第1話

文字数 971文字

 ある晩、BS放送の名画劇場で「夕日のガンマン」を観た。2人の賞金稼ぎの冒険と対決を描いた西部劇の傑作である。息詰まる決闘シーンも時代劇なら真剣での果し合いだが、西部劇だと銃の早撃ちである。これが名画の名場面なのだから、アメリカの銃社会はなくならないと思う。
 2020年8月のある日、地元(山形県庄内町)の焼鳥屋のカウンターで飲んでいた時だった。庄内町の防災無線で「廿六木(とどろき)地区で熊が目撃されたから気を付けるように」と注意喚起の放送が流れた。たまたま、その店の大将が猟銃の免許を持っていて、そこに居合わせた客たちと熊を撃つ話になった。町に出没した熊を撃つのは猟友会の会員の役目で、同行する警察官は拳銃で熊を撃ってはいけないらしい。逆に猟銃で人を撃つなどは論外で、銃弾の数も含めて猟銃の管理保管は厳重を極めるそうで、もっともなことだと思った。話を聞いて成る程、銃の種類ごとに撃つ対象物と場面が決められている日本は、アメリカの銃社会とは程遠い社会なのだと妙に感心した。
 銃の管理に関しては、菅内閣が打破を掲げる行政の縦割りの発想が功を奏しているのかも知れない。
 ところで、医療の臨床の現場では「専門性」が縦割りと同じような弊害をもたらす場面が多々ある。専門性を追求していくと細分化が進む。30数年前に勤務していた大学病院で、心臓手術後の肺炎の治療に難渋したことがあった。呼吸器内科の先生に相談したところ、「自分は(数ある呼吸器疾患の内、肺癌の中で)小細胞癌の(治療の中の)化学療法が専門だから」という理由で断られたことがあった。大きな病院だと肺炎を診ない呼吸器内科医が存在できるのだ。
 自分は心臓血管外科専門医であるが、どんな病気にも弾を撃てる「日本海に沈む夕日のガンマン」のようでいたいと思う。(かえって危なかったりして…。)

 さて写真は、2019年12月に通称「余目(あまるめ)のS字カーブ」で撮影した羽越本線下り貨物列車である。

 撮り鉄も細分化している。鉄道風景、編成列車、貨物列車、機関車も蒸気機関車や電気機関車、しかも旧国鉄型やJR型など被写体の好みは個々によって異なる。最近、自分は貨物を牽引する武骨な機関車の力強さに魅せられている。
 専門分野をスマートにこなすのもいいが、「何でも来い!」と頼り甲斐(がい)があるのもいい。
 んだんだ!
(2020年12月)
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