第1話 プロローグ

文字数 6,906文字

 下校時刻を告げるチャイムが鳴り響き、私はそこで意識を覚醒させる。ようやく六限目の授業がおわり、退屈な学業のノルマも達成したというわけだ。まあ、授業の大半を寝て過ごす私が、学業のノルマなんて言葉を使うのは、おこがましいことだというのはわかっているが……とりあえず私は帰りの準備を始める――というか本日は、教科書を一歳鞄から出すことなく一日を過ごしたため、私がすることといえば、鞄を担ぎ上げると言った行為だけなのだけど。
 すると、私が立ち上がったタイミングで、何人かの女子が近づいてくるのを視界の端で確認する。

「やっほー…ってか香澄寝すぎー。授業中何回かそっち見たけど、ずっと寝てんじゃん!」
「それ!特に論国のあとの返事『ん』とか『ああ』ばっかだったからね!?」

 ――私は夜寝るのが遅いのだ。
 だからこうして授業中に寝てしまうのは仕方がないことだろう、とか舐め腐ったことを考えながら、目の前にいる女生徒たちに適当に相槌を打つ。それから作り笑顔を振りまきながら「ごめんごめん」なんて心にもない言葉を並べていると、突然、女生徒Aが「ねぇ知ってる?」と、続ける。あくまで私を返さないつもりか。
 ごめん早く帰りたいんだけど、というおそらく失礼にあたるであろう発言は、ごくんと飲み込んで代わりに耳を貸すことにした。

「ねぇ知ってた?最近ここらへんで首切り殺人がたくさん起こってること。」
「首切り殺人?なにそれこわぁ…」

 首切り殺人。
 それも、短期間で何件も同じような事件が、近場で起こる。

「流石に怖いよねぇ……」

 私は久しぶりに、マシな相槌を打った。
 そして、今日の帰り道は気をつけて帰ろうと、普段より警戒して歩くことを軽く決意する。

※※

 夕暮れの中、友人ABと別れの挨拶を交わすと、私は携帯で、近頃は全く目に通す機会のなかったニュースを優等生的な姿勢で読み始める。

『相次いで起こる首切り殺人事件!?』

 ニュースはそんな見出しで持ちきりで、この事件が世に与えた影響力の大きさを実感する。
 まあそれもそうか。
 首切り殺人なんて、そうそう起こるような事件ではないし、そんな残虐な事件が、連続で何件も引き起こされるのだから、このメディアの過剰な反応は正しいのかもしれない。
 そう思っていたとき、背後から突然肩を掴まれ、私はびくりと身体を跳ねさせる。

「……ああごめんね。私はこういうもので。」

 そう言って、私の肩を突然掴んできた変態野郎は、律儀に謝罪なんかしてくる。
 何のつもりだ――と肩を触れた手を振り払おうとしたとき、私はその変態野郎が出した一冊の手帳をみて驚愕する。

「……なんだ、警察ですか」
「ああ。近頃、ここら辺で酷い事件が起きてるのは君も知ってるよね?」
「ええ、まあ一応は」
「そうか。じゃあ早く家に帰るといい。犯人はまだ捕まってないんだから。親御さんも心配してるだろ。」
「それはないと思いますよ。親…私のこと嫌いだと思いますし、むしろ死んだ方が喜んでくれるかも。」

 自嘲気味に笑うと、警察官は困ったような表情を浮かべて、優しそうな口調で続けた。

「うーん……まあ君の家庭の事情は分からないけど、君をここまで立派に育てた親が、そんなことを思うはずがないと思うよ。」
「……そうですかね。」

 綺麗事だ。気持ち悪い。

「うん、きっとそうだよ。だから今日帰ったら、元気な姿で、おかえりって言ってごらん。きっと優しい反応が返ってくるよ。」
「……はい。そうしてみます。では警官さんもお仕事頑張ってください。」
「ありがとう。じゃあ気をつけて。」

 警察官の男は、私に柔和そうな笑みを浮かべながら手を振るが、私は意地悪く背を向けて、気がついていませんよというアピールをする。
 本当に可愛げのない子供だなぁ…我ながら。
 それにしても、あの警官……だいぶ平和ボケていると見える。
 こちらの家庭の事情など、知りもしないくせに、よくもまああれだけベラベラと綺麗事が吐けるものだ。
 ほんっとうに気持ちが悪い。

※※

 家に着いても、案の定『ただいま』の言葉はなかった。だから、私も『おかえり』の言葉ではなく、沈黙を選んだ。
 母は私を見向きもしない。ただただキッチンで今日の夕食の材料を切り刻んでいる。
 父と弟は時折、歓声を上げながら、テレビで野球観戦をしていた。
 無論―そこに私に対する言葉や、愛はない。でもそれは分かりきっていたことで、今更私の心を壊すにはまだまだ足りない。
 そして、母が野菜を切るのをやめて、声を上げた。

「お料理できたよー。ほら配膳手伝ってー」
「おっ!今日の夕食はなんだろなぁ」
「ハンバーグだ!やったあ!」

 そして、そのままテーブルに各々皿を配膳していく。デミグラスソースのたっぷりかかった、見るからに熱々なハンバーグと、新鮮な野菜が使われている色とりどりののサラダ。ホカホカの白米に、湯気をゆらゆらたてているお味噌汁。それらは空腹な私にとって、最高のスパイスとなり、同時に毒となる。

「じゃあ食べよっか。」
「うん!」
「「「いただきまーす!」」」

 そう言って私の家族は、私の分を除いた夕食を、三人で、普段私には向けることのない笑顔を浮かべながら、食べ始めるのだった。

「………………」

 見向きもされなかった私は、そっと自室へと向かう。だいぶ脚色したが、その自室というのも半ば物置のような状態のもので、皆が想像するような個室とは、全くかけ離れている物だ。
 私は鞄を置くと、重たいため息と共に座り込んだ。
 埃っぽい世界の中で。

「………いつからこうなっちゃったかなぁ。」

 一人呟く。
 しかし、独りぼっちの私に、答えを提示してくれる者はいなかった。
 そして、こんなに悲しい気分でも、腹は減るもので私のお腹は、馬鹿正直に鳴って空腹を告げてくる。

「……うるさいよバカ。」

 それから私は毎月の食費である数千円を持って、夜のコンビニへと足を運ぶ。

※※

 夜の街は好きだ。
 静かで、涼しくて、人通りも少ないから人目を気にする必要もない。
 仮にもっと自由が許される世界だったのなら、私は今すぐにでも大声で歌い出してしまっていることだろう。
 でもそれをすると、近所の人の迷惑になってしまうから、私はひっそりと鼻歌を歌うことで、その衝動を抑え込むことに成功した。

 それからしばらく鼻歌を歌いながら歩いていると、前方から珍しい髪色をした少女が歩いてくるのが見えた。
 その髪色は、私の住む町では珍しい金色で、夜だというのに一際輝いて見える。また、眼の色は綺麗な薄花色で、サファイアを彷彿とさせる美しさだった。
 そんな特徴からハーフなのかも、とも思ったが顔立ちは整った日本人といった容貌で、浮世離れした風もあり、同時にどこか親しみやすさも感じさせる。こんな妹がいたら、どれだけ毎日が楽しくなるんだろう。きっとこの子は見た目相応に中身も美しく、家族からハブられている私を守るために、毎日一緒にいてくれるに違いない。
 そんな妄想をしていると、「あの……」ととびきり可愛い声が前方から聞こえてくる。
 まさかとは思ったが、あの少女が私に声をかけてきてくれていたのだ。

「……な、なに?」

 いきなりの出来事に、つい慌ててしまった私は、言葉を噛みながらも返事をする。
 するとそんな様子がおかしかったのか、少女はクスクスと可愛らしく笑うのだった。

「すみません。いきなり話しかけてしまって驚きましたよね。」

「い、いやそういうことじゃなくて!私、遠目で見てる時から可愛い子が歩いてるなぁとか思ってて、まさか話しかけられると思わなかったから、ちょっと舞い上がって噛んじゃっただけ……だからそんな……」

 うわあ…早口で捲し立てるみたいに言い訳して、気持ち悪いだろうなぁ。
 そんなネガティブなことが浮かんでくるが、少女の反応は予想を裏切るものだった。

「か、可愛だなんて……照れます。でも、そういってもらえて嬉しいです。」

 な、何なんだこの子は。奥ゆかしさの塊ではないか。
 でも、ここで気になるのは、この子の目的だ。
 なにが目的で私なんかに話しかけてきたのだろう。
 もしかして「あなたの妹になりたい!」とかそういう話の持ち込み………な訳はないとして、ここはとにかく尋ねてみるのが最善か。
 私は意を決して、彼女に質問を投げかけてみることにした。

「そ、それで何の用?もしかして迷子だったり?」

「いえ、忠告をしておこうかと。」

「え?」

 少女は悲しそうに、私の進行方向を指差すと忠告の内容を話し始めた。

「実は、向こうのコンビニの方で首切り殺人事件が再び起こりまして、今パニック状態なんです。だから今行くと少し危険ですよ。」

 首切り殺人が……起こった?

「それ本当?嘘じゃなくて?」

「そんな嘘をつく必要がありますか?」

 まあ確かにそうなんだけど、今首切り殺人事件が起こる可能性はほぼゼロに等しい。

 その瞬間のことだった。

「…………ふッ」

 少女の端から端まで美しい体躯が、軽く空中に浮き上がったのは。
 そして、少女は真っ赤な鮮血を口から吐き出し、私に血の雨を浴びせてくるのだった。
 またもや突然のことに、私は大きく動揺する。

「な、なにが!?」

 私は状況を見て、察する。
 いや、きっと私でなくても察することができるだろう。それほどまでに今目の前で起きたことは、単純で明快な内容だった。

 黒ずくめの服を着た男に、少女が、後ろからナイフで刺され、その勢いで真上に浮き上がった。

「……誰よあなた」

「名乗らないよ。身バレは警察に捕まる可能性を底上げする要因だからな。だから僕は極めて冷静に、君を殺すことにする。じゃあな。」

 ふざけ…るな!

 その後私は、背後に大きく飛んで黒ずくめの男から距離を取ると、そのまま走り出す。

「……意外と動けるんだな」

 後ろからはそんな感心したような声が聞こえるが、その私を下に見た態度がさらに、怒りを助長させる。それにアイツは、あの美しい少女の命までも奪った。許せるはずがない。
 だが、今は自分の身を守るのが先決だ。
 どうせ距離を取っても、相手は男。女の中では、一般より少し上くらいの身体能力をもう私では、逃げることすら難しいだろうから、脇目も振らずに走る。今私にできる最善手はそれだけだ。
 実際――今もすごいスピードで、私を追いかけてきている。
 しかも、全身黒色の服で見にくいということもあり、距離感がいまいち掴みにくい。

「…………だ、誰よあなた!!」
「だから内緒だって言ってるだろ?あと、もっと速く走らないと、すぐ追い抜いちゃうぞ。」

 その言葉を吐いた次の瞬きの瞬間、黒ずくめの男は私の前方へと高速移動していた。

「!?」

 そして、私はそのまま急ブレーキが間に合わず、黒ずくめの男に衝突することになってしまう。

「そろそろ鬼ごっこもつまらなくなってきたろ。」

「ぐっ……いだ」

 ぶつかって転んだ拍子に、両手首を切り付けられていたみたいだ。
 私は痛む手を必死に動かして、後退りするが、黒ずくめの男がそれを許してくれるはずもなく、今度は足を掴まれてそのまま馬乗りにされる。
 これで完全に逃げることができなくなった。

「……やめ……やめて!この犯罪者!」
「……犯罪者?面白いこと言うんだなアンタ。」

 黒ずくめの男は、さっきまでは冷静沈着、といったふうだったが、私の発言の直後、苛立ったように目を見開いた。

「…自覚がないのが一番怖いな。まあいいや」
「うるさい!いきなり現れていきなりこんなことするなんて、人間の所業じゃないわよ!」

 私は怒りのままに言葉をぶつけた。もしくは、この男に対する恐怖心を隠すための、強がりなのかも知れない。
 すると男は、やはり憤ったように私の頬を両サイドから潰すように片手で掴んだ。

「おい、もう一回言ってみろ」
「何度でも言ってやるわ!この犯罪者!」

 頬を掴まれた状態だったため、喋りにくかったが、私は目に涙を浮かべながら必死に叫んだ。せめてもの抵抗、と言ったところか。

「お前…自分の行動、全部忘れてる感じなの?」
「何を……」
「わかったわかった。特別にお前には僕の正体教えといてやるよ……どうせ殺すし。僕は、殺し屋の羽宮響。お前はたしか金森香澄……だったかな?」
「な、何で私の名前を……」
「だから言ったろ。僕は殺し屋なんだ。ターゲットの情報くらい調べるに決まってるだろ。」
「殺し屋!?それにターゲットは私って……何がどうなってるの!?私が何をしたって……」
「あーもう、説明も面倒くさい。」

 すると黒ずくめの男は私の手のひらほどしかないナイフを―――――そのまま私の胸に突き刺した。

「……これで……死んでくれ」

 薄れゆく景色と、耐え難い痛みと熱が身体中を蝕んでいる中、私の脳は一つのことだけをずっと考えていた。

「……絶対に………殺してやる………」

 私の最後に残した怨嗟を聞くと、男は私を見下ろすように言った。

「……頼むよ」

※※

 仕事を終えた僕は、まだまだ暗い夜の道をトボトボと歩いていた。
 ……手に残ったナイフの感触がひどく不快だ。
 僕は血に染まった手を見て思う。
 慣れてはいけない、と。
 これは僕をここまで育ててくれた殺し屋の先輩の教えである。彼は血に染まった手で僕の頭を撫でながらいつもこう語っていた。

「いいか?人を殺すことに慣れちまったら、それはもう犯罪者となんら変わらねぇ。もし、俺がそうなっちまったら、お前が俺を殺してくれ。そんで、お前がそうなったなら、俺は責任を持ってお前を殺す。」と。

 だから、僕はナイフの感触を不快だと思える度に安心感にも似た感情を覚える。これはもう既にまともな感覚では無いと思うが、それだけが僕の存在を肯定してくれる唯一のものなのだ。だいぶ歪んでいるが。
 すると前方から慣れ親しんだ相棒の声が聞こえてくる。

「あー!ヒビキお仕事終わったー?」
「おかげさまで。あ、怪我ない?」
「うん全然平気ー。でも、血糊の味はあんまり好きじゃないから、帰ったら美味しいもの食べたい。」
「じゃ帰ったら焼肉だ。市販品の肉のだけど」
「やったあ!おにく!おにくー!」
「あんま騒ぐなよ?一応まだ夜なんだから、近所迷惑になるだろ。」
「分かった!瑠璃約束する!」

 そう言う少女の金色の髪を、血がついてない方の手で撫でてやると、彼女は嬉しそうにはにかんで見せた。

 僕らは殺し屋。人の生活を脅かす犯罪者を殺す殺し屋。
 警察がなかなか捕えられない犯罪者を、依頼を受けて代わりに裁く、悪人だ。正義のヒーローでも、ましてやダークヒーローでもないただの悪者で、死体を積み上げて飯を食っている。
 それが、僕――羽宮響と、瑠璃の殺し屋コンビである。

「あーそういえば今回のあの女の人は、何で殺すことにしたの?いい人そうだったのに。」
「最近、話題になってた首切り殺人の犯人が、アイツだったみたいだ。」
「へぇ、そういうこと。怖いなぁ人を殺すなんて。」

 僕らがいえた事じゃないけどな。

「でも、アイツの本当に怖いところは、罪の意識がないこと。自分自身を犯罪者だと思ってなかったところだな。」
「たしかに、ずっとヒビキに『何で私がこんな目に?』って言ってたもんね。」

 瑠璃は服についた乾きかけの血糊を、指につけて練りながら呟いていた。

「まあ、それにアイツの罪はそれだけじゃないぞ。首切り殺人の罪は二つ目。」
「そうなの?じゃあ一つ目は何?」
「一家殺人未遂。それで、アイツは中学生の時に一回警察のお世話になってる。」
「家族を殺そうとしたの?また何でそんなことを」
「詳しくは知らんが、僕が調べた限りだと、あの女の弟が勝手にプリンを食べちゃって、それでブチギレて弟を半殺しに。そして、それを止めに入った母親も同じ目に。最終的には父親に押さえつけられて、事件は終了。」
「プリンくらいでそんなに怒るかなぁ?世の中変わってる人もいるもんだね。」
「僕がこの前お前のプリンを食べちゃった時、思いっきり脛を蹴ってきただろ。僕まだ忘れてないからな。」
「それは勝手にプリンを食べたヒビキが悪いのー」

 まあ否定はできないけど。
 それはそうとして、一家殺人未遂事件と、連続首切り殺人事件の犯人である金森香澄の殺害は完了した。

「あとは、依頼主に金をもらいにいくだけ……」

 今回の依頼主は、首切り殺人の被害者の親族だ。
そして、金は直接受け取るわけではなく、とある場所に置いてもらうだけ。僕らはその場所に行って、それを回収する。この流れが、僕ら暗殺者の仕事の流れだ。また、金が支払われない場合は、取立てを行うこともある。
 少々……どころかかなり野蛮な職種だ。やっていることは、ヤクザよりも酷いだろう。

「じゃあ、瑠璃。今日は報酬で好きなもの一つだけ買ってやろう。」
「えー!?ほんと!?」
「ああ、お前の今日の演技すごくうまかったからな。あれでターゲットが動揺してくれたのは、助かったよ。」
「えへぇ…撫でてくれてもいいんだよー?」
「はいはい。とりあえず、歩きながらな。」

 そう言って、僕は瑠璃の頭を撫でながら、歩く。
 願わくば彼女のことだけは幸せにしてあげたい。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

名前は羽宮響

犯罪者を殺して生計を立てる青年。

まだ実年齢は高校生ほどで、己の職業に罪悪感を覚えているが、その感覚も仕事をこなすうちに薄れていくことを恐れ、自嘲気味な発言をすることがよくある。

名前は瑠璃。苗字はなく、戸籍もない。

羽宮に拾われたことで一命を取り留め、羽宮の仕事の手伝いを自分から望む。しかし羽宮の計らいで、彼女は殺しをすることはなく、あくまでターゲットを欺いたり油断させるような役回りをしている。

演技が得意。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み