47話 カロッサ(前編)

文字数 2,531文字

「リル!」
久居が反射的にリルへ覆い被さる。
背には障壁を張ったが、どのくらい耐えるかは分からない。
頭の隅で、クザンの言葉が蘇る。
リルを庇いながら戦うのは止めろと、言われていたのに。
(……またお叱りを受けてしまいますね)
微かに苦笑する久居の背に、光の矢が降り注ぐ。

痛みを覚悟した久居を、ふわりと温かい気配が包む。
降り注いだ光の針は、久居の障壁に当たるより先に、リルの炎が全て飲み込んだ。

「なっ……」
レイの背後で、引きつるような声がする。
「久居にもう、怪我はさせない。ボクはもう、油断しないよ」
リルが、静かに、けれどハッキリとそう宣言する。

「ありがとうございます。助かりました」
久居はリルへ礼を告げて、流れるような所作で刀を抜いた。
攻撃されるまではやり返すまいと久居は思っていたが、こうなってしまった以上、素手よりは刀を持っておくほうが対処しやすいだろう。

キルトールは前に出るつもりが無いようなので、必然的に、久居はレイと対峙する形になった。

久居に視線で促され、レイは渋々ながら淡く光る剣と盾を構えた。
レイに久居達を攻撃する気は無いにしても、刀を構える相手を前に、無手ではキルトールへの体面が保てないだろうに。と、久居は相変わらずのレイへ内心息を吐く。
久居は盾の位置を確認すると、一瞬で間合いを詰めた。
レイが慌てて防いだ所へ、顔を寄せて囁く。
「逃していただけませんか?」
「っ……そのつもりだ」
それでレイが咎められないかどうか。
先ほどの様子を見る限り、久居には少し心配ではあったが、この場はレイの言葉に甘える事にする。

久居は刀をぐっと盾に押し込むと、弾かれた風に大きく後ろへ飛び退いた。
「上から天使が!」
リルの声。
どうやら、タイミング悪く先程の護衛天使が術師を連れて戻ったらしい。
何も説明がなくとも、この状況を見れば当然だろう。
天使は、久居へ上空から渾身の一撃を放つべく詠唱を始める。
「サンドラン! 待ってくれ!」
レイの声が、放たれた光の大鷲の羽ばたきに掻き消える。
先ほどサンドラングシュッテンと名乗った後任の彼は、流石にカロッサの護衛につくだけあって戦闘は出来るのだろう。
素早く繰り出された大鷲は、精度も威力も十分だった。

リルと久居を一気に押し潰すほどの大きさで襲いくる光。
到着までに圏外には抜けられない。
それならリルと離れない方が良い。
そう判断すると、久居はリルを背に庇い、刀を頭上に構えた。

少しでもいなせれば、直撃さえ避けられれば……。

リルが、炎に力を込める。
炎の色が白から薄い水色へと変わる。

光が炎に接触する。
弾け溶ける音と同時に、刀に想定の何倍もの圧がかかる。
(重い!)
軌道を変えるどころか、全く支えきれない。
「リルっ!!」
久居は刀を手放すと、背にもう一枚せめてもの障壁を張りながら、リルを胸に抱いた。

光の大鷲は、炎を飲み込み、二枚の障壁を容易く裂くと久居の背を穿った。
「っ!」
「久居!!」
飛び散る久居の血を浴びながら、リルが叫ぶ。

レイの目に、大きく背を裂かれた久居の肩の、赤いアザが飛び込んだ。

(あれを、俺は見た事がある……)
その記憶は、何故かドロドロに塗り潰されていて、思い出したい物には、なかなか手が届かない。

『この子があなたの妹よ』

誰かの優しい声。

『これからはレイザーラがお兄ちゃんね、妹を守ってあげてね』

ああ、これは母の声だ。


ズダン! と近くで響いた着地の衝撃に、レイは我に返った。

振り返ると治癒術師がカロッサに駆け寄るところだった。
サンドランには、キルトールから久居達を捕らえるよう指示が入る。
天啓に必要な人材だから、ある程度の怪我は良いが殺してはならないとの声を聞いて、レイは心底ホッとした。
このまま、義兄が感情に任せてサンドランにまで討伐指示を出すようなら、レイはそれを止めるつもりでいた。

久居は、背の広範囲の傷を表面だけでも止血しつつ、小さく震える声でリルに頼む。
「空竜さんを、呼んでください……」
「くーちゃん! 来て!!」
リルの悲痛な叫びに、空竜が応える。
「キュイイ!」
茂みから巨大化しつつ飛び出してきた空竜に、サンドランが素早く飛び掛かる。
レイは、サンドランの動きを正しい判断だと思いながらも、わざと軌道に割り込む形でリル達に向かった。
リルが、こちらを睨んで炎を色濃くする。
スッとまっすぐリルに指先を向けられて、レイは寒気とともに跳び退いた。
(あいつ、今やる気だっ――!?)
ブワッと水色の炎がリルの手から溢れる。
そこへ、キルトールの放った光の矢が降ってきた。
ジュワジュワと派手な音を立てて、光が溶けて消える。
(って防御かよ!)
レイが、疑った自分を恥じながら内心で叫んで、ハッと後ろを振り返る。
(……いや、今の……俺、避けてなかったら一緒に当たってなかったか……!?)
キルトールは苛立ちを滲ませこちらを睨んでいた。

レイは、カロッサのそばに屈んだ術師をチラと見て、今なら多少怪我をしてもすぐ治してもらえると踏んでだろうが……と思い直す。

「ボク、あの人嫌いだ」

明らかな敵意をもって、リルが言った。
リルが睨んでいるのは、久居に怪我を負わせたサンドランではなく、レイの後ろに立つキルトールだった。
「クォン!」
二人乗りの大きさになった空竜が、動きの悪い久居をぐいと強引に乗せ、リルを呼ぶ。

が、リルは振り返らずに、キルトールへ手を伸ばした。
レイが慌てて割り入る。
「レイどいて!」
「それはできない!!」
レイは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「……っ、レイの怖がり」
「な、なんだっ……」
レイの返事を待たず、リルは手に集まった炎を地面に叩きつけた。
巻き上がる炎が、サンドランの放った三羽の鷲を飲み込む。
炎の壁は、リルとレイの間に高くそびえ立った。

その向こうで、リルが飛び乗った空竜が、低く飛び去る。

「追うんだ!」
後ろから、キルトールの叫びが聞こえる。

「レイザーラ! 上だ!」
サンドランの声に空を見上げると、いつの間にか残されていた火球がひとつ。
破裂音と共に弾けたそれは、数え切れないほどの小さな火球になって、レイ達に降り注ぐ。

炎の色は赤。リルなりに手加減してくれたのだろう。
それでも当たれば熱いし痛い。

レイは障壁を張りながら、義兄と術師の元に全力で走った。
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