悪役令嬢なのか、ヒロインなのか、まずはそこからが問題だ

文字数 17,931文字


◇プロローグ

 目が覚めたとき、最初に目に入ったのは、天蓋。
 アンティークといえば聞こえがいいけれど、色あせたレースは見慣れた色合いだ。
 わたしは、ベッドに寝かされていた。
 そして、目線を動かすと可愛い四人の妹と二人の弟、それに涙を流すお母様、そのお母様を支えるように、お父様が立っていた。

「あぁ、神様、感謝いたします! マルガレーテを天に連れて行かないで下さった事を!」

 わたしに良く似たミルク色の髪を振り乱し、お母様はわたしを抱きしめる。
 一体、何が……。
 ズキン、ズキンと痛むこの頭と何か関係しているのだろうか。

「ヨセフィーヌ、マルガレーテが驚いているぞ。マルガレーテ、気分はどうだい? 何が起こったか覚えているかい?」
「お父様……えぇっと、その……」

 不味い。
 何も覚えていない。
 いや、むしろ覚えていると言ったほうがいいのか。
 違う事を思い出したというべきか。
 お父様の顔もお母様の顔も、可愛い妹達の顔も。
 お父様が聞いているのとはたぶん別の意味で思い出した。

「おねーさまはねっ、パン屋でねっ、鉄板がふってきてねっ」
「それでね、それでね、ぶつかってね、怪我してねっ、たおれちゃったっ」

 うるうると涙ぐむ妹たちの頭を、片手で撫でる。
 あぁ、うん。
 ぼんやりと、その事を思い出してきたわ。
 バイト先のパン屋は今日は朝から忙しくて、大口の依頼が入ってて。
 本当なら今日はわたしはお休みだったけど、賃金弾むからって言う店長の言葉につられて、出勤したんだよね。
 だってほら、我が家は伯爵家とは名ばかりで貧乏だから。
 少しでも稼いで、生活の糧にしないと。

 それで、バイトは忙しすぎたんだろうね。
 焼いても焼いてもパンが間に合わない勢いだったし。
 全力で生地こねてたし。
 だからかな。
 棚の上にね、鉄板を適当に重ねた人がいたみたい。
 バイト仲間が棚にぶつかった瞬間、上に積んであった鉄板がガラガラ落ちてきて。
 咄嗟にわたし、バイト仲間を突き飛ばしたんだよね。
 よく考えれば、魔法で結界を張ればよかったんだけど。
 突き飛ばしたのはまぁ、うん、よしとして。
 問題はその後のわたし。
 仲間は助かったけど、わたしの頭に鉄板が見事にクリティカル。
 で、今に至るというわけだ。
 たぶん。
 だってこの世界での記憶は、バイト仲間を突き飛ばした直後に襲ってきた痛みでぶつりと途切れているからね。
 お母様の様子からすると、わたしはたぶん生死の境を彷徨ったんだろう。
 そしてお約束の展開って奴を体験しているんだろうな。
 そう、お約束――異世界転生だ。
 そしてここは、乙女ゲームかweb小説に酷似した世界だ。



◇◇


◇チェック1)記憶を整理しよう

 まず最初に、現状確認をしようと思う。
 自分が満足に働けなかったせいでと泣きじゃくるお母様を宥めて、心配する家族にまず部屋を出て行ってもらう。
 ちなみに使用人は二人しかいない。
 貧乏だからね、うち。
 住み込みで働いてくれている老夫婦で、食事の準備なんかもしてくれている。
 貴族の家って普通は家族一人につき使用人数人が専属でついているけれど、うちにはそんな人を雇う余裕はない。
 だから、家族が部屋を出た後は、わたし一人だ。
 ちょっと頭の中を整理したいから一人になりたかった。

 わたしは、ベッドからゆっくりと起き上がって、鏡台の前に立つ。
 そこには、お母様に良く似た少女が写っている。
 お母様と同じミルク色の髪はふわふわと柔らかい癖っ毛で、胸まで伸びている。
 長い睫に縁取られた大きめの瞳は藍色で、お父様似だ。
 滑らかで色白の肌はどちらだろう。
 二人とも肌が綺麗だから、どちらに似ていても問題ない。
 問題は、この容姿と、マルガレーテ・フォンディーヌ伯爵令嬢という立場だ。
 
 わたしはついさっき、目覚めると共に前世の記憶を思い出した。
 生死の境を彷徨ったせいだろう。
 前世でわたしは日本という国で、女子高校生をしていた。
 当時わたしは、乙女ゲームとweb小説が好きだった。
 web小説の中でも好きだったのが、悪役令嬢系と呼ばれる恋愛小説だ。
 悪役令嬢は大抵前世好きだった乙女ゲームの世界に異世界転生をし、前世の記憶を駆使して破滅の運命から逃れていく。
 テンプレと呼ばれていたけれど、破滅の運命も逃れる手段も千差万別。
 一作一作ごとに違う物語に魅了されて、軽く三桁を超える量を読み漁ったと思う。

 そして現在のわたし、マルガレーテは、乙女ゲームに出てくるヒロインの名前なのだ。
 うん。
 悪役令嬢じゃなく、ヒロイン。
 でも待って欲しい。
 わたしは本当にヒロインなのか。
 もしやこれは、ヒロインに生まれ変わったと見せかけて、悪役令嬢が実は本物の主人公。
 わたしは、馬鹿な当て馬役だったりしないだろうか。
 自分が主人公だと思い込み、攻略対象者達に迫る偽ヒロインの最後は、決まって自業自得のボロボロだ。
 せっかく生まれ変わったのに、そんな人生真っ平ごめんだ。
 それに前世の家族も好きだったけれど、現在の家族も凄く大好きなのだ。
 家族に迷惑がかかる行動をとる気なんてない。

 でも、もしもわたしが真のヒロインでも、悪役令嬢の当て馬だとしても、トラブルに巻き込まれるんじゃないだろうか。
 だって既に、わたしは乙女ゲームの舞台であったディアック王国の王立学園に入学しているのだ。
 ディアック王国では、貴族やお金持ちの子息子女の大半がこの学園に通うことになっている。
 貴族ならこの学園を出ていないと格下として扱われるレベルだ。
 王子も悪役令嬢も、他の攻略者達も当然在学している。
 わたしはこの春に入学してからまだ二週間で、誰ともエンカウントしていないけれどね。
 このまま三年間、卒業までかかわらないでいられるかどうかは判らない。

 悪役令嬢の物語ならいい。
 ヒロインであるわたしが悪役令嬢の様々な罪を捏造したりしなければ、まずわたしに不幸な未来は訪れないだろう。
 大抵の悪役令嬢小説では、ヒロインがやりたい放題で自滅するのだから。
 悪役令嬢の物語ではなく、本当に乙女ゲームのヒロインだった場合は、もうちょっと厄介かもしれない。
 だって乙女ゲームのヒロインは、悪役令嬢にいびられまくりながら攻略対象達と恋愛するのよね。
 絶世の美少女なんかじゃなく、地位もそこそこのヒロインになぜか地位も名誉も魅力もたんまりある異性たちがこぞって惚れる。
 攻略対象の中には婚約者がいる場合もあるし、下手にかかわって惚れられると厄介この上ない。
 わたし、乙女ゲームは好きだったけど、自分で恋愛する気はないのですよ。
 ましてや、婚約者だの恋人だのがいる人とは絶対に駄目。
 わたしは貧乏伯爵家を、ひいては大切な家族を支えていけるように稼ぎたいだけですからね。
 余分なトラブルはごめんだ。
 
 わたしはヒロインなのかそうじゃないのか、まずはそこから調べることが必要だと思う。
 破滅の未来を引き寄せない為にね!
 
 
 
◇◇


◇チェック2)悪役令嬢と婚約者をチェックしよう
 
 わたし、マルガレーテはディアック王立学園の廊下の片隅に隠れている。
 ただ今絶賛尾行中なのだ。
 誰をつけているか?
 それはもう、悪役令嬢のレヴィール公爵令嬢様のことですよ。

 ほら、あれよ、あれ。
 悪役令嬢ものなら、大抵悪役令嬢の婚約者が馬鹿な王太子とかで、婚約者がいながらヒロインにベタぼれ。
 とどめに、冤罪だろうとなんだろうと、卒業パーティーとかイベント時にみんなの前で悪役令嬢を断罪するのよね。
 でも結局は冤罪が晴れて、王太子は廃嫡になったり国外追放だったり、ついでにヒロインも追放的な。

 ……あー、かかわりたくないなぁ。
 でもとりあえず、チェックはするのよ。
 身の安全のためにもね。
 調べた所、レヴィール様の婚約者はやっぱり王道の王太子。
 このディアック王国の第一王子ベルトルート様でした。
 今の所、ヒロインのわたしとの接触は皆無。

 あ、レヴィーエ様、生徒会室へ入られたわ。
 話し声がするから、中に何人かいるのかな。
 あんまり身を乗り出すとドアについた窓からわたしが見えちゃうから、こっそりこっそりね。
 生徒会メンバーはレヴィーエ様とベルトルート王子はもちろんとして、宰相の息子に騎士団長の息子、それに公爵家や侯爵家の子息たちがいるんだよね。
 男性はほぼ全員攻略対象。
 うん、かかわっちゃいけないね。

 ……生徒会、入りたかったんだけどなぁ。

 入ると王子と遭遇しちゃうよね。
 レヴィール様とも接触だよね。
 成績優秀者なら入れるから、伯爵家でも成績のよいわたしは入れるんだけどね。
 ベルトルート王子とレヴィール様がいないなら入りたいけど。

 だって、わたしの家は何度も言うけど伯爵家とは名ばかりでとっても貧しいのよ。
 なのにこの王立学園に入れたのは、魔力が高くて学費免除になったお陰だし。
 やっぱりヒロイン補正なのか、光属性の魔力が桁違い。
 せっかくの魔力だから将来は王国の魔導師団に所属して、この国を守る役目に着きたいのですよ。
 王国直属だから、お給料の良さもいい。
 わたしの下には可愛い妹が四人もいるし、弟だって負けず劣らずかわいいし。
 五人とも見た目も性格も良い子達なのよ。
 でも、勉強は苦手で、魔力も余り……。
 だからわたしがバッチリ稼がないとね!
 なんとしてでも、断罪イベントに巻き込まれないように逃げ切って、魔導師団に所属するのよ。
 生徒会役員だと魔導師団の面接で有利だけど、断念。

「お前、こんな所でなにをしているんだ」
「ふぇっ?」

 耳元で声がして、びくっとわたしは飛びのいた。

「あ、脅かしたか。大丈夫か?」
「い、いいえっ、何でもありませんよ、なんでも。大丈夫ですっ」

 背が高いこの男。
 前世でみたことがありますよ。
 攻略対象の侯爵家の次男で、名前は確かルーフェン・トルフェン様だわ。
 金髪碧眼はもちろんの事、ピンク髪だの赤瞳だの紫の髪だのが珍しくないこの王国で、黒髪黒目の美青年。
 
「生徒会に興味があるんだろう。そんなに遠慮せずに入っていけ」

 ふっと笑ってドアを開け、わたしを促すルーフェン様。
 余計な事を~~~~~~~~~っ。
 あぁああ、やっぱり居た。
 ベルトルート王子。
 それに公爵家のダールグリーム様も居る。
 うぅう、攻略対象が勢揃いしていなかっただけマシなのか?
 それでもルーフェン様も合わせるなら三名もの攻略対象とエンカウントとか。
 勘弁してください。

「そちらの方は?」
「あぁ、レヴィール。この子、生徒会に入りたいみたいでね」
「まぁ、それは本当ですの?」
 
 レヴィール様が優しげな表情でわたしを見る。
 あ、これ、やっぱり悪役令嬢が主人公の世界じゃない?
 本当の意地悪な悪役令嬢だったら、ここはわたしみたいな普通の子なんて、ふんっと鼻を鳴らして無視されると思うの。
 乙女ゲームのほうのレヴィーエ様は、取り巻きを侍らしてマジ女王様。
 貧乏伯爵家のヒロインたるわたしは、毎回いびられイベント発生してたもんね。
 でもそれはそれこれはこれ。
 いつトラブルに巻き込まれるかわからないのだから、生徒会は逃げよう。
 
「あの、楽しげな声が聞こえたので立ち止まったんです。生徒会に入りたいわけでは決して……」
「あれ? そうなのか。随分長い事中の様子を伺っていただろう」

 ちょっとまってよ、ルーフェン様。
 一体いつからわたしを見ていたんだ。
 
「確か貴方はマルガレーテ・フォンディーヌ伯爵令嬢ですね」
「えっ。ベルトルート様、わたしの名前をご存知なのですか?」
「もちろんですよ。大切なこの学園の生徒ですからね。それに貴方の場合は、魔力の高さで度々話題になっていましたから」

 うっわー、話題になっているのか。
 やだな、目立ちたくない。
 
「そう、貴方が噂のマルガレーテなのね。貴方のような成績優秀な方が生徒会に入ってくれたなら、これほど心強いことはないわね」

 あぁ、レヴィール様。
 そんな心底嬉しそうに微笑まないで下さい。
 思わず見惚れてしまうではありませんか。
 悪役令嬢らしくきつめのお顔立ちですが、少し釣り目気味の紫の瞳を細めて微笑まれると、一気に雰囲気が柔らかくなるのですよ。
 美人の笑顔は目の保養で思わず生徒会に入りたくなりますが、駄目ですよ、駄目。
 レヴィール様にも、婚約者のベルトルート様にも、そしてその他攻略対象様達にも。
 わたしは出来る限りかかわらないで生きていたいのですから。

「い、いえ、わたしのようなものが出来ることなど、あるとは思えませんから……っ」

 レヴィール様の笑顔を曇らせるような事を言いたくないけど仕方ないよね?
 破滅したくないのですよ。

「そう…………」

 わたしの言葉に、レヴィール様はしょんぼりと肩を落とされた。
 見た目は猫っぽいのに、なんだか子犬のよう。
 あぁ、ごめんなさい。

「じゃあこうしてはどうだろうか。マルガレーテには生徒会見習いとして通ってもらったら?」

 え。
 急に何を言い出すのこの公爵子息は。
 見習いってなんだ。
 使用人見習いと似たようなものですか?
 
「ダールグリームは良いことをいう。最初から役員だと気後れするだろう。見習いから段々と慣れろ」

 ちょっ、ルーフェン様まで何を言い出すんだ!
 生徒会に入らなくても見習いで通うことになるなら、それは入っているのも同然じゃないか。
 悪役令嬢にも王太子にも攻略対象にも、エンカウントしまくり人生待ったなしですよ。
 勘弁して。

 わたしは、助けを求めてベルトルート様に視線を投げる。
 この場で二人を止めれるのは、ベルトルート様だけだ。

「マルガレーテは、どうかな? 見習いであっても、生徒会には来れないかな。正直、仕事はとても多くてね。
 人手は少しでも多いと助かるのですが……」

 そんな言い方されたら、断れないじゃないですか。
 立場的にも心情的にも。
 この学園、将来の領地経営だとか国家運営に携わるレベルの子息達が通っているせいか、生徒達が擬似的に学校を運営しているんですよ。
 国や領地を運営するように、学園という小さな、けれどとても大切な学びの世界を。
 王子達の目の前には、沢山の書類が今も積まれている。
 それをみれば、レヴィーエ様も王子達も、使用人に押し付けるような事はせず、自分達で処理しているのが分かる。
 みんな、わたしよりも立場が上の人たちだから、わたしなんかよりも貴族としての用事が詰まっているはず。
 雑用だけでも、手伝えるなら手伝ってあげたい。
 あー、もうっ。

「その、本当にわたしなんかでお役に立てるのでしたら」
「まぁっ、マルガレーテ、本当?」

 ぱっと顔を輝かせて、レヴィーエ様がわたしの手を掴む。
 えぇえ、そんなに喜んで頂ける事?

「良かったですね、レヴィーエ」

 あぁ、ベルトルート王子、極上の笑顔をレヴィーエ様に向けている。
 うん、王子はレヴィーエ様を喜ばせたくてわたしを誘いましたね?
 これはもう、わたしは真ヒロインではなく悪役令嬢物語における当て馬ヒロインで確定ですよね。
 どうみても王子は馬鹿じゃないけれど、間違いなくレヴィーエ様を愛してる。
 ちょっと、ほっとする。
 当て馬ヒロインなら、むやみやたらに攻略対象達に思いを寄せられることはないでしょう。
 わたしが前世の知識を悪用して迫ったりしない限り、安心なはず。
 そうと決まれば、話しは早い。
 
「お仕事を教えていただけますか? 精一杯、覚えます!」
「頼もしいね」

 ダールグリーム様がうんうんと頷き、わたしにどどんと書類を渡してきた。
 あ、これ、先日の抜き打ち小テストの答案では。

「先生達も忙しいからね。僕達がチェックしているんだよ」
「……………はい」

 それは無いだろう、先生!
 いくらなんでも、生徒に任せすぎじゃないか?!
 
「マルガレーテ、こちらの回答を見ながらチェックしますか?」
「彼女なら回答全部わかるだろう」

 レヴィーエ様の提案に、なんでルーフェン様が即答するんですか。
 いや、回答解るけども。

 わたしは深く考えることはもうやめにして、生徒会室の小テーブルに移動して全力で回答をチェックした。
 すべてのチェックが終わる頃には、もう日が暮れていた。



◇◇


 
「こんな時間までありがとう。来られる時でよいから、生徒会室にいらしてくださいませ。今度は、美味しいお菓子を用意しておきますわ」

 女の子が増えてくれて嬉しいわと、レヴィーエ様はふわりと微笑む。
 あぁ、うん。
 生徒会役員はレヴィーエ様以外は男性でしたね。

「マルガレーテ、時間は大丈夫か?」
「時間……? あっ!」

 ルーフェン様の言葉に、思い出した。
 パン屋のバイト!!!!
 今日から復帰だったのにっ。
 意識不明で生死の境を彷徨っていたらしい私は、なんと三日間も眠っていたのだ。

「ご、ごめんなさい、急用を思い出しましたっ。大変失礼ですがお先に失礼させて頂きますっ」
「用事がございましたの? それなのに仕事を頼んでしまってごめんなさい」
「いいえ、レヴィーエ様、走れば間に合いますからっ。ではではっ」

 わたしはもう、淑女の優雅さなんかかなぐり捨てて、生徒会室を後にし、全力で校舎を走る。
 パン屋は王都にある。
 幸い、学園から近い。
 そう、全力で走れば間に合うはずだ。
 間に合って!!

「ちょっと待ってくれ、馬車で送る」

 いつの間にか真後ろに迫っていたルーフェン様が、わたしの腕を取る。
 急に引っ張られる形になって、ガクンとつんのめった。

「おっと、すまん」

 転びかけたわたしを、ルーフェン様が後から抱きとめてくれた。
 でも待って。
 馬車で送る?
 勘弁してください、家に帰るんじゃないんです、行き先はバイト先なんです。 

「あのっ、お言葉ですが……」
「行くぞ」
「はっ?!」

 有無を言わさず、ルーフェン様はぐいぐいわたしを引きずるように校門の前を通り過ぎ、待機させてあった侯爵家の高速魔導馬車に押し込んだ。
 いやいやいやいや、お願い待って。
 家に送られたら本気でバイトに間に合わなくなる。
 無断欠勤なんてしたら、バイト代減っちゃう。
 最悪クビよ?!

 領地を富ませる術も持たない、可哀想な家なんだぞ我が伯爵家は。
 むしろ領民が本気で辛いだろうから、税金も王国一の低価格で、伯爵令嬢なのにドレスも制服もお古を使いまわしてるんだ。
 バイトがクビになったら、老夫婦の使用人に支払うお給料すら危うくなるぅうう!

「東地区のパン屋ルベールに行ってくれ」

 心の中で錯乱するわたしを余所に、ルーフェン様が御者に行き先を指示する。
 え、なんでパン屋って知っているの。

「間に合うようにするから、心配するな」

 言い切るルーフェン様に、わたしはこくこくと頷く。
 どうして知っているのかとか聞きたいことはあるけれど、時間がないのは本当だ。
 高速魔導馬車なら、すぐに着くだろう。

 わたしもルーフェン様も無言のままだった。
 ちらっと顔を伺うと、ルーフェン様と目が合った。
 あからさまにならないように、そっと目を逸らす。

 高速魔導馬車がパン屋に着いた。
 走ってたら二十分はかかる所だったけれど、さすが高速魔導馬車。
 十分かからなかったと思う。
 
「送って頂き、ありがとうございました」
「そう思うなら、誠意を示してくれないか」

 は?
 一瞬、何を言われたかわからなくて、エスコートされて馬車を降りる動きが止まった。
 そもそも、ルーフェン様のせいで遅れそうだったんですが。
 あ、いや、違うのかな。
 生徒会の仕事を今日すぐにしたのは自分からだし。
 時間を忘れて作業してしまったのもわたしだ。
 しかもルーフェン様に言われなかったら、そのまま忘れていたかもしれない。

「誠意は、何をもって示せるのでしょう?」
「ふむ、そうだな。君は、パンが好きなのだろう」
「えぇ、そうですね」

 ここのパン屋さんは、店員割引があるのだ。
 バイトにも適用されるの。
 それに、たまに余ったパンやら試作品をみんなに配ってくれるのですよ。
 頂いたパンは、わがフォンディーヌ伯爵家の朝食となってみんなで美味しく頂いています。

「なら、話は早い。明日から、俺の昼食を作ってきてくれ」
「パンで、ですか?」
「そうだ」

 ルーフェン様、真顔でいってるけれど、本気なのだろうか。
 ディアック王立学園には一流シェフの作る美味しいと噂の学食もあるのだし、そちらのほうがいいのでは。
 あ、わたしはいつもお弁当ですよ。
 学食は美味しいそうだけれど、一食銀貨三枚は我が伯爵家では贅沢すぎて無理。
 
 ……もしかして、ルーフェン様のトルフェン侯爵家も、実は貧乏?

「いま物凄く失礼なことを考えていないか?」
「いいいいいえ、まったく何も考えていませんっ」
「本当か」
「本当です、どんなお弁当にしようかなーと思っていただけです、ハイ」

 こいつは心が読めるのか?!
 いや、そんな魔法はなかったと思うけれど。
 
「なら、いい。明日を楽しみにしている」

 ふっと笑って、ルーフェン様は高速魔導馬車に乗って去ってゆく。
 あぁああ、明日のお弁当、どうしよう?
 
「マルガレーテちゃん?」

 店の前で頭を抱えていると、声をかけられた。
 同僚のポルムちゃんだ。
 
「良かった、遅いから、まだ具合悪いのかなって!」

 抱きゅっ☆
 涙目でわたしに抱きついてくるポルムちゃん。
 おいおい、どうしたんだ。
 いつも懐っこい子だけど、いきなり抱きついてくるとは。

「今日も予約がいっぱい入っているの?」
「違うわ。マルガレーテちゃんが、わたしのせいで、怪我しちゃったから……っ」

 ボロボロと大粒の涙をこぼすポルムちゃんを見て、思い出した。
 あぁ、そうだった。
 わたし、彼女のかわりに鉄板食らったんだっけ。
 そんなわたしが寝込んでバイトに来れなかったから、ずっと心配だったんだろうな。

「心配かけてごめんね? でもほら、もう元気ですからね。今日も一緒にお仕事頑張りましょう!」
「無理しないでね? ちょっとでも具合悪くなったらすぐ言ってね?」
「大丈夫大丈夫、こうみえてかなり頑丈なの。この間は、たまたま、偶然なんだから。ね?」

 力こぶ作って笑えば、ポルムちゃんもやっと笑ってくれた。
 その笑顔に、ふと、既視感を感じながら、バイトの制服に急ぎ着替えて仕事に取り掛かった。



◇◇



「美味いな」

 ディアック王立学園の裏庭で、ルーフェン様はわたしが作ったお弁当を美味しそうに食べている。
 お弁当というか、サンドウィッチだけどね。
 レタスとチーズ、それにカリカリに焼いたベーコン、スクランブルエッグ。
 それらを挟んだだけの簡単なものなんだけど。
 
「そんなに美味しいですか?」
「うむ。パンの程よい柔らかさ、チーズの香ばしさ、ベーコンの旨みが凝縮されていると思う」
「はぁ、そうですか」

 お世辞とは思えないぐらい嬉しそうに食べていただけて、ちょっと嬉しい。
 あれかな。
 侯爵家はやっぱりご飯も豪華で。
 だから、素朴なサンドウィッチが新鮮に感じるのかも。

「あぁ、美味しかった。明日も頼む」
「え」

 わたし、思いっきり笑顔が固まった。
 今、なんていわれたの。
 明日も頼む?
 冗談だよね。
 我が家に他人の食事を作り続ける余裕はありません。
 今日だって、わたしのお昼ご飯抜きにして、ルーフェン様のお弁当にしたんだから。

「嫌なのか?」

 わたしの表情に目聡く気づいたルーフェン様の眉間に皺がよる。
 やばい。
 侯爵家の不興なんて買いたくない。
 
「いいえ、とんでもありません。ぜひ、明日からも作らさせていただきますっ」
「うむ、よろしく頼む」

 ふっと嬉しそうに笑うルーフェン様。
 なんだろう。
 その笑い方、どこかでみたような気がするんだけど。
 乙女ゲームのスチルかな。
 裏庭を立ち去るルーフェン様を見送ると、くぅーっとお腹が鳴った。
 あぁ、明日からお昼抜き確定ね。 
 お腹、空いたなぁ……。




◇◇




◇チェック3)悪役令嬢の周囲に転生者が居ないかどうか調べる。


 学業と生徒会とバイトをこなし続けて早数週間。
 わたしは、こっそりひっそり、レヴィーエ様のお兄様、イヴァン様を調べることにした。
 何故か?
 やっぱりほら、テンプレって飽きられるじゃない。
 毎回毎回、悪役令嬢に転生してって言うのも、色々バージョンあって面白いんだけど。
 でもそういったテンプレの中から悪役令嬢そのものじゃなく、周囲の人物が転生者だったりする作品がいくつかあったのですよ。
 それで、そういった周囲の転生者は悪役令嬢が物語の通り破滅すると、自分も巻き込まれて破滅するから、悪役令嬢の性格を矯正しようとしたり、そっと側を離れようとしたり。
 そういう人はね、まだいいのよ。
 悪役令嬢が破滅しないように頑張るだけで、ヒロインのわたしに害が及ぶことってまず無いのです。
 わたしがレヴィーエ様に何か意地悪をすれば話は別だけれど、そんなこと、絶対にしないしね。
 
 まずいのは、悪役令嬢やヒロインにとって代わろうとするタイプの転生者。
 このタイプの転生者は、悪役令嬢をはめて、自分が王子の婚約者に納まろうとしたり、逆にヒロインを陥れて逆ハー目指したり。
 転生している人物のバリエーションはそりゃもう豊富で、悪役令嬢の兄や妹、取り巻きやら叔母やら、いろいろよね。
 だから全員のチェックは当然出来ない。
 お茶会やらパーティーに出席すれば会えるかも知れないけれど、そんな一瞬で判断できるとも思えないし。
 わたしに出来るのは、この学園の在校生を調べる程度。
 
 生徒会に入っている攻略メンバーは既にチェック済み。
 みんな、たぶん、転生者じゃないと思う。
 みんな男性だしね。
 稀にそちら向けの作品もあるから油断は出来ないとか思ったんだけど。
 そちら向けがどちら向けであるのかは割愛。
 
 なのでわたしは、攻略対象以外の、レヴィーエ様の周辺を調べることにした。
 レヴィール様のご家族は、お兄様二人と、妹二人、らしい。
 妹さん二人はまだ十歳ぐらいで、学園にはいない。
 どちらかが転生者だとしても、十歳で学園にも来れない子では、多分何も出来ないだろう。
 レヴィーエ様と王子の婚約を破棄させることが出来ても、歳が離れているから、妹二人よりも別の公爵家や侯爵家のお嬢様が婚約者になるのが妥当だと思う。
 妹さん二人は除外していいと思う。
 お兄様のうち一人は既に学園を卒業していらっしゃるから、残る一人はイヴァン様。
 イヴァン様は一つ年上の十六歳。

 だからわたしは、こっそりひっそり、二年生の教室が見える廊下で、イヴァン様をチェックしてみる。
 イヴァン様は攻略対象者ではないものの、レヴィール様によく似た容姿で、銀髪で紫眼。
 さらりと風になびく前髪に、ちょっとくらっとときめきますね。

 イヴァン様、この学園で人気が高いのですよ。
 侯爵家の嫡男という立場に奢らず、誰にでも優しく紳士的だとか。
 貴族の子女はもちろんの事、平民の女の子達からも慕われているとか。
 見た目も中身も地位も良いとか。
 チートですね。
 でも、転生者かどうかは、遠目からはわからない、かな。
 男性だし、彼もチェック対象から外していいよね、多分。
 
「……お前はなにをしている」
「ひゃっ!」

 耳元で聞こえた低い声に、わたしはびくっと後ずさる。
 振り向いた先には、いかにもご機嫌斜めなルーフェン様が。
 え、わたし、彼に何かしたかな。
 お弁当は朝一で手渡してあるし、今日は生徒会もない、よね。
 なんで全身から不機嫌さを醸し出しているんだろう。

「こんな所で何をしているんだ。お前の学年はこの下の階だろう」

 あぁ、一年生が二学年の廊下をうろついていたから機嫌が悪いのかな。
 前世の日本の高校と違って、ディアック王立学園はその辺の上下関係曖昧なはずなんだけど。
 学年よりも家柄が物を言う。
 一応、在校生は皆平等ってことになっているけれどね。

「……図書室にいこうかな、と思いまして」

 まさかイヴァン様をチェックしに来ましたとは言い辛いよね。
 なので無難な事を言っておく。
 図書室はこの廊下を進んで渡り廊下で繋がれた別館にある。
 言い訳としては最適だったと思う。
 でも、わたしの答えに、ルーフェン様はさらに眉間にしわを寄せた。
 
「さっきからずっと、ここで立ち止まっていただろうが」

 うわぁ、見られていた?!
 というか、この間もだけど、いつから見てたんですか。
 適当に笑顔でかわして逃げるしか……って、腕つかまれてる。

「すこし、考え事をしていただけです。手を離してはいただけないでしょうか」
「……ずっと、イヴァンを見ていたようだが」

 そこまで見られていたのか。
 でもルーフェン様に怒られるようなことじゃないと思うんだけど。

「あいつには婚約者が居る。幼馴染で、公爵家のご令嬢だ。やめておけ」
「は?」

 いやいやいやいや?
 わたし、貧乏伯爵家の令嬢ですから。
 侯爵家の嫡男なんて、こちらからごめんですよ。
 在学中は精一杯バイトして稼いで、卒業後は王立魔導師団で稼ぎまくるんだから。
 
「早く戻れ」

 苛立たしげに吐き棄てて、ルーフェン様は去って行った。
 一体、なんだったんだ。

 あ、イヴァン様、いつの間にか教室を出てどこかへ行ってしまったわ。
 転生者かどうか調べれなかったじゃない。
 まぁ、見てるだけで調べられたとは思えないけど。
 むー。




◇◇





◇チェック4)断罪イベントを確認する。

 
 イヴァン様のチェックはルーフェン様に邪魔されたので、わたしはレヴィーエ様の友人様達をチェックしてみた。
 うん、皆様真っ白ですね?
 どの方もレヴィーエ様に邪心を抱いていなさそう。
 レヴィーエ様からわたしの事を聞いているのか、彼女の友人様達は皆親切で優しい。
 滅多に食べれない王都の人気焼き菓子店のクッキーまで頂いちゃいました。
 しかも大量に。
 家族とみんなで分けて食べさせていただきましたよ。
 幸せでした。

 そんなわけで、わたしはお菓子をいっぱいもらうことはあっても、へんな事はこれといって起きていなかったり。
 レヴィーエ様を陥れるにしろ、わたしを陥れるにしろ、大体虐めイベントが発生するはずなのですよ。
 でもわたし、入学してから今日まで一度も虐めに遭遇していません。
 いろいろ身構えてたんだけど、ちょっと肩透かしです。
 虐められるのなんて嫌だから、無いのはいいことなんですけど。
 この調子なら、断罪イベントも起こらなかったりするのかな。
 無いといいのですけど。

 乙女ゲームやら悪役令嬢の物語には、断罪イベントなるものが存在するのですよ。
 乙女ゲームなら、悪役令嬢を断罪し、悪役令嬢の物語なら、最初悪役令嬢が責められるけれど、最終的にヒロインとその取り巻きが断罪されるの。
 
 虐めイベントが発生していないから、断罪イベントで断罪する罪がないような気もする。
 この世界は多分悪役令嬢の物語に酷似した異世界だと思うのだけれど、わたしがヒロインだった乙女ゲームだと、ちょっと断罪イベントが変わっていたのですよ。 

 確か、テンプレ王道の罪状に少し捻りを加えてたはず。
 普段からの大小さまざまな虐めに加え、階段から突き落とすのがテンプレだけど、でも、流石にもうそのパターンは製作者も飽きたんだと思うの。
 というより、階段から突き落とされても無傷のヒロインってまずないですよね?
 だから、捻りを加えて、階段からの突き落としの変わりに、暴走した魔力の炎がヒロインに降って来るの。
 悪役令嬢レヴィーエ様の膨大な魔力が暴走して、ヒロインに火の玉となって空から降り注ぐ。
 もちろん、暴走したなんて嘘で、実際は嫉妬に駆られた悪役令嬢レヴィーエ様が故意に火球をヒロインに向けるんだけど。
 それがバレて、王子の誕生パーティーで悪役令嬢レヴィーエ様は断罪される。
 
 火球が落ちてくるのは確か夏なんだよね。
 王子の誕生日が夏の終わりだから。
 つまり、火球が落ちてくるならもうそろそろ。
 レヴィーエ様とは本当に仲良くしていただいているし、火球を彼女がわたしに向けることはないと思うのだけど。
 一応、警戒はしたほうがいいのかな?

 そんな事を考えながら、空を見上げていたら。

 ……なんか、空、赤くない……?

 見上げた空が赤い。
 って、えぇ?

 炎だ。
 炎の玉がいくつもいくつも、わたし目掛けて振ってくる!

 咄嗟に私は光の魔法で結界を張り、魔力の炎を寸での所で急き止める。
 火球はわたしの結界に弾かれて消し飛んだ。

 わたしのはるか遠くに、倒れ伏す人影が見える。
 あの銀髪、もしかして、レヴィーエ様?

 倒れ伏すレヴィーエ様は、ピクリとも動かない。
 完全に気を失っている。
 そんな彼女の身体から、魔力が溢れているのが解る。
 そして空からは、彼女の魔力が作り出した火球が彼女目掛けて降り注ぐ。
 
 何で魔力が暴走したの?
 レヴィーエ様に向かって落ちていくとか、冗談でしょ?!

 わたしに今も降り注ぐ炎の塊を光の結界で吹き飛ばし、風の魔法の力を使ってレヴィーエ様に降り注ぐ火球を横殴りに吹き飛ばす。
 すぐに駆け寄ってレヴィーエ様に跪くけど、あぁ、もう、本当にこれやばい。
 レヴィーエ様の意識がないせいで、彼女の有り余る魔力の暴走は止まらない。
 わたしは、彼女と自分を守るべく光の結界を張り続けている。

 やばい。
 わたしの魔力は高いけれど、身体を壊す勢いで溢れるレヴィーエ様の魔力を受け止め続けるのは無理がある。
 レヴィーエ様がこのまま魔力を放出させ続ければ、彼女の命が危ない。
 どうにかして魔力を押さえ込まないといけないけれど、炎を防ぐ結界を張りながらなんて、無理。
 
 視界が、段々霞んでくる。
 嫌な汗がこめかみを伝い、流れ落ちる。
 
 あ………?

 遠のく意識の片隅で、黒髪の彼が、炎に立ち向かうのが見えたような気がした。
 


◇◇





◇エピローグ


 遠くで、声が聞こえる。
 生きてるか、大丈夫か。
 そんな、必死の声が。
 大丈夫よと声を出そうにも、上手く口が開かない。
 ぽたりと、頬に何かが零れて伝った。

 重い瞼を開けると、ルーフェン様の顔が至近距離に合った。
 その黒曜石のような瞳が、涙で濡れている。
 えっと、一体……。
 
 ゆっくりと周囲に目線を動かすと、周囲には王子とレヴィーエ様、それに生徒会の面々が。

「って、レヴィーエ様、ご無事ですかっ……うっ」

 飛び起きた瞬間、身体中に激痛が走った。

「動くな。助かったのが奇跡なんだぞ!」

 苛立ちも顕わに、ルーフェン様にベッドに押し戻された。
 あの、もう起き上がりませんから、両手を掴んだままベッドに縫い付けるようにするのはやめてください。
 一歩間違うと危険な構図ですよ。

「ルーフェン、心配なのはわかりますが、マルガレーテが困っていますよ」
「あ、あぁ、すまない……」

 ベルトルート王子に苦笑されて、ルーフェン様がしぶしぶとわたしから身体を離してくれた。
 相当、心配をかけてしまったらしい。
 
「ごめん、なさい。わたくしの、せいで…………っ」

 じっとわたしを見つめていたレヴィーエ様のアメジストのような瞳から、涙が溢れ出す。
 そんなレヴィーエ様を、ベルトルート王子は両肩を抱きしめて支えてあげる。 
 ラブラブで良いですね。
 大丈夫、解っています。
 レヴィーエ様が故意にしたことじゃないと。
 あの時、レヴィーエ様は完全に意識を失っていらっしゃいましたからね。

 王子に背をさすられて落ち着いてきたレヴィーエ様は、魔力が暴走した理由を話してくれた。
 
「疲れが出てしまっていたんだろうね」

 話を聞き終わったダールグリーム様が心痛な面持ちで頷く。
 あの時、裏庭でわたしを見かけたレヴィーエ様は、一緒に生徒会へ行こうと声をかけるつもりだったらしい。
 けれど、急に意識が遠のき、気がついたらわたしが隣で倒れていて、王子とダールグリーム様に介抱されていたらしい。
 暴走した魔力を抑えるのに、王子とダールグリーム様二人掛りでないと駄目だったんですね。

 ところで。
 
「ルーフェン様。そろそろ、手も離していただけないでしょうか」

 身体は離してくれたのですけど、片手をずっと握り締められているのですよ。

「断る」
「えぇっと、理由をお伺いしても?」
「お前の魔力回路が壊れているからだ」

 え。
 今なんて?
 わたしの魔力回路が壊れた?
 え……。

 慌てて、魔力を手の平に集めてみる。
 でもいつもと感じが違う。
 どばっと蛇口を最大限捻った時のような勢いがない。
 必死にかき集めても、ちょろちょろとしか流れない。

 え、冗談ですよね?
 これ、わたし、魔力がほとんど使えないんじゃ……。

「マルガレーテ、大丈夫ですよ。一生ではありませんから。ルーフェンがずっと貴方の魔力回路をすぐに治癒し続けていたから、壊滅はしなかったんです」

 そういえば意識を失う寸前。
 ルーフェン様の姿を見かけたような……。

「ルーフェンはね。わたくしの暴走した魔力の火球をすべて破壊して、貴方の魔力回路の修復をしたの」

 助けてくれた挙句に、回復魔法を駆使して、全壊寸前のわたしの魔力回路を補修した、って……。
 何でそんな無茶するんですかやだ死にたがり?
 一歩間違えばルーフェン様こそ一生魔法が使えない身体になっていたんじゃないの。

 ルーフェン様に繋がれた左手に意識を集中する。
 あぁ、うん。
 わたしとは別の魔力を感じる。
 暖かくて、優しくて、どきどきする。
 
「半年程度で回復するだろう。俺が側にいればな」
「半年……」

 それなら、王宮魔導師団への入団は何とかなりそうかな。
 学園も、成績だけは良いし、魔法が一時的に使えないだけなら、即退学にはならないでしょう。
 でも……。

「ルーフェン様に側にいてもらわないと、治らない、ということですか?」
「そうだ」

 なら、わたしの回復は無理なのかな。
 ずっといていただく事なんて出来るはずが無い。
 
「婚約しよう。マルガレーテ」
「は。急に何を言い出すんですか、ルーフェン様?」
「急にではない。お前は今回俺に借りを作った。そうだな?」
「は、はい」
「ならば断れないだろう」

 いやいやいやいや?
 何でルーフェン様、真顔なんですか。
 借りがあろうとなかろうと、侯爵家のルーフェン様に望まれたら、貧乏伯爵家の我が家に拒否権はありません。
 でも。

「望まれる理由が、無いと思うのですが」

 わたしが彼にしていることといえば、お弁当の差し入れのみ。
 生徒会のお手伝いはしているけれど、それは彼だけにじゃないし。
 婚約者だなんて大それたものに望まれる理由が皆無だ。

「ルーフェン、彼女混乱しているよ? ちゃんと、一から説明してあげて。私達は部屋の外で待っているから」

 王子に促され、みんなが部屋を出て行く。
 え、いや、あの、その。
 この状況で二人きりとか。
 わたしは見つめてくるルーフェン様から目を逸らす。

「からかっていらっしゃるんですか……?」
「本気だ」

 わたしを握る手に、力が篭る。

「わたしは好かれる様な事をした記憶がありません。説明して頂けますか?」

 断る権利はなくたって、説明を聞く権利ぐらいはあるはずだ。
 たぶん。
 
「……妹から、ずっと話を聞いていたんだ。伯爵令嬢なのに、パン屋でバイトをしている子がいると」
「妹様ですか?」
「あぁ。同じパン屋で働いている。ポルムを知っているだろう? お前が、助けてくれた子だ」

 ポルムちゃんが妹?!
 それって、ポルムちゃんが侯爵令嬢?

「普通の平民の女の子だと思ってました……」
「彼女は平民だからな。……母が違う。
 子供の頃は、屋敷の離れにメイドの母親と共に暮らしていたんだ。
 侯爵令嬢としてではなく、使用人の娘としてね。
 それでも段々と侯爵夫人の当たりがきつくなっていって、彼女が七歳の時に、屋敷を出て行ったんだ。
 それからは、手紙でやり取りをしてる。
 たまに会うときには、お前の話ばかり聞かされてた。
 いつもは俺のことばかり聞いてくるのに、いつからかお前の話ばかりになって、なんだか妹を盗られた気がした」
「それは……」

 なんというか、ごめんなさい?
 あぁ、でも。
 なんでルーフェン様の笑顔に既視感を感じるのかわかった。
 ポルムちゃんの笑顔に似てたのね。
 二人とも髪や目の色が違うけれど、どことなく顔立ちは似ているのですよ。
 特に、目元。
 笑うと、特に。

「それで、悔しくなってね。お前を見にパン屋にも行ってみたし、フォンディーヌ伯爵領にも行ってみた。
 お前は、いつでも一生懸命で、皆に好かれていて、気がついたら目が離せなくなっていた」
「じゃあ、生徒会室の前で声をかけられたのは……」
「チャンスだと思ってね。お前は学園にいても学年が違うし、放課後は全力でバイトに向かっていただろう。
 話しかける機会がずっとなかった」
「それなら、普通に話しかけてくれればよかったじゃないですか」
「無理を言うな。俺は、口下手だ」

 つっと顔を横に向けて目を逸らす。
 その耳が赤い。
 
 いつからみていてくれたんだろう。
 なんだか顔が熱い。
 握られている手が恥ずかしい。

「それで?」
「え?」
「俺は、すべて話した。婚約を了承するのかしないのか」

 あぁ、そこに戻るのですか。

「わたしに選択権はないのでは」
「……無理やり婚約者にしても、嫌われるだけだろう」
「断っても、いいのですか?」
「……あぁ。ただ、魔力回路を修復させる為に、一日一回は治療させてもらう」
「わたし、貧乏伯爵令嬢ですよ?」
「知ってる」
「お料理も、得意ではありません」
「シェフがいる。心配するな」
「妹弟がとても多いのです」
「賑やかで楽しいだろう」
「将来は、王国魔導師団に入団して、我が家を支えたいのです」
「侯爵家は兄が継ぐ。俺は子爵位を貰う予定だったが、伯爵家に入っても問題はない。
 むしろ一緒に魔導師団への入団も可能だ。そうなれば収入も二倍だ」
「わたしで、よいのですか?」
「そう言っている」

 一瞬たりとも迷う事無く答えるルーフェン様。
 真っ直ぐに、黒い瞳がわたしを射抜いた。
 握られている手を握り返す。

「わたしなどで、良かったら」
「それは……っ」

 驚愕に目を見開くルーフェン様に、こくりと頷いた。
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