第九言 【神】
文字数 8,951文字
人間の目的は生まれた本人が、本人自身のためにつくったものでなければならない。
夏目漱石
「なにやら不穏な動きがあるようですが、放っておいていいのですか」
「うん、いいんじゃない?神がそうなんでもかんでも彼らの喧嘩に手を出すのは野暮ってものだよ」
「喧嘩、ですか」
「心配なら苹里が助けに行ってあげれば?」
「・・・・・・」
「氏神は?」
「脱皮をしています」
「今日も平和だね」
ぽかぽか陽気の中、自らのことを”神”と言った男は大きな欠伸をする。
その隣には、白い髪の毛の男。
特に話をすることなく、時間という感覚や概念はないものの、時間というものが過ぎていく。
「人間は暇なのかな」
「暇ではないかと」
「でもあちこちで喧嘩してるじゃない。体力も使うのにさ。そんなに平穏ってものが嫌いなのかな」
「そういうことではないかと」
「じゃあなんで喧嘩するのさ。私がせっかく平和な方へ導いてあげてるっていうのに。どうでもいいことでいちいち諍い起こして。私に刃向かってるのかな」
「そういうつもりもないかと」
「じゃあなんでよ」
「わかりかねます」
「あーあ。閻魔にでも言って全員地獄に送ろうか」
「それはそれで大変かと」
「そういえば一縷は何してるの?なんでわざわざあいつを送り込んだかわからないじゃない」
「一縷も苦戦しているようです。何しろ、
人間は欲に溺れやすく誘惑に惑わされやすいよう作られておりますので」
「誰が作ったのさ、そんなの」
「・・・・・・」
「今私のこと見たのかな?」
「滅相もございません」
「人生をやり直す、とか言って人間を唆してる奴もいるみたいだしね。参っちゃうな。誰が生み出したのさ、あいつら」
「予想はついていらっしゃるのでは?」
「そんなに万能に見える?」
「万能であるから神と呼ばれるのです」
「そんなに褒められてもなぁ」
「それでも放っておくのですか?」
「・・・・・・」
神は頬杖をつきながら優雅に笑う。
足元にある水には、これまでに起こった戦争、変革など、人間たちが作り上げてきたと思われる歴史が映る。
それを眺めながら、神はため息を吐く。
「いつになったら覚えるんだろうね、彼らは」
「・・・・・・」
「”一縷の望み”を与えてもなお、欲望に飲まれるなんて愚かじゃないか。滑稽すぎる。私たちが幾ら人間のために希望を残したとしても、人間がそれを見つけられないんじゃ意味がない。むしろ、希望を捨ててまで甘い蜜を吸いに行くのだから、呆れてしまうよ」
「寿命が長くはありませんから。人と比べて幸せだったと、そう思いたいのでしょう」
「くだらないね。比較なんて」
「しかしそれによって向上心というものが生まれ、進化しているのもまた事実です」
「進化?私から言わせればどれもこれもが退化だ。邪説だ」
「ならばなぜ、生かし続けるのですか。いっそのこと、何時ぞやのように一掃してしまえばいいというのに」
「・・・・・・」
「生かしたい人間がいるからこそ、これから先どうなっていくのか、見届けようとしているのしょう」
「そうかもしれない」
「かもしれないとはどういうことですか」
「私にもわからない。気紛れかもしれない」
「気紛れですか」
「苹里、これまでにも面白い人間はたくさんいたね」
「・・・そうですね」
「そんな彼らにでさえ、変えられないものがあった。敗因はいろいろあるが、まあ、そうだね。いろいろあった」
「・・・・・・」
「彼らはこの世からいなくなっても、なぜか私の記憶に残っている。なぜだろうね」
「記憶力がよろしいか、その人間たちがよほど印象に残ったか、それか」
「そう。彼らはいないはずなのに、彼らの意志は続いているんだ。不思議だね。だから私は覚えているんだ。かつて、自らの命を燃やして生き続け、死んでもなおその意志を遺し、受け継ぐものがまた生き続ける。そう。彼らは肉体が滅んでも”意志”という形でずっと生き続けてるんだ。これはなんていうんだろうか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「考えてる?」
「いえ、特に」
「だろうね。そうだと思ったよ」
「要するに、人間は寿命が短いからこそ、そういった肉体以外の方法で生き続ける、ということでしょうか」
「それモテないよ、気を付けてね」
「何がでしょう」
「こういうときはさ、一緒になって考えればいいわけ。『そうだね。なんて言うんだろうね』って」
「・・・時間の無駄では」
「苹里が今まで見た中で面白いなーって思った人間って誰?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「そうですねえ・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「思いつかないのかな」
「どこまでを人間と判断してよいものかと考えておりました」
「別にどこまででもいいよ」
「そうなりますと、そうですねぇ。冰熬、もしくは空蝉あたりでしょうか」
「なるほどね。確かに彼らは時代を作った先駆者でもある」
「何の話だ」
「氏神おかえり」
ここでようやく脱皮を終えた氏神が戻ってきた。
簡単にどんな話をしていたのか説明をすると、氏神は「なんだ」といって神が座っている椅子の足元に腰をおろす。
「氏神は誰かいるかい?」
「ハーメルン」
「それお前が個人的に因縁があるだけだろ。結局、お前の名前を騙った奴は見つかってないんだろ?」
「うるせえ。クソ野郎が全然見つからねえ。どういうことだ」
「でもあれ以来出てきていないんだろ?」
「そうだけど」
「気にはなるけど、まあ今は放っておこう。そこまで大きな動きをしてるわけじゃない。そのうちまた現れるかもしれない」
「それにしても、なんでお前の名前なんて使ったんだろうな」
「見つけたら絞め殺してやる」
「”神”と名づけられた者がそういうことを軽々しく口にしちゃダメだよ」
「あ、思い出しました」
「何を」
「一人、ずっと気になっていた人間がいます」
「へー、誰だろう」
少しだけ興味深そうに苹里の方に顔を向けた神だったが、苹里はしばらく何も言わなかった。
「え、なんで言わないの」
「思い出した、という報告をしただけですので」
「そういう感じ?てっきり名前まで言ってくれるものだと思ってた」
「こいつそういうところあるよな。だからムカつくんだよ」
「ディックです」
「ああ、あいつね。今どこで何をしているんだろう」
「見てみますか」
「いや、いいよ。いつでもどこでも見られるとか嫌じゃない?私は監視したいわけじゃないからね」
そよそよと優しく吹く風が3人の頬をかすめていくが、まるで彼らに話しかけるかのように、しばらくその周りを踊る。
それがくすぐったいのか、神は小さく笑いながら指先でそよ風を動かす。
しばらく黙っていた3人だったが、ふと、目を瞑って顔を動かして空を見上げるような体勢となった神が小さく言う。
「愚かな人間が増える一方で、逞しい人間もまた、増えたものだね。私は嬉しいよ」
「そうか?」
「そうだよ。例えば、無駄だとわかっていながらも、国を相手にたった数人で戦いを挑む者がいたり。例えば、亡くなった者のためにのみ、生きる者がいたり。例えば、悪魔と共存をしながら生きる者がいたり。例えば、自由を求めるあまりに敵を作ってしまった者がいたり。誰もが逞しく、各々の生きたいようにしっかり生きている」
「自分勝手な奴が増えたってことか?」
「氏神は黙ってるといいよ」
「人間は弱い。私はそう作ったはずだ。それでもなお、人間はその足で前を見て歩いていくんだね。立派じゃないか」
「進むしか、時間は存在しえませんから」
「そうだね。でも、何も進まずにいようと思えばそこで立ち止まっていられる。だろ?止まることを選択するのは容易いからね」
神にいまだ纏わりつく風は、楽しそうに葉や花びらまでも躍らせる。
神は頬杖をつきながら、自分の周りで繰り広げられるその光景に、ただただ可愛がるように指で撫でる。
「反面、人間は同一化に進んでいる」
「個性というものが無くなてきていますね」
「そう。個性的でありたいと思うほど、個性的を求めて大衆の意見を求める。大衆が見ているものを同じように見て、大衆の考えを受け入れる。これでは、いつか人間は弱体化していく一方だ」
「そういえば、閻魔が文句言ってたぞ。最近また人間がしょちゅう死ぬって。もうちょっと命を大事にしろってよ」
氏神の言葉に、神は小さく笑う。
「命の尊さなど、なかなか伝わらないんだろうね」
「そこの愚かさは変わらない、ということでしょうか」
「んー、そうだね。そういうことは一体誰から教わるんだろうね。誰だと思う?」
「・・・まあ、人間であればご家族とか、ですか?」
「じゃあ、家族が命の大切さを伝える時間でも設けているのかな?」
「いえ、そういうことはないかと」
「なら、一体どういうときに学ぶんだろうね?”死”や”生”、あるいは”命”というものを。実際に見せるわけにはいかないもんね?」
「そうですね」
「命に値段などつけられないし、私はそれを許した覚えはない。命はすべて平等でありそこに差異などない。それなのにどうして、人間と動物、植物で命という形の価値が変わってくるんだろうね。人間たちはいつからそんなに傲慢になってしまったのだろう」
「傲慢なのは昔からだろ。バベルの塔なんか作りやがって」
「懐かしいね」
「あの一件で、人間たちは多少おとなしくなるものだと思っておりましたが」
「ならなかったな。やっぱ逞しいんだな」
「不要な逞しさです」
「どんな時代にもいるもんさ。そういう”時代の先駆者”になる者が」
「それは、あの男のことを言っておられますか」
「苹里は私が誰のことを言っていると思ってるのかな?」
「”オーディン”ではないのですか」
「もちろん彼もそうさ。彼は誰よりも早く気づき、行動した。自分の信念に恥じることなく生きるという道。それがいかに険しいことか。いかに脆く尊いことか。だからこそ、彼は臆病者と呼ばれた。”他者と同じ道を選ぶことの出来ない弱き者”だとね」
「しかし、彼の言葉や行動が、後継者たちを生み出した」
「そう。ペンは剣よりも強いなんて、すごいことじゃないか。いまだ武器を持つことでしか戦う術を知らない者も多いというのに。誰かを動かすためには、薄っぺらい気持ちじゃだめだ。情熱、本気、それこそ命を燃やすほどの熱いものを持っていないと、人を動かせるほどの言葉にはならない。それに、人は本気かどうか、行動を見ればわかるものさ。それが彼には本質的に備わっていた」
「・・・彼のことを随分褒めますね」
「彼だけじゃない。信念を貫くための行動。それは周りの者にも影響を与える。強さも、儚さも、尊さも、そうやって身につけていくものだと私は思うんだ」
「なぜ彼の言葉はそこまで他者に届いたのでしょう。こう言ってはなんですが、特別な言葉とは思えません」
「そうかな?」
「では、特別な言葉だったと?」
苹里の問いかけに、神は遊んでいた風たちを自分から遠ざける。
「特別な言葉だったわけじゃない。気づいた者もいただろうが言えなかった、言うことができなかった言葉を紡いだ。”代弁者”ともまた違うが、時代に違和感を覚える、という禁忌を犯してでも、身を挺して伝えたんだ。自分たちの命はぞんざいに扱って良いものではない。決して」
「命を落としてでもですか。本末転倒なようにも思えますが」
「だけど、あれ以来じゃないかな。色んな国で、色んな時代で、おとなしく命を飼われるくらいならと動きだす者が出てきたのは」
「それでも、それほど変わっていません」
「そうだね。これは現実的に変わる変わらないという問題ではなく、本人たちの気持ちの問題だからね。命が燃えつきるその時に、人生に納得しているかどうか」
「そういうものでしょうか」
「そういうものなんだよ」
神は目を瞑り、また風を感じる。
「いつの時代が良かったと思う」
「急になんだい氏神」
「俺は、まだ来ていないと思うから」
「何が最良か、が大事だね。氏神が思う”良い時代”というのはどういう時代のことなんだろうね」
「争いのない時代」
「それは無理な話だ」
氏神の回答に苹里が答える。
それに対して氏神は目つきが鋭くなるが、苹里は特に目を合わせることはない。
「争いは無くなることはない。絶対に」
「そうだね」
苹里の言葉に神も賛同する。
「わかってるけど、何が最良かって聞かれたらそれだろ」
「そうだね。氏神も正しい。苹里も正しい。人間は諍いが大好きだからね。それが無くなる時代というものは、来ないだろうね」
「これからも来ないのでしょうか。ようやく動き出したように見えるのですが」
「人間が二人以上いれば、そこには必ず争いが生まれる。それは仕方のないことだ」
「なら、もう一度滅ぼしてやり直す道もある」
氏神の提案に、神は肩を揺らして笑う。
「それは我々のエゴだ」
「我々のエゴはすなわち世の理です」
頬杖をしたまま、神は風に髪をもてあそばせながら、微笑みを今度は苹里に向ける。
「そうかもしれないね。でも、私はもう少し様子を見るつもりだよ」
「期待しているのですか」
「期待、というのかな。これはきっと、それよりもっと、希望に近いものかもしれない」
「・・・一縷の望み、ということでしょうか」
「そういやあいつ何やってんだ」
「頑張ってくれてるよ。この前は大怪我したみたいだけど、無事に人間たちを烏夜から守り切ったみたいだねね」
「ですが、”一縷の望み”は最終結論を出すのは人間です。一縷はあくまで、一度は断たれてしまったものを、繋ぎとめるための存在。その人間が良いへ進むも悪く進むも、当人次第です」
「そうだね。それにそもそも一縷はそう簡単には姿を見せない。なぜだかわかるかい?」
「怠けてるから」
「そう容易く希望はやってこないから、ですね」
「そう。一縷とは、あちこちで巡るものではない、”奇跡”にも近い。それでもなお、目の前の誘惑に飲まれる者は、誰にも救えはしないものさ」
「先日、一縷はとある人間に肩入れしていたようですが」
「ああ、それは多分、何かしら思うところがあったんだろうね」
「なにかしら、ですか」
「生い立ちが似ていたのかもしれない。彼に似た兄弟がいたのかもしれない。彼の生きる姿を見て応援したくなったのかもしれない」
「それはどうなんですか、役目として」
「いいんじゃないかな?一縷が誰を選びどう動くかは任せてるから」
「人間と悪魔の共存はどうなっていきますか」
「彼のことかな?そうだね。彼は一族で劣等と呼ばれ悪魔の目を移植されただけで、彼自身にはなんの落ち度もない。それでも世間は彼のことを人間とは認めないのかもしれないね」
「魔王たちと繋がりはあるのでしょうか」
「詳しくはわからないけど、ないんじゃないかな」
神は頬杖をついている指で、そっと、自分の瞼に触れる。
「彼には、彼を必要とする者がいる。認め、理解し、ともに生きる存在がいる。いつか、悪魔との契約が綺麗に切れて、普通の人間に戻れる日がくるかもしれないね」
「そう簡単にいくでしょうか」
「簡単にはいかないだろうね。でも、彼はその日まで向き合っていくしかない」
「人間が作った人間もどきはどうなる。あんなもん作りやがって。俺たちに刃向かってるようなもんだ」
「確かに、それに関しては氏神に同意だ」
「私はいいと思うけどな」
「人間の数を調整しているというのに、勝手なことをされては困ります」
「だが一方で人間の殺処分も行われている。嘆かわしいね」
「人間が減ったところで大した問題にはならない。むしろ増える方が問題だ」
「さて、私たちも考えないとね」
「人間の行く末を、ですか」
「そっちはいいよ。人間たちに一旦は任せておこう」
「じゃあなんだ?」
「私たちの存在意義というやつさ」
「「???」」
神の言葉がすぐには理解できなかった苹里と氏神は、互いの顔を見合わせる。
「”我々”の、ですか?」
「そうだよ」
「どういうことだ」
「人間に存在意義を求めるなら、私たちにも何かしら意味がないとおかしいだろ?」
「そうでしょうか」
「違う?」
「存在というか、そこにいる必要があり、尚且つ、存在していることが当然です」
「傲慢だと言われるよ」
「それは人間が言えば、の話です」
「そうかな。私は同じだと思うんだけどな」
「同じにされては困ります。我々は”創造主”です」
「絶望を創るも私たち、ということだね」
「絶望など、人間が勝手に生み出した感情のひとつに過ぎません」
「手厳しいね」
「人間は不幸を我々のせいにします。とても簡単に。勝手に恨んで勝手に打ちひしがれる。手厳しくなるのも当然です」
「希望もまた、人間が勝手に生み出したものだよ。絶望を見つけるのは上手くても、希望を見つけるのは下手なんだよね。それもまた粋なのかな?」
「粋の使い方が違う気もします」
「それにしても、気持ちいいねぇ。雨の音も心地よいけど、海の音もひとしおだ」
「海の音は聞こえません」
「想像するんだよ。深い深い海の底にいるような、ふわふわ漂っているような、目を開けば眩しい光があるような。そしてその想像を私たちは創造していくのだから。想像力というのは大事だね」
「この世界は、我々の”創造”であるのと同時に”想像”であるなどと、一体誰が想像できましょう」
「私の想像に及ばないところで、もしかしたら別の生き方をしている人間がいるのかもしれない。実際、これまでにも何人がいたからね」
「それは”想像”を怠ったからでしょう。人間たちに一任させたから、現状に至っているんです」
「だって面倒臭かったんだもん。仕方ないじゃない。私の想像した世界なんて、私は楽しくないよ。私はね、私が想像もしないような世界にしたいんだ。そういう未来を夢見ているんだ。だから彼らに託している」
「託した結果、散々なことになっている気がするのですが」
「それならそれでいいんだよ。それが彼らが考え、選んだ道なんだから。私は責任を取るつもりはないからね」
「責任を取るのが上の者の役目だそうです。誰かが言っていました」
「それは、全人類の人生というものに対して、私が全責任を持つ、ということかな?それはあまりに酷じゃないかな。自分の人生くらい、自分で責任を持ってほしいものだけどね」
「当然そうですが、他人のせいにするのが人間ではありませんか。自分可愛さに他人を責めることで正当化する。人生は一種の”運”であると考えているのですから」
「私からすれば、これほどまでにない”縁”というプレゼントなんだけどねぇ。どうしたもんかな」
「放っておくのが一番かと」
「それは無慈悲ってものじゃない?」
「神は無慈悲なものです」
「私は無慈悲なのかな?」
「無慈悲なんて人間が勝手に言ってるだけだ」
「だ、そうだよ」
「氏神、そろそろ空を飛びたいと思うようになったんじゃないか?」
「馬鹿言え。まったく思わねえ。俺は地に足ついていたいタイプなんだよ」
「はっ。足つける?足が無いのにか?どうやって足をつけているのか教えてくれ。ていうか見せてくれ」
「喧嘩売ってのかてめぇ」
「おかしなことを言ってるな、と思っただけだ。くだらない。こんなことで喧嘩なんかしない」
「いつかてめぇとはやりあわねえととは思ってたんだ」
「そうですか。ご勝手にどうぞ」
「二人は本当に仲良しだね。私は嬉しいよ。やっぱり二人を選んでよかった」
「「どこが」」
「面白いね、人間は」
苹里と氏神が、それぞれ烏と蛇の姿で喧嘩をしている中、神は優雅に鼻歌を歌う。
ある者は絶望と希望を繋ぐため生きる。
ある者は僅かな光を見せるために生きる。
ある者は次世代を信じて今を生きる。
ある者は信じる者のために命を懸して生きる。
ある者は微かな声を聞き漏らさないように生きる。
ある者は生きることを伝えるために生きる。
そうしてまた、命は続いていくのだ。
「人間は、決して、独りでは生きていけないものさ」
誰かに支えられている感覚がなくても。
誰かを支えている自覚がなくても。
人の”縁”というものは、測り知れない。
「今君たちがそこにいることは、とても尊くて美しい現象だというのに。それに気づかないなんて空しいね」
神はもともと意味などもなく彼らを生み出し、見守っているのに。
「奇跡というのは、意外とすぐ近くにあるものだよ」
例え気づいていないとしても、そこにある。
見えていないだけで確実にあるのに、求めすぎて足元の其れを疎かにする。
「さて、そろそろわかったかな?」
神は座っていたそこから立ち上がると、うーんと背中を伸ばす。
「どれだけ打ちひしがれようと」
「どれだけ絶望しようと」
「どれだけ泣き、喚き、明日が来ることを拒もうとも」
「どれだけ多くのものを失っても」
「どれだけ生きることが苦痛と感じても」
「どれだけ天に見放されたと思っても」
「どれだけ己の人生が惨めに思えても」
「君たちには、生きていくしか道はないんだから」
「それ以外の道を選ぶなんて、私は許さないよ」
「生まれ落ちた瞬間から、”天寿を全うするまで生きる”という約束をしているんだから」
「そこに、平常心を失うほどの何かがあったとしても私は許さないよ。その約束を破ることはね」
「私が君たちとしている約束は、たったそれだけ。たった一つなんだから」
「天寿などわからない?それはそうだろうね。わかったらつまらないし、君たちはわかったらそれなりの生き方になってしまう」
「だからこそ、必死に生きるんだよ」
「どれほど目の前の人生から逃げたくなってもね」
「そう、出来る限り必死に生きるんだ」
「そして気づくときが来るだろう」
「何のために生かされたか」
夏目漱石
「なにやら不穏な動きがあるようですが、放っておいていいのですか」
「うん、いいんじゃない?神がそうなんでもかんでも彼らの喧嘩に手を出すのは野暮ってものだよ」
「喧嘩、ですか」
「心配なら苹里が助けに行ってあげれば?」
「・・・・・・」
「氏神は?」
「脱皮をしています」
「今日も平和だね」
ぽかぽか陽気の中、自らのことを”神”と言った男は大きな欠伸をする。
その隣には、白い髪の毛の男。
特に話をすることなく、時間という感覚や概念はないものの、時間というものが過ぎていく。
「人間は暇なのかな」
「暇ではないかと」
「でもあちこちで喧嘩してるじゃない。体力も使うのにさ。そんなに平穏ってものが嫌いなのかな」
「そういうことではないかと」
「じゃあなんで喧嘩するのさ。私がせっかく平和な方へ導いてあげてるっていうのに。どうでもいいことでいちいち諍い起こして。私に刃向かってるのかな」
「そういうつもりもないかと」
「じゃあなんでよ」
「わかりかねます」
「あーあ。閻魔にでも言って全員地獄に送ろうか」
「それはそれで大変かと」
「そういえば一縷は何してるの?なんでわざわざあいつを送り込んだかわからないじゃない」
「一縷も苦戦しているようです。何しろ、
人間は欲に溺れやすく誘惑に惑わされやすいよう作られておりますので」
「誰が作ったのさ、そんなの」
「・・・・・・」
「今私のこと見たのかな?」
「滅相もございません」
「人生をやり直す、とか言って人間を唆してる奴もいるみたいだしね。参っちゃうな。誰が生み出したのさ、あいつら」
「予想はついていらっしゃるのでは?」
「そんなに万能に見える?」
「万能であるから神と呼ばれるのです」
「そんなに褒められてもなぁ」
「それでも放っておくのですか?」
「・・・・・・」
神は頬杖をつきながら優雅に笑う。
足元にある水には、これまでに起こった戦争、変革など、人間たちが作り上げてきたと思われる歴史が映る。
それを眺めながら、神はため息を吐く。
「いつになったら覚えるんだろうね、彼らは」
「・・・・・・」
「”一縷の望み”を与えてもなお、欲望に飲まれるなんて愚かじゃないか。滑稽すぎる。私たちが幾ら人間のために希望を残したとしても、人間がそれを見つけられないんじゃ意味がない。むしろ、希望を捨ててまで甘い蜜を吸いに行くのだから、呆れてしまうよ」
「寿命が長くはありませんから。人と比べて幸せだったと、そう思いたいのでしょう」
「くだらないね。比較なんて」
「しかしそれによって向上心というものが生まれ、進化しているのもまた事実です」
「進化?私から言わせればどれもこれもが退化だ。邪説だ」
「ならばなぜ、生かし続けるのですか。いっそのこと、何時ぞやのように一掃してしまえばいいというのに」
「・・・・・・」
「生かしたい人間がいるからこそ、これから先どうなっていくのか、見届けようとしているのしょう」
「そうかもしれない」
「かもしれないとはどういうことですか」
「私にもわからない。気紛れかもしれない」
「気紛れですか」
「苹里、これまでにも面白い人間はたくさんいたね」
「・・・そうですね」
「そんな彼らにでさえ、変えられないものがあった。敗因はいろいろあるが、まあ、そうだね。いろいろあった」
「・・・・・・」
「彼らはこの世からいなくなっても、なぜか私の記憶に残っている。なぜだろうね」
「記憶力がよろしいか、その人間たちがよほど印象に残ったか、それか」
「そう。彼らはいないはずなのに、彼らの意志は続いているんだ。不思議だね。だから私は覚えているんだ。かつて、自らの命を燃やして生き続け、死んでもなおその意志を遺し、受け継ぐものがまた生き続ける。そう。彼らは肉体が滅んでも”意志”という形でずっと生き続けてるんだ。これはなんていうんだろうか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「考えてる?」
「いえ、特に」
「だろうね。そうだと思ったよ」
「要するに、人間は寿命が短いからこそ、そういった肉体以外の方法で生き続ける、ということでしょうか」
「それモテないよ、気を付けてね」
「何がでしょう」
「こういうときはさ、一緒になって考えればいいわけ。『そうだね。なんて言うんだろうね』って」
「・・・時間の無駄では」
「苹里が今まで見た中で面白いなーって思った人間って誰?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「そうですねえ・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「思いつかないのかな」
「どこまでを人間と判断してよいものかと考えておりました」
「別にどこまででもいいよ」
「そうなりますと、そうですねぇ。冰熬、もしくは空蝉あたりでしょうか」
「なるほどね。確かに彼らは時代を作った先駆者でもある」
「何の話だ」
「氏神おかえり」
ここでようやく脱皮を終えた氏神が戻ってきた。
簡単にどんな話をしていたのか説明をすると、氏神は「なんだ」といって神が座っている椅子の足元に腰をおろす。
「氏神は誰かいるかい?」
「ハーメルン」
「それお前が個人的に因縁があるだけだろ。結局、お前の名前を騙った奴は見つかってないんだろ?」
「うるせえ。クソ野郎が全然見つからねえ。どういうことだ」
「でもあれ以来出てきていないんだろ?」
「そうだけど」
「気にはなるけど、まあ今は放っておこう。そこまで大きな動きをしてるわけじゃない。そのうちまた現れるかもしれない」
「それにしても、なんでお前の名前なんて使ったんだろうな」
「見つけたら絞め殺してやる」
「”神”と名づけられた者がそういうことを軽々しく口にしちゃダメだよ」
「あ、思い出しました」
「何を」
「一人、ずっと気になっていた人間がいます」
「へー、誰だろう」
少しだけ興味深そうに苹里の方に顔を向けた神だったが、苹里はしばらく何も言わなかった。
「え、なんで言わないの」
「思い出した、という報告をしただけですので」
「そういう感じ?てっきり名前まで言ってくれるものだと思ってた」
「こいつそういうところあるよな。だからムカつくんだよ」
「ディックです」
「ああ、あいつね。今どこで何をしているんだろう」
「見てみますか」
「いや、いいよ。いつでもどこでも見られるとか嫌じゃない?私は監視したいわけじゃないからね」
そよそよと優しく吹く風が3人の頬をかすめていくが、まるで彼らに話しかけるかのように、しばらくその周りを踊る。
それがくすぐったいのか、神は小さく笑いながら指先でそよ風を動かす。
しばらく黙っていた3人だったが、ふと、目を瞑って顔を動かして空を見上げるような体勢となった神が小さく言う。
「愚かな人間が増える一方で、逞しい人間もまた、増えたものだね。私は嬉しいよ」
「そうか?」
「そうだよ。例えば、無駄だとわかっていながらも、国を相手にたった数人で戦いを挑む者がいたり。例えば、亡くなった者のためにのみ、生きる者がいたり。例えば、悪魔と共存をしながら生きる者がいたり。例えば、自由を求めるあまりに敵を作ってしまった者がいたり。誰もが逞しく、各々の生きたいようにしっかり生きている」
「自分勝手な奴が増えたってことか?」
「氏神は黙ってるといいよ」
「人間は弱い。私はそう作ったはずだ。それでもなお、人間はその足で前を見て歩いていくんだね。立派じゃないか」
「進むしか、時間は存在しえませんから」
「そうだね。でも、何も進まずにいようと思えばそこで立ち止まっていられる。だろ?止まることを選択するのは容易いからね」
神にいまだ纏わりつく風は、楽しそうに葉や花びらまでも躍らせる。
神は頬杖をつきながら、自分の周りで繰り広げられるその光景に、ただただ可愛がるように指で撫でる。
「反面、人間は同一化に進んでいる」
「個性というものが無くなてきていますね」
「そう。個性的でありたいと思うほど、個性的を求めて大衆の意見を求める。大衆が見ているものを同じように見て、大衆の考えを受け入れる。これでは、いつか人間は弱体化していく一方だ」
「そういえば、閻魔が文句言ってたぞ。最近また人間がしょちゅう死ぬって。もうちょっと命を大事にしろってよ」
氏神の言葉に、神は小さく笑う。
「命の尊さなど、なかなか伝わらないんだろうね」
「そこの愚かさは変わらない、ということでしょうか」
「んー、そうだね。そういうことは一体誰から教わるんだろうね。誰だと思う?」
「・・・まあ、人間であればご家族とか、ですか?」
「じゃあ、家族が命の大切さを伝える時間でも設けているのかな?」
「いえ、そういうことはないかと」
「なら、一体どういうときに学ぶんだろうね?”死”や”生”、あるいは”命”というものを。実際に見せるわけにはいかないもんね?」
「そうですね」
「命に値段などつけられないし、私はそれを許した覚えはない。命はすべて平等でありそこに差異などない。それなのにどうして、人間と動物、植物で命という形の価値が変わってくるんだろうね。人間たちはいつからそんなに傲慢になってしまったのだろう」
「傲慢なのは昔からだろ。バベルの塔なんか作りやがって」
「懐かしいね」
「あの一件で、人間たちは多少おとなしくなるものだと思っておりましたが」
「ならなかったな。やっぱ逞しいんだな」
「不要な逞しさです」
「どんな時代にもいるもんさ。そういう”時代の先駆者”になる者が」
「それは、あの男のことを言っておられますか」
「苹里は私が誰のことを言っていると思ってるのかな?」
「”オーディン”ではないのですか」
「もちろん彼もそうさ。彼は誰よりも早く気づき、行動した。自分の信念に恥じることなく生きるという道。それがいかに険しいことか。いかに脆く尊いことか。だからこそ、彼は臆病者と呼ばれた。”他者と同じ道を選ぶことの出来ない弱き者”だとね」
「しかし、彼の言葉や行動が、後継者たちを生み出した」
「そう。ペンは剣よりも強いなんて、すごいことじゃないか。いまだ武器を持つことでしか戦う術を知らない者も多いというのに。誰かを動かすためには、薄っぺらい気持ちじゃだめだ。情熱、本気、それこそ命を燃やすほどの熱いものを持っていないと、人を動かせるほどの言葉にはならない。それに、人は本気かどうか、行動を見ればわかるものさ。それが彼には本質的に備わっていた」
「・・・彼のことを随分褒めますね」
「彼だけじゃない。信念を貫くための行動。それは周りの者にも影響を与える。強さも、儚さも、尊さも、そうやって身につけていくものだと私は思うんだ」
「なぜ彼の言葉はそこまで他者に届いたのでしょう。こう言ってはなんですが、特別な言葉とは思えません」
「そうかな?」
「では、特別な言葉だったと?」
苹里の問いかけに、神は遊んでいた風たちを自分から遠ざける。
「特別な言葉だったわけじゃない。気づいた者もいただろうが言えなかった、言うことができなかった言葉を紡いだ。”代弁者”ともまた違うが、時代に違和感を覚える、という禁忌を犯してでも、身を挺して伝えたんだ。自分たちの命はぞんざいに扱って良いものではない。決して」
「命を落としてでもですか。本末転倒なようにも思えますが」
「だけど、あれ以来じゃないかな。色んな国で、色んな時代で、おとなしく命を飼われるくらいならと動きだす者が出てきたのは」
「それでも、それほど変わっていません」
「そうだね。これは現実的に変わる変わらないという問題ではなく、本人たちの気持ちの問題だからね。命が燃えつきるその時に、人生に納得しているかどうか」
「そういうものでしょうか」
「そういうものなんだよ」
神は目を瞑り、また風を感じる。
「いつの時代が良かったと思う」
「急になんだい氏神」
「俺は、まだ来ていないと思うから」
「何が最良か、が大事だね。氏神が思う”良い時代”というのはどういう時代のことなんだろうね」
「争いのない時代」
「それは無理な話だ」
氏神の回答に苹里が答える。
それに対して氏神は目つきが鋭くなるが、苹里は特に目を合わせることはない。
「争いは無くなることはない。絶対に」
「そうだね」
苹里の言葉に神も賛同する。
「わかってるけど、何が最良かって聞かれたらそれだろ」
「そうだね。氏神も正しい。苹里も正しい。人間は諍いが大好きだからね。それが無くなる時代というものは、来ないだろうね」
「これからも来ないのでしょうか。ようやく動き出したように見えるのですが」
「人間が二人以上いれば、そこには必ず争いが生まれる。それは仕方のないことだ」
「なら、もう一度滅ぼしてやり直す道もある」
氏神の提案に、神は肩を揺らして笑う。
「それは我々のエゴだ」
「我々のエゴはすなわち世の理です」
頬杖をしたまま、神は風に髪をもてあそばせながら、微笑みを今度は苹里に向ける。
「そうかもしれないね。でも、私はもう少し様子を見るつもりだよ」
「期待しているのですか」
「期待、というのかな。これはきっと、それよりもっと、希望に近いものかもしれない」
「・・・一縷の望み、ということでしょうか」
「そういやあいつ何やってんだ」
「頑張ってくれてるよ。この前は大怪我したみたいだけど、無事に人間たちを烏夜から守り切ったみたいだねね」
「ですが、”一縷の望み”は最終結論を出すのは人間です。一縷はあくまで、一度は断たれてしまったものを、繋ぎとめるための存在。その人間が良いへ進むも悪く進むも、当人次第です」
「そうだね。それにそもそも一縷はそう簡単には姿を見せない。なぜだかわかるかい?」
「怠けてるから」
「そう容易く希望はやってこないから、ですね」
「そう。一縷とは、あちこちで巡るものではない、”奇跡”にも近い。それでもなお、目の前の誘惑に飲まれる者は、誰にも救えはしないものさ」
「先日、一縷はとある人間に肩入れしていたようですが」
「ああ、それは多分、何かしら思うところがあったんだろうね」
「なにかしら、ですか」
「生い立ちが似ていたのかもしれない。彼に似た兄弟がいたのかもしれない。彼の生きる姿を見て応援したくなったのかもしれない」
「それはどうなんですか、役目として」
「いいんじゃないかな?一縷が誰を選びどう動くかは任せてるから」
「人間と悪魔の共存はどうなっていきますか」
「彼のことかな?そうだね。彼は一族で劣等と呼ばれ悪魔の目を移植されただけで、彼自身にはなんの落ち度もない。それでも世間は彼のことを人間とは認めないのかもしれないね」
「魔王たちと繋がりはあるのでしょうか」
「詳しくはわからないけど、ないんじゃないかな」
神は頬杖をついている指で、そっと、自分の瞼に触れる。
「彼には、彼を必要とする者がいる。認め、理解し、ともに生きる存在がいる。いつか、悪魔との契約が綺麗に切れて、普通の人間に戻れる日がくるかもしれないね」
「そう簡単にいくでしょうか」
「簡単にはいかないだろうね。でも、彼はその日まで向き合っていくしかない」
「人間が作った人間もどきはどうなる。あんなもん作りやがって。俺たちに刃向かってるようなもんだ」
「確かに、それに関しては氏神に同意だ」
「私はいいと思うけどな」
「人間の数を調整しているというのに、勝手なことをされては困ります」
「だが一方で人間の殺処分も行われている。嘆かわしいね」
「人間が減ったところで大した問題にはならない。むしろ増える方が問題だ」
「さて、私たちも考えないとね」
「人間の行く末を、ですか」
「そっちはいいよ。人間たちに一旦は任せておこう」
「じゃあなんだ?」
「私たちの存在意義というやつさ」
「「???」」
神の言葉がすぐには理解できなかった苹里と氏神は、互いの顔を見合わせる。
「”我々”の、ですか?」
「そうだよ」
「どういうことだ」
「人間に存在意義を求めるなら、私たちにも何かしら意味がないとおかしいだろ?」
「そうでしょうか」
「違う?」
「存在というか、そこにいる必要があり、尚且つ、存在していることが当然です」
「傲慢だと言われるよ」
「それは人間が言えば、の話です」
「そうかな。私は同じだと思うんだけどな」
「同じにされては困ります。我々は”創造主”です」
「絶望を創るも私たち、ということだね」
「絶望など、人間が勝手に生み出した感情のひとつに過ぎません」
「手厳しいね」
「人間は不幸を我々のせいにします。とても簡単に。勝手に恨んで勝手に打ちひしがれる。手厳しくなるのも当然です」
「希望もまた、人間が勝手に生み出したものだよ。絶望を見つけるのは上手くても、希望を見つけるのは下手なんだよね。それもまた粋なのかな?」
「粋の使い方が違う気もします」
「それにしても、気持ちいいねぇ。雨の音も心地よいけど、海の音もひとしおだ」
「海の音は聞こえません」
「想像するんだよ。深い深い海の底にいるような、ふわふわ漂っているような、目を開けば眩しい光があるような。そしてその想像を私たちは創造していくのだから。想像力というのは大事だね」
「この世界は、我々の”創造”であるのと同時に”想像”であるなどと、一体誰が想像できましょう」
「私の想像に及ばないところで、もしかしたら別の生き方をしている人間がいるのかもしれない。実際、これまでにも何人がいたからね」
「それは”想像”を怠ったからでしょう。人間たちに一任させたから、現状に至っているんです」
「だって面倒臭かったんだもん。仕方ないじゃない。私の想像した世界なんて、私は楽しくないよ。私はね、私が想像もしないような世界にしたいんだ。そういう未来を夢見ているんだ。だから彼らに託している」
「託した結果、散々なことになっている気がするのですが」
「それならそれでいいんだよ。それが彼らが考え、選んだ道なんだから。私は責任を取るつもりはないからね」
「責任を取るのが上の者の役目だそうです。誰かが言っていました」
「それは、全人類の人生というものに対して、私が全責任を持つ、ということかな?それはあまりに酷じゃないかな。自分の人生くらい、自分で責任を持ってほしいものだけどね」
「当然そうですが、他人のせいにするのが人間ではありませんか。自分可愛さに他人を責めることで正当化する。人生は一種の”運”であると考えているのですから」
「私からすれば、これほどまでにない”縁”というプレゼントなんだけどねぇ。どうしたもんかな」
「放っておくのが一番かと」
「それは無慈悲ってものじゃない?」
「神は無慈悲なものです」
「私は無慈悲なのかな?」
「無慈悲なんて人間が勝手に言ってるだけだ」
「だ、そうだよ」
「氏神、そろそろ空を飛びたいと思うようになったんじゃないか?」
「馬鹿言え。まったく思わねえ。俺は地に足ついていたいタイプなんだよ」
「はっ。足つける?足が無いのにか?どうやって足をつけているのか教えてくれ。ていうか見せてくれ」
「喧嘩売ってのかてめぇ」
「おかしなことを言ってるな、と思っただけだ。くだらない。こんなことで喧嘩なんかしない」
「いつかてめぇとはやりあわねえととは思ってたんだ」
「そうですか。ご勝手にどうぞ」
「二人は本当に仲良しだね。私は嬉しいよ。やっぱり二人を選んでよかった」
「「どこが」」
「面白いね、人間は」
苹里と氏神が、それぞれ烏と蛇の姿で喧嘩をしている中、神は優雅に鼻歌を歌う。
ある者は絶望と希望を繋ぐため生きる。
ある者は僅かな光を見せるために生きる。
ある者は次世代を信じて今を生きる。
ある者は信じる者のために命を懸して生きる。
ある者は微かな声を聞き漏らさないように生きる。
ある者は生きることを伝えるために生きる。
そうしてまた、命は続いていくのだ。
「人間は、決して、独りでは生きていけないものさ」
誰かに支えられている感覚がなくても。
誰かを支えている自覚がなくても。
人の”縁”というものは、測り知れない。
「今君たちがそこにいることは、とても尊くて美しい現象だというのに。それに気づかないなんて空しいね」
神はもともと意味などもなく彼らを生み出し、見守っているのに。
「奇跡というのは、意外とすぐ近くにあるものだよ」
例え気づいていないとしても、そこにある。
見えていないだけで確実にあるのに、求めすぎて足元の其れを疎かにする。
「さて、そろそろわかったかな?」
神は座っていたそこから立ち上がると、うーんと背中を伸ばす。
「どれだけ打ちひしがれようと」
「どれだけ絶望しようと」
「どれだけ泣き、喚き、明日が来ることを拒もうとも」
「どれだけ多くのものを失っても」
「どれだけ生きることが苦痛と感じても」
「どれだけ天に見放されたと思っても」
「どれだけ己の人生が惨めに思えても」
「君たちには、生きていくしか道はないんだから」
「それ以外の道を選ぶなんて、私は許さないよ」
「生まれ落ちた瞬間から、”天寿を全うするまで生きる”という約束をしているんだから」
「そこに、平常心を失うほどの何かがあったとしても私は許さないよ。その約束を破ることはね」
「私が君たちとしている約束は、たったそれだけ。たった一つなんだから」
「天寿などわからない?それはそうだろうね。わかったらつまらないし、君たちはわかったらそれなりの生き方になってしまう」
「だからこそ、必死に生きるんだよ」
「どれほど目の前の人生から逃げたくなってもね」
「そう、出来る限り必死に生きるんだ」
「そして気づくときが来るだろう」
「何のために生かされたか」