第1話
文字数 1,912文字
「特別職の地方公務員(非常勤・無報酬)」とは何か。
「特別職の」の部分にフリガナがあるのですが、見えますか?
「特別職の 」。
冗談はさておき、それが「民生・児童委員」、「主任児童委員」です。
「民生委員は聞くけど、主任児童委員って?」
そう思われた方。
一般的反応です。
ご存じの方。
さてはあなた、児童福祉のツウですね?
晩秋の夜の11時過ぎにスマホが鳴った。
発信者を見て、すぐに上着を羽織る。
30分ほど前に玄関前まで行き、息を殺して中の様子に耳をそばだてた相手だったからだ。
小雨が降る中を走る。
約束した交差点まであと少し。
電柱の陰に、傘もささずにうつむいている背中が見えた。
「どうした?」
「あれから、ずっと怒鳴られてた」
振り向いた顔には涙の跡が残っている。
「おなか蹴られて転んだ。二度と外行くなって、靴も隠された」
「え?!」
慌てて目を落とすと、庭用のものだろうか。つっかけサンダルから飛び出た、はだしの指先が雨に濡れていた。
この子に関わって4年を超える。
相談に乗ったし家族とも話した。付添い登校も授業参観も。
種々雑多なトラブルに寄り添ってきたが、今回はより深刻だ。「もう死んじゃいたい」という言葉で、何度も辛さを訴えられた。
主任児童委員は教育でも福祉でも法律でも「なんちゃって」だ。日常に潜む小さな芽への気づきを求められるに過ぎない。
それでも、寄る辺ない幼い命が環境に潰されないようにと、その心意気だけで動いている。
「あなたを守る行動をするよ?」
並んで歩きながら念を押した。何の権限も持たない「なんちゃって」は、本人の強い要望が無ければ家庭に戻すよりほかはない。
自宅は知られているので、近くのファミレスに行くことにした。
聞けば「愛している」と家族は言う。
だからその
「養ってる。可愛がってる。トラブルになるのは子どもが悪い。学校が悪い。友達が悪い」
提案する支援はクソだと言われ、ただの親子喧嘩をお前たちが大げさにすると言う。
「ずっと廊下で正座させられてたけど、寝たからそのすきに出てきた」
閉店間際のファミレスで話を聞くうちにも、バイブにしたスマホは相手家族からの着信に震えっぱなしだ。
緊張しながら画面を見ていると、待っていた発信元が表示された。
出入り口に走り、スマホを耳に当てる。
「先ほどの相談ですが、やはり今すぐの保護はできません。主任児童委員
期待とは裏腹の、冷たく硬い声が耳を打つ。
「なんちゃって」は「なんか」に過ぎないと思い知らされた。
「虐待に気づいた人には通告義務があります。勇気をもって行動を」という国を挙げての啓発活動って、何なんだろう。
「ですが本人は家には帰りたくないと言っています。こちらもこのまま帰すのは危険だと判断しています」
「警察からの要請なら受け入れます」
「ああ、そうですか!そうしますっ」
向こうも深夜勤務で辛いのだろうが、こちとら深夜奉仕だ。若干キレたのは許していただきたい。
警察に連絡を入れると、家族から捜索願いが出されていて、探していたところだという。
これはまずいかと思ったのだが。
「事情はわかりました。家には帰しません」
頼もしい言葉とともに迎えに来てくれたパトカーに乗り込むと、温かな気遣いに涙が出そうになった。
それからの警察の対応はお見事の一言。
子どもの説明を丁寧に聞き、家族への聴取は当人同士が顔を合わさずに済むようにと、別室で行ってくれた。
保護施設へと送られていく背中を見送って、気がつけば深夜も2時過ぎ。
徒歩で帰る気にもなれず、「タクシーを呼ぶので待たせてください」と言おうとしたとき。
「それでは送ります。PC用意して」
保護してくれた警察官の方が後輩(と思われる)警察官に声を掛けた。
PC?パソコンで何を?と思ったが、PCとはパトカーの略語だと知った。
その帰りのパトカーの中。
「
ハンドルを握る背中越しの労いは、呼称はどうあれ、勲章をもらったような気持ちになった。
ね?青少年問題と深く関わる警察の方も知らない人が多いくらいです。
特別な資格や権限が与えられるわけではなく、少し顔の広いただのご近所さん。
歯がゆい思いをすることもありますが、大抵は理解あるプロとタッグを組みながら、地域に出没しています。
何ができるわけでもないけれど、泣いている子どもが明日は笑顔になりますようにと願う、その気持ちが行動原理。それが、「主任児童委員」のお仕事です。
「特別職の」の部分にフリガナがあるのですが、見えますか?
「
冗談はさておき、それが「民生・児童委員」、「主任児童委員」です。
「民生委員は聞くけど、主任児童委員って?」
そう思われた方。
一般的反応です。
ご存じの方。
さてはあなた、児童福祉のツウですね?
晩秋の夜の11時過ぎにスマホが鳴った。
発信者を見て、すぐに上着を羽織る。
30分ほど前に玄関前まで行き、息を殺して中の様子に耳をそばだてた相手だったからだ。
小雨が降る中を走る。
約束した交差点まであと少し。
電柱の陰に、傘もささずにうつむいている背中が見えた。
「どうした?」
「あれから、ずっと怒鳴られてた」
振り向いた顔には涙の跡が残っている。
「おなか蹴られて転んだ。二度と外行くなって、靴も隠された」
「え?!」
慌てて目を落とすと、庭用のものだろうか。つっかけサンダルから飛び出た、はだしの指先が雨に濡れていた。
この子に関わって4年を超える。
相談に乗ったし家族とも話した。付添い登校も授業参観も。
種々雑多なトラブルに寄り添ってきたが、今回はより深刻だ。「もう死んじゃいたい」という言葉で、何度も辛さを訴えられた。
主任児童委員は教育でも福祉でも法律でも「なんちゃって」だ。日常に潜む小さな芽への気づきを求められるに過ぎない。
それでも、寄る辺ない幼い命が環境に潰されないようにと、その心意気だけで動いている。
「あなたを守る行動をするよ?」
並んで歩きながら念を押した。何の権限も持たない「なんちゃって」は、本人の強い要望が無ければ家庭に戻すよりほかはない。
自宅は知られているので、近くのファミレスに行くことにした。
聞けば「愛している」と家族は言う。
だからその
しつけ
にどれほど子どもが苦しんでいようとも、自分の非を認めることはない。「養ってる。可愛がってる。トラブルになるのは子どもが悪い。学校が悪い。友達が悪い」
提案する支援はクソだと言われ、ただの親子喧嘩をお前たちが大げさにすると言う。
「ずっと廊下で正座させられてたけど、寝たからそのすきに出てきた」
閉店間際のファミレスで話を聞くうちにも、バイブにしたスマホは相手家族からの着信に震えっぱなしだ。
緊張しながら画面を見ていると、待っていた発信元が表示された。
出入り口に走り、スマホを耳に当てる。
「先ほどの相談ですが、やはり今すぐの保護はできません。主任児童委員
なんか
からの通報だろうが関係ないんですよ」期待とは裏腹の、冷たく硬い声が耳を打つ。
「なんちゃって」は「なんか」に過ぎないと思い知らされた。
「虐待に気づいた人には通告義務があります。勇気をもって行動を」という国を挙げての啓発活動って、何なんだろう。
「ですが本人は家には帰りたくないと言っています。こちらもこのまま帰すのは危険だと判断しています」
「警察からの要請なら受け入れます」
「ああ、そうですか!そうしますっ」
向こうも深夜勤務で辛いのだろうが、こちとら深夜奉仕だ。若干キレたのは許していただきたい。
警察に連絡を入れると、家族から捜索願いが出されていて、探していたところだという。
これはまずいかと思ったのだが。
「事情はわかりました。家には帰しません」
頼もしい言葉とともに迎えに来てくれたパトカーに乗り込むと、温かな気遣いに涙が出そうになった。
それからの警察の対応はお見事の一言。
子どもの説明を丁寧に聞き、家族への聴取は当人同士が顔を合わさずに済むようにと、別室で行ってくれた。
保護施設へと送られていく背中を見送って、気がつけば深夜も2時過ぎ。
徒歩で帰る気にもなれず、「タクシーを呼ぶので待たせてください」と言おうとしたとき。
「それでは送ります。PC用意して」
保護してくれた警察官の方が後輩(と思われる)警察官に声を掛けた。
PC?パソコンで何を?と思ったが、PCとはパトカーの略語だと知った。
その帰りのパトカーの中。
「
民生さん
も大変ですねぇ。ボランティアでしょう?」ハンドルを握る背中越しの労いは、呼称はどうあれ、勲章をもらったような気持ちになった。
ね?青少年問題と深く関わる警察の方も知らない人が多いくらいです。
特別な資格や権限が与えられるわけではなく、少し顔の広いただのご近所さん。
歯がゆい思いをすることもありますが、大抵は理解あるプロとタッグを組みながら、地域に出没しています。
何ができるわけでもないけれど、泣いている子どもが明日は笑顔になりますようにと願う、その気持ちが行動原理。それが、「主任児童委員」のお仕事です。