第16話

文字数 1,741文字

 あてもなく歩いていると野球場ほどの広さもある大きな空き地があって、そこに移動遊園地を見つけた。たぶん少し前までここに何か巨大なビルでもあったんだろうけど、それが何かはもう思い出せない。地面のコンクリートのカケラだけでは何も分からない。
 私は〈またのお越しをお待ちしています〉と書かれた柵を乗り越え、遊園地に入った。電源が落とされ動きを止めた遊具をいくつか眺めながら、目蓋のない白馬の黒い瞳が見つめるメリーゴーランド前のベンチに座った。
 観覧車の影の向こうの空はいつの間にか晴れていて星が見えていた。

 市役所まで戻ると、バスは待ってくれていた。リーゼントの運転手のオニイサンは私一人で帰ってきたことに何も思うことはないようで、

「楽しかったかい?」

 ウインクすると、眠たそうな目を擦り、誰も待たずにすぐにバスを発車させた。
 バスが街を抜ける途中で、私はナリアキを見た。私が見たことのない表情で一人、住宅街の歩道を歩いていた。肩にギターは担いでなかったからバンドの練習の帰りではなさそうだ。代わりに右手に見慣れないものを握っている。
 私はナリアキが気になった。ナリアキの顔からは感情というものが完全に失われていた。私はすぐにバスを降りたかったが、高速の宇宙船はもうバイパスに乗ってワープ速度に達しようとしていた。

 *  *  *  *  

 ……太陽活動の活発化と列島上空に停滞する高気圧の影響で、日中の最高気温が今世紀に入ってから三十七度目の記録更新となりました。明日の気温は今日と比べてさらに高くなる可能性があります。引き続き屋外での激しい運動などは避け、熱中症の予防に努めてください。続いて週間予報……

 前にも同じようなことを言っていたような気がする。
 私はうつ伏せに倒れている体を気力を振り絞って起こした。不自然な角度で曲がっていた首が痛い。それ以上に何もかもが熱い──熱い?
 私は眠っていたようだ。それとも気絶していたのだろうか?
 体質的に汗をほとんどかかない私だけど、喉はとても渇いていた。右手の先にあるはずの飲み残しのペプシでもと、手を伸ばしても指先は空を切る。
 私は体中の力を振り絞って立ち上がった。部屋を出た。
 リビングのエアコンは正常に作動していて、少し寒いぐらいだ。祖父はつけっぱなしのテレビを無視しながら、妄想の誰かと手話で話している。私に聞かれてはまずい話なのだろうか?

 ……おめでとうございます。記録はどんどん伸びてますよ。もはやこの映画を見ていない国民はいないんじゃないでしょうか? どれだけみんなこの映画が好きなんだってことですよ。ん? 私ですか? 私はもちろん……

 私は冷蔵庫から麦茶を出してコップに注いで一息に飲んだ。時計を見ると、三時を過ぎていた。たぶん午後。
 私はシャワーを浴びることにした。時間をかけて体を冷やし、風呂場の鏡でブリーチし直した髪を確認すると、きっちり根元まで脱色できていたので、鏡の中の私に私は微笑む。
 髪を乾かした私は、街で買った偽物のヴィヴィアンのワンピースなんかで少しだけお洒落する。
 祖父がやって来て鏡の中の私に肯いて去る。

 私は屋上にあがる。その頃には日も傾き、気持ちのいい風も吹き始める。
 転落防止の柵にもたれ、団地の入り口のほうに顔を向けた。黒い服の男が周りをキョロキョロと見回しながらこっちに歩いてくる。手に大きな荷物を抱えているところを見ると、郵便局の人かもしれない。きっとヨー子さんへのお届けだ。
 私はさらに向こう、街へ続くバイパスの方まで見ようとする。その時、空が一瞬光ったように見えた。いつものジャンボジェットの定期便だと思ってたら、オリーブグリーンの機体が空を横切っていた。この暑さなら戦争が起きていても不思議じゃない、そして予期せず再び光る。

 ──眩しい

 目を開けた私は視線をバイパスに戻す。
 私はナリアキが買いたてのピカピカのバイクでこの団地に向かってくる姿を想像する。あの時、ナリアキが言っていたとおりなら、そろそろ免許が取れたころだろう。私の予感では今日あたりナリアキがやってくるような気がする。
 どこでも連れて行ってくれるなら、やっぱり海かな。
 日焼けしてなくて少し恥ずかしいけど──いいよね?
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