第1話 四翼の鍵②

文字数 4,764文字

 同日、少し前。
 高層ビルの屋上に一人、少女が佇んでいる。
 歳は十代半ば、リボンを締めたブラウスにプリーツスカート、左手にはスクールバッグと正に学校帰りという風体。違和感があるとすれば、こんな場所にいることと、右手に大振りの鍵が握られていること。
 彼女は紫紺色の瞳を忙しなく動かし、街中の様子を観察している。凛と整った顔立ちからは少々の焦りが滲んでいた。

 ぶわりと風が吹き、腰まで伸びた暗い紫色の髪が空に靡く。
 そして、

「…………いた!」

 狼の遠吠えが彼方から聞こえ、鞄を放り投げた。
 右手に握る鍵を力強く突き出し、ぐいと捻る。その動作はまるで。

「〝解錠(アンロック)〟」

 ガチャリ、と虚空から音が響く。同時に、彼女の背に伸びた長い影が濃さを増す。そして一歩、屋上の縁を力強く踏み込み

。落ちることなく空へと舞い上がった彼女の足元に引かれた影がぐにゃりと形を変え、翼を(かたど)る。その姿はまるで、羽の生えた靴で天を翔る異国の神様。
 感覚を確かめるように羽ばたき、標的へと突き進む。

(うわぁ、かなりでかいね)

 その有翼の少女が、人に仇なす怪物を視認した。空からでも見える、森の木々より更に大きな図体。
 大きく身を(ひるがえ)しながら跳んだ怪物は、そのまま一歩、二歩と前進する。相手を見つけたのだろうか、巨大な戦斧を幾度となく振るっている。

影狼(かげろう)が〝保持者(キーホルダー)〟と接触したようだけど、戦っているのはその人かな)

 怪物との距離がぐんぐん縮まる中、公園が見えた。そこにはぐにゃぐにゃのジャングルジムと、怪物と対峙する女学生の姿。歳は自分と同じくらいか。

 そんなことより。

「もしかして、一般人⁉」

 驚き叫び、鍵を握る手に力が入る。
 怪物を眼下に納めた。後は落ちるだけ。
 影が翼の形を解き、右腕に集まっていく。
 それは緩い孤を描くと、長大な刀へと変化した。
 浮力を消しての急降下。翼による速力を残し、怪物との距離が一気に詰まる。
 間合いまでの数瞬、女学生がジャングルジムから飛び出すのを認め、少女は心の内で安堵した。
 それだけ離れてくれれば、巻き込まなくて済むだろう。

「はああああ————ッ!」

 振りかざした一撃は凄まじい加速と共に怪物を斜め一閃、真っ二つに斬る、はずだった。
 しかし届いた刃は胸の辺りまで。

「ぐっ……⁉」

 交差の一瞬、怪物から放たれた炎弾に気を取られ、咄嗟に受け身の姿勢を取ってしまった。
 手に集約していた影を全身に(まと)い、熱と衝撃を和らげる。
 軽傷で済んだが、斬撃の最中に刃を消してしまった代償は大きい。
 影纏う少女が、砂を巻き上げながら地面を抉る。

(……あの子は……)

 怪物の攻撃は自分を狙ったものではない。
 巻き上がる砂が炎弾の熱波によって流されていく、まさに爆炎。
 森には火の手が上がり、身を守る影の向こうが吹き荒ぶ砂と炎で霞んでいる。

(間に、合わなかった……のか)

 胸を切られた怪物が怒号と共に戦斧を降り下ろしてきた。
 後悔の間などない。

(——でも)

 大質量の接近に、彼女は大きく前へ踏み込むことで(かわ)す。
 懐に入ったと同時、身を守っていた影を再び刃へと再構築。

(これで、止め!)

 怪物の足元、胴体を狙った逆袈裟の一振り。
 切り上げられた斬撃は怪物の体を深々と抉った、会心の手応え。
 怪物が炎弾を吐く様子もなく、そして戦斧は未だ地面に突き刺さったまま。
 少女は勝ちを確信し跳ぶ。

「……がァ、は……っ⁉」

 だが、切先は怪物の首元を掠めただけだった。
 右側から飛んできた巨大な拳、深く切り込んだはずの左腕によって全身を打たれた。捻った体、跳んだ勢い、殴られた威力から錐揉み回転、真っ直ぐ木に叩きつけられる。

(なん……て……)

 なんて馬鹿力だ。

 初撃の一閃がもう少し深ければ、受けなかった一撃。
 地面に崩れ落ち、手にした刀は影へと還る。苦痛と後悔に閉じていく眼が、歩み寄ってくる怪物を映した。
 反撃の余力は、もうない。


 ◻︎


 四方結(しほうゆい)は背後に迫る炎熱、逃げ場のない恐怖に、かつてない死を実感していた。

(……あれ……)

 その終わりの時が、未だ来ない。
 恐る恐る振り返ってみると、業火が眼前で燃えている。

(なんで……?)

 周囲は火の海、なのに熱を感じない。
 炎へと手を伸ばすと、その揺らめきの手前でとん、と指が止まった。
 壁のようなものがある。
 目の前の光景が、まるでスクリーンに映し出された映像であるかのようだった。

 ぼんやりとしていると、ドン、という衝撃が周囲に走る。炎の向こうで、あの怪物が戦斧をどこかへ振り下ろしていた。
 夢なんかではない。頭の痛みも、ひりつく背筋も本物だ。

(あっ⁉)

 その怪物の足元から、少女が飛び出す。

(だめ……殺されちゃう……!)

 


 怪物が左腕を振り上げている。
 あの子は、そのことに気づいていない。
 助けたい。あの化け物を、どうにかしたい。

(……私に何か、出来ること……っ‼)

 彼女は無意識に、首から下がる〝鍵〟を手にしていた。
 〝それ〟の持つ本来の力を、自身の内に秘められた力を解放する。

「————ッ」

 口を衝いて出た言葉が、鍵の開く音が、壁の内側で反響した。


◻︎


 牛首の怪物が獲物を仕留めるべく踏み出す。
 それに合わせ、無理をさせた左腕がブチブチと千切れた。
 そんなことは意にも介さず、残った右腕で再び戦斧を振るう。
 ズドンと、その衝撃が地震と見紛うほどに大地を揺らす。

 しかし、叩きつけられたのは拳。
 少女にではなく、地面に。

 戦斧は、



 驚いたように見上げる怪物が見たものは、戦斧に重なる半透明の立方体だった。そして、何故か空に浮いている自身の左腕にも、同様の物が重なっている。
 武器を取り上げられ、更に隻腕となった怪物は、先ほど焼き殺したはずの少女が真っ直ぐこちらを見据えていることに気づく。
 それは炎を逆巻き、〝鍵〟をこちらに向けている戦士。
 ズドンと、今度は怪物の予期せぬ形で、戦斧が地面に突き刺さる。

 次に磔にされたのは、右手。
 炎に包まれた戦場を、四方結が真っ直ぐと歩き出す。なす術のない怪物には目もくれず脇を抜け、倒れた少女の元へ。
 しゃがみ込み、彼女の体にそっと手を触れると、まるで時間が巻き戻るかのように傷が癒えた。

「……っ⁉」

 目を見張る少女に結は、首を切れ、と手振りで命じる。

「…………うん、任せてもらうよ」

 少し面食らった彼女であったが、ふらふらと身を起こし跳躍。
 怪物の首を()ねた。


 ズン、と牛の頭が落ちると、取り残された体もろとも肉が溶け、骨はやがて黒いモヤとなって霧散した。
 怪物の崩れ落ちた中心には縄で首を括った男性の遺体が転がっている。
 周囲に広がっていた火の手も、その痕跡だけを残して消えていた。

「こんなものが入っていたのか……はあ、そりゃ強いわけだ」

 少女が大きくため息をつくと、纏っていた影も普段の姿を取り戻す。

「君、さっきは助かったよ……って、うわぁ⁉︎」

 気づくと、彼女を助けた恩人——不審な女学生は気を失って倒れていた。
 息はしているようだ。

「消耗していたようには見えなかったんだけど……とにかく応援を呼ばないとね」

 携帯端末を取り出し、どこかへと連絡を取る。その間にも彼女は結の身体を調べていた。

「〝負魔(ネガティブ)〟を浄化した。ただ、保持者(キーホルダー)が一人意識を失ってしまってね。救護をお願いしたいんだけど……」

 通話中、真っ黒の狼が森から姿を表す。その眼光は少女と同じ紫紺色に輝いている。

「やあイェーガー、ご苦労様。悪いんだけど、あそこに落ちている彼女の鞄を取ってきてくれないかな」

 二人の周りをクルクルと回っていた狼は嬉しそうに尾を振ると、鞄を咥えて戻ってきた。

「さて、近親者の連絡先は……」

 結の鞄から携帯電話を見つけ出し、彼女の指を借りてロックを外す。
 初めに連絡がついたのは、八遣征(やつかゆき)という人物だった。


 ◻︎


 結は、幼い日の夢を見る。
 よく晴れた昼下がり、広々とした八遣家の庭で、蝶々を追って駆け回っていた。
 その様子を征が少し離れたところで見守っている。

 どれだけ経っただろうか。
 やがて遊び疲れた結が征の元へと帰り、彼女の手を取る。

「————征」

 目を覚ますと、征がこちらを見つめていた。手を固く握られている。

「結」

 眉をハの字に曲げていた征が、安堵したように彼女の名を呼ぶ。

「あれ、ここは?」
「病院」

 征がどっと溜息をつく。脱力し、結のシーツに倒れ込んだ。

(助かったんだ……多分、あの子も)

 記憶は(おぼろ)げだが、地面に倒れ込んだことだけは覚えている。その時に少女の声も遠くで聞こえた。

「じゃあ私、先生呼んでくるから」

 征が徐に立ち上がり、病室を出ていく。

「うん、ありがとう征」

 ゆっくりと深呼吸をする。
 脇に置かれた水差しを取ろうとして、体の異変に気がついた。

「……?」

 肩より先に力が入らない。握られていた手の温もりも、シーツの感触も分かる。それでも、指先一つ動かせなかった。
 どうにか動かせないものかと身をよじっていると、不意にドアが開いた。
 びくりと体が跳ねる。

「やあ、お目覚めだね」

 現れたのはあの時の少女だった。

「あの時の!」
上条花切(かみじょうかぎり)だ。君と同い年だよ、四方結くん」
「あなたが助けてくれたの?」

 思いがけない質問だったのか、花切は少し戸惑った顔をした。

「君をここに運んだのは私だが……どちらかというと、助けられたのは私の方じゃないかな」

 ぽかんとする結が「何で?」という顔をしているので、花切も勘づいた。

「まさか、覚えてないのかい?」



 花切が結の鞄から鍵を取り出す。手袋をしており、何やら物々しい。

「なるほどね。意識を失ったのも、手が麻痺しているのも解錠の影響ではあるんだろうけど——」

 鍵の発見から怪物との接触まで根掘り葉掘り聞いた花切は、結の鍵を見つめたままブツブツと呟く。
 当の結はというと、再び水差しに手を伸ばしていた。
 今度は何事もなかったように動かせている。

「後日改めて伺うよ。それまでこの鍵は誰にも触れさせないようにね。絶対だよ」

 そう言いながら花切は結の鍵を鞄の奥へと押し込んだ。

「どうして?」

「この鍵は君の意思が形をもった物なんだ。言うなれば情報の塊だね。これを他人が触ってしまうと、君の思想が一斉に流れ込んできてこう……ドカンと」

「ドカンと?」

 花切が握った拳を勢いよく開く。

「パンクするんだ」

 突飛な話に結は言葉を紡げずにいた。自ずと沈黙が流れる。
 沈黙を破ったのは、廊下から響く足音。
 征が医者を連れてきたようだ。


 診察の結果は特に異常なしとのことで、結と征の二人はその日のうちに帰宅することができた。大事を取っていつもの勉強会はお休み、早々にベッドに入る。
 時刻は深夜零時過ぎ。とても長い一日だったと、深く溜息を吐いた。
 静かな空間に、トマトが餌を食べる音だけが響いている。


 ◻︎


 明け方。
 ビルの屋上で一人きり、花切は考えていた。
 四方結の用いた結界と再生という二つの能力は、本部の記録に無いものであった。ましてや彼女自身も交戦時の記憶はないという。しかしながら、精神の悪化が見られないことから鍵との適合率の高さが伺える。

(彼女は一体何者なんだ?)

 厚手の手帳に情報をまとめていると、不意に携帯が鳴った。

「——はい」

 それは焼けた公園の復旧作業に取り掛かっている作業員からの連絡であった。

「遺体から……鍵?」

 朝焼けに顔を顰める。
 四方結という不審な保持者(キーホルダー)に加え、負魔(ネガティブ)の核となった遺体から鍵が見つかったという。

「変なことばかりだな、この町は」

 電話を切った花切がふっと息をつく。

「まったく、調べ甲斐がありそうだね。お前たちもそう思わないか?」

 花切の背後、朝日に照らされた物陰から二匹、漆黒の狼が顕れた。
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