第1話

文字数 1,999文字

 バスを見送ると、桜色を忘れた緑の並木を歩き出す。
「のぶのおばあさんて、どんな人」
 式の日取りが決まった報告とご挨拶を兼ねて、信人のおばあさんに招待状を渡しに行くところだった。
「超能力が使えると思ってたかな」
 信人は三人兄弟の長男で、幼い頃の次男は捻挫、骨折は当たり前のやんちゃで、三男は月の半分は布団の中という病弱だったらしい。
 いつも両親は弟たちの世話に追われ、信人は寂しい思いをしていたと、以前話してくれたことがある。だから、ふらりと祖母の家に遊びに行くことが多かったそうだ。
「今にして思えば、親が連絡してたんだろうけど。いつ遊びに行っても、ばあちゃんは家の前で待っててくれたんだよね」
 信人の顔が、幼い子どもに返る。
「でさ、おやつはいつも、おれが一番食べたいものを出してくれるんだよ」
 わたしの勤めるスーパーにも、ご年配の方がよく来店する。品数の多さに、店員を呼び止める方は少なくない。
「孫がどんな物が喜ぶかわからなくて」
 言葉とは裏腹に、胸を躍らす表情がこちらまで幸せな気持ちにさせてくれる。
 ひと通りの売れ筋、人気商品、新商品を紹介すると、かごいっぱいにお菓子を入れ、足早にレジに消えてゆく背中を見送るのが常だ。
 信人のおばあさんも、同じなのだろう。言葉巧みに食べたいものを聞き出し、山ほど買いこんだお菓子の中から、孫の喜ぶものを取り出す。そうしてはしゃいで美味しそうに食べる様子を眺めては、幸せを噛みしめていたに違いない。
「やさしいおばあさんだね」
 わたしは木漏れ日がまぶしいふりをして、信人以上に喜ばないように笑みを抑えた。
 脇道にはいると、すぐに住宅地に出た。進んでいくうちにアパートは減り、家の間隔が広くなってゆく。古き良き日本家屋が立ち並んでいる。さらに先を歩いていくと、今度は近代的なパステル調の家が軒を連ねていた。
 彩り豊かな一画に、漕ぎ手を求めてふたつのブランコが風に揺れている。ほかにはピンクの首長竜の滑り台がひとつあるだけ。恐竜のかわいらしい丸いフォルムが、人気のない公園の物悲しさをより募らせていた。
「あれ、知ってる」
 昔、わたしはここで迷子になった。理由は覚えていない。父とはぐれ、これからはひとりで生きていかなきゃと、住む場所を探していたことを思い出した。
 恐竜の胴体はくり抜かれ、卵型の椅子が三つ置かれてる。決して広くはないけれど、小どものわたしなら、なんとか住めると考えたのだ。
「今日からここで暮らそう。お腹がすいたらだれかの家でお手伝いをして、お小遣いでお菓子を買おうって思ったの」
 五才かそこらの話だ。怖いもの知らずだったのだと思う。思い立ったらなんとやら。すぐにお手伝いの出来そうな家を探しはじめた。
 ぱんぱんと軽快な音が通りに響く。音を頼りに歩いていくと、洗濯物を干しているおばあさんを見つけたのだ。
「で、おばあさんに、いきなり『一回三十円で、お手伝いしてあげる』って」
「してあげるって。押し売り感がすごい」
 ツボに入ったのか、信人の笑いがとまらない。
「笑わないでよ。わたしにとっては、死活問題だったんだから」
 本当に身の程知らずだと思う。今だったら恥ずかしくて、絶対にそんなことは出来ない。
 信人は右手でお腹を押さえながら、左手で話をうながした。
「あとは、迷子だとわかったおばあさんが、警察に連絡してくれて。それでおしまい」
 上がりかまちに置かれたのは、大好物のふがしと牛乳。開け放たれた玄関から、父が来るのをおばあさんと待っていたっけ。わたしの手を握るおばあさんの柔らかくて温かい手に包まれて、安心したのを覚えている。
 そういえば、別れ際「のんちゃん」「また来てね」と言われたような気がする。
 のんちゃんのことは、わからない。きっとおばあさんの孫で、わたしと年の近い女の子なのだろう。今では確かめようもないけれど、孫と友だちになってほしかったのかもしれない。
「恐竜を見るまで、すっかり忘れてた」
「そろそろ、行こうか」
 短い冒険譚が終わり、わたしたちは再び歩き出した。
 現代から過去へ遡るように、家はまた古い時代のものが増えてゆく。竹藪を越えて角を曲がると、信人が急に手を振った。
「ほらね」
 視線の先には、手を振るおばあさんがいた。
「のんちゃん、待ってたよ」
「ばあちゃん、久しぶり。来たよ」
 信人が軽くかがんで微笑む。
「いらっしゃい。やっと、のんちゃんと来てくれたわね」
 この笑顔には見覚えがある。間違いないと確信したのは、おばあさんの手があの日と同じく、柔らかくて温かだったからだ。
「さ、上がって。モンブランとチーズケーキ、買っておいたからね。ふたりとも好きでしょ」
「さすが、ばあちゃん。ちょうど食べたかったんだ」
 弾むふたつの背中を眺めながら、ふと思う。もしかして、わたしは迷子になったあの日から、すでにふたりの家族になっていたのだろうかと。
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