(二)

文字数 2,604文字

「今日の晩ご飯は何にするの?」
 家を出てしばらく歩いてから、若菜が聞いてきた。
「今日も暑いからカレーでいい?」
 私が言うと、若菜は「えー、カレー」と言って嫌そうな顔をした。
 先週から夕ご飯をカレーにしたのがすでに三回……。確かにちょっと多すぎるかしら。でも小学校の夏休み中は、厳しい残暑で台所に立つのが嫌になってしまう。簡単に作れるものがいい。
「そうよ。こうも暑いと台所に立つのも大変なのよ」
「ひょっとしてお昼はまたそうめん?」
「そうよ」
「またそうめんなの」
 そうめんは、先週から七日連続だった。
「しょうがないでしょう。お中元でいっぱい届いたんだから」
 実際、家には父の勤務先の関係者と、私の夫の勤務先の関係者からいくつもお中元が届いていた。去年はビールと清涼飲料水の詰め合わせが多かったが、今年は何故かそうめんが多かった。
「せっかく買い物に行くんだから、もっとおいしいもの食べたい。颯馬兄さんのお給料も出たんでしょう」
 お給料? 確かに言われてみれば、今日は夫の会社のお給料振込日だった。いつもは節約ばかりだけど、そういうことなら、奮発してもいいかもしれない。
「そうねえ……。それ、いいかもしれないわね」
「でしょう。そうしようそうしよう」
 若菜が笑顔になってそう言った。
「そうね、そうしましょう」
 私は鼻歌を歌いながら妹とスーパーに向かった。



 スーパーにやってきた。観音開きのガラス製の自動ドアが左右に開くと、中からひんやりとした空気が出てきて肌に触れて涼しかった。湿度と気温の高い、うだるような暑さの外とは大違いだ。
「んー、すずしいわねえ」
「うちにもエアコン入れようよ」
「そうね、そうしたいのもやまやまだけど、父さんが許さないわ。昔気質の人だから」
 そう言いながら入口入ってすぐのところに積まれていた買い物カゴを引っぱり上げた。
 そしてまず野菜コーナーから回る。キャベツ、もやし、にんじん、玉ねぎ……、必要な物をカゴに入れていく。そして鮮魚コーナーや日配品コーナーを軽く見つつ、精肉コーナーへ。
 壁際の冷蔵ケースの中に並べられている肉のパックを端からチェックする。確か今朝見た新聞に入っていた折り込みチラシでは今日は豚肉の特売日とあったのだ。どれがそれなのか確認しなくっちゃ。
 先に売り場の先の方まで行っていた若菜が戻ってきて「お姉ちゃん、あったわよ」と教えてくれた。
 二人で豚肉のコーナーへきてパックを見た。パックのラップの上には黄色地にオレンジ色の文字で「広告の品」と書かれたシールが貼られていた。
「あったあった、これだわ」
 さっそくパックを一つ二つと取り上げて中身をまじまじと見る。金額は一〇〇gあたり八八円だった。豚肉は輸入品も国産品もだいたい同じくらいの値段だ。そして八八円は、いつもより一〇円ほど安い。だから手に取った両方ともカゴに入れた。
「よかった。うちは人数が多いから特売の日じゃないとお肉は買えないからね」
 うちの家族は私と妹、弟。両親と私の夫の全部で六人家族だ。育ち盛りの子どももいるので、結構食べるのだ。だから少しでも安い値段で少しでも量が多くなるように買わなければいけない。そうなるとお肉のチョイスは鶏肉か豚肉の二択になる。
「ねえねえ。お給料入ったんだから、こっちはどう」
 若菜が隣の牛肉コーナーから、厚切りステーキ肉のパックを持ってきた。
「ステーキ? そんなの上等過ぎよ。みんなで食べるんですもの。それなら……」
 私は牛肉コーナーを一度往復してから牛肉の細切れパックを手に取った。
「こっちの方がいいわ」
 ステーキ用は高いので、こっちのほうがいい。



 そのほか、妹と弟が食べる分の菓子や、昼食で食べるそうめんのタレ用に使う出汁用の昆布や削り節をカゴに入れてレジ待ちの列に並ぶ。
 平日にもかかわらず、昼前であるせいか、レジ待ち客が長い列を作っていた。
 並んだ場所はちょうどお菓子売り場の目の前だった。
 すかさず、若菜がポテトチップスの袋を見せて言った。
「お姉ちゃん、コレ買っていい?」
「ダメよ」
 私はすぐに言った。今日と明日のおやつは既にカゴの中に入っている。かごの中にせんべいのお徳用が二袋入っている。
 カゴの中を一通り確認しながら、何か足りない気がした。……そう、お味噌。お味噌がなかった。うちは大人数なので味噌の消費が多いのだ。あと醤油もそろそろ買わないといけなかった。
「若菜、お味噌を買うのを忘れていたわ。ちょっと取ってきてくれない。あ、あとお醤油も」
「はーい。味噌とお醤油ね」
 若菜は言い終わらないうちに駆けだして行った。

 列は進み、会計まであと三人となったところで若菜が戻ってきて、カゴに味噌と醤油を入れた。
「すぐに見つかった?」
「うん、大丈夫だったよ。でもこれって美川屋さんにお願いしても良かったんじゃない」
「いつもだったらそうするところだけれども、今日は若菜もいるし、重い物も持って帰れそうな気がしたから」
「そうなんだ」
 そう言っているうちにレジの順番がいよいよ回ってきた。
 レジ係の中年女性が金額を読み上げながら素早い動作で会計済みカゴに物を入れていく。
 綺麗に流れるように物が左側のカゴから右側のカゴに流れる様子をつい眺めてしまう。その流暢さにいつもうっかり見とれてしまうのだ。
 すると、レジ係の女性が「三三五四円です」と声を上げた。
 ハッとして慌てて手提げに手を突っ込んで財布を探す。右へ左へ、奥へ手前へ。大した物は入っていないので大きい財布はすぐに見つかるはずなのだが……、肝心な物の感触が手に当たってこない。
 思わず「あら?」と声を上げて手提げの口を大きく開いて中身を見てみた。
「どうしたの?」
 若菜が言った。
「ない……」
「何が?」
「ないのよ……」
「ないって……、まさか」
「若菜」
「なあに?」
「あなた……、私の財布を持っていたりする?」
 私の顔をじっと見ている若菜の方を見て言った。
「そんなわけないじゃない」
「それもそうよね」
 私はもう一度、手提げ袋の中を探った。上下左右にそして円を描くように手を動かした。手提げの口を大きく開いて中も見た。ない、確かにない。ないのだ。お財布が。
「あのう……」
 退屈そうに余所に視線を投げていたレジの中年女性に、静かに言った。
「はい。何ですか」
「そのう……、実は財布忘れちゃったので、今取りに行ってきてもいいですか」

(続く)
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