第3話

文字数 3,351文字

 久丹は身を起こした。
 夜は、しらじらと開けていた。川面には朝靄が漂い、東の方らしい尖った山の頂が赤みを帯びてかがやいている。
 身体を伸ばして立ち上がる。
 ここは、四方を険しい山嶺にかこまれた深い谷間だ。夜よりも、ずっと空が狭く見えた。
「悪かったな、羽白。思ったより寝ちまった」
「かまわないさ」
 羽白は、火をかきたてていた。
「眠れる時は寝ていた方がいい」
「あんたが同じ主義で助かるよ」
 朝霧の向こうから、男がたちやってきた。昨夜のリンとサイ、あと二人の若者だ。
 リンは、籠と二人を見比べた。
「出ていたのか」
「鳳凰と違って、手はあるんでね」
 ふふんとリンは鼻先で笑った。
「ついて来い」
 いやだといっても、力ずくで従わせようというのは彼らの様子を見れば明らかだった。むっつりとこちらを眺め、いつこちらに飛びかかってきてもおかしくない身構えだ。
「おれたちは、もといた場所に戻りたい」
 久丹は言った。
「それだけだ」
 リンは、ただ顔をしかめた。
 二人は、男たちに囲まれて歩き出した。
 羽白の琵琶を見つめて、リンが尋ねた。
「それは、何かの呪具なのか」
「いや」
「おれたちの弓といっしょに鳴っていた」
「楽器だ。琵琶という」
「不思議な形だ。あんたも呪者じゃないのか」
 羽白は首を振った。
「琵琶弾きだ、わたしは」
 リンたちが羽白の琵琶を聴いたら驚くだろうな、と久丹は思った。弦と言えば、弓弦しか思い浮かばない連中らしい。複雑な音曲に、呪力すら感じるかも知れない。
 眉を寄せ、ちらと考えた。
 やはり、自分たちがここに来たのは羽白の琵琶が一因なのか。
 川辺を辿っていくと、土手の斜面に歩きやすい広い道が作られていた。そこを登り切るともう村の入り口で、山を背にした細長い平地に、大小の草葺きの家々が散らばっている。
 わらわらと現れた子供たちが、遠巻きにこちらを眺めていた。久丹がにっと笑いかけると、後ずさって物陰に隠れた。
 村の中心の広場に、三つの高床の建物があった。その右側の一つは、無残にも半分焼け落ちていた。最近のことだろう。脇を通るとき、かなりの焦げ臭さが残っていた。
 リンたちは山の斜面よりの、大きな家に二人を導いた。普通の家を五つばかり繋げたくらい幅広い。
 戸口の前で、待ち構えていた者がいた。
 白髪交じりの、小柄な中年男だ。髪を頭の上で一つに結い、袖のある上衣に袴、幅広の腰帯。額巻きや革らしいものは身につけていない。肌は褐色だったが、大那の者とさほど変わらぬ格好だ。
「ラカタさん」
 リンたちは頭を下げた。
「連れてきたのか」
「長の仰せなんでね」
 ラカタと呼ばれた男は、じろじろと久丹たちを眺めまわした。
「どう見ても、人間だ」
「あたりまえだ」
 久丹は言ってやった。
「言葉がわかるのか」
「ありがたいことに」
「どこから来た」
「あんたがたの知らないところだ」
「困ったなあ、リンよ」
 ラカタはさほど困っていないような口ぶりで言った。
「龍がいつ来てもおかしくないのに、鳳凰の羽根はない」
「なんとかする」
 リンはぼそりと言った。
 ラカタを残してリンはさっさと家の中に入った。他の者も後につづく。
「あいかわらず、いやなやつだ」
 むっと押し黙っていたサイが言った。
「気にするな」
 リンは息をはき出し、首を振った。
 中は、地面を掘り下げた広い土間になっていた。等間隔に三つ、四角い炉が切ってあり、種火が燃えている。入り口の右側は竈になっていて、二つの甑がしつらえてあった。それから大きな水瓶と、いくつもの木の椀が積み重なったちょっとした棚。大勢の者が生活している気配だ。
 しかし、今は明かり取りの窓から陽が射し込んでいるだけで、誰もいなかった。
「長は、女たちと大呪者を葬りに山に入った」
 リンは言った。
「夕までには帰るだろう」
「今のは?」
派遣吏(はけんり)だ。都から来ている」
 見たところこんな小さな山村に、都から直々に役人が派遣されているわけか。
 久丹は意外に思った。ここは、都にとって重要な場所らしい。
「サイ、飯を食わせてやってくれ」
 サイは(こしき)に残っているものを椀によそい、箸といっしょに久丹たちに突き出した。
 受け取って驚いた。混じりっけなしの米なのだ。久丹とて、年に一二度しか食べたことはない。大那では、雑穀があたりまえなのに。
 それにしても、まわりに田んぼらしいものはなかった。離れた場所にあるのだろうか。このあたりが、豊かな土壌とは思えなかったが。
 羽白は、といえば米の飯よりも自分たちの座った敷物に気をとられているようだった。
 灰色がかった、なめした皮ような敷物だ。厚く、弾力がある。
 こんな厚い皮を持つ獣がいるのか?
「これは?」
 羽白がたずねた。
「龍の皮だ」
 あっさりとリンは答えた。
「長がつけていたのは、龍の爪だな」
「そうだ」
「ここには、龍がいるのか」
 久丹は思わず口をはさんだ。
「いや」
 リンは首を振った。
「違う世界からやって来る。季の十数巡りおきに、この空に現れるのさ。西から東へと空を渡り、やがて消える。おれたちは、一匹だけその命をもらう」
「なのに」
 サイがぼそりとつぶやいた。
「鳳凰の羽根が無い」
「必要なのは、鳳凰の羽根か」
 久丹は尋ねた。
「鳳凰と龍、何の関係があるんだ」 
「生きている龍の鱗を射通すことができるのは、鳳凰の矢羽根だけだ」
 リンは言った。
「鳳凰も別の世界にいる。羽根が足りなくなると大呪者が呼び出す。大昔からそうしてきた」
 この世界は背中がむず痒くなるほど地霊に溢れているというのに、鳳凰も龍も棲んでいないとは。それでいて、どちらも深くかかわっているらしい。
 他の世界との境界が、薄いのかもしれないな、と久丹は思った。ずっと昔は境界など無く、鳳凰も龍も自在に出入りしていたのかもしれない。自分たちも、大那に帰る方法を見つけ出せるかもしれない。
「前の〈渡り〉は十八巡前だ。いつ龍が現れてもおかしくない。ところが」
 リンは小さくため息をついた。
「鳳凰のかわりに、あんたがたが来た」
「好きで来たわけじゃないがね」
 久丹は、苦笑した。
「しかし、そんなまぎわのことなのに鳳凰を呼ぶのが遅すぎないか。それから矢羽根を作るんだろう」
「矢羽根はあった」
 怒ったように誰かが言った。
「燃えたのさ」
 久丹は、はっとした。
「あの高床」
 リンはうなずいた。
「雷が落ちた。全部、灰になっていた」
「本当に雷のせいだろうか」
 サイがぼそりと言った。
「ラカタが何かしたのかもしれない」
「めったなことを言うな、サイ」
 リンが叱るように言った。
「羽根が無くなって、あいつに何の得がある」
「だが、あの時、真っ先に倉の前に立って、燃えざまを眺めていたぞ。今だって、おれたちが困っているのを、おもしろがっているようじゃないか」
「あいつは王国の役人だ。困るのはあいつも同じことだ」
「そりゃあそうだが」
 サイはつぶやいた。
「あいつは、どうも好かない」
「ここは、国の直轄地か」
 久丹は尋ねた。
「国にとって、特別な場所なんだな」
「あたりまえだ」
 サイが胸をはった。
「おれたちは龍を狩る。それが務めだ。おれたちが獲った龍の首は、都に運ばれる。新しい龍の首とともに、〈王〉は代替わりするんだ。おれたちなしでは、王国は続かない」
「龍が来ないうちに王が死ぬことだってあるだろうに」
「いいや、〈王〉は死なない」
 サイは、きっぱりと言った。
「〈王〉は龍の首に守られている」
 龍の首は、一代の王の絶対なる守護となるわけか。たとえ死んだとしても、その代の〈王〉の存在は保たれるのだろう、と久丹は思った。民には知らせず、誰かが身代わりになるかして、次の代替わりまで。
 龍は、この世界にとって特別に神聖な生きものなのだ。
 龍の首はひとつの王権の象徴。
 その龍を狩る彼らもまた、特別な存在だ。
 しかし、鳳凰の羽根がなければ龍は射落とせないらしい。龍の首を代えられないとしたら、古くなる龍の首とともに、この世界の王権は存続の危機を迎えることになるのだろう。
「おれたちは、弓場に行く」
 久丹と羽白が空腹を満たすと、リンが言った。
「いっしょに来てくれ。あんたがたから目を離すなと言われているんだよ」
 羽白の琵琶を指さし、
「そいつは置いておけ。どこかに姿をくらまされても困る」
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