神さまの窓

文字数 2,058文字

 神さま、ありがとうございます。みんなに窓を与えてくれて。
 いまではだれもが、自分だけの窓を持っています。ポケットにおさまるほどの、どこにでも持ち運べる窓です。トイレにだって連れ添います。私ももちろん、私だけの窓を持っています。
 窓には神さまが宿っています。
 窓を覗けば、すべてがわかるのです。この世界でいまなにが起こっているか、過去になにが起きたのか。神さまがすべて見せてくれるのです。だれかがどこかで何かを言った、何かを食べた、何かを作った、そんなお知らせが窓に届きます。だれかが死んだときも、窓にお知らせが届きます。窓は世界とつながっているのです。
 窓は質問にも答えてくれます。暇なとき、私は窓に話しかけて、神さまからの答えを受けとります。声を使うときもあれば、文字を使うときもあります。窓は言葉の回路なのです。
 窓はどこに行けばいいのかも教えてくれます。もしも道に迷ったら、窓を覗けばいいのです。神さまが天の眼を貸してくれて、自分がどこにいるのか、どこに向かえばいいのか、どれくらいの時間がかかるのか、すべて教えてくれるのです。神さまの眼はどこにでもあります。
 窓があれば、どんなに遠く離れた人とも、意思を通わせることができます。声を使うこともあれば、文字を使うこともあります。顔を合わせることだってできます。神さまに距離は関係ないからです。神さまは地上にいる人たちすべてをつなげられるのです。窓という福音を通じて。
 窓は時間も切り取ります。目の前の景色を、静止したまま、窓に閉じこめるのです。動いているままに閉じこめることもできます。神さまは永遠であらせられるから、こんな奇蹟が起こせるのでしょう。
 私の窓にも、私の切り取った時間の断片が、数えきれないほど閉じこめられています。窓を覗けば、過去が視えるのです。そこには私が知っている人たちが映っています。私自身や、私の両親や、私の友達や、私の家で飼っている猫の姿。そしてもちろん、私の弟の姿も。消えてしまった時間の影を、窓はそのままに残してくれるのです。
 窓はときどき死にます。眠らせることを怠ったり、水中で溺れさせたり、高いところから落としたりすると、窓は傷つき、ひび割れ、元気がなくなり、反応しなくなります。窓だって死ぬのです。でも大丈夫。神さまは優しいから、窓は一にして多である存在なのです。私の窓が死んでも、新たな窓が与えられます。窓が滅ぶことはないのです。
 人もときどき死にます。私の弟は、事故で死にました。私の弟は、もう喋らないし、動かないし、反応しなくなりました。死んだのです。私の弟が。
 私の弟も、一にして多である存在なのでしょうか? いまの私には、わかりません。神さまは優しいけれど、死をなくそうとはなされないからです。
 私の窓を覗けば、私の弟はそこにいます。声も聞こえるし、姿も見えます。文字によるやり取りも残っています。窓のなかでは、弟は生きているのです。窓のなかでは、人は死ぬことはないのです。
 でも、神さまは優しいけれど、弟を窓のこちら側に呼び戻してはくれません。窓のこちら側では、私の弟はもういません。神さまは永遠であらせられるけれど、人は永遠ではないからです。
 弟が火葬場で焼かれるとき、私は(ひつぎ)のなかに、弟の窓を入れようとしました。ダメだと言われました。なぜでしょう。棺桶には、死顔を見せるための小窓がありました。でも、そんな窓ではダメなのです。神さまの宿る窓じゃないと。柩のなかで弟は、ひとりぼっちで焼かれるのでしょうか。だれともつながれず、だれからも切り離されて。それはどんなにこころ細かったことでしょう。花よりも窓が、弟には必要だったはずです。私の弟。窓のない弟。
 母は、母の窓を覗いて、私の弟の姿を見ると、いつも泣いています。父は、父の窓を覗いて、私の弟の声を聞くと、いつも泣いています。私は、私の窓を覗いても、過去の弟に出会っても、泣いたりはしません。涙で窓を曇らせるのは、愚か者の振る舞いだからです。私は、愚か者になりたくはありません。
 私は、死んだ人たちは、だれもが自分の窓を与えられていると信じています。最初に死んだ人間から、最後に死んでしまう人間まで、すべての人間の魂に、窓はある。神さまは優しいはずだから。窓の向こう側では、人もまた永遠であるはずです。その窓から、いつだってみんなは私たちを覗いているのです。私の弟も。私の死んだ弟の窓。
 だから私は、窓のこちら側からおはようと言い、窓のこちら側からおやすみなさいと言います。眠りは窓を見えなくするけれど、窓はいつだって開かれているからです。窓が滅ぶことはないからです。
 すべての窓に、こんにちは。すべての窓に、ありがとう。さようならは、言いません。窓は永遠だからです。
 私が死ぬとき、私が窓の向こう側に行くとき、私の窓は、私だけの窓ではなく、だれもに開かれた窓となるでしょう。それが永遠ということなのだと、いまの私には信じられます。
 私の弟の魂よ、安かれ。
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