脳みそ
文字数 2,707文字
ある人が頭をよくしようと、脳みそショップに入った。
そこでは様々な種類の脳が置かれ、商品棚を彩っている。
「お客さん、どんな脳みそをお望みですか?」
もみ手で近づく店員が問う。
「ええ、うんと頭が良くなりたいのです!」
息をはずませ彼は告げた。
「頭が良く……ですか? そうですね……例えばこれなんかどうでしょう?」
そう言って店員が手に取ったのは、培養液につかった脳みそ。
「これはあるドイツ人のものです。1900gもあって、論理的思考に優れ、機械工学の才能にも恵まれてた品ですよ? 100万円でどうですか?」
「っ!?」
彼は目を瞠 り、驚く。
「1900gっ!?」
だが、店員はさらに言った。
「あとはですね……そう、これなんかどうでしょう? 2000gもある、中国人のものです。創造性に秀で、何よりも天才的な交渉のセンスがあるものですね。200万円でどうでしょう?」
「……?」
息をのむばかりだ。
と、彼はある品を見つけ、問いかけた。
「だが、ちょっと待ってくれ? そこの戸棚にあるヤツはなんだ?」
「……これですか?」
と店員が取り出したのは、小瓶。
100gほどの大きさで、中には丸めたチリ紙ほどの脳が入っている。
「なぜたった100gしかないのに、5000万円もするんだ? よほどいい脳みそなんだろ?」
彼の問いに、店員は答えた。
「ああ、これはですね。日本の政治家と経営者のものですよ」
「えっ!?」
眼を剥き、彼は問い質す。
「いや、おかしいじゃないか? あいつら――」
と言いかけたその時。店員は言ったのだ。
「いや、お客さまの訊ねたいことは分かります。ですが、考えてみてください。彼らから100gもの脳みそを取ったんですよ? いったいどれだけの政治家と経営者が必要だったか……」
最近、参議院は必要ない――みたいな話がささやかれているという。
曰く、衆議院のコピーだとか、決められない政治を脱するとかなんとか。
あるいは、違う形態にして改革すればどうか、みたいな。
まあ、うまくいかないだろうなと眺めている。
だってさ、広い意味で面子が同じなんだから、良識の府として役割を果たせないじゃん?
住民院と国民院みたくして――な主張もあるが、きっと失敗するね。
どんな制度であるかより、どういった人間がそれを使うかの方がずっと重要だと思う。
日本は間接民主制を採っているから、政党政治で国会が運営されているはず。
基本的には自公が与党で、立憲共産が野党のつまらない政治ごっこが延々と続く。
だから法案提出できる大政党が、
自分で提案し、自分で審議して、自分で決める、
という茶番を演じているだけだ。
決められない政治?
冗談はよせ!
どれだけの法案が数の力で強行採決されていったことか。そもそも衆議院の優越があるだろ、と。
要するに、この手の主張が訴えたいことは、
ぼくちんの思い通りに世の中を動かせないから、その足かせになってる参議院はいらないよね。
ってことではないの?
この国で、改革と称してやってきたことで、成功した試しがほとんど思いつかない。
国鉄民営化も。
郵政民営化も。
労働者派遣法も。
あるいは経団連肝いりの教育改革にしても!
それは当たり前で、彼らの都合を形にしているだけだから。合成の誤謬 なのだろう。
つまりは幅広い民意を集めないと、どこかにツケが回る。大抵は、発言権のない社会的立場の弱い人たちに。
参議院が衆議院のコピーみたい、だというなら別の面子を入れたらどうか?
例えば、政党とは無関係の人しか立候補できないようにしたり。
あるいは、衆院選で棄権した人たちにしか参院選の投票ができないようにする、みたいな?
欧米の失敗した制度を周回遅れで踏襲するのを、改革とは言わん。
自分たちの欠点を補うのが、本当の意味での改革なんでは?
日本の欠点は何か?
すぐに団子になり、みんなで渡れば怖くない、とばかりに付和雷同。
今の時代だと、国民意識がないために、全体を想い馳せることができない。
現在を変えるのをものすごく嫌がり、守株待兎してしまう。
結果、ある種の「多数派の専制」みたいな状態になっている。
まあ、先進国はどこも似たようなものだけど。
参議院は良識の府とか再考の府などと呼ばれているそうな。
ようは「それでいいのか?」と問いかける場だ。
法案の問題点を指摘し、廃案も含めよりマシな形にしていく。
なら、それを担うべきは第三者であるべきなのでは、と思うんだが。
裁判を考えてほしい。
原告、被告、裁判官がそろって法廷が成り立つ。
どれかが欠けて裁判が進むなら、それは近代国家でいう法廷とは到底呼べない。
で、国会が「機能不全」してるとするなら、おそらくそれが原因じゃないの?
裁判官がいない法廷などあり得ないように。
そして現在はシルバーデモクラシーの時代だという。
おそらくあと一世紀くらいこれは続く。
だとすれば?
幅広い民意をどうくみ取るか?
制度設計として考えるべきは、そこなのでは?
提案するとしたら、衆参両院を合併して(一応彼らの利権を尊重する形で)、新たに再考の府を設ける。という体を採ったら?
再考するんだから、衆参両院に籍を置く政党と、その関係者はこれに携わる権利を与えない。
これで自民的な利権による癒着を防ぎ、かつ左派的な乗っ取り戦術も排除する。
物理的に無関係な人間を据えることで、(つまりはしがらみがないから)遠慮なく再考できるよね。
重要なのは、投票しない層をこの再考の府に関わらせることだろう。
まー無理かな?
ともあれ。
決められる政治を謳う人たちは、主に経営者だが、彼らは欧米の猿真似をしたがる。
では、なぜ欧米――とりわけアングロサクソンが覇権を握ったのか、を再考してみてはどうか?
あの民族は、創造的破壊を得意とするらしい。
常に変革を求めていく。変わらない日常を作りたがる日本人とは、そこが大きく違う。
政治家や経営者のやっている「改革」は周回遅れの後追いだし、しかも当事国で失敗したものというおまけつき。
何のための制度なんだ?
自分たちの欠点を補完するためではないのか?
何でも欧米に準じなければいけないなら、お前らこそ彼らに比すべき教養を身に着けろと。
さて、くだらない話を長々と記してしまったが。
ある経営者が、主治医に脳腫瘍 であると診断された。
が、それになぜか喜ぶ姿に、医者が問う。
「あの、なぜそんなに楽しそうなんです?」
いぶかしみながら訊ねられた経営者が言った。
「いや、私にも脳みそがあったんだな、って思うとついうれしくてうれしくて……」
そこでは様々な種類の脳が置かれ、商品棚を彩っている。
「お客さん、どんな脳みそをお望みですか?」
もみ手で近づく店員が問う。
「ええ、うんと頭が良くなりたいのです!」
息をはずませ彼は告げた。
「頭が良く……ですか? そうですね……例えばこれなんかどうでしょう?」
そう言って店員が手に取ったのは、培養液につかった脳みそ。
「これはあるドイツ人のものです。1900gもあって、論理的思考に優れ、機械工学の才能にも恵まれてた品ですよ? 100万円でどうですか?」
「っ!?」
彼は目を
「1900gっ!?」
だが、店員はさらに言った。
「あとはですね……そう、これなんかどうでしょう? 2000gもある、中国人のものです。創造性に秀で、何よりも天才的な交渉のセンスがあるものですね。200万円でどうでしょう?」
「……?」
息をのむばかりだ。
と、彼はある品を見つけ、問いかけた。
「だが、ちょっと待ってくれ? そこの戸棚にあるヤツはなんだ?」
「……これですか?」
と店員が取り出したのは、小瓶。
100gほどの大きさで、中には丸めたチリ紙ほどの脳が入っている。
「なぜたった100gしかないのに、5000万円もするんだ? よほどいい脳みそなんだろ?」
彼の問いに、店員は答えた。
「ああ、これはですね。日本の政治家と経営者のものですよ」
「えっ!?」
眼を剥き、彼は問い質す。
「いや、おかしいじゃないか? あいつら――」
と言いかけたその時。店員は言ったのだ。
「いや、お客さまの訊ねたいことは分かります。ですが、考えてみてください。彼らから100gもの脳みそを取ったんですよ? いったいどれだけの政治家と経営者が必要だったか……」
最近、参議院は必要ない――みたいな話がささやかれているという。
曰く、衆議院のコピーだとか、決められない政治を脱するとかなんとか。
あるいは、違う形態にして改革すればどうか、みたいな。
まあ、うまくいかないだろうなと眺めている。
だってさ、広い意味で面子が同じなんだから、良識の府として役割を果たせないじゃん?
住民院と国民院みたくして――な主張もあるが、きっと失敗するね。
どんな制度であるかより、どういった人間がそれを使うかの方がずっと重要だと思う。
日本は間接民主制を採っているから、政党政治で国会が運営されているはず。
基本的には自公が与党で、立憲共産が野党のつまらない政治ごっこが延々と続く。
だから法案提出できる大政党が、
自分で提案し、自分で審議して、自分で決める、
という茶番を演じているだけだ。
決められない政治?
冗談はよせ!
どれだけの法案が数の力で強行採決されていったことか。そもそも衆議院の優越があるだろ、と。
要するに、この手の主張が訴えたいことは、
ぼくちんの思い通りに世の中を動かせないから、その足かせになってる参議院はいらないよね。
ってことではないの?
この国で、改革と称してやってきたことで、成功した試しがほとんど思いつかない。
国鉄民営化も。
郵政民営化も。
労働者派遣法も。
あるいは経団連肝いりの教育改革にしても!
それは当たり前で、彼らの都合を形にしているだけだから。合成の
つまりは幅広い民意を集めないと、どこかにツケが回る。大抵は、発言権のない社会的立場の弱い人たちに。
参議院が衆議院のコピーみたい、だというなら別の面子を入れたらどうか?
例えば、政党とは無関係の人しか立候補できないようにしたり。
あるいは、衆院選で棄権した人たちにしか参院選の投票ができないようにする、みたいな?
欧米の失敗した制度を周回遅れで踏襲するのを、改革とは言わん。
自分たちの欠点を補うのが、本当の意味での改革なんでは?
日本の欠点は何か?
すぐに団子になり、みんなで渡れば怖くない、とばかりに付和雷同。
今の時代だと、国民意識がないために、全体を想い馳せることができない。
現在を変えるのをものすごく嫌がり、守株待兎してしまう。
結果、ある種の「多数派の専制」みたいな状態になっている。
まあ、先進国はどこも似たようなものだけど。
参議院は良識の府とか再考の府などと呼ばれているそうな。
ようは「それでいいのか?」と問いかける場だ。
法案の問題点を指摘し、廃案も含めよりマシな形にしていく。
なら、それを担うべきは第三者であるべきなのでは、と思うんだが。
裁判を考えてほしい。
原告、被告、裁判官がそろって法廷が成り立つ。
どれかが欠けて裁判が進むなら、それは近代国家でいう法廷とは到底呼べない。
で、国会が「機能不全」してるとするなら、おそらくそれが原因じゃないの?
裁判官がいない法廷などあり得ないように。
そして現在はシルバーデモクラシーの時代だという。
おそらくあと一世紀くらいこれは続く。
だとすれば?
幅広い民意をどうくみ取るか?
制度設計として考えるべきは、そこなのでは?
提案するとしたら、衆参両院を合併して(一応彼らの利権を尊重する形で)、新たに再考の府を設ける。という体を採ったら?
再考するんだから、衆参両院に籍を置く政党と、その関係者はこれに携わる権利を与えない。
これで自民的な利権による癒着を防ぎ、かつ左派的な乗っ取り戦術も排除する。
物理的に無関係な人間を据えることで、(つまりはしがらみがないから)遠慮なく再考できるよね。
重要なのは、投票しない層をこの再考の府に関わらせることだろう。
まー無理かな?
ともあれ。
決められる政治を謳う人たちは、主に経営者だが、彼らは欧米の猿真似をしたがる。
では、なぜ欧米――とりわけアングロサクソンが覇権を握ったのか、を再考してみてはどうか?
あの民族は、創造的破壊を得意とするらしい。
常に変革を求めていく。変わらない日常を作りたがる日本人とは、そこが大きく違う。
政治家や経営者のやっている「改革」は周回遅れの後追いだし、しかも当事国で失敗したものというおまけつき。
何のための制度なんだ?
自分たちの欠点を補完するためではないのか?
何でも欧米に準じなければいけないなら、お前らこそ彼らに比すべき教養を身に着けろと。
さて、くだらない話を長々と記してしまったが。
ある経営者が、主治医に脳
が、それになぜか喜ぶ姿に、医者が問う。
「あの、なぜそんなに楽しそうなんです?」
いぶかしみながら訊ねられた経営者が言った。
「いや、私にも脳みそがあったんだな、って思うとついうれしくてうれしくて……」