイク領はそれはそれは美味しいお菓子が特産ですの。
 視察とは名ばかりで、カレン様のおやつ行脚が正解ですね。
 デヴィット様がジュリエッタを助けたのは偶然でした。
 もっとも、あの時期あのタイミングで視察に行くように誘導したのはわたくしですが。

「ジュリエッタ。一目見た時から、私は貴方の虜でした。
 月の光のように眩い銀の髪、薔薇の花のように愛らしいピンクの瞳、雪のように白い肌。
 何もかもが私を魅了して離さない。
 どうか私と婚約してください」

 胸元に挿していた薔薇をとり、ジュリエッタに跪くデヴィット。

「わ、わたしは、ずっとディアム王子だと思っていました。
 でも、わたしを助けてくれたのはデヴィット様だったのですね。
 貴方に助けられたあの日から、わたしは一度たりとも貴方を忘れた事はありませんでした」
「ジュリエッタ!」

 感極まって、ジュリエッタを抱きしめるデヴィット。
 真っ赤になりながら、けれど遠慮がちにデヴィットの背に手を回すジュリエッタ。

 パチパチ、パチパチパチパチッ!

 唖然とする周囲を誘導するように、わたくしは盛大に拍手を送ります。
 釣られた様に、皆も拍手を送ります。
 祝いの言葉も次々と彼らに向けられ、会場は華やかさを取り戻しました。

 止まっていた音楽が再び会場を彩ります。

「もう一曲、踊ってくださいませんこと?」
「喜んで」

 最愛のディアム王子が、わたくしの手をとります。
 ジュリエッタも、デヴィットと共に踊りだします。
 彼女の瞳は、もうデヴィットしか映していません。
 そしてディアム王子の瞳には、わたくしが映っています。
 王子を愛してやまないわたくしだけが。

「愛しているよ、シュティリア」
「わたくしもですわ」

 この幸せが、いつまでもいつまでも続きますように。
 
 
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