第一章

文字数 7,560文字

昔の敵は今も友

第一章

十二月末になって、やっと寒いといえる日がやってきた。それどころか寒すぎで、野菜が寒害を受けて、値段が大幅に上がるなど、被害が出る始末。今年は本当にどうかしているぜい!なんて言葉が、テレビやラジオ、あちらこちらで聞こえてくる。

今日も寒いなあと思いながら、今西由紀子は、吉原駅に出勤した。その日も、岳南江尾からやってきた、二両編成の電車を受け入れて、乗客たちの切符を回収していると、

「すみません。」

不意に、威厳のある老人の声が聞こえてきて、由紀子ははっと振り向いた。

「失礼ですが、東海道線に乗り換えて、富士駅へいきたいのですが、乗り換えるにはどうしたらいいのでしょうか?」

「あ、はい。こちらの階段を登って、歩道橋を渡っていただくと、東海道線のりばがあります。」

その通りに答えると、

「では、連絡切符はどちらで買えますかな?」

と、老人は聞いてきた。スイカなどが当たり前になっている今時、切符をほしがるお客さんなんて珍しいな、と思いながら、

「はい、東海道線乗り場の近くに、切符の販売機があると思いますので、そこで買ってください。」

と答えた。

「ありがとうございます。わたくし、どうもスイカという物が使いこなせないものでして、いつも切符を買うようにしているんですよ。たまに変な顔で見られるときもありますが、気にしないようにしています。」

老人はにこやかに笑って、由紀子が指示した方向へ歩いていった。その威厳のある歩き方は、多分普通の人ではなさそうだ。それに、この富士という田舎はどこか似合わず、田園調布のような金持ちの町が似合いそうな雰囲気を持っていた。

「はあ、、、。すごい爺さんですなあ。きっと、只者じゃありませんね。あの着物に袴といい、きっと茶道の家元とかそういう人ですよ。それも、ものすごい大規模な教室をやっていて、何十人も師範とはそういう人がいっぱいいて。」

若い乗客が、そんなことを口にしていた。

「きっとスイカを使いこなせないのではなくて、わざと使いたくないんだと思います。時々いるじゃないですか。わざとスマートフォンを持たないとか、パソコンを使わないですべて手書きで教材を作ったりする大学教授とか。」

先輩の老駅員が、それに答えている。

「現代文明というのが嫌いな人なんでしょう。明治時代の文豪に似たような顔の人がいそうな気がする。うーんだれかなあ。いるんだけど、思い出せないんですよ。なんか、本でも出してくれたらすぐに思い出せるかも。」

「まあでも、明治時代に、あのくらいの年まで生きる人は、大長寿ですねえ。ちょっとありえない話だから、それはないのではないですか?」

駅員と乗客は、そんな会話をしている。どうも、この田舎町では、そういうところばかり話題にしてしまうが、それほど、身分の高い人の来訪というのは珍しい事というか、面白いことになってしまうらしい。由紀子はそういう田舎の特徴的なところがちょっと苦手だった。そんなこと話題にしないで、放っておけばいいのになあ、と思う。

一方、製鉄所では。

少しばかり体のかったるさから解放された水穂は、布団に寝ているだけではまずいので、縁側に座っている時間を持つように心がけていた。その時も、縁側に座っていたが、どうも浴衣のままではいられないほど寒く、それに半纏を着ても足りないので、華岡に貰った、黒ヒョウの毛皮で作った毛布に包まっていた。

それくらい、寒いわけだから、風が吹いて来れば、咳き込んでしまうことは確実であった。

「ちょっと!お願いなんだけど!何回言えば気が付くの!」

と、恵子さんに言われてやっと後を振り向く。

「フランスで暫く贅沢して来たはずなのに、何にも変わらないのねえ。帰ってきても、ずーっとここでアルマジロみたいに丸くなってて。寒いんだったらね、ちょっとさあ、運動でもしてきたらどうなのよ。悪いんだけど、これ、ポストに入れてきて!」

目の前に、一枚の茶封筒が突き出された。

茶封筒には一応、82円切手が貼られていて、あとは出せばいいだけと思われた。

「あ、はい。わかりました。」

水穂は、よいしょと立ち上がって、茶封筒を受け取った。

「あれ、でも今日は日曜だから郵便局は休みのはずではないですか?」

「でも、郵便ポストはあるでしょう?ポストなんて、すぐなんだから、ちょっと歩いて着て頂戴よ。それに、そんなところにいつまでも座ってられたら、掃除の邪魔になるの!だから、行ってきて頂戴!」

「あ、わかりました。すみません。」

そう言って、支度をしに部屋に戻っていった水穂を、恵子さんは、口ではきつく言いながらも、頭の中では心配でたまらないと思いながら、じっとみつめた。

「大丈夫かなあ、あの人。いつまでたっても動かないから、こうしてきつく言わなきゃいけないってのも結構辛いわねえ。ほんとは、こんなこと言わないほうがいいんだけどなあ。だけど、それじゃあ、動いてくれないのも確かだわ。運動くらいさせなきゃ。」

恵子さんが、台所に戻って数分後、玄関の戸がガラガラと音を立てて閉まる音がした。

そのまま、恵子さんは、利用者たちの昼食を作るのに忙しくなった。その間に他のところで、何かあったかなんて全く気がつかないで作業をしていたところ、

「おーい、いるかーい!」

と玄関先で杉三の声がした。

「あら、杉ちゃん。どうしたの?」

恵子さんは急いで火を止め、玄関先に行った。

「おう。あのね、白菜をホワイトソースで煮たんだけどさ、作りすぎちゃっただよ。だから、半分くれてやる。豚肉も入っているが、水穂さんには取り除いて、食わしてやってくれ。頼むよ。」

と言って、杉三はでかいたっぱ(タッパーウェア)を渡した。

「あら、助かるう。こうして食べ物を持って来てくれるなんて、ありがたいわ。あ、でも、もう水穂ちゃんも食べれるんだから、豚肉は取り除く必要はないわよ。だから、大いに使ってちょうだいね。よろしくね。」

「そうだっけ?」

「杉ちゃん、ぼけちゃだめでしょうに。もう、骨髄を提供したの、杉ちゃんでしょう。」

「あ、すまんすまん。すっかり忘れてた。じゃあとにかくな、やっと寒くなってくれたからな、食わしてやって頂戴よ、よろしくね。たっぱは、中身を食いおわった後で、宅急便にでも出して送ってくれよ。過剰包装はしなくていいから。」

頭をかじりながら、杉三は言った。

「わかったわ。じゃあ、宅急便では、ちょっと運搬料金が高すぎちゃうから、食べ終わったらブッチャーにでも、お宅へ持っていくようにさせるわ。」

「あそう。本人が嫌がらないと良いけどな。何しろ、凍りつく寒さだぜ、外は。ま、でも、このセリフが出て今の季節だけどな。」

「まあ、それなのに、杉ちゃん黒大島の着流しで平気なの?羽織も、二重廻しも何も着ないで平気で外歩いてるなんて、ちょっとへんよ。」

「そうだよ。それでいいだろ。寒さは感じるが、馬鹿なので風邪は引かない。それがわかっているので、防寒する必要もないのよ!」

二人がそんなことを言い合っている間、

「恵子さん、水穂さんはどこに行ったんでしょうかね?ご不浄に出たのかと思って探してみたけど、いないんですよ。食堂にもいないですし、、、。」

箒を持ったまま、ブッチャーがやってきた。

「あれ!ぞうりがないじゃありませんか!てことはどこかに出かけたんですかね?」

確かに、土間を確認すると、草履はなかったので、ブッチャーは思わず驚く。

「あ、そういえば、あたしが手紙を出してと頼んだんだけど?」

「いつですか?」

「えーと朝の九時過ぎだったかしら、、、?」

ブッチャーは、玄関先に置かれていた柱時計を見た。もう、十二時五分前である。

「こ、こりゃあまずいじゃないですか!早く探しに行かなくちゃあ!だって郵便ポストなんて、ここから五分もかからないところでしょ。もうとっくに帰ってくるじかんですよ。つまり、どこかで、」

「ぶっ倒れちゃったままでいるってことだ!すぐに探しに行こう!」

本当は、杉三を一緒に探しに行かせることは、足手まといになってかえって不利なのだが、そんな事を言う人は誰もいなかった。わざとなのか、本位なのかは不詳だが、とりあえず今はそうである。もうちょっと学識ある人は、別の者のほうがいいというのだが、今はそういう人はまずない。

「わかりました、俺と杉ちゃんで探しに行ってきますから、恵子さんは早く杉ちゃんの料理を、利用者に食べさせてください!」

「わかったわ!」

恵子さんは、今日はたっぱを貰って幸運だったなと思いながら、台所に戻っていった。今から料理を再開したら、とても利用者の食事の時間には間に合わなくなってしまうからだ。

杉三とブッチャーは、とりあえず設置されている近隣の郵便ポストのところに行ってみたが、そこに姿はなかった。周辺は、コンビニと銀行と、それ以外は田園風景ばかり広がっている地域で、特に民家らしきものはない。なので、その中で介抱されているとも考えにくい。

「も、もしかしたら病院に運ばれていったのかな?」

「バーカ。それだったら、あの特徴的な音がなるはずじゃないか。ここは障壁になるものがないから、ものすごく鳴り響くぞ。」

ブッチャーがそういうと、杉三はそう否定した。確かに、田園風景ばかりの地域だから救急車の音は、朗々と聞こえて来るはずだ。

「あ。そ、そうかそれもそうだよなあ。でも、そのような音はならなかったなあ。」

「それに、もし、このあたりで倒れたのなら、必ずどこかに血痕が見えるはずだ。しかし、それもなかった。つまり水穂さんは、この場所に来てないんじゃないのかな?さっきのポストには。」

「杉ちゃん、こんなときによく頭が働くなあ。来てないんじゃ他にどこへ行ったんだよ。だって、手紙を出しに来たんだから、必ず郵便ポストにいくはずでしょうに。他に郵便ポストに行こうというなら、少なくともここから3キロ近く離れているぞ。そこまであるいて行ったのか?」

「例えば、郵便ポストに入りきれないサイズの手紙だったから、別の郵便ポストへ向かったのではないの?それだってあり得るだろ。メール便は高いし。」

しかし、郵便ポストは標準的な大きさであり、A4サイズくらいまでなら十分入る大きさだった。

「じゃあ、恵子さんの手紙は、ものすごいでかいサイズの手紙だったんかなあ?そうなると、初めから郵便局に届けたほうが早いんじゃないか?あ、もしかして、切手が82円では足りないということに気が付いて、、、。」

「ほらあ、ブッチャーそういうことだよ。そういうこと。わかる?水穂さんは、手紙のサイズが大きいから、料金が足りないと思ったんだよ。だから、ここには来ていない。すぐに郵便局へ行ってみよう!たしか、もうちょっと歩いたところにあったよな?」

「待て待て。今日は日曜じゃないか。郵便局はお休みだよ。」

「あれ?やってるところ見たことあるけど?日曜でも。」

「それは本局のことだけど?あ、まさか富士郵便局まで歩いていったのか!待ってよ、本局はここから一キロメートルは離れているじゃないかあ!あの人にとっては、富士山登るようなものだあ!」

「だけど、それを無視してやってしまうのが、水穂さんだぜ。そういうもんだろうが。今まで見ればわかるだろ!よし、本局へ行ってみよう!」

と、杉三は車いすを動かし始めた。

「杉ちゃん、ちょっと待て!本局はこっちの方向だ!そっちじゃない!」

二人は、急いで方向を変えて、本局のあるほうへ歩き出したのであった。暫く、田園風景が続いたが、もう少し進むと、ところどころに住宅が見えてきた。道路も、一車線の狭い道から、二車線ある広い道路に変わって、歩道も整備されるしっかりした道路にかわった。ここまで来ると、もう本局は近くだ。

「おかしいな、ここまで来るのに、血痕は見えなかったよな?」

ブッチャーがそう確認すると、杉三も頷く。

「別の道をとったとか、そういう事はなかったの?」

「杉ちゃん。製鉄所から、本局に行くとなれば、この道順で行くしかないんだよ。他の道をとれば、回り道して、余計に時間がかかるはずだよ。疲れていれば、時間がかからない、最短のコースで移動するだろうし、、、。」

二人は、さらに道路を移動して、とうとう本局の前に来たが、そこにも、血痕の跡は見られなかった。本局の建物周りは、タイルが貼られていて、多少の汚れは水で流せば落ちてしまうようになっており、付着することは少ないのだが、、、。そこを知っている人はすくない。

「おかしいな、つまり、ここにも来ていないのか?」

「どこへいったんだろう?よし、どこかのカフェやコンビニにいるかもしれないから、それをさがそう。」

二人は、とりあえずもと来た道を戻った。丁度、歩道橋近くを通りかかると、小さな建物であるが、真新しい建物が建っているのが見えた。

「あれ、ブッチャー、こんなところに建物が建ってたっけ?」

「へ?」

二人は思わずその前で足を止める。

民家に近い建物ではあるのだが、どうも民家ではないような雰囲気がある建物であった。

「変な商売でもしているのかなあ?なんか作りが変わってないか?」

「と、いうわけでもなさそうだが、、、。普通の民家というわけでもないと思う。でも、表札に天童って書いてあるので、間違いなく人が住んでいるはずだ、、、。」

二人が顔を見合わせて、そんなことを話していると、いきなりその建物の玄関ドアがギイと開き、一人の仙台平の羽織袴を身に着けた老人が現れた。

「失礼ですが、この男性、どこのどなたなのかご存知ありませんかな?」

この男性、と言われて、老人が抱いていた人物の顔を見て、

「あーっ!ど、ど、どうしてここに!」

ブッチャーの方が卒倒してしまうほど驚いたのである。

「あ、すんませんねえ。やっぱり本局いったのね。そこで又ぶっ倒れて、爺さんが見つけてくれたのね。」

杉三のそういう乱暴な言い方のほうが返って概要がつかめたのはなぜだろう?

「はい。そこにある郵便局の正面玄関の前で、血を吐いて倒れていらっしゃった所をわたくしが見つけました。すぐにここのお宅に住んでいる、天童先生にもきていただいて、すぐに中へ連れて行って、お茶を飲むなりして介抱してもらいましたよ。血痕の始末は天童先生がしました。わたくしは、ちょうど天童先生に用がありましたので、こちらを通りかかったところでしたが、若い頃によく見た風景をまた突き出されたようで、驚かされてしまいましたよ。」

「あ、そうかい。本局の入り口近くのタイルが、すごく綺麗になってたから、天童先生てのは、よほど掃除が好きなんだね。よし、見つかったから、製鉄所につれて帰ろうぜ。よかったなあ、親切な爺さんが見つけてくれてさあ。お前、又ぶっ倒れて、確実に逝っちゃう所だったぜ。ま、礼をいうのも忘れていると思うので、僕が代わりにいっておく。」

杉三が、この老人に平気で話しかけられるのが羨ましかった。自分ではおそらく、口ごもって返答なんてできなかっただろう。それくらいこの老人は、どこか普通の人と違う雰囲気を持っていた。その間に、またドアが開く音がして、今度は中年の女性が現れたが、彼女も、普通の女性とは少し違う雰囲気を持っている。誰に対しても、口調を変えないで話ができる杉三がうらやましかった。

「あの、、、。」

ブッチャーが思わずそういうと、

「ええ、天童あさ子と申しますが?」

と、彼女が名乗ったので、天童先生とは彼女だとわかった。

「あ、すまん。僕の名前は影山杉三。あだ名は杉ちゃん。こっちはブッチャー。えーと本名は、」

「俺の名前は須藤聰です!」

杉三に促されて、ブッチャーは本名を名乗った。本名を覚えている人なんてどこにもいないのではないかといわれるほど、忘れられていた。恵子さんでさえも本名を忘れられていた。

「そうか。ブッチャーの名前は須藤聰か。すっかりわすれてた。で、そこにいる爺さんが抱っこしている男性、つまり磯野水穂さんの、」

「やっと、ご親戚が誰かが迎えに来てくれたわけですか。ここまでひどい光景は久しぶりでしたから、もう、大丈夫かと心配でなりませんでした。てっきり、持っていらした薬しか、頼るものもないのかと。」

「すまんねえ。爺さんよ。一生懸命僕らも何とかしたいんだけどよ。どうしても切り離せない事情があって、どうにもならんのだわ。」

杉三が話しているその間にも、ブッチャーはちょっと不思議なことがあった。例の老人が抱きかかえている男性、つまり水穂そのものであるが、なぜか何も反応をしない。よく見ると、ちいさな子供のように眠っているように見える。あれだけ過敏な人が、なぜ、無反応なままでいられるのだろうか、、、?

「私が、施術しておいたの。咳き込んでかなり辛そうだったから。」

つまり、人為的に眠ってもらったことになるが、今までそれに成功したのは、薬以外になかった、筈である。

「大丈夫、数時間で目が覚めるから。別に危険な方法ではないわよ。」

そういわれてブッチャーは、以前、自分の姉が受けた方法と同じものかと推測した。そこを知っていれば、怖いものではないとわかるが、ちょっと素人にはぴんと来ない施術だった。

「あの、手当てしてくださって、ありがとうございました。本当に、俺たちではできないことなんで、良かったです。じゃあ、俺たちでつれて帰ります。後でお礼に何かお送りいたしますので、」

ブッチャーは、やっと自分のいいたかったことをいえたと安堵して、額の汗を拭いた。

「ああ、お礼なんて結構ですよ。それよりも、野村先生が、この方のことが心配だから、生活ぶりを拝見するため、今から彼のお宅へ行ってみたいと言うんだけど、ご都合はどう?」

「え、ええー!」

ブッチャーは、これは又大変なことになったと驚いてしまったが、杉三はそんなことなどまるで平気だと言いたげに口笛を吹いていた。

「よし、わかりました。もう歩いていくと疲れるからタクシーで行きたいんですけど、、、。」

「そうですね。抱きかかえていくのは難しいですからな。」

ブッチャーは、困った顔でタクシー会社にダイヤルした。
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