第7話 桃吉と信七の証言

文字数 2,932文字

 芋沢は自身番屋の座敷に座り、土間に座らされている桃吉を見下ろしていた。
「今朝、蔵を開けたのは、お前で間違いないな」
「間違いございません」
「施錠されていたか? 大事なことだから心して答えよ」
 桃吉は瞳を上に向けてしばらく黙り込んだ。
「鍵はかかっていました。信七から『鍵がかかっている』と言われていましたが、信七はそそっかしいので、もしやと思い、試しに引き戸を引いたことを思い出しました。開かなかったので、合鍵を使って開けました」
「前日蔵に施錠したのは誰だ?」
「猿松にございます。猿松が蔵に鍵をかけ、番頭さんに鍵を返しておりました」
「城太郎が帳場箪笥から合鍵を出したとのことだが、それは確かか?」
「旦那様が引出しから箱を取り出し、箱から合鍵を出すのを見ておりましたので、確かにございます」
 芋沢は「そうか」とつぶやき、間をおいて訊く。
「権助は持病を持っていなかったか?」
「持っていなかったと思います。薬を飲んでいるところを見たことはありませんでしたし、どこか悪いというようなことを聞いたこともありませんでした」
 芋沢はうなずき、桃吉を詰問する。
「晩飯の後のことを詳しく話してもらおうか」
「風呂に行くため、信七と一緒に六つ半(十九時)頃に店を出ました。風呂屋の閉店までおりましたので、風呂屋から出たのは宵五つ(二十時)でございました。その後は岡場所に行き、店に戻ったのは夜四つ(二十二時)でした。数松が猿松にまだそろばんを教えておりましたので、遅いからもう止めるよう言い、二階の奉公人部屋で四人揃って寝ました」
「寝ていた時、奉公人部屋から出て行った者はいなかったか?」
「おりませんでした。朝まで皆寝ておりました」
「眠っていたのだろう。こっそり出て行った者がいたとしても分かるのか?」
「そう言われますと……出て行った者は見なかったということでございます」
 桃吉の話を聞いていた啓次が、横から口を出す。
「岡場所に行ったって言ったな、何てえ店に入ったんだ?」
「ぶらぶら歩いて、冷やかしただけでございます」
「お(めえ)は二十五だろ、女の一人もいねえのか。寂しいな」
 桃吉に女がいることはお那津から聞いていたが、口止めされていたので、啓次は知らない振りをして話を振ったようだ。
「私にも好き合った女はいます」
「大年増の後家さんか?」
「蕎麦屋で働いている二十三の娘です」
 桃吉は口を尖らせて答えた。
「もうすぐ中年増じゃねえか。『一緒になって』って迫られねえか?」
「ええ」
 桃吉の声は小さかった。
「焦る頃だもんな。だけどよ、住み込みの手代じゃ無理ってもんだ」
「実は旦那様に嫁を取ることを許していただこうとしたのですが……」
「ダメだったか」
「ええ」
「でもよ、番頭が死んだんだ。次に番頭になるのはお(めえ)だろ。そうなりゃ、晴れて夫婦になれるってもんだ。嬉しいか?」
「……」
「権助を殺したのは、お(めえ)だろ」
 桃吉は慌てて首を振り、「滅相もございません」と言って、訴え掛けるような目で芋沢を見つめた。
「お前が権助を殺したのでなければ、誰が権助を殺したと思う?」
 芋沢に思いもよらぬことを訊かれたからか、桃吉は一瞬固まったが、直ぐに姿勢を正した。
「質流れの品を横流ししていた者ではないかと思います。質流れの品が幾つも無くなっているのに気付き、番頭さんに報告いたしました。番頭さんは調べてみると言ってましたから、店が閉まった後、こっそりと調べていたところを殺されたのではないでしょうか」
「横流ししていた者は誰か、見当は付いているのか?」
「分かりませんが、そんなことができるのは店の者しかございません」
 横流しの発覚を恐れての犯行。あり得ることだ。
「横流しのことを知っていたのは、お前と権助だけか?」
「そうでございます」
「横流しのことは他言無用だ。分かったら、戻ってよいぞ」
 桃吉は啓次に付き添われて出て行った。

 芋沢がお茶を飲みながら一服していると、自身番屋の腰高障子が開いた。啓次が信七を連れて来たのだ。
 芋沢は、桃吉と同じ所に座らされた信七を見据える。
「信七、昨日風呂屋を出たのはいつ頃だった?」
「宵五つ(二十時)でした」
「店に戻ったのはいつだった?」
「夜四つ(二十二時)でした」
「その間、何をしていた」
「あの……岡場所見物をしていました」
「店に帰った時、数松は寝ていたか?」
「猿松にそろばんを教えていました」
「それからどうした?」
「四人で奉公人部屋に行って寝ました。あっ、寝る前に裏木戸の心張棒を外しに行きました」
「なぜ、心張棒を外した? 不用心ではないか」
「旦那様が外出していた時は、いつ帰って来てもいいように心張棒を外しておくよう言われているんです。だけど、つい忘れてしまって、心張棒をかけてしまったから」
「その時、誰か見なかったか?」
「見ませんでした。急いでいたから、人がいるかどうかなんて気にしてませんでした」
「なら、夜中に起きた者はいなかったか?」
「朝までぐっすり寝ていたので分かりません」
 桃吉の言ったこととほぼ同じだった。
「今朝、最初に蔵へ行ったのはお前か?」
「そうです」
「蔵の鍵はかかっていたか?」
「かかっていました。てっきり開いてるもんだと思っていたので、引き戸を力一杯引いたんですが、開きませんでした」
 嘘を吐いているようには見えない。芋沢は質問を変えた。
「権助のことはどう思っていた?」
「自分にだけ辛く当たっていたので、恨んでいました」
「殺したいと思ったか?」
「一瞬そう思ったことはあります」
 そんなことを言ったら疑われるだけなのに、信七は殺意を隠さない。芋沢はお那津の言った「信七は盆暗だから」という言葉を思い出した。
「だから権助を殺したのか?」
「殺したいと思ったのは一瞬だけで、殺してはいません。ただ、いつか殴り倒してやりたいとは思っていました」
「そんなに権助を恨んでいたのか?」
「恨んでいました。番頭さんは見られたくないところを自分に見られたから、番頭さんは自分を尚更いじめるようになったんです。そうに違いありません」
 信七は思わぬことを言いだした。
「何を見たのだ」
「奥様のお龍様と番頭さんが、こっそり外で会っているところを見ました」
「どこで見た」
「出合茶屋から出て来るところを見ました。奥様は気付かなかったようですが、番頭さんとは目が合いました」
 出合茶屋は、男と女が密会に使用する場所だ。権助とお龍は男女の仲だったということになる。主人の女房との不義密通となれば死罪だ。権助にとっては、決して見られてはなならないことだ。
「他に知っていることはあるか?」
 芋沢に問われ、信七は「特には」とだけ答えた。
「これが最後だ。権助を最後に見たのはいつだ?」
「晩飯の時です」
「苦しむ様子はなかったか?」
「ありませんでした。病気などするような人ではなかったですから」
「相分かった。密会のことは誰にも喋るでない。帰ってよいぞ」
 信七はホッとした表情を浮かべ帰って行った。
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登場人物紹介

芋沢宮四郎:北町奉行所定町廻り同心

啓次:岡っ引き

城太郎:坂本屋主人


お龍:城太郎の女房

権助:坂本屋番頭

桃吉:坂本屋手代

信七:坂本屋手代

数松:坂本屋小僧

猿松:坂本屋小僧

お秋:坂本屋女中

お那津:坂本屋通い女中

雅八:博徒の親分の兄弟分

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