あの人気者

文字数 1,820文字

私たちは、相手のシルエットだけがようやく見えるような暗闇の中で、軽く唇を重ねる。
 私が、電気を付けようと言うと、貴女は、
「この暗さが良いの」
 と言う。
 カーテンの隙間から差し込む月光とワインの香りだけを頼りに、私は貴女の身体を探す。
 
 始まりは、高校二年の春、私に友達が出来た日。
「おはよう!」
「おはようございます」
「もうっ! なんで敬語なの? 似合って無いよ?」
 綺麗な眉を八の字にしながら同じクラスの人気者、梅雨ちゃんは私に話しかける。
「……えっ?」
「だから、彩月はタメで話してよって言ってるのっ」
 私の名前を初めて呼んだ人、さつき、なんて、下の名前で話してくれる友達なんていなかった当時の私は、梅雨ちゃんが輝いて見えた。
「つゆ……ちゃん?」
「いいねっ! めっちゃ良い!」
 右手を突き出して親指を立てる彼女に、私は恋をした。

 それから三ヶ月、私達はずっと友達として関わっていた。
 私の想いも露知らず、梅雨ちゃんはずっと楽しそうに笑っていた。正直、痛かった。私は将来梅雨ちゃんの彼氏を見るんだ、と。
 どんな人なのだろうか、と、布団の中で考えた。
 きっと優しい人なんだろう
 きっとイケメンなんだろう
 きっと高身長で、きっと手は大きく、きっと喉仏は水を飲む度にゆっくりと動くのだろう、と。
 私はその日、自分だけが置いて行かれる夢を見た。
 二人は私に手を振って、私はきっと見え見えな愛想笑いをする。そしてきっと布団の中で泣くのだろう、と。
 私も男の人を好きになりたい。そう思っていても、魅力的に感じるのは、同世代の同性だけだった。それが本当に嫌で、恨めしかった。
 ある時は浴槽の中で剃刀の刃を首筋に当て、力を込めようとすると手が震えて、ぽちゃんという音と共に体じゅうの力が抜けて、悲しくなって、辛くなって……それで……、
 
 私が臆病者だと分かる。
 
 私が黒い沼に溺れて行くのにも関わらず、梅雨ちゃんはどんどん垢抜けて行った。
 私と違って洋服の着こなしも上手だし、メイクも上手い。そんな梅雨ちゃんに、私はぞっこんだった。
 そして今、八月一週間前。私たちは夏休みにどこで遊ぶか作戦会議を開いている。
「あそこのカフェオシャレだよね」
「あそこの水族館も行きたい」
「買い物も良いよね」
 梅雨ちゃんは綺麗なのに決して人の悪口を言わなかったし、下品な言葉遣いもしなかった。
 そんなところが私は本当に好きで、もう本当に好きで、どうしようもなかった。いっそもう打ち明けて仕舞おうか、とも考えた。
 でもその度に思い留まる。
 
 私が想いを伝える相手は必ず私の傍から離れて行く。
 
 ――そうなんだ、でも、ごめん。
 
 この言葉を何度聞いたことだろう。
 今までずっとそうだった。
 
 だから余計に言えない。
 
 私の隣でけらけらと笑う彼女を、傲慢だが離したくなかった。
 柔らかい肩、滑らかな脚、梅雨ちゃんの思考、全部が大好きで、失うことが分かっていても、もう少し、もう少し、と言わなければならないことが喉を出ることを拒む。身体が言う事から逃げていく。
 自分で自分の首を絞める様な事は誰だってしたくない。でも私の首には私の好きな人の首輪も同時に結ばれていて、ひと刻毎にその人の首輪は締まっていく。私が切らないと、皆が不幸せになるんだ。そう、そうなんだ。
 そんなことは分かって居る。脳は処理出来ているんだ。そう思いながら、夕暮れの茜に染まる空の下に広がる河川敷を梅雨ちゃんはゆっくり歩く。

 夏休みが始まり、八月になった。
 中学と違って高校の課題は十日なんかでは終わらない。今日も机の上で分厚くわたしを待ち構える。でも今日は手をつけない。梅雨ちゃんと遊ぶ日だからだ。
 集合場所に三分遅れでやって来た梅雨ちゃんはいつもと容姿が異なっていた。
 特に意味は無いが二人とも制服で来ていたのは良いとして、いつもポニーテールの梅雨ちゃんが、今日はどうやらコテを使ってウェーブをかけた様だ。
「髪、いいね」
「ありがとう。思い切ってやって見ちゃった」
そう言って毛先を指で巻いて弄っては、はにかんで笑っている。
「じゃ、行こっか」
「うん」
 今日も遊べる。まだ遊べる。梅雨ちゃんは彼氏がまだ居ない。やった……。
 良かった――のか?

 その日は一日中そのことを考えていて、楽しく無かった。
 ――ねぇ、彩月ちゃん、明日、夜に遊びに行かない?
 唐突に放たれた言葉には棘があり、言葉を放った彼女の目に光は無かった。
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