第7話 流星群
文字数 2,233文字
山頂に近づいたのか、坂道の傾斜がきつくなる。何度も足を滑らせながら、手で周囲の枝につかまり、なんとか裏山を登り切った。
山頂はちょっとした展望台になっていて、遠くの街の地味な夜景が見える。
大きな丸い切り株型のベンチがあったので、並んで寝そべった。
山を登って体にこもっていた熱が、ベンチに一気に吸い取られて、冷え切っていくのがわかる。体温の急な下がり具合に、死の予感がした。
「まーおちん」
凛香が手を伸ばしてきた。
「まおちん言うな」
真織はその手を握りベンチの上で寄り添う。
眠気を感じ始めたら、抗わないようにしよう、とふたりで誓った。
「なんかで見たけど、凍死だと死体は美しいままらしい」
「たしかに、冷凍のマグロは死んでいるとは思えないほど新鮮で美しく、そして美味しい」
凛香の最後の言葉に噴き出した。ベンチの冷たさは、冷凍マグロ並だ。
握った手からふたりともぶるぶる震えてきたのがわかるけれど、これさえ乗り越えれば、きっと眠くなる。
「ただし問題もあり。冷凍が有効なうちに発見してもらえればいいけどな」
「苦労してここまで生きて、カラスのエサは嫌じゃのう」
「死亡診断書。死因、鳥に食われる」
真織が言うと、凛香はのけぞって笑う。それを見て真織もまた笑う。
笑うと体温が少し上がる。あまり笑わない方が早く楽に逝けるかもしれないが、笑って死んでいく方が幸せだ。
幸せ。真織は今、初めて、自分が幸せだと感じているのに気づく。急に星空が大きく見えた。
「ここは、街の明かりより、星の方がたくさんあるんだ」
真織がつぶやいた瞬間、返事をくれたように白い光が空をよぎった。
「おい、今」
「流れ星だよな」
「あんなでかい流れ星初めて見た」
どちらからともなく口をつぐみ、静かに星空を見つめた。
「あ、また!」
大きな白い光が、尾を引いて流れた。
消えるまで二秒数えられるほどの長さだ。流れ星は一瞬で消えるものだと思っていたので、奇跡のように感じられた。
「また来るかな。流れ星って願いごと三回言えばいいんだっけ。どうせ死ぬけど」
「願いごと三回って無理ゲ。でも一応やってみるか。どうせ死ぬけど」
握っていた手を離し、二人は胸の上で両手を組み合わせた祈りのポーズをとる。
学校では毎週ミサの時間が退屈でならなかった。しかし今、本当にまた流れ星が来るだろうか、祈る思いでいる。
流れ星が来なくても、祈りのポーズで死ぬならそれでもかまわない、とまで思っている。
流れ星はきた。
「ママ、ママ、ママ!」
真織と凛香は同時に叫んだ。
星は消えるのを待ってくれたように、長く空を横切って去って行った。
「言えた」
凛香が先に体を起こした。真織も起きた。
ひと息で叫んだせいだろうか、体がカーッと熱くなっている。血が沸き立つようだ。
命が、これ以上体を凍えさせるのを必死に抵抗している気がした。
熱が上がったせいで、強烈にテンションが上がっていく。動かずにいられない。真織はひゃっほーと叫んでジャンプし万歳した。凛香も踊りながらハイタッチする。
「なにこれ奇跡。やばくね」
「うん、やばい」
「母ちゃんが、いっ、生きろって言ってるぅう」
「泣くなよ、凛香」
真織も泣きたくなったが、テンションが上がって笑いがこみあげてくる。凛香も次第に泣き笑いになった。
ふたりで「やばいやばい」と言いながら、山道を転ぶように降りた。
あちこち擦り傷だらけでホテルの入り口に着くと、玄関前にパトカーが停まっていた。
夕食のルームサービスをオーダーしないことで、ふたりの不在に気づいたホテルの女将が、警察を呼んだのだ。
「君ら、こんな遅くにふらふら出歩いたら危ないだろう。どこ行ってたんだ」
「わたしたちは、山に星を見に行きました」
「なんで桃太郎風なん」
「だってほかになんて言う」
「こら。星なんか、わざわざ山に登らなくても、ホテルの庭からよく見えるだろうが」
お巡りさんには叱られたが、ふたりが悪びれず楽しそうに笑っていたので、口頭での注意だけで済んだ。
「たしか今夜は、しし座流星群の見ごろだったはずですよ。たくさん見えましたか」
女将の言葉で、ふたりはまたハイタッチした。
「奇跡的に長い流れ星を見ました」
「それはよかったこと。さて、お嬢さんたち、夕食ですが残念ながら終了していて、おにぎりしかご用意できないんですが、お持ちしましょうか」
ロビーの時計は十時を過ぎている。
真織と凛香は、女将が握ってくれた十個のおにぎりと漬物を、飲み込む勢いで平らげた。それから大浴場の温泉に入り、芯から冷え切った体を温めた。
「なんかさ、さっき一回死んだね」
「間違いなく死んでた」
流れ星を見る前に、ぶるぶる震えて体が冷たくなって、一度終わっていた。
しし座流星群なんて、言葉は知っていても見たことはない。
毎年ネットニュースのトピックに上がって、世間が盛り上がっていても、他人事だった。それなのに、よりによって死のうとした夜に流星群がきていたなんて奇跡としか思えない。
真織は、打ち合せてもいないのに凛香と同じ願いごとを叫んだ。あの瞬間、命が熱く燃えるのを感じていた。
「決めた。明日もう一日寝たら、東京帰って学校行く」
「まおちん、同じこと考えてたよ」
「凛香、あの家にもどれる? うち来る?」
「ダイジョブ。学生の間、私には保護者が必要。それに弟はまだ行方不明状態だからね。やっぱ見つけてやりたいし」
凛香の目はもう死んでいない。
きっと自分の目も同じだ。
山頂はちょっとした展望台になっていて、遠くの街の地味な夜景が見える。
大きな丸い切り株型のベンチがあったので、並んで寝そべった。
山を登って体にこもっていた熱が、ベンチに一気に吸い取られて、冷え切っていくのがわかる。体温の急な下がり具合に、死の予感がした。
「まーおちん」
凛香が手を伸ばしてきた。
「まおちん言うな」
真織はその手を握りベンチの上で寄り添う。
眠気を感じ始めたら、抗わないようにしよう、とふたりで誓った。
「なんかで見たけど、凍死だと死体は美しいままらしい」
「たしかに、冷凍のマグロは死んでいるとは思えないほど新鮮で美しく、そして美味しい」
凛香の最後の言葉に噴き出した。ベンチの冷たさは、冷凍マグロ並だ。
握った手からふたりともぶるぶる震えてきたのがわかるけれど、これさえ乗り越えれば、きっと眠くなる。
「ただし問題もあり。冷凍が有効なうちに発見してもらえればいいけどな」
「苦労してここまで生きて、カラスのエサは嫌じゃのう」
「死亡診断書。死因、鳥に食われる」
真織が言うと、凛香はのけぞって笑う。それを見て真織もまた笑う。
笑うと体温が少し上がる。あまり笑わない方が早く楽に逝けるかもしれないが、笑って死んでいく方が幸せだ。
幸せ。真織は今、初めて、自分が幸せだと感じているのに気づく。急に星空が大きく見えた。
「ここは、街の明かりより、星の方がたくさんあるんだ」
真織がつぶやいた瞬間、返事をくれたように白い光が空をよぎった。
「おい、今」
「流れ星だよな」
「あんなでかい流れ星初めて見た」
どちらからともなく口をつぐみ、静かに星空を見つめた。
「あ、また!」
大きな白い光が、尾を引いて流れた。
消えるまで二秒数えられるほどの長さだ。流れ星は一瞬で消えるものだと思っていたので、奇跡のように感じられた。
「また来るかな。流れ星って願いごと三回言えばいいんだっけ。どうせ死ぬけど」
「願いごと三回って無理ゲ。でも一応やってみるか。どうせ死ぬけど」
握っていた手を離し、二人は胸の上で両手を組み合わせた祈りのポーズをとる。
学校では毎週ミサの時間が退屈でならなかった。しかし今、本当にまた流れ星が来るだろうか、祈る思いでいる。
流れ星が来なくても、祈りのポーズで死ぬならそれでもかまわない、とまで思っている。
流れ星はきた。
「ママ、ママ、ママ!」
真織と凛香は同時に叫んだ。
星は消えるのを待ってくれたように、長く空を横切って去って行った。
「言えた」
凛香が先に体を起こした。真織も起きた。
ひと息で叫んだせいだろうか、体がカーッと熱くなっている。血が沸き立つようだ。
命が、これ以上体を凍えさせるのを必死に抵抗している気がした。
熱が上がったせいで、強烈にテンションが上がっていく。動かずにいられない。真織はひゃっほーと叫んでジャンプし万歳した。凛香も踊りながらハイタッチする。
「なにこれ奇跡。やばくね」
「うん、やばい」
「母ちゃんが、いっ、生きろって言ってるぅう」
「泣くなよ、凛香」
真織も泣きたくなったが、テンションが上がって笑いがこみあげてくる。凛香も次第に泣き笑いになった。
ふたりで「やばいやばい」と言いながら、山道を転ぶように降りた。
あちこち擦り傷だらけでホテルの入り口に着くと、玄関前にパトカーが停まっていた。
夕食のルームサービスをオーダーしないことで、ふたりの不在に気づいたホテルの女将が、警察を呼んだのだ。
「君ら、こんな遅くにふらふら出歩いたら危ないだろう。どこ行ってたんだ」
「わたしたちは、山に星を見に行きました」
「なんで桃太郎風なん」
「だってほかになんて言う」
「こら。星なんか、わざわざ山に登らなくても、ホテルの庭からよく見えるだろうが」
お巡りさんには叱られたが、ふたりが悪びれず楽しそうに笑っていたので、口頭での注意だけで済んだ。
「たしか今夜は、しし座流星群の見ごろだったはずですよ。たくさん見えましたか」
女将の言葉で、ふたりはまたハイタッチした。
「奇跡的に長い流れ星を見ました」
「それはよかったこと。さて、お嬢さんたち、夕食ですが残念ながら終了していて、おにぎりしかご用意できないんですが、お持ちしましょうか」
ロビーの時計は十時を過ぎている。
真織と凛香は、女将が握ってくれた十個のおにぎりと漬物を、飲み込む勢いで平らげた。それから大浴場の温泉に入り、芯から冷え切った体を温めた。
「なんかさ、さっき一回死んだね」
「間違いなく死んでた」
流れ星を見る前に、ぶるぶる震えて体が冷たくなって、一度終わっていた。
しし座流星群なんて、言葉は知っていても見たことはない。
毎年ネットニュースのトピックに上がって、世間が盛り上がっていても、他人事だった。それなのに、よりによって死のうとした夜に流星群がきていたなんて奇跡としか思えない。
真織は、打ち合せてもいないのに凛香と同じ願いごとを叫んだ。あの瞬間、命が熱く燃えるのを感じていた。
「決めた。明日もう一日寝たら、東京帰って学校行く」
「まおちん、同じこと考えてたよ」
「凛香、あの家にもどれる? うち来る?」
「ダイジョブ。学生の間、私には保護者が必要。それに弟はまだ行方不明状態だからね。やっぱ見つけてやりたいし」
凛香の目はもう死んでいない。
きっと自分の目も同じだ。