第3話 夜泣き蕎麦

文字数 1,259文字

夜鳴き蕎麦

○江戸享保元年、深川下町
 冬場の暮れ六つ時、二八蕎麦の屋台を引く助六が隅田川沿いで商いをしている。
 夜鷹おゆう「すみません。お蕎麦を頂戴な」
 おゆう、乱れ髪でゴザを持ち、巾着から十二文を出す。
 助六「悪いなあ、おゆうさん。十六文に値上がりしたんだ。金がないんなら、下がっててくんな、商いの邪魔だ」
 おゆう、落胆して屋台の側に立ち尽くす。
 助六「おい、あたしゃあんたのソバが良いってか、古い泣き落としだぜ。駄目だよ」

 屋台の前を籠が通る。
雲介「えいっさ、ほいっさ」
客「あー、この辺でいいよ。ありがとさん」
客、着流しの身なりもこざっぱりして籠から降りる。
客、辺りを見回しながら屋台に坐る。
 客「蕎麦を二つ、しっぽくでな。そこなお嬢さん、ご一緒にいかが?」
 客、脚立をポンと手で叩く。 
おゆう、会釈して遠慮がちに坐る。

 助六「お客さん、こいつは隅田川沿いで客をとる夜鷹なんだ。情けをかける必要なんてごさいやせんぜ」
 客「腹が減るのに身分の上下はなかろう。構わんさ」
 助六「そうですかい。お客さんがそういうなら作りますがね」
 助六、蕎麦を二人前茹で上げ、二人に出す。
 寒空の下、仲良く蕎麦を啜る二人。

 客「なる程、江戸の蕎麦というものは美味いものじゃのう」
 おゆう「あんた、旅の人かい?江戸つ子じゃないね」
 客「生国は西の紀州なんですよ」
二人が食べ終えるのを呆れかえって見届ける助六。
 助六「それでは、毎度三十二文になりやす」
 客「さっきの籠代で細かいのはつこうてしもうた。江戸の物価というものはいまいち分からんが、これで頼む」
客、懐手から無造作に一両を出す。
 助六「冗談じゃねえや、釣り銭が払えるわけねえや。あんた、何者かね」
 客「あいや、ごもっとも。釣り銭は要らねえから、このお嬢さんが空腹のときに蕎麦を食わしてやってくれ」
助六「そ、そりゃ一年中食わしてやるさね」
 おゆう、胸元を覗かせながら客に身を寄せ媚びる。
 おゆう「ねえ、あんた気風のいい男だねえ。今晩、あたいとしっぽりと濡れておくれな。お代はいらないからさ」
 おゆう、川縁についた小さな猪木船を指差して艶笑する。
 客「それがしたくてもできない忙しい身分なのだ」
 助六「だったら、お客さん。これをお持ちなせえ。稲荷と細巻きだ」
助六、竹皮に包まれた弁当を客に渡す。

背後から忍び寄る影がその弁当を横取りする。
 半蔵「そこな女。これはおまえにくれてやる。毒味がてら、夜食にでもするがよい」
半蔵、弁当をおゆうに手渡す。
 客「半蔵、何もそこまで。あまり人を疑ってばかりいると人相が悪くなるぞ」
 半蔵「人相は生まれつきでござる。そして、人を疑うのはそれがしの勤めでござる」
 客「やれやれ、そちにはかなわんの」
 半蔵、脇指しを客に渡す。
 半蔵「上様、一人で城外に出て市中を見廻るなど言語道断!まだ西方の刺客が潜伏しているやもしれませぬ。その先の道角に手練れの者を警備として待機させてありますれば、すみやかに城まで同道されたい」
 客と半蔵は紀尾井町の方角へと消えた。





 

 
 




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