価値

文字数 2,258文字

「なんだ。俺は前の話があったからここが経営苦しいのかと思ってお金だって用意してきたのに……」
 俺は不機嫌になったのを隠さずに言った。

「……創さん、オレオレ詐欺には気をつけてくださいね」
 思いっきり眉を眉間に寄せて心配そうな顔で大森 誠が言った。
「いや、そんな誰にでもは準備しないから。あと、依頼を達成できそうにない罪滅ぼしというか」
 メール一本でまとまったお金を準備して向かったのは迂闊だったと思い直した俺は、何とかその正当性を作りだそうと言葉を紡いだ。
「え?何でですか?」
 驚いた顔で大森 誠は言い、俺のとなりに水をもって座る。

「書けないんだ。何も。一文字も。……今までこんなことはなかった」
 言いながら自分の体が熱くなるのを感じた。大森 誠に気取られないようにゆっくり吐息を吸い、吐いた。

「しばらく休んだら書けるんじゃないですか?」
 のんびりした、何もわかってない声で大森 誠が言う。

「違う!今までどんなに体が疲れてても書けないなんて事はなかったんだ。初めてなんだよ。もう、1週間も書こうと机に向かってる。でも、1文字も書けてないんだ」
 俺は事の重大さを伝えたくてまくし立てた。なのに大森 誠は頬に握りこぶしを当て、
「締切なら特に気にしなくて良いんですよ?」
 なんて見当違いの言葉を吐き出してきた。
「だから、書けないんだ」
 俺は思わず、カウンターテーブルを握りこぶしで叩き、ハッと当たりを見渡す。客のいなくなった店内で大森 朱音が食器を静かに片付けていた。……何やってるんだ。これじゃ、前に大森 朱音に八つ当たりしたのと同じじゃないか。俺は握りこぶしを自分の膝の上に移動させ殴りつけるように何度も振り下ろした。

「創さん、どうして書けないんですか?」
 大森 誠が俺の握りこぶしを掴んだ。俺はその手を振り払って自分の太ももを殴りつけようとしたが、頑として大森 誠は手を離さなかった。
「物語が欲しいなら、”ストーリーテラー”さんに頼め。差額は俺が出す。それでいいだろう」
 俺が言うと、
「ダメです」
 大森 誠が首を振ってそれを否定する。
「品質も、選択肢の多さも、段違いだ。現に、物語を書かなくたって、このカフェを繁盛させるだけの発信力まである。俺が書く、必然性はどこにある?」
 視界が涙で歪み、頬が引き攣った。大森 誠が答を持っていないことなど明白なのに問い掛けてしまった。心の底から込み上げて来るものがあまりに苦しくて、幼子のように駄々をこねている自分自身を恥ずかしく思う余裕などなかった。

「朱音が気に入ってるからです」
 俺の目を覗き込むようにしてゆっくりと力強く、大森 誠は言う。
「確かに創さんの小説は綺麗事を並べ立てているようにしか見えません。だから、創さんが書く必然性なんてものはわかりませんけど……あぁ、依頼しっぱなしにしておけば、カフェの常連が1人増えますから、そういう意味では必要かもしれません」
「仕送りならする」
 俺は鞄に入っていた封筒を取りだし、渡す。スマホよりも厚みのあるその封筒を大森 誠は突き返した。

「創さん、自分がどんな顔して書いてるか知ってますか?」
 大森 誠が俺の両肩に手を置いた。
「本当に幸せそうに書いてるんです。たった1度しか見たことないけど。まるで創さんじゃないみたいに無垢な笑顔というか、肩の力が抜けた自然体というか……辞めちゃダメです」

「誰にも必要とされない物に人生を費やさせるのか?」
 俺は鼻で笑った。

「少なくとも、朱音は創さんの書いたものだから、読みたいんです」
 大森 誠は、頷く。

「それで?俺は朱音ちゃんに飽きられないように怯えながら書きつづければ良いのか?」
 もうやけくそだった。
「そして、本当に誰からも必要とされなくなる未来がくるまで書けと?母親にさえ、必要とされないこの俺には、ただ無為に時間を浪費する執筆がお似合いだと?」

 大森 誠は、頷く。

「はっ、とんだ極悪人もいたもんだな。俺が不幸になるのを真っ向から望むなんて。そんなにも俺が嫌いか?ただお前よりも先に産まれただけの、母親と一緒に住んだこともない俺が不幸になって欲しいと願うほど憎いか?」

 ぱぁんと何かが爆ぜる音がして、遅れてやってきた頬の痛みに俺は唖然とする。

「あーもう! 何でもかんでも結び付けて。勝手に暴走して自分の首を自分で締めてなにやってんですか」
 大森 誠がめんどくさそうに言った。肩が上下に動くほど荒く呼吸している。
「人に、許せって散々説教しときながら、創さんあの人の事全然飲み込めてないじゃないですか。あの人が創さんを認めるかどうかと、小説を書く価値があるかどうかは別」

「ちょっと!!」
 大森 朱音が破裂音に驚いて駆け寄ってきた。赤くなっているであろう俺の頬を指差して大森 誠を睨んでいる。
「なにやってんのよ」
「つい?」
 ぺろりと舌を出した大森 誠。大森 朱音はその頭を平手で叩いて、厨房の奥に消えた。かと思うと、氷の入った袋をもって帰ってきた。

「ごめんなさい」
 大森 朱音が俺に氷を差し出した。受けとり、「俺の方こそ悪かった」と謝る。

「何がです?」
 大森 朱音はキョトンとして問い返してきた。
「前も、今回も机を叩いて、声を荒げてしまったこと」
 俺が説明すると
「気にしないでください」
 ニッコリと微笑んで大森 朱音はこともなげに言うのだった。
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