悪役令嬢なのに、ヒロインに協力を求められました

文字数 11,263文字

 みなさまご機嫌よう。
 わたくしは少しも機嫌がよくありませんけれども。
 ええ、ええ。
 機嫌がよくないというよりは、動揺していると言った方が正しいかしら。
 それもこれも、いま、わたくしの目の前で土下座をする少女のせいですわ。

 彼女の名前はラベンダー・カワーゼ。

 カワーゼ伯爵の一人娘です。
 そして、この世界のヒロインですわ。
 少し、説明が必要かしら。
 この世界は、前世、わたくしがプレイしていた乙女ゲームの世界なのです。

『ラベンダー色に色付いて』という名の乙女ゲームで、ヒロインのラベンダーが最終的にヴァルス王子の心を射止めてハッピーエンド。

 まぁ、ヴァルス王子の他にも攻略対象は沢山いたのですけれど、正直、わたくしはやり込んでいなかったから、あまりよくは知らないの。

 そしてわたくしは、乙女ゲームの定番、悪役令嬢クーデリア・タイタニック。

 タイタニック公爵家の娘であり、現在この国の第三王子ヴァルスの婚約者でもあります。

 ……婚約者になんて、なりたくなんてなかったんですけれどもね?!

 前世の記憶を取り戻したのが、婚約した後だったんですもの。
 婚約前に思い出せていたら、全力で拒否しましたのに。
 大体苗字がタイタニックってなんですか。
 沈没した船じゃありませんか。
 破滅確定だからですか?

 でも婚約したのは十歳の時。
 ゲーム開始は十五歳の時からでしたから、わたくしには五年の猶予がありました。
 どうにか早めに婚約破棄させようと、ヴァルス王子には出来るだけ近づかないようにしていたのです。
 こちらは公爵家ですからね。
 わたくしから破棄するのは困難なのですよ。
 だからヴァルス王子に会うのは最低限、それも形式だけの挨拶で早々に側を離れるように心がけましたわ。

 こんなにそっけない婚約者なんて、普通いやでしょう?
 幸い、ヴァルス王子の恋人になりたいご令嬢はたくさんいましたからね。
 冷たいわたくしよりも、ヴァルス王子に優しく甘える見目麗しいご令嬢にさくっと惚れてくれればよかったのに。
 でもなかなかそう上手くいかず、ついにヒロインが学園に入学してきたこの年まで、わたくしが婚約者のままですわよ。
 最悪。

 学園では、わたくしは全力でヒロインを避けてきましたの。
 一応、覚えている嫌がらせイベントがいくつかございましたから、その場所へ行かなかったり、学園を休んだり。
 婚約破棄はしたいのですけれど、王子とヒロインの邪魔をした罪でゲーム通り学園の皆の前で婚約破棄を突きつけられてはたまりません。

 婚約破棄された後のわたくしの運命は、それはそれは悲惨ですのよ?
 ヒロインをこれでもかと苛め抜いていたゲーム内のクーデリアは、その罪を突きつけられ、学園を強制退学。
 実家の公爵家からも見放され、国外追放です。
 わがまま放題に甘やかされて育った公爵令嬢が、国外に追放されて無事でいるとは思えませんからね。
 そんな未来は真っ平です。

 ですので、わたくしは絶対にヴァルス王子とラベンダーの邪魔を決してしないように、二人のときにエンカウトしないように細心の注意を払ってまいりましたの。
 その甲斐あって、わたくしは学園でラベンダーと話をした回数は一年の間にわずか数回。
 片手で数えられる程度です。

 なのに、何故か今こうしてヒロインに自宅まで押しかけられて、あまつさえ土下座されているのか。
 正直、わけがわからない。
 いきなり乗り込んできたのですから、てっきり、苛めただの殺されかけただの喚かれると思っていたのですけど。
 学園でまことしやかに噂話が流れていたのよ。
 曰く、わたくしがラベンダーを苛めていると。
 実際、彼女は誰かからの被害にあっていたらしく、汚された制服で帰宅したり、先日も、階段から突き落とされたりしたようなのよね。
 ゲーム内で発生した意地悪イベントとほぼ同じ。
 もっとも、わたくしはイベント発生現場に居ないように心がけ、尚且つ、人目の多いところに行っていました。
 例えば、丁度よく誘っていただいたグラン侯爵家のお茶会だとか、学園の生徒会室とか。
 そうやってラベンダーを苛める事ができない場所で目撃者を作っておきましたから、冤罪を受けることも無いと思うのだけれど。

 ところで。
 ラベンダーはいつまで土下座し続けるつもりなのかしら。
 まさか、わたくしが良いというまで?

 ……その、まさかのようですわね。

 いつまで待っても一向に顔をあげる様子がないの。

「ラベンダーさん。顔をあげてちょうだい。わたくしは、土下座をされる覚えはありません」

 わたくしの言葉に、ラベンダーはやっと顔をあげました。
 相変わらず、愛らしい容姿。

 サラサラのプラチナブロンドは絹の様に艶やかで、ラベンダー色の瞳は大きくぱっちりと、ほんのり桜色に染まる口はふっくりと柔らかそう。
 流石ヒロイン。
 烈火の如く赤い髪、猫のようにつり上がった瞳、キツイ化粧で赤く染めた口元。
 まさに悪役令嬢といったわたくしの容姿とは正反対。

「さぁ、まずはこちらに座って頂戴。お話はそれからでしてよ」

 わたくしが席へ促すと、ラベンダーは愛らしい口元をキュッと引き結んで、席に着きました。
 なにか、わたくしに話したいことがおありのようね。
 ヴァルス王子には相応しくないとか、そういったことかしら。

「クーデリア様、助けてください! クーデリア様も転生者ですよね?」

「え」

 思わず、わたくしは扇子を取り落としそうになりましたわ。
 転生者。
 いま、ラベンダーはそう言いまして?
 つまり彼女も?

「……貴方達、しばらく二人きりにして頂戴」

 わたくしは、急ぎ、人払いをしました。
 これは、人に聞かれると不味いわ。

 二人きりになると、ラベンダーは少しほっとしたのか、紅茶に口をつけました。

「勘が当たって、良かったです。外れてたら、わたし、ただじゃすまない所でしたよね?」

「……公爵家に何の連絡も無く乗り込んできたのですから、今でも十分、ただでは済まない状況だと思うわよ」

 本来、とっても非常識だ。
 学園内はまだ平等がうたわれている分、身分が緩い。
 けれど一歩外に出ればわたくしは公爵家で、ラベンダーは伯爵家。
 身分の低いものが高いものの家をいきなり押しかけるなど、合ってはならない。

「こんな話、学園では絶対に出来ませんし、もう、残された時間も無いんです」

「残された時間?」

「はい。わたし、階段から突き落とされたんです。つまり、後数日後に、婚約破棄断罪イベント発生、ですよね?」

 確認するように、ラベンダーはわたくしを見ます。
 えぇ、そう。
 ゲーム通りに進んでいるなら、ヒロインであるラベンダーが階段から突き落とされ、その頃にはラベンダーと恋仲になっている王子は激怒。
 わたくしを呼び出し、皆の前で婚約破棄をする。

 ……でもそれって、ラベンダーの理想どおりよね? 

 わたくしに助けを求めるのはおかしいと思うのだけれど。

「わたし、ヴァルス王子と恋仲なんかじゃありません。正直、許せないと思っています」

「えぇ? それはなぜ。王子は、誰にでも優しく、見目麗しいお方でしょう」

 正直、前世の記憶がなかったらわたくしも惚れてたんじゃないかしら。

「そうですね、優しいと思いますよ? でも、婚約者がいるのに他の女に惚れる男なんか真っ平ごめんです」

 きっぱり言い切るラベンダー。
 言われてみれば、確かにそう。
 ヒロインは庶民から伯爵家の娘になり、最終的に王子と結ばれる。
 一見シンデレラストーリーですわ。
 見目と家柄は良いけれども性格の悪いライバル令嬢たるクーデリアを振って、自分を愛してくれるというのはこう、心踊らなくも無いの。
 でもよくよく考えれば、王子最低としか言いようが無いわよね。

 でも……いま目の前にいる相手はこの世界のヒロイン。

 しかも転生者。
 これは演技で、わたくしを嵌めようとしている可能性は高いのではなくて?

「信じてもらえませんか? 実はわたし、クーデリア様のお兄様が好きなんです」

「お兄様を?!」

 衝撃だ。
 ディーンお兄様は、わたくしの二歳年上で、確かにヴァルス王子に負けず劣らずの美形。
 母親似の色彩を受け継いだ兄は、淡い茶色の髪と、ちょっと釣り目気味のトパーズ色の瞳をしている。
 眉目秀麗才色兼備。
 将来的には公爵の地位を受け継ぐでしょう。
 そして未だに婚約者も居ない。



 確かに、好かれる要素はあるけれども、一体どこで知り合ったの?
 学園ならお兄様とは確かにすれ違うことぐらいはありそうですけれども。
 ゲーム内では、兄は攻略キャラクターではなかったし。

「でもお兄様を好きならなおの事、わたくしは邪魔ではなくて?」

 ヒロインであるラベンダーをいびり抜くのがクーデリアだ。
 学園で苛めていないからといって、これからもそうとは限らない。
 お兄様を好きなら、性格の悪い妹は、邪魔でしかないと思うのだけれど。

「もちろん、ゲーム内のクーデリア様だったら、近付きたくありません。でも、いまこの場所にいるクーデリア様はゲームのクーデリア様じゃないですよね」

 まぁ、それはそう。
 この世界に生まれた時からお嬢様言葉を使わされていたから、口調こそこうだけれど、中身の性格は前世のそれに近いと思うの。
 虐めなんてしたくもないわ。

「それに、クーデリア様はご存じないかもしれませんが、クーデリア様に何かあると、ディーン様は自害するんです」

「えぇっ? それは、ゲーム内ではそうだった、という事ですの?」

「はい。わたし、乙女ゲームが趣味だったから、『ラベンダー色に色付いて』もとことんやり尽くしたんです。

 毎回毎回、どのルートでもクーデリア様は断罪され、国外に追放されたり、修道院送りになったり、公爵家そのものが潰れたり。
 エンドロールでその後が描かれているのですけど、クーデリア様を守れなかったディーン様は、後悔とともに命を絶ってしまうんです。
 だから、クーデリア様には何が何でも、無事で居てもらわないとならないんです。
 わたしに、協力してください!」



 ぐぐっとラベンダーは力説する。

 つまり、わたくしを助けないと、ラベンダーの愛するディーン兄様も死亡する。
 だから、兄様を助ける為に、わたくしに協力してほしいと。

「いままでのお話は全部、この録音の魔法機械で録音しました。
 これを証拠として、クーデリア様に差し上げます。
 わたしが裏切ったら、これを証拠として使ってください」

 懐から、ラベンダーは小型の魔法機械を取り出し、差し出してくる。
 うん、でもね?
 これを使ったら、転生云々もばれてしまうわけですし。
 そもそも、わたくしに脅されて言わされたといわれれば、それこそ破滅ですわよね?

「うんもうっ、どこまで疑り深いんですかっ。
 まぁ、お気持ちは分かりますけど。
 悪役令嬢物もいっぱい読んだし、大体ヒロインは悪役令嬢をはめようとするし。
 わたしだって逆の立場だったら、絶対信じないだろうなって思うし……」

 うーん、どうすればいいんだろうと、ラベンダーは頭を抱える。
 わたくしも、あんまりにも疑り深いかなとは思いますのよ?
 でも、いままでわたくしはラベンダーを避けてきました。
 それはつまり、いまの彼女の人となりもよくは知らなくて。
 破滅の未来と彼女への信頼を天秤にかけると、気持ちはどうしても疑り深くなってしまうの。

「……とっても恥ずかしいのですが。ディーン様との出会いを、聞いていただけますか?
 わたしの想いが本物だと、知ってもらいたいんです」

「どちらで、知り合いましたの? 学園かしら」

「いいえ、違います。わたしがディーン様に出会ったのは、いまから五年前です。
 わたしは、その頃は孤児でした。
 父も母も小さい時に亡くなって、物心ついた時には、もう教会で暮らしていました」

 そうね。
 その設定はわたくしも知っているの。
 ゲームはラベンダーが学園に入学した時から始まるのだけど、過去話として出てくるのよ。
 孤児として暮らすラベンダーは、ある日、カワーゼ伯爵の目に止まるの。
 ラベンダーは、カワーゼ伯爵の行方不明だった妹にそっくりの容姿だった。
 違うかもしれないけれど、カワーゼ伯爵は妹そっくりのラベンダーを養女として迎え入れ、わが子として大切に育てるのよ。

「ディーン様と出合ったあの日、わたしは、市場にいました。そして何故かいきなり、露店の店主に万引き犯と間違われたんです。
 腕をつかまれて、殴られそうになりました。
 でも、わたしは殴られなかったんです。
 ディーン様が、わたしを庇って、変わりに店主に殴られてくれたから」

 店主に殴られたお兄様は、石畳に倒れて、顔を擦りむいたのだとか。
 すぐにお兄様の護衛達が店主を取り押さえて事情を聞き、万引されたとされる商品の代金を払って事を納めたのだとか。

「ディーン様は、わたしが差し出したハンカチで頬を抑えながら、笑ってくれたんです。
『大丈夫? 怖かったね』って。
 周りの大人達は誰も助けてくれなかったのに、ディーン様だけが孤児のわたしのことを守ってくださったんです」

 そのエピソードは、ゲームには無いわね。
 でも、わたくしは覚えてる。
 五年前。
 お兄様が珍しく頬を腫らして帰宅したから。
 その日から、何の変哲も無い質素なハンカチを、大事にしている事も知っていますわ。
 あのハンカチは、ラベンダーのものでしたのね。

「ほんとは、変なことに巻き込まれないように学園に来るのもやめようかと思ってたんです。 
 わたし、本来ならクーデリア様に苛められるはずでしたし」

 そうよね。
 ゲームだとそうなるわよね。
 クーデリアは、ゲーム内では王子にヒロインが纏わりつかなくとも、何かにつけてヒロインに辛く当たるのです。
 そりゃ、関わりたくないわよね。

「でも、引き取ってくれた両親を悲しませたくなかったし、もしかしたら、お兄様に、会えるかも知れない、って……」

 学園を卒業するのは貴族なら当たり前の事だから。
 行かないって言うのは、いえないわよね。
 お兄様は二歳年上だから、廊下ですれ違うことぐらいはあるかもしれないし。

「学園に入って驚いたのは、クーデリア様に苛められない事でした。
 だから、気づいたんです。クーデリア様も転生者だと」

 なるほど。
 そういうことですのね。
 わたくし、とことん二人の事は避けていましたから、当然、虐めなどするはずもなく。

「でも、階段から突き落とされたのよね?」
 
 腕の包帯、痛そう……。

「はい。確かに落とされました。なのでわたし、急いでここへきたのです!」

「わたくしは落としていなくてよ?」

「だからです! つまり、クーデリア様をはめようとしている人がいるはずなんです」

「えっ」

「自覚、無さそうですね? ヒロインはわたしだけれど、クーデリア様はヴァルス王子の婚約者。
 わたし以外にも陥れたい人は、いっぱい居るでしょう」

 言われて気がつきました。
 ヒロインと王子だけ避けて過ごしていましたけれど、そういえば、そもそもラベンダーをわたくしが苛めているといううわさは、どこから出たのでしょう?
 虐めなどやっていないし、冤罪をかけられたときの為に証人も多数作ってありますけれども。
 もしかして、わたくしはもう破滅に向かってしまっているのでしょうか……?

「でも安心してください。口裏を合わせる為に、こうしてここに来たんです。
 わたしは、クーデリア様を助けます。お兄様を、死なせません!」

 どうしましょう。

「学園を休めば回避できるのかしら」

「無理だと思います。クーデリア様、一生学園に来ないおつもりですか」

「確かに無理ね……」

「なので、ここは、王子に協力をお願いしませんか?」

「えっ。浮気する人に?」

「いまはまだしていません。そうですよね?」

「そう、なのかしら」

「えぇ。ちょこっと探りを入れましたけど、王子はクーデリア様以外に現在お付き合いしている方はいらっしゃいません。
 ゲームでわたしと付き合うことになるのは、たぶんゲーム補正です」

 きっぱりと言い切るヒロイン。
 どしらにせよ、学園に行かないという選択肢が取れないのだから、もう、協力してもらうしかないのかもしれないわね。
 幸い、わたくしが死ぬルートは無かったはず。
 もしも破滅から逃げれなかった時の為に、追放されてからも生きていけるように準備はしてきた。
 前世ではとても不器用でしたけれど、公爵家での日々の教育の賜物で、お裁縫が得意になりましたの。
 国外追放がメインだと思っておりましたから、近隣諸国で他国と多く交流のある小国も見つけました。
 あの国で暮らせば、わたくしは裁縫師として生きていけるでしょう。
 わたくしが無事なら、お兄様も自害しないはずですわよね?
 なら、もう、ラベンダーの誘いに乗ってみるのも一興でしょうか。

◇◇


 そうして、わたくしは断罪の日を迎えた。

「クーデリア、よく来たな」

 ヴァルス王子が取り巻きとともに廊下を塞ぐ。
 何事かと、周囲に人が集まり始めた。
 わたくしは、扇子を開き、こくりと息を飲んで平静を装います。
 正直、今すぐこの場から逃げ出したい。
 ヴァルス王子には、ラベンダーが話をつけてくれています。
 ですが、不安は残ります。

「わたくしをこのようなところに呼び出されるなんて、どういうことかしら」

 精一杯、虚勢を張って、冷たい声音で言い返します。
 足がカタカタと震えていますが、スカートで隠れているから大丈夫でしょう。

 ヴァルス王子の隣には、怯えた表情のラベンダーが居ます。
 ゲームのスチル通り。
 ヴァルス王子が、一歩前に進み出ます。

「貴方に、言いたいことがある」

「何でございましょう?」

「ここにいる、ラベンダーについてだ」

 どくん、どくんと心臓が鼓動を早くします。
 あぁ、もう、このまま倒れそう。
 ラベンダーが、こくりと頷いて、一歩、前に進み出ます。

 そして――。

「クーデリア様、いつもありがとうございます!」

 パッと。
 後ろ手に隠していた花束をわたくしに差し出すラベンダー。
 大丈夫ですよと言いたげに、その瞳が笑っている。

「クーデリア、貴方は、ラベンダーが衣類を汚され、苛められているのを助けてやったそうだな。

 立ち居振る舞いについて諭したり、この学園で過ごしやすいように指導していたとか。
 どうしても、女生徒については私の目は届き辛い。
 私に代わり、ラベンダーを助け続けてくれた事に、感謝する」

 ヴァルス王子が皆の前でわたくしに頭を下げます。
 わたくしは、ほっと息をつきました。
 ラベンダーから花束を受け取り、王子にも頭を下げます。

「人として、当然の事をしたまでですわ」

 でも意外ですね。
 ラベンダーが制服の事を知っていたなんて。
 わたくし、ラベンダーが泥だらけの制服を着ていたから、こっそり、彼女のロッカーに替えの制服を入れておいたのです。
 サイズがわたくしと丁度同じなのですよね。
 あの泥だらけの状態では、染みが落ちないでしょうから。
 買い直すにしても時間がかかりますしね。

 基本的にわたくしはラベンダーを避けておりましたけれど、あの泥の姿はあんまりで。
 わたくしは数着、未使用分も含めて持っていましたから、匿名で使ってくださいとメモ書きを置いておいたのですけれど。
 いつ、見られていたのかしら。

「いつでも優しい貴方を、大切に思う」
 
 ヴァルス王子が、わたくしの手をとり、自分のほうへ引き寄せました。
 え。
 あの?
 腰に手が回っているのですけれど?

「初めて見たときから、ずっと、お前だけを愛してる」
 
 耳元で囁かれ、そのまま、強く抱きしめられました。
 あの、あのっ?!
 一体、何が起こっているのか。
 こんなことはゲームにもありませんでしたし、ラベンダーとの打合わせにもありませんわよ?!

「待って! その女は、ヴァルス王子の思っているような女ではありません!!!」

 周囲の人ごみの中から、声が上がりました。
 人混みがモーゼのようにざっと左右に分かれました。
 そして、立っていたのは、マウテア・グラン侯爵令嬢だった。

「貴方はグラン侯爵令嬢だね。私の婚約者を否定するのであれば、それなりの証拠があってのことだろうね?」

「もちろんですわ。わたくしは、知っておりますの。ラベンダーを苛めていたのは、クーデリア様です!」

 皆の前で堂々と言い切るマウテア。
 あぁ、そうなのね。
 マウテアが噂を流していた犯人だったのね。

「その苛めの証拠とやらを見せてもらおうか」

「証人がいますわ。ラベンダーの教科書が破られた、五の月の木曜は――」

「クーデリアは魔法特別魔法講座を受講していたからね。学園の離れで魔法学教授とともに数人の生徒が証人だが?」

「で、では、ラベンダーが頭から泥を被せられた時――」

「私の手伝いで、生徒会室に来てもらっていたが。書類が多すぎて、私一人では処理しきれなかったからね」

 出来るだけ、ヴァルス王子とはかかわりたくはありませんでしたけれど。
 書類に埋もれて目の下に隈を作っている姿はいたたまれなくて、つい、手伝ってしまったのよね。

「ラベンダーの靴が盗まれたときは――」

「わたくし、グラン侯爵家のお茶会に招かれていましたわ」

「嘘よ! わたくしは招いていないわ」

「他のご令嬢もいらしていたのに?」

「くっ……」

 グラン侯爵がお茶会に招いてくれたのも、嵌める為でしたか。
 靴が盗まれる日だったので丁度よいと思ってお茶会に出席していましたが。
 ですが二人きりならばともかく、お茶会ですと複数人の出席者がいるのが常です。
 わたくしにアリバイを作れないようにしたかったのかもしれませんが、ちょっと、ずさんな計画だったのではないでしょうか。 

「……かっ、階段から突き落とされたときは!」

「クーデリアは体調不良で学園を休んでいたね」

 念の為、学園を休んでおいてよかったわ。

「………………」

「それだけか?」

 黙ってしまったマウテアを、ヴァルス王子は冷たい目で睨む。
 え、何、怖いのですけど。
 それに、わたくしを抱きしめる腕に力がこもっていて、あの、その、ちょっと?

「お、おかしいわっ。クーデリアは悪役令嬢ですのよ?! どうして、こんな……っ」

 ラベンダーと目が合うと、こくりと頷きました。
 わたくしと、ラベンダーが打ち合わせ中に気づいた事。
 それは、わたくしはしていないのに、ゲームの内容通りに、ラベンダー虐めが発生している事。
 最初は偶然かとも思いはしたけれど、細かく数えていけばとても偶然では済まされない数が当てはまりましたの。
 ほぼ全て同じといってよいくらいに。
 それは、ゲームを知っているもの、つまり転生者が他にもいるのではないかと。
 転生者の事は伏せて、ヴァルス王子にはわたくしを嵌めようとしている者がいるから、見つけたい。
 そう、ラベンダーは王子に説明してくれたはずなのです。

 ……わたくしを抱きしめている理由は、ないと思うのですけれども。

 犯人を刺激する為だとは思いますが、もう見つかったのですから、離してはいただけないでしょうか。
 腕から逃れようとするわたくしを、ヴァルス王子はけれど離してはくれません。

「言い訳は後でゆっくりと聞かせていただきましょう。グラン侯爵令嬢。貴方のご家族も含めてね」

 連れて行けと、ヴァルス王子は護衛騎士に命じ、マウテアは連れて行かれました。
 でも。

「ヴァルス王子」

「なんだい? 愛しい人」

「あの、もうそろそろ腕を離してはいただけないでしょうか。犯人は、見つかりましたのですし」

「なぜ?」

 なぜ、って。
 お顔が物凄く近いですし。

「あまり、人前でする事ではないと思われますわ」

「そう。なら、このまま私の部屋に行こう」

「どうしてそうなりますか?!」

「婚約している私たちが二人で居ても何も問題は無いだろう?」

 問題ありありです。
 わたくしは、婚約を破棄したいのですから。

「と、とにかく、どうか離してくださ……きゃっ」

「離さないよ」

 どうして抱きかかえられているのですか?!
 そのままヴァルス王子はわたくしを王家の馬車に押し込みました。
 何で既に学園の前に馬車があるのか、そこからもう突っ込みたいのですけれども、もう思考が追いつきません。

「ずっと、話したかったことがあるんだ……」

 王宮に着き、わたくしを部屋にいれて、やっとヴァルス王子はわたくしを下ろしてくださいました。
 けれど、相変わらず腕はつかまれたままですし、ここ、壁際ですし。
 逃げ場が、ない、ような。

「わ、わたくしには、特に話しはありませんわっ」

 ああ、声が裏返っている。
 ヴァルス王子が苦笑して、わたくしの髪に指を絡める。
 何でこんな、急に、恋人のような事を。

「ずっと、嫌われていると思っていたからね」

 するり、するり。
 ヴァルス王子の指が、わたくしの髪を梳く。

「やっと、理由が分かったんだ。私は浮気などしないし、クーデリアを裏切りもしない」

「そ、それは……」

「彼女から聞いたよ。ゲームの事も、全てね」

 ラベンダー!
 あの子は何をしていますの?!
 転生云々については伏せるはずだったではありませんか。

「ゲームで私はクーデリアを捨てるそうだけれど、それを聞いて私は納得したんだよ。
 私は性格の悪いクーデリアを捨てるのかもしれないけれど、優しい貴方を捨てるわけじゃない」

 ヴァルス王子が、辛そうに、顔をゆがめて。

 あぁ。
 そうね。
 わたくしは、まだ裏切ってもいない王子を、避け続けていたのね……。

「クーデリア、覚えてる? 婚約する前までは、私達は、本当に仲良しだったんだ」

 えぇ、覚えているわ。
 前世を思い出す前だったから、わたくしは歳の近いヴァルス王子と兄妹みたいにいつも一緒に遊んでいたわね。

「雷が鳴った日は、二人で一緒にベッドにもぐって、手を繋いで」

「うん」

「美味しい異国のお菓子を一緒につまみ食いして、乳母やに怒られて」

「うん」

 ヴァルス王子がわたくしを抱きしめる。

「いつも、一緒で……っ、でもっ、婚約してから、急に、クーデリアは私を避け始めて……っ!」

 だって、怖かったんですもの。
 破滅の未来を知ってしまったから。
 避けるには、ヴァルス王子から逃げるしかないと思った。
 でも。

「ごめんなさい」

 わたくしを抱きしめるヴァルス王子の背に、腕を回す。

「もう、私を避けないでくれ」

「はい」

 ヴァルス王子の顔が、わたくしの顔の上に影を作る。
 わたくしは、そっと、瞳を閉じた。
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