五枚目

文字数 3,290文字

「それで、そのカレンダー……役に立ったのか?」
 こわごわ聞いてみた。
 世間に認知されたのは理解出来たが、それだけじゃダメなのは自分にだって分かる。

「予言を直接取り入れるような公的機関なんか無いさ、あったら怖いわ。けどな……」
 悪友は真面目な顔のままカレンダーを()った。

「例えばこの、感染者を乗せた船が来た時。自治体は最初、下船を認めない方針だったんだ。でも人権派とか『よく解っていない善意』の大声に圧されて、一回は折れかけた。まぁ、あの頃はまだ『感染症は年寄り以外には大丈夫』って認識だった」

 カレンダーの書き込みをなぞる彼の指は、何度も読んだであろう文面なのに、固く強ばっている。
 そこには、下船者を収容する施設も帰国させるチャーター機も用意出来ぬままタラップを開放した後に起こる事……起こってしまった事が、無機質に箇条書きされていた。
 上陸させてしまったら、『要請』しか出来ないこの国に成せる事はとても少なかったのだ。
 ましてやこの頃は、感染症はまだ軽く見られていた。

「そしてここ、ここで初めて赤ペンが登場する」
 彼がトンと突いた赤バッテン。
 そこから延びる矢印の先、『医療の必要な者以外は絶対に下船させるな!』と乱暴な大文字。

「さっきも言ったように、(おおやけ)が予言で動いたりは出来ない。でもこの頃には『黙示録』はワイドショーに取り上げられたり、ネット民以外にも衆知の存在になっていた。スポーツ結果をあれだけ当てた予言書にこんな怖い事が書いてあったら、誰だって放って置けないわ。んで、大衆の声が行政を圧したって形で、船の隔離が継続された。あちらさん的にも都合が良かったんじゃないかな」

「…………」

「そんな感じで、結局行政は、『黙示録』の赤ペンに従う形になって行ったんだ。そして黒で書かれた予言の方は、徐々に現実から外れて行った」

 カレンダーには覚えている限りの感染症被害を書き入れていた。
 それがハズレるようになったって事は、喜ぶべき事なんだろう。現に戻って来たこの場所は、以前とは雲泥の差だ。……でも……

「浮かない顔だな」
 こちらの心を見透かすように、悪友は覗き込んで来た。

「そう……『ここでこうしていれば』って強い気持ちで書き込んだのは確かなんだ。でもいざ、自分が勢いで書き殴った言葉が本当に世間を従わせていたのかと思うと……」

「うん」

「船の中に閉じ込められた人たちはさぞかし怖かったろう。学校や店や社会を閉じろ(こも)っていろと書いたけれど、それで困窮した人だって一杯いたんじゃないか?」

 悪友は大きく肩を上げて溜め息した。
「お前ってホント、人の上には立てないタイプだよな。まぁそこで、オレスゲエェってならないのがお前の良い所なんだが。100%全員を満足させるなんて誰にも出来ないぞ。たとえ結果を知っている奴が未来から来ようと・・だ!」

 眉間にシワを入れて断言する彼の顔を見て、急に得心が入った。

(・・ああ! だから営業マンの組織は『都合のいい異世界』をゴリ押ししていたんだ。正解や不正解が幾重にもあるこのややこしい現実世界で『心から満足する』なんて、思うよりもずっとハードルが高かったんだ)

 自分が満足を得られないと、営業マンのノルマは達成されず(クビになったら可哀想だな)、自分も消滅しちまうんだよな(タイムリミットはあるのか? あってもあいつ、言い忘れていそうだ)。
 満足したいと思っても、複雑な思いの方が強くてどうしようもない。
 左手を開くと、お天道さんが恨めしそうに睨んでいる。

 黙って考え込んでいると、悪友がそっと切り出した。
「なあ、いくら皆が一目置いている予言書でも、突拍子もない事が書いてあったら、そうそう従えない。改めて見てみると赤ペン先生、そんなに大それた事は言っていないんだぜ」

 今一度カレンダーを開き、朗読するように目の高さに持ち上げる。

「医療機関を維持する事が最優先……これって、必要な人の為に場所を空けておく、『譲り合う』って事だよな。そこで働いている人を護る……『他者を(おもんぱか)る』って事だ。他に書いてある事も、突き詰めて要約すると、……『皆で協力する』『皆でちょっとずつガマンする』『分け合う』『省みる』『責任を持つ』……どれもこれも、子供でも知っている当たり前の道徳なんだよ」

「う、うん・・」

「その『考えてみれば当たり前な事』が、混乱の中、ともすれば忘れられがちだった。そんな時黙示録が、一人一人の市井の民に、正常な判断の後押しをしてくれた。予言がハズレだすと皆の興味は他に移って行ったけれど……結果としてこのカレンダーは、大いに役に立ったんだ」

「・・・・・・」

「俺はそう思う」




「なんでぇ、男ふたり顔を突き合わせて。そーしゃるですたんすはどうした」
 暖簾の隙間から唐草マスクのご隠居が顔を覗かせている。
「まだまだ油断しちゃなんねぇ。大勢の人死にが出とるんだぞ、900人を越えちまったんだ。まったく若いのはすぐ馬鹿にして油断する」

「一日900人で治まっているのか……」
 小声で呟く自分に、悪友がもっと小さな声で
「総数で、だ……」
 とささやいた。
 彼の手中のカレンダー、最後に書かれたこの国の総死者数は、数字が3桁違っている。



「なあ、一個教えてくれ」
 そーしゃるですたんすとやらの距離を保ちながら厨房で、悪友にそろっと話し掛けた。
 左手の印は消えないし、多分自分は消滅するのだろう。意外と焦燥感はない。どうせ元の世界で最悪の中死んでしまった身だからかな。あれに比べたら全然マシだ。
 ただ一つ聞いておきたい事があった。消滅するのなら知らずに終えようかとも思ったが、やはり知りたい気持ちが強かった。
「あいつ、こちらの世界では、どうなっ……」

「お――い、旦那ぁ!!」
 客席から大声で呼ばれた。

 忌々しく思いながら暖簾から顔を出すと、入り口の磨りガラスに人影が映っている。
 ガラガラと引き戸が開いて……

「うああっ!!」
 思わず飛びすさって、後ろの悪友にぶつかった。

「痛ぇな、どうした」

「な、何であの男が」
 忘れもしない、今玄関に立っているのは、手提げ金庫をぶつけてきた押し込み強盗。服装はパリッとしているが間違いない。

「おう、ご苦労さん」
 常連たちは普通に挨拶をしている。

「最近常連客になった、個人タクシーの運ちゃんだよ」
 悪友が後ろからそっと教えてくれた。
「黙示録のフォロワーだって言って弁当買いに来てくれたのが最初だったから、今のお前には初対面の筈だが?」

「そうか……」
 前回の邂逅(かいこう)は、誰にも永遠に言わない方がいいのだろう。

「何だよその悲鳴。大変(てぇへん)な輸送を引き受けてくれたんだぞ。公共交通機関を使わない方がいいだろって気を回してくれて、わざわざ」

「いえいえご隠居さん、お役に立てたのなら幸いです。僕にも同じくらいの娘がいますし、他人事じゃない気がして。大変な時はお互い様です」
 そう言って人のよさそうな運転手は、赤いスーツケースを店内に運び込んだ。
「お子さんが眠られたようで、ちょっと手間取っていらっしゃいます」

 その言葉を聞く前に、
 見慣れたスーツケースを目にした瞬間、
 店の外に飛び出した。



「あらアナタ、ただいま、元気そうでよかった」

 逆光に幼子を抱いた、狂おしい程に懐かしい女性。
 もつれる足で駆け寄る。

「あぅ、ああおおぅ・・」

「なぁによ、ちゃんと喋り・・」

 子供ごと目一杯抱きすくめられ、彼女も言葉を詰まらせた。

 途端、背後でパンパンとはぜる音。
 常連たちが苦笑いでクラッカーの紐を引き、通行人に笑われている。

「タイミングわるっ。感動の再会を盛り上げてやるつもりだったのに」
 言いながら、悪友の用意した祝い膳のオリを受け取って、客たちはそれぞれに帰り仕度を始めた。
「お前さんがカミさんとケンカ別れしたままだったって泣きゴト言うから、皆ひやかし……じゃなくて取りなしに来てやったんじゃねぇか。何だよそれ、当てつけるのも大概にしろよ、そんなに情熱的だったかよ。まあ、今日は自宅で各々に、お前さんの幸せを祝っていてやるよ。本当は宴会したい所だが、まだちょっとな」








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