第1話

文字数 1,205文字

 
春と修羅についての一考察

春と修羅というのは
どういった意味なのだろう
なぜ 賢治は自分の作品に
春と修羅という題名をつけたのか

いろいろな説があるのだろうが
私は最近 このように考えてみた
春というのはエロスのことであり
フロイトの言うところのリビドー 
つまり 性欲を含めた生命の根源的な
エネルギーのことではないだろうかと
そして 修羅というのはやはり人間の
根源的な本能である互いに闘わざるを
得ない弱肉強食の闘争本能のごときもの
ではないかと思ったのだ

つまり 賢治は自分の内なるエロスと
バイオレンスを十分に自覚して
日々 そしてこの刹那に刻々と変化する
自分の心象をスケッチする試みとして
この作品群を描き出したのではないか

エロスとバイオレンスに支配された
どうしようもない人間としての性を抱えながら
仮定された有機交流電灯として明滅する
自分の存在を記録してみようとした
心理学的な試みが春と修羅だったのではないか

彼はこの著作を詩集であるとは言っていない
出来上がったばかりの本の表紙の詩集という文字を
必死で削って消していたという話もある
mental sketch modified

春と修羅はやはり今でも謎が多い


ファンレターさまの紹介と私のコメント

  心のスケッチに思いを馳せて

『春と修羅』の新しい考察に目から鱗が落ちる思いがしました。様々な考察がされている作品ですが、特に「春」とは文字通り、季節の春のことなのだろうと単純に考えていました。諸説あるようなのですが今回、TamTam2021さんの性欲を含む生命の根源、エロスが春なのではないかという考えに、そういう見方もあったのかと納得しました。人間は遥か昔から、このエロスとバイオレンスに支配され翻弄される運命から逃れられないようです。賢治も自分の中にある欲望や暴力的な所を認め、受け止めつつも、もっと高尚な精神でありたいと踠き苦しんでいるように思います。糸杉の並木道を、透明な硝子の風を感じながら自らの心象スケッチに刻々と変化して行く心模様を記して行ったのでしょうか。賢治が歩いた同じ道を私も歩き、賢治の心のスケッチに思いを馳せてみたら、何か新しいものが見えてくるかも知れません。『春と修羅』の世界観に少しでも触れることが出来たらいいなと思いました。


 お便り、ありがとうございました。賢治は自分の内なるエロスとバイオレンスを深く自覚していたのではないでしょうか。そして、大乗仏教的存在論から、一瞬、一瞬ごとに変化し明滅する自己の存在をとらえようとしたのが「春と修羅」ではないかと思うのです。序文の「わたくしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」という表現はそのことを端的に物語っています。この作品を詩集ではなく、ある心理学的な実験と言っていることも人間の心の流れや移り変わりをスケッチし、記録してみたいという意図があったのだと思います。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み