三十五~三十九

文字数 23,608文字

 三十五
 土曜の夜中とあって、国道二〇四号線はさほど混んでいなかった。ミニクーパーのハンドルを握る中井は、穏やかそうな見た目とは大違いの攻撃的な運転をつづけ、せわしなくシフトチェンジしては前に立ちはだかる車をつぎつぎ追い越していった。助手席のミチは慣れているようだったが、佐良は後部座席で胸の前のシートベルトを握りしめ、反対の手で吊革にしがみついていた。
 午後八時前、まもなく海峡を渡る橋に差しかかり、そこから棟尾に入る。三人は棟尾大社に向かっていた。
 急ぐにはわけがあった。
 ミチが勤める長崎海洋大近くの洋食屋から佐良は要次にメールを送っていた。昭和四十二年に行われた学術調査について知らせてくれたのがおじさんだから、きっと知りたがっているだろうと思って、走尾銀治が龍ヶ島からなんらかの宝物を持ちだした可能性が浮上してきたことを伝えたのだ。だがメールを送り終え、スマホをポケットにしまおうとしたところで電話が鳴った。メールを読んだおじさんが興奮してかけてきたわけではなかった。
 「もしもし」聞きおぼえがあるようなないような、しかし向こうはこっちを知っているといった感じの男の声だった。「佐良さんですか」
 「はい、そうですが」
 「名乗るわけにはいかないんだけど、警察の帰り道に立ち話をした者といえばわかるかな」
 それでぴんときた。高輪署で職員ともめていた痴漢容疑の男だ。名刺を渡していたからかけてきたのだろう。
 「わたしの後輩が留置場で変死した件をうかがった方ですね。なにかございましたか」
 「スマホを返却するって連絡があったんで、さっき署に行ってきたんだ。そのときおもしろい話を聞いてな。きっとあんたも興味を持つんじゃないかと思ってさ。あんたの後輩が押し入った蕎麦屋の店主に関する話さ。刑事部屋の前の廊下で待たされてるとき、なかの話が聞こえたんだ。ドアが開けっぱなしだったから、聞こえちまったんだよ」
 「どういう話なんでしょうか」
 「担当の刑事も変死しただろ。署ではもっぱらそれが最大の関心事らしいんだ。で、その担当刑事なんだが、殺された店主の息子を訪ねていたらしい。個人的にな」
 「個人的に?」
 「だから署も頭を抱えているんだ。どうやらコンプライアンス的に問題のある話らしい」
 大木の一件について、最初に副署長から説明を受けたとき、桝居刑事も同席していた。あのときは優秀そうな印象を受けたが、裏の顔があったようだ。
 「あんたの後輩が奪おうとしていたものにかかわる話みたいだ。だからあんたに電話したんだよ。店主の息子は、生前贈与であるものを父親から譲り受けていたんだが、それについて刑事は訊ねてきたそうだ」
 「あるものってなんですか」
 「鏡だそうだ」
 「鏡?」
 「あぁ、そうだ。刑事のことが気になって、きょうの日中、店主の息子が署に来たんだ。それで発覚したらしい。骨董品の鏡だよ。店主にはその手の趣味があったんだ」
 そうだ“ガラクタ”趣味については、佐良も近所の住人から聞いている。古代、神の島に奉納した供物は、悠久の時を経れば当然“ガラクタ”のように見えるだろう。「すみません。くわしく教えていただけますか」
 男はもったいぶるような咳ばらいをしてから説明した。「強盗殺人については、犯人が死んじまったからもう捜査もしないだろう。それなのに補充捜査みたいなことを言って店主の息子に父親から譲り受けたその鏡について聞いてきた。それを盗むようあんたの後輩をそそのかした共犯者がいる可能性を指摘して、そのためにも問題の鏡を見せてほしいと言ってきたんだよ。ところが運悪く、鏡は息子の娘、つまり店主の孫によってネットオークションに出され、売り払われてしまったそうだ。だから刑事はそれをたしかめることができなかった。その直後に刑事は溺れ死んだんだ。あんたの後輩とおなじようにな。孫娘によると、その鏡は半月形でどうやら金製品らしい。つまりかなり高価なものってことなんだろう。刑事はそれを個人的に手に入れようとしていた、と署では見ている」
 「半月形の金の鏡ですか」
 「もとは円形をしていたらしい。三か月ぐらい前に店主が誤って割ってしまって、それがきっかけで息子に片方を譲り渡したんだ。残り半分はそのまま店主が自分で持っていたそうだが、じつはそっちもなくなっている。息子は盗まれたとみている」
 「わたしの後輩が盗みだしたと?」
 「どうだろう。その点は未遂だったんじゃないのか」
 「警察からはそう聞いています」
 「問題はその鏡にどれくらいの価値があるかじゃないか。高価なものなら、あんたの後輩でなくとも気になるだろう。たとえば悪徳刑事とか。もう片方の鏡を手に入れようとしていたぐらいなんだし」
 「可能性はありますね」
 「まったくけしらかん話だろう。警官のくせにやってることは泥棒じゃねえか。しかも適法な捜査を装って。無実の人間をさんざんひどい目に遭わせておいて許しがたいだろ、こういうの。だから新聞に書いてほしいんだよ。たぶんこの話、内部でもみ消すつもりだぜ。おれがマジに憤っているのはその点だよ。問題の刑事が死んじまったんだから、事情の聞きようがない。やつらは抜け目なく、これ幸いとばかりに隠ぺいする魂胆だ。そうにきまってる。でもそうは問屋が卸さない。なぁ、そうだろう」
 男はこの話を記事にするよう迫ってきた。佐良はそれをなんとかかわして電話を切った。「半月形の鏡か」それまで頭のまんなかにあった霞がついに晴れたような気がした。
 いまの話を聞かせると、中井准教授が佐良の予感を強めてくれた。「龍ヶ島からは青銅鏡しか見つかっていませんが、金の鏡が奉納されていた可能性は十分あります。三世紀頃のほかの遺跡からは金鏡が出土していますから」
 頭のなかを整理しようと、佐良は洋食屋のテーブルにノートを広げ、ペンを取った。
 走尾銀治 1967年龍ヶ島調査 黄金鏡持ちだし
     ↓
 親友・福元祥生のもとへ
     ↓
 2018年割れる 片方を息子に生前贈与
 鏡A 祥生のもの
 鏡B 息子のもの
 佐良は鏡Bを丸で囲んだ。「こっちは息子の娘によってネットオークションに出されてしまった。刑事の桝居はそれを手に入れようとしていたが、直後に変死している。さっき会社から入った連絡では、その刑事の知人もその後、同様の死に方をしている。その知人も鏡を手に入れようとしていたのかもしれない。それで広尾の寺を訪ねたのかな」
 「佐良さんの後輩の方と刑事さん、その知人。三人がおなじようにして亡くなっている。それに島から持ちだされた鏡がかかわっているということかしら」中井が不安を口にした。「大社に保管されている古文書ですが、儀式に関する記述だという話があります。一般的に鏡は古代の儀式では非常に重要な役割を果たしています」
 鏡Aの部分を指でなぞり、ミチが心配そうに言った。「こっちはどこにいっちゃったのかな。鏡が割れたってこと自体が不吉な予感がする。なにか邪悪なものが解き放たれてしまったかもしれないし、逆に聖なる力が失われてしまったかもしれない」
 「いったいなんなのだろう、黄金の古代鏡って」佐良の内にひさしく失われていた熱流がたぎる感じがした。「事件の背後に古代の奇習のようなものがあるのかな。へたをするとさらに事件が起きるかもしれない。すべては古文書に書かれているの可能性があるね。ナミの祟りもふくめて」
 「今夜ならチャンスですよ」
 うながしたのは大社でかつて巫女をしていたミチだった。
 それでミニクーパーの出動となったのだ。
 あす九月二十三日は秋分の日。棟尾大社では毎年、その日の日の出を荘厳な儀式「秋分の儀」で迎えることになっていた。いまではお祭りのような雰囲気が加味され、前夜から氏子たち総出で神さまに捧げる神饌(しんせん)作りを行うという。このため、大社は夜通し大勢の人々が出入りするうえ、多くの神具を用意する必要から地下の宝物庫の扉が開放されているというのだ。
 「大社に着いたら知り合いの職員に連絡して外に出てきてもらいます。高校の同級生で、おなじダイビングスクールでインストラクターしているんです」助手席でミチが段取りを確認する。「割烹着とマスクを三人分持ってきてもらいますので、それを着て出かけましょう。近所の人たちが大勢来ていますから、紛れてしまえば不審がられないと思います」
 大社の駐車場は近所から集まったらしい車がひしめき合っていた。その合間を縫うようにして暗がりから白装束を身につけた背の高い男があらわれた。
 「いったいなにをたくらんでいるんだ」声を潜め、不安そうに訊ねてくる。どうやらミチはくわしい説明を省いてしまったらしい。それでも男は紙袋をさげている。言われたとおり割烹着とマスクを持参してきてくれたようだ。
 「ゴメンね、キヨちゃん。ちょっとだけ調べたいことがあるの」
 「さっき電話で地下の宝物庫がどうとか言ってたけど、まさかそこに入りたいの?」
 「まあ、そんなところよ」紙袋を受け取り、なかから取りだしたものを中井と佐良にすばやく手渡す。
 「おいおい、よしてくれよ。調理場に入るぐらいならバレないだろうけど、そっちはちょっとな」キヨちゃんはイケメンの顔をしかめた。
 「だいじょうぶよ。場所はわかっているから。扉のカギも開いているんでしょ。キヨちゃんに悪いようにはしないから」
 「なにか持ちだしたりしないんだろうね」
 「そんなことしないって」
 「どういう魂胆なんだ、それだけ教えてくれないと。おれもマズいからさ」
 ミチは中井と佐良のほうに手を広げた。「こちらは長崎海洋大で古代民俗学を教えている中井先生、それと東邦新聞の佐良さん。お二人とも龍ヶ島の“御言わず”のことを調べているの」
 キヨちゃんの顔がこわばった。「やっぱりそうか。ミチのじいちゃんの話だろ。だからってなんでまたいまなんだ」
 「事件が相次いでるんです」中井が割って入った。「どう見ても奇妙な変死事件が三件、立てつづけに起きていて、それがどうやら島から流出したとみられる黄金鏡とかかわっているようなんです」
 「マジですか」
 「マジよ、マジ。ここ何か月か、島の近海で船に妙なものが近づいてきたって話なら、あんたも聞いてるでしょう」ミチの指摘にキヨちゃんは顔を歪めた。事実のようだった。「祟りなんて迷信にすぎないって、あんた、言い切れるの? ここに勤めているのもそういう信仰心があるからでしょ」
 キヨちゃんは顔を曇らせた。「てゆうか、おれは親父が勤めてるから、そのコネで就職できただけだって。ただ、ここ何日か、ざわつく感じはしていたけど」
 「大社の人たちもなにか心配されているんですか」佐良は訊ねた。
 キヨちゃんは薄暗がりのなかで佐良の顔をたしかめてから、言葉を選んで口にした。「いろいろ言う人はいますよ。いまの流れがよくないんじゃないかって言う人もいるし」
 「いまの流れ?」
 「世界遺産の話でしょ」すかさずミチが訊ねる。「江田さんがうるさいんでしょ」
 キヨちゃんは小さくうなずいた。ミチがもう一度攻めた。「あの島を世界遺産なんかにする必要はないわ。そっとしておけばいいのよ。それを江田さんにわからせるためにも宝物庫の古文書を調べる必要があるの」
 「やっぱりそうだったか」キヨちゃんはきっぱりと言った。「古文書って、島の祭祀の起源に関する秘伝書だろ。それは無理な相談だな。協力したいのはやまやまだけど」
 「そこをなんとかおねがいしたいの」
 食い下がるミチに青年は困り顔で告げた。「できないんだよ。着いてきてくれるかな。自分の目でたしかめるといい」

 三十六
 キヨちゃんに先導されて三人は堂々と大社の社殿内に侵入し、米や野菜を炊く香りが漂う調理場を抜けて奥の社務所前まで進んだ。話のとおり、割烹着姿の男女がひっきりなしに往来し、そこから階段が地下につづいている。四人はそこに下りていった。
 黒光りする板張りの廊下がのびる地階は、地上より二、三度低く、しんと静まりかえって厳粛な雰囲気が増していた。左右に倉庫らしき部屋が並び、いちばん奥が目指す宝物庫だった。話のとおり、扉は開放され、白装束の男が二人、神具が入っているとおぼしきダンボール箱を抱えて出てくるところだった。キヨちゃんは「おつかれさまです」と声をかけ、彼らも会釈を返して通り過ぎていった。へんにこそこそしなかったので疑念は抱かれていないようだ。キヨちゃんはそのまま三人を宝物庫に連れていく。
 スチール・キャビネットやガラスケースが並ぶ二十畳ほどの天井の低い部屋だった。決死の侵入劇を予想していただけに拍子抜けした。おなじことをミチも感じていたらしい。「古文書が保管されているところって南京錠かなにかが掛かっているのよね。キヨちゃん、カギとか持っているの?」
 「ないよ」
 さすがにミチがキヨちゃんの腕をつかんだ。「なにそれ。こじ開けろって言うの?」
 「心配ないって。開いてるから」
 その通りだった。宝物庫のもっとも奥まったところにある、レトロな感じのする高さ一・五メートルほどのキャビネットには、金庫のようなダイヤル式の錠が観音開きの扉の左右についているが、そもそも扉自体が半開きになっている。片方の扉に保管リストを手書きした黄ばんだ紙が貼りつけてあった。一番下に『鎮獣記』と記されている。キヨちゃんはそこを指でなぞりながらミチの顔を見た。
 「これだろ、たしかめたい古文書って。でもね」左右の扉の把手をつかみ、キヨちゃんは開いてみた。なかは横長のスチールのひきだしが縦に十列並んでいる。一番下のひきだしはほかの二倍ほどの高さがあった。キヨちゃんはためらわずにそれを引っ張りだした。
 がらんとしていた。
 「鎮獣記はずっとここに保管されていたんだ。おれは読んだことないけど、禰宜以上の人たちはみんな読んでいるはずだよ。島がなぜ崇められているか、その理由が書かれているそうだ」
 「だいじょうぶなのかな」佐良は訊ねた。“御言わず”に触れそうな気がしたのだ。
 それには中井が答えた。「たぶん……問題ないのでしょう。文書を書き残した人は祟られたけど、読むだけなら第三者に情報を漏らしているわけじゃないから“御言わず”には抵触しないんじゃないかしら」
 「そうなんですよ」キヨちゃんがさらりと言う。「でもおれなんかは、頼まれたって見たくないし、知りたくもないけどね。べつになんでもいいじゃないですか、信仰の理由とか起源なんて。航海の安全、大漁祈願、国家繁栄。なんだっていい。昔からそれがつづいているなら、すなおに受けいれて余計なことは考えずにつづければいいんですよ」
 「それも見識だな」佐良が同意した。
 「だけどいまの宮司の江田さんにはそれが通用しない。だからこんなことになっている」キヨちゃんは不満げにつぶやくと、せかすようにして三人を宝物庫から追いだし、社殿外の参拝客向けの休憩所に連れていった。秋分の儀を目前にひかえ、大社はひっきりなしに氏子たちが出入りしている。今夜はそこならだれからも怪しまれることはない。
 「世界遺産のことで、江田さんがまたなにか画策しているのかしら」ベンチに腰掛けるなり、中井が訊ねた。
 キヨちゃんもベンチに腰掛け、肩を落とした。「龍ヶ島の調査を本格化させていますが、ユネスコにアピールするにはなにかキャッチ―なことが必要らしいんです。それで島に関する伝説をもっと具体的に公表していこうと言いだした。それで注目したのが鎮獣記です。その内容をネットを使って広めていく計画です」
 「広めるって、ダイレクトに“御言わず”に反するじゃない」ミチがあきれる。「言い伝えを無視するなんて神職とは思えないわ」
 「あの人は神職なんかじゃない。えらくなりたい、出世したい。それだけさ。官僚なんだよ。それに極めつきのナルシストだ。親父もこぼしてた。自分が世界で一番頭がいいと思っている」
 その話に佐良は野見部長の姿をダブらせた。どこにでもいるのだ。その手の卑しい輩は。
 「それでも形ばかりは“御言わず”に敬意を払うことになって、鎮獣記は今夜の秋分の儀でお祓いを行うことになっている。そのうえで内容の一部をネットに公開して、全文は会員サイトに掲載して登録をうながす。その後は会員向けにメルマガを出して、島にまつわるあれこれを紹介していく。関連グッズの販売にもつなげたい考えです」
 「そんなやり方をユネスコが好むとは思えないけど」佐良は口にした。「ただ、世界遺産なんて、諮問機関のイコモスの委員へのロビー活動とか政治的な動きが最終的には決め手になるみたいだからね」
 「どっちも腐ってるわね」中井が冷たいコンクリートの地面を見つめ、吐き捨てた。
 「鎮獣記はすでにテキスト化されていて、現代語訳もつけられています。宮司のパソコンのなかでいまかいまかと拡散の機会をうかがっているはずです」
 「公開はいつなのかしら」ミチが怖々と訊ねた。
 「あすの午前九時さ」
 「待てよ」佐良はメモ帳を取りだした。「もしかすると『あと六日』っていうのはこのことだったのかな」
 「なんのことですか」
 驚くキヨちゃんに佐良が説明する。「龍ヶ島からの流出品を奪おうとして逮捕されたぼくの後輩と警察署で接見したとき、妙なことを口にしていたんだ。『あと六日しかない』って。強盗をそそのかしたと思われるナミという女性の話らしいけど、なんのことだかわからなかった。だけどもしかすると、ナミさんは“御言わず”の禁が大々的に破られることを知っていたんじゃないかな。彼女はここの巫女だったという話なんだ」
 「ねえ、聞いたことある? キヨちゃん、ナミっていう人のこと。ここにいたのかな」
 「聞いたことないな。だけど江田さんのやり方に反発を感じている巫女さんはたくさんいるからね。もちろん町の人たちのなかにも」
 「キヨちゃんのおとうさんなんて、いちばん嫌いなタイプでしょ?」息子が大社に勤めるコネとなったという父親について、ミチが訊ねた。
 「苦々しく思ってるよ。だけど向こうは人事権を握ってるからね」
 「キヨちゃんのおとうさん、権宮司という宮司の補佐役なんですよ」ミチが説明する。「つまりここのナンバー2」
 「名ばかりだよ、権宮司なんて。結局は宮司がすべて決めてしまう。独裁者だから」キヨちゃんはさびしそうに肩をすくめた。「鎮獣記をテキスト化して現代語訳をつけたのって、うちの親父なんだ。だれかにやらせろって宮司に命令されたんだけど、反対したら自分が飛ばされちまうし、若手にやらせるわけにもいかないからって、研修室のパソコンに一人でかじりついていた。それで身代わりになったんだよ」
 「身代わりって」
 「おとといから入院しているんだ。入念にお祓いしてから臨んだんだけど、なんの効果もなかった。過呼吸になって社務所から救急車で運ばれてさ。いまは全身がむくんで胸と腹に奇妙な傷ができて出血している。原因不明なんだ。ICUに入ってるけど、どうなるかわからないな」
 「胸と腹に傷……」佐良は眉をひそめた。「たしか銀治もそうだった」
 「ギンジ……?」
 「走尾銀治。五十年前、島から問題の黄金の鏡を盗みだした男だよ」
 「盗みだしたって……祟りってことですか」
 「かもしれない」
 「その男はどうなったんです」
 すがるようにキヨちゃんは訊ねてきたが、佐良は小さくかぶりを振った。
 「ちくしょう……」若者は両手の拳を握りしめた。「祟りなんて信じたくないけど、やっちゃいけないことってあるんだよ」
 「もしネットに流れたとしても」中井が慎重に言う。「それを読む行為自体は、だれかに内容を伝えているわけじゃないから“御言わず”には触れないはず。だけど、いまのネットの『拡散』っていうのは、他言を前提にしているでしょう。そもそも人の口に戸は立てられないものよ。あっという間に複製されて広まってしまう」
 佐良がつづける。「もし“御言わず”の祟りがあるのなら、ネットに流れた途端、無数の祟りが撒き散らされるんじゃないか」
 「信じたくないわ、そんなこと」両手で頬をさすりながらミチがつぶやいた。「お祓いしたところでどうしようもないわ」
 「とにかくネットにアップさせたりなんかしちゃだめだ」佐良が毅然として言った。「データは宮司の手元にあるのかな」
 「だと思います。秋分の儀は午前三時から始まるので、それまで宮司は自宅にいるはずです。大社に隣接する家です」キヨちゃんに先導されて三人は、社殿のわきを抜け、鬱蒼と茂る杉林の奥にある大社の裏門へと急いだ。
 いわば代々の宮司の社宅である家は、従来、平屋建ての質素な日本家屋だったというが、江田宮司が今年、大社の予算をふんだんに費やして新築し、二階建てのモダンな建物となっていた。東京の下北沢あたりに並んでいそうな豪奢な感じがする。煉瓦のファザードから降り注ぐ暖色系の明かりが「江田京次」と刻んだ石の表札を黒々と照らしだしていた。それはおなじ煉瓦を積みあげた門柱にがっちりと組みこまれ、さもそこが持ち家であると主張しているかのようだ。錬鉄製の門の向こうには、スペイン風のタイルを埋めたエントランスが広がり、高級材を使ったダークトーンの玄関扉は天井高に合わせ、必要以上に背が高かった。権威を誇る一方、地元の信者たちを拒絶して――小バカにして――いるようにも見えた。
 「いずれ家族を呼び寄せると言ってますが、いまは単身赴任です。こんな豪邸が必要なのかどうか」ぶつぶつ言いながらキヨちゃんは、門柱のカメラ付きインターホンを押した。
 反応はない。
 何度押してもおなじだった。「いるはずだけどな」キヨちゃんは門をあけ、エントランスに上がった。玄関扉の下のほうからなかの明かりが漏れてくる。アクリル板をはめたペットの出入り口が備えつけられているのだ。キヨちゃんがそこにしゃがみこむなり、ぱたりと音がして白と黒のぶちの小猫が飛びだしてきた。
 驚く間もなく小猫は佐良たちの足もとをすばやくすり抜け、門の向こうまで出たところでとまり、こちらを見た。
 「妹のほうだな。二匹飼っているんですよ。どっちもメスです。『人間とちがってペットは裏切らない』なんてよく言ってます」キヨちゃんがそこまで口にしたとき、佐良は目を凝らした。猫の顔の白い部分がひどく汚れて見えたのだ。
 それは口元から額にかけて広がっていた。まるで赤土の泥に顔を突っこんだようで、前肢もおなじように汚れていた。糞にまみれているようにも見えたが、ふたたび走りだし、闇に消えてしまったので判然としなかった。
 「なんだろう」
 キヨちゃんが声をあげる。それにつられて佐良も二十センチ四方の小窓に顔を近づけた。
 人造大理石を張った玄関に赤々としたものが斑点状についていた。バリアフリー設計でそのまま白木のフローリングにつながっているのだが、そっちもおなじだった。猫の足跡のようだった。
 廊下の向こうからもう一匹、ひと回り大きな猫がのっそりとあらわれた。おなじ白と黒のぶち猫だったが、こちらは見るからに顔が汚れている。たったいまごちそうを食い散らかしてきたかのようだった。
 「……!」
 声にならぬ声をあげたのは佐良だった。小窓の向こうで足をとめ、外からのぞく不審者を警戒する姉猫がなにか赤っぽいものをくわえていたのだ。
 指じゃない。
 大きさは似ているが、もうすこし太くて、ぶよぶよしている感じがした。
 それは猫の下顎にだらりとぶらさがっている。小さな獣は、どうにかしてそれを食いちぎり、呑みこみやすいようくちゃくちゃと咀嚼している最中に、気まぐれな妹が姿を消したので見にきたらしい。面倒見のいい姉として。
 キヨちゃんが立ちあがり、あわてて電話をかけた。直後、屋敷の二階のほうで呼び出し音が鳴りだした。「出ない……よしてくれよ……」
 佐良は芝生を張った庭のほうに飛びだした。濃紺のカーテンを引いた窓から明かりが漏れている。居間だろうか。隙間からなかをのぞいてみたが、よく見えない。二階からは電話が鳴りつづけている。佐良は窓に手をかけたが錠がかかっていた。逡巡はなかった。庭に転がるワインの空きボトルで窓を破り、ロックを外した。土足のまま上がったカーテンの向こうは洋間だった。ベージュのカーペットが点々と汚れている。玄関とおなじ赤い足跡だった。
 「江田さん!」
 キヨちゃんは連呼しながら居間を抜け、呼び出し音がつづく二階へと階段を上がった。佐良と中井、ミチがあとにつづく。もうそのときには佐良の革靴にも床の液状の汚れが付着していた。滑り止めを貼った階段を上がれば上がるほど、汚れの水っぽさが強まり、水彩絵の具を溶いたようになっていく。ローズカラーのバスボールを放りこんだ風呂の湯張りに失敗したとは思えない。
 呼び出し音がさらに高まったとき、佐良は二階の居室のフローリングに目が釘付けとなった。オーク材らしきどっしりとした事務机の前にいすが転倒している。その隣だった。食欲旺盛な猫の姉妹をまちがいなく虜にした巨大な生肉が、真っ赤な水たまりのなかに浮かんでいた。
 漂っていたのは、恐るべき汚臭だった。

 三十七
 佐良たちは宮司宅から追いだされ、棟尾署の刑事による聴取は庭先で行われた。それから署で調書作りに協力し、午後十一時過ぎになってふたたび大社にもどってきた。冷静でいられる者はだれ一人いなかった。職員も氏子たちも浮き足だち、あからさまに祟りのことを口にする者も多数いた。
 それでも秋分の儀は行うことになった。宮司がいなくても例年通りの祭祀は可能だったし、むしろ宮司が強行を画策していたオプションを排除し、今回はしきたりどおりに祈りを捧げるべきである。ご神体である龍ヶ島に向かって。禰宜たちの常識的な判断がなされたのは、佐良たちがもどってくる直前だったという。
 強烈な悪臭の漂う屋敷の二階で目にしたのは、想像を絶する惨状だった。警察は事件性を最優先に考えて鑑識活動を開始した。しかしどうしたらあんな状況が作りだせるのだろう。見当すらつかなかった。腹のなかに仕こんだ爆弾が火を噴くとこうなるのだろうか。二階のあの部屋に踏みこんだとき、火薬の臭いやなにかが燃えたような形跡はなかった。そこにあったのは、壁と天井一面に飛び散った血と肉片と臓物の跡、そしてフローリングの床は、温度管理に失敗して氷が融けだしたスケートリンクのように水浸しだった。
 そこにひときわ目をひくもの物体が転がっていた。
 死の直前まで身につけていたTシャツと短パンとトランクスは、引きちぎられて散乱していた。佐良を呆然とさせた肉の塊は、元々はそれらに包まれていたはずだ。人の形をしていればそれなりに想像もつくが、まるでプレス機にかけられたように頭蓋骨から胸郭、そして骨盤にいたるまで骨格そのものが粉砕されてしまったかのようだった。そして肉のほうも筋肉から脂肪、腱まですべて精肉職人が握りしめた包丁で粗挽きのミンチにされたかのように、組織が断ち切られ、血の海のなかでひとまとまりにむくれあがっていた。姉猫は、そのなかから大好きな匂いのする部分を嗅ぎ分けて咬みちぎり、スルメイカのように何度もかみしめていたのだろう。
 こんな状態では、果たしてそれがこの屋敷の主なのか、DNA鑑定でもしないかぎりはっきりしないだろう。これだけのことが可能な凶器は、すくなくとも部屋のなかからは見つからなかった。殺害や遺体損壊の方法も見当がつかないし、犯人像も絞れない。動機……金目のものが盗られていないことからすると、とりあえず怨恨か。
 それらについて佐良は、ここ数日間の実体験に基づく推測を披歴することもできた。しかし長崎県警は、複数の特異変死事件に関して警視庁とすでに連絡を取っていた。佐良は棟尾署の担当刑事から泉岳寺の蕎麦屋で起きた強盗殺人事件や「海水様の液体の漏出」について逆に訊ねられた。隠す話でもないので、佐良は自分がその事件の社内調査――じっさいは個人的調査なのだが――の延長として、いまここに来ていることを明かした。
 キヨちゃんは、宮司の一連の計画について証言し、さらに“御言わず”の祟りにも言及した。中井もミチも同様の証言を行ったというが、刑事たちがそれをまともに取り合うわけがない。すくなくとも表向きは。それでも彼らは宮司と見られる遺体が見つかった部屋の事務机にあったデスクトップパソコンと、机上に無造作に広げてあった古文書――鎮獣記だ――を押収していった。だがどちらも大量の血液と海水様の液体が飛び散っていた。パソコンは回路がショートしているだろうし、古文書は判読できないらしい。
 「データが吹っ飛ぶのはともかく、古文書がダメになってしまったのは痛いわね」休憩所のベンチに腰掛け、中井がため息をついた。
 「やっぱり余計なことはしちゃいけないんだよ」キヨちゃんが佐良たちをとがめるように言う。すこし前に母親から電話があり、入院中の父親の容態が思わしくないとの連絡が入っていたのだ。キヨちゃんはこれから病院に向かうという。「秋分の儀のあと、もうなにも起きなければいいんだけど」島の呪いは現実に存在する。だから頼むからそっとしておいてほしい。もはや忠告というより、懇願するような雰囲気だった。
 気の毒な若者を見送ってからミチが肩を落として言う。「キヨちゃんの言うとおりなのかな。宮司が古文書をネットに公開しようなんて発案しなかったら、あんなことにならなかったのかも」
 中井も同意する。「科学的には説明がつかないけど“御言わず”の言い伝えに反していたのはまちがいないからね」それでも准教授は学者として使命感は失っていなかった。「だけど黄金の古代鏡は失われたまま。それが東京の事件と本当にかかわっているのか、宮司やキヨちゃんのおとうさんの一件とは無関係なのか。なんだかもやもやするのよね」
 その点は佐良もおなじだった。大木は本当にその鏡を奪おうとしていたのか。それはなんのためだったのか。
 ナミ――。
 高輪署で接見中、うっとりと語っていた大木の表情が頭にこびりついたまま離れなかった。そして「あと六日しかない」というやつの警告めいた言葉は、本当に江田宮司による古文書公開を阻止できる期限をしめしていたのだろうか。
 「この半世紀のうちに徐々に崩れていった龍ヶ島と棟尾の人々の間の平衡状態をただすために、奪われた黄金鏡が必要なのかもしれない。もしそうだとしたらその鏡を捜しださないといけないのだけれど、やはりそれは“御言わず”のしきたり守って行われなければならない。ぼくの後輩をはじめとする東京で起きた一連の変死事件は、その点に反したから制裁を受けることになった。そう考えられないかな。秘密裏に行わねばならないことを、だれかに伝えてしまうことで自らは祟られ、伝えた相手は新たに“御言わず”の呪いに感染してしまう」
 「いわば接触感染ね」中井は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。「他言感染と言ってもいいわ」
 「だからこそ」佐良は自らを鼓舞するように言った。「古代祭祀についてももうすこしくわしく知る必要があるんじゃないかな」
 そこで中井があえて口にした。「問題は、それをわたしたちがしなければならない理由がどこにあるかってことね」
 「おじいちゃんならどうするかな」ミチがぽつりと言う。「信心深い人だったけど、筋を通す人でもあったから」
 佐良の胸をよぎったのは、娘の志津のことだった。父親としては気が進まないが、本人は聖王学園への入学を楽しみにしているかもしれない。それならそれでいいではないか。なにより家から近いというのは親として安心だ。その親のほうが娘に心配をかけてはならないだろう。
 おれはなぜここにいる。
 休日の深夜、家族から遠く離れた長崎の外れでなにをしている。
 それはいま考えるべきことではない。ただ、ここにやって来た原動力は、たしかにジャーナリストとしての好奇心もあるが、それ以上に意地に近い感情だった。危機管理と称して自己保身のことしか頭にない唾棄すべきあの男、野見部長に仲間を思うとはどういうことか、後輩を見舞った事件の真相とともに突きつけてやりたかったのだ。
 「せっかくここまで来たんだから」自然と言葉が突いて出た。「このまま鎮獣記の中身をたしかめないまま帰るわけにはいかないんじゃないかな。ぼくの後輩にはじまる一連の事件を見通すためにも、その内容は把握しておくべきだと思う。どうかな」
 中井もミチもそれぞれの葛藤を乗り越え、大きくうなずいた。中井が言う。「もしどこかに古文書のデータが残っているとして、それを読むだけなら“御言わず”には反しない。問題はどこにデータがあるかよ」
 「そこなんだけど」ミチが口にする。「さっきキヨちゃん、おとうさんが研修室のパソコンにかじりついていたって言ってなかったかしら」
 「うん、たしかにそう言ってたような」佐良は記憶をたどり、ミチが言わんとすることを察した。「そうか。彼の父親が古文書を翻訳して宮司にデータを渡したのなら、元のデータが研修室のパソコンに残されているかもしれないね」
 「研修室は社務所の二階です。わたしたちが巫女の研修を受けたところです。たしかにパソコンのブースがありました。だけどほとんど使わないパソコンだったような……」
 「自席のパソコンを使いたくなかったのよ」中井が言う。「職員だって全員が古文書を呼んでいるわけじゃないでしょう。キヨちゃんだって読んでいないって言ってたじゃない。不用意に広めたくなかったんだと思う」
 社務所は事件の後遺症で混乱がつづき、棟尾署員もまだ何人かうろついていた。氏子たちは黙々と調理場で供物づくりにはげんでいたが、だれの顔にも動揺が張りついている。そのわきをミチの先導で佐良と中井がつづき、階段を上がった。研修室は氏子たちの荷物置き場兼休憩室になっており、何人かがお茶をすすりながら事件のことを振り返っていた。ミチに気づき、顔を向けてきた者もいたが、余計な詮索はされなかった。部屋の外れにパーテーションで区切られた一角があり、作業台にデスクトップがのっていた。
 パソコンを立ちあげるにはパスワードが必要だったが、ブースの壁にテプラで貼りつけてあった。それにしたがってミチが立ったまま操作を開始する。最近使用したファイルを調べると、おととい作成されたものが一つあった。無題のワードファイルだ。ほかはすべて一年以上前に作成されている。
 「これだな」佐良が画面を指さした。
 だがファイルにはロックがかけてあった。さすがにこのパスワードまではわからない。作成者、つまりキヨちゃんの父親しか知らないし、たとえキヨちゃんがそれを聞いていたとしても、佐良たちには教えまい。
 “御言わず”なのだ。
 「困ったな」佐良はメールソフトも開いてみた。しかし過去一年以内に送受信された記録はなかった。「ここで翻訳してから、おそらくUSBメモリーかなにかに移して宮司に直接渡したんじゃないかな。メールだと拡散の危険があるからね」
 ミチが佐良の顔を見あげる。「それがおとといなんですかね。宮司にデータを渡したことで“御言わず”の禁を破った。それで体調異変が起きた。だとするとメモリーは宮司の手元にあるんでしょうね」
 「あの家はいまは立ち入り禁止になっている。そもそもメモリーは押収されているだろうし、血しぶきを浴びて使いものにならなくなっているかもしれない」
 「あれ?」准教授がパソコンの画面下を指さし、おもむろにマウスをつかんだ。「キヨちゃんのおとうさんが禁を破ったのって、メモリーを宮司に渡したときじゃないかも。もっと前かもしれないわ。ほら、これ。印刷のジョブが残っている」中井は気になるアイコンにカーソルを合わせて開いた。おとといの午後五時十二分にたしかにワード文書の印刷指示が出ている。だがエラーになっていた。「仕上げた文書を紙に印刷して精査しようとしたんじゃないかしら。それが体調異変の引き金になった」
 ミチが怖々と言う。「文書ファイルには第三者に見られないようロックがかけられても、紙に印刷したらおしまいですからね。シュレッダーにでもかけないかぎり」
 佐良はブースの足元をのぞいた。小ぶりのプリンターがある。電源はもちろん、パソコン側との接続にも問題はない。コピー用紙を入れるトレーが空になっているようなこともなかった。電源を投入し、ジョブを再開してみたが、やはり反応はなく、ふたたびエラーになった。プリンター側の小さなディスプレイに赤ランプが灯っている。「トナーだ。交換メッセージが出ている。権宮司はそれに気づかなかったんだ。それで印刷をあきらめてしまった」
 すかさずミチが立ちあがり、パーテーションの向こうにあるキャビネットから大きな紙箱を持ってもどってきた。交換トナーのセットだ。それを手早くプリンターに入れ換える。数秒後、プリンターが勝手に動きだし、A4判用紙を排出しはじめた。権宮司は、トナー交換の指示が出ているのに気づかず、何度もくりかえし印刷を試みたようだ。おなじ文書が三セットも排出された。
 「読むだけなら問題ないんだよね」まだ温かいコピー用紙を握りしめ、佐良は中井とミチにあらためて確認した。
 それに中井が答える。「鎮獣記自体、禰宜以上の多くの職員たちが読んでいるってキヨちゃんが言ってたでしょ。あれは本当なのだと思う。宝物庫に保管されていた鎮獣記の祟りは、それを書き残した十七世紀の宮司が一身に引き受けた。そしてその翻訳版の祟りのほうは、残念だけどキヨちゃんのおとうさんがまとめて引き受けている。そう考えていいんじゃないかしら。だから読んだ内容を第三者に伝えないかぎりだいじょうぶ」
 「読んだ者どうしなら、それについて話し合っても“御言わず”に反したことにはならないよね」
 「そうよ」ミチが声を潜めて言う。「ちょうど三セットあるでしょう。みんな、それぞれ目を通すことにしたらどうかな。それで内容を頭に叩きこんだら、すぐにシュレッダーにかけてしまうの」

 三十八
 棟尾大社「鎮獣記」について
 2018年9月
 大社権宮司 清田睦

 玄界灘に浮かぶ絶海の孤島・龍ヶ島の砂仁姫を祭神とする棟尾大社は、3世紀の頃より島で行われていた古代信仰に由来し、航海の安全を第一として無病息災、大漁祈願、五穀豊穣なども祈念する社(やしろ)です。島では1700年以上もの間、当社の宮司や禰宜たちが交代で寝泊まりしながら祭祀を司ってまいりました。女神である砂仁姫を崇め奉る気持ちから、島は女人禁制とされ、上陸するさいは磯で禊を行い、帰るさいには一木一草たりとも持ち帰ってはならず、さらに島で見聞きしたことは一切の口外が禁じられるという厳しい“御言わず”の戒律が守られてまいりました。このため、島で行われる祭祀というのも、山頂カルデラにある祭祀場のお浄めとお供え、そして祝詞を捧げるというきわめて一般的な手法を代々受け継いで行っているにすぎず、砂仁姫の素性やそもそもの祭祀の起源などについて、広く語られることはありませんでした。
 ただ、それらは当社の内部で脈々と受け継がれてまいりました。臨終を迎えた歴代の宮司が、死を覚悟したうえで後継者にそれらを明かし、それにより伝承がかなうのです。しかしそのやり方だと、いつ途絶えないともかぎりません。そこで1654年12月、当時の宮司であった蔵津布久良(くらつのふくら)が、代々の宮司に口伝されてきた島での祭祀の起源について、自らあえて“御言わず”の戒律を破って文書として記録を残したのが、以下に現代語訳を掲載する「鎮獣記」なのです。
 それにより布久良は奇病にかかりました。全身が腫れあがり、穴という穴から出血してやがて息を引き取ったということです。宮司の命と引きかえに記された記録は、その後、多くの宮司や禰宜たちが目にすることになりました。彼らはそれを自分たちだけの知識として学んだうえで、語り合い、島への信仰心を深めてまいりました。ただし、第三者に話すことだけは決してありませんでした。ですから、たとえ理性に反すると感じられても、以下の内容について事情を知らぬ相手に決して伝えぬよう約束をしていただきたく思います。それ自体が古代から綿々とつづく信仰への敬意であり、世界文化遺産としてユネスコの認定を受ける条件でもあります。(以下、カッコ内は訳者註)

 「鎮獣記」
   倭国を王(卑弥呼)が統べていた時代、倭国の西の端を担う牟音尾(棟尾)一族は、王の承認を得て大陸との間で海上交易を盛んに行っていた。海は荒れることが多く、遭難が絶えなかったため、航路の中間地点にある島に祭祀場を設け、海と風の神さまに祈りを捧げ、様々な供物を奉納してきた。
   その供物のなかに人身御供があった。いまの時代(17世紀)でこそ、あまり見られなくなった残酷な習慣であるが、王の時代にはごくあたりまえに行われていたようである。年に一度、磯に立てた杭に縛りつけて他の供物とともに祝詞が捧げられた。選ばれたのは、牟音尾の村に暮らす生娘たちであった。一度に数人ずつ、おもに奴隷として働く貧しい家庭の者たちが多く、米や魚と引きかえに娘の身売りを余儀なくされた。
 捧げられた生贄の名は、コト、ナレ、ウネ、ナミ、フエ、テイコ、セミル、ユキノ、キリコ、ネネコ、カサミ、アオネ、シオミ、クネイ、タダノ……ほかにも多くの女と思われる名前が伝えられている。生贄たちは一夜明けると、全員が杭から引き剥がされ、どこかに消えていた。牟音尾の者たちは、神々に連れていかれたと信じ、その後一年の安全が叶ったものとして安堵した。

   その神々は人間の姿をしていると考えられた。つまるところ、人身御供をはじめとする様々な供物は、近海に出没する海賊たちへの貢ぎ物であったのだ。周辺には大小さまざまな島があり、もちろん対馬もある。それらを根城に古の時代より海の民が暮らしており、倭国と大陸との間の交易船を襲撃、略奪をくりかえしていた。造船、操船技術にたけた彼らは、たしかに海を司る者たちで、彼らを遠ざけておくことができれば、交易に支障は起きないし、牟音尾の村々への上陸を防ぐことができた。
   ところがある日、生贄を磯に供え終えた牟音尾の船乗りが、そことは反対側、島の北側に船を回してみたとき、岩場に人が鎖で縛りつけられているのを見つけた。五、六人おり、いずれも若い女だった。生贄に連れてきた村の女たちではなかった。そこに船がやって来た。海賊船だった。牟音尾の船に近づき、船長とおぼしき老人が言った。「ここは聖なる島だ。この近くではわれわれもおまえたちを襲わない。もっと恐ろしいものが潜んでいるからだ」老人によると、海賊たちもこの島に生贄を捧げにやって来たのだという。島は交易路の中心に位置し、好漁場でもあるが、異形の者たちも棲んでいる。そこで彼らを鎮めるために人身御供が必要らしい。牟音尾の者たちが恐れていた海賊たちもまた、なにかべつの存在を恐れ、むやみに近づかないようにしていたのだ。
   老人はつづけた。

   やつらは海よりあらわれる。
   太古よりこの海で亡くなった者たちの怨念、亡霊である。
   ウミガミたちなのだ。
   鯨のように大きく、陸に上がり、狼のようにすばやく、獰猛で、貪り喰らう。
   人のように考え、その形相はときとして人そのものだ。
   まさに人間の亡霊である。
   それは海をさまよい、世代を重ねる。
   われわれの体を使って
 島の子宮の地で。
 生贄のはらわたをすすり、腹を食い破ってあらわれる。

 船乗りはその話を牟音尾の族長、キリウに伝えた。キリウは海賊よりも恐れるものがこの世に存在することに驚愕し、以後、生贄の数を増やしつづけていった。
 あるとき、悲劇が起きた。
 キリウの長男で、勇敢な船長であったヒヅルが海に出たまま帰らなくなったのだ。キリウは心配して配下の者たちに捜させた。するとセノイというヒヅルの船の乗組員からこんな声があがった。

 おそれながら申しあげます。ヒヅルさまには恋する人がおりました。
 サニという、海賊に奴隷とされた新羅の村娘でございます。彼女が奴隷とされる以前、交易のために帰港した新羅の村にて出会ったそうです。わたしたちには隠しておりましたが、ヒヅルさまはまだ十五歳。隠しおおせるものではございませぬ。しかしだれ一人、余計な口出しはしなかったので、ヒヅルさまとサニは情愛を深め、やがて契りを結ぶにいたったのでございます。
 しかしサニはしばらく前、海賊に略奪されてしまい、ヒヅルさまは心をかき乱しておりました。彼らのなかに放ちました間者の話によりますと、どうやらサニはこのたびあの島に人身御供に出されたようです。もともとそのために拉致されたのです。ヒヅルさまは数日前にそのことを知りました。それで一人で船に乗りこみ、姿を消しましたのであります。

   息子の恋人のことなどキリウはまったく知らなかった。そのことを知っておきながら伝えなかったセノイを本来なら罰して斬首するところであったが、そうはしなかった。セノイはヒヅルの親友でもあったため、キリウはセノイにヒヅルを連れもどすよう命じたのだ。
   セノイは船団を組み、島に向かった。夕方に到着すると、北側の海賊たちが使っていた小さな港にヒヅルの船があった。だが本人の姿はないし、空の鎖があるばかりで生贄もどこかに消えている。
   やがて夜になった。
   新月の夜、真闇に包まれるなか、セノイたちは松明を手に手分けして島じゅうを捜索した。
   森に潜むヒヅルとサニをセノイが見つけたのはそれから何時間もたったときだった。ヒヅルは大剣を手にしていたが、身を隠すほかに助かるすべはないようだった。セノイはあわてて松明を消した。
 すぐそばでは闇よりも暗く、あたりの気を歪ませるほど威圧感のある大きなものが蠢いていた。セノイはそれを海賊の古老の言葉通り「ウミガミ」と呼んだ。三人はすきを見て逃げようとしたが、化け物は鼻がきいた。たちまち見つかってしまい、山頂へと追い立てられていった。
 山頂に出るなり、三人は足を踏み外し、崖を転落した。山頂は平らでなく、鍋の底のようにえぐれていたのだ。そのあとを化け物が追いかけてきた。この島のことを熟知しており、がさがさと藪をつぶす音からすると、ほかにも何体かがあとについてきているようだった。
 三人は藪のなかを突き抜け、転げながら逃げ惑った。しかし真闇のなかでも化け物たちは夜目がきいた。たちまち距離をつめられ、ほどなくして取り囲まれてしまった。

 それに気づいたのはサニだった。目の前の大岩らしきものに裂け目があったのだ。三人はそこに逃げこみ、息を潜めた。だが人のにおいだけは隠しようがなかった。とくにサニが放つ女の肉の香りは化け物たちを引き寄せた。
 岩のなかを後退する三人はいつしか、狭い洞窟のような場所に迷いこんでいた。セノイはふたたび松明を灯し、腰をかがめて奥へ奥へと穴のなかを進んだ。するとほら穴が突如広がり、鍾乳洞のような高い岩天井が広がるがらんとした場所に出た。後方からは、化け物の吐息が響いてきた。
 足もとには、大きな池が広がっていた。三人はそれを回りこみ、岩陰に逃げこもうとした。そのとき、サニが足を滑らせ、池に落ちた。その途端、水面にさざ波が起こり、池のなかからべつの一体が出現した。まるで獲物が落ちてくるのを待っていたかのようにすばやく一直線にサニのほうへ近づいてきた。たちまちサニの体を捕らえ、そのまま水の奥へと沈みだした。それを追ってヒヅルが飛びこみ、大剣を振るった。それが化け物の体を切り裂き、どろどろした血液が流れだした。わずかに化け物がひるんだすきに、ヒヅルはサニを抱えて池の中洲に上がった。
 それが命取りだった。退路が完全に断たれたなか、つぎからつぎへとあらわれたウミガミたちに二人は取り囲まれてしまった。

   セノイ、おれたちにかまうな。
   逃げろ、逃げてくれ。
   父上に謝っておいてくれ。
   サニを化け物の餌食にするわけにはいかないのだ。

   それがセノイが最後に聞いた親友の言葉だった。恐怖におびえながらも愛のぬくもりに満ちていた。後ろ髪を引かれる思いでセノイは逃げ帰ってきたが、その声音は死ぬまで耳にこびりついていたという。族長の座を継ぐはずだった長男が、外国の素性のわからぬ娘と契りをかわし、あげくの果てにその女のために自ら化け物の餌食となる道を選んでしまった。血を分けた息子によって辱められた思いよりも、父親として子どもを失った悲しみのほうが強かった。その意味では、キリウに流れていたのは、温かな血であった。
   不幸なその出来事により、族長キリウは、娘を売らねばならなかった村の者たちの哀しみに思いをいたした。そこでキリウは東に向かう旅に出た。自ら王に謁見し、窮状を脱する知恵を借りようと思ったのだ。
  
   それから二十日の後、キリウは王への謁見が叶った。西国の一族を見舞った生贄の悲劇に王はひどく胸を痛めるとともに、事態を放置しておくと王権にも悪影響がおよぶと考えた。すなわち西国の海からあらわれた妖怪がやがては邪馬台国にも迫り、民を貪り喰らうことになると危惧したのである。そこで自ら火を焚き、あらゆる大和の霊を呼び集めたうえで亀甲による託宣を行った。
  
   生贄を出すことは金輪際ならぬ。
   かわりに王の御名において黄金の鏡をあたえる。
   昏(くら)き海の洞穴にて育まれる龍を封じるなら、
 大地のもっとも強い霊である黄金の鏡をもちいて
 空の炎を受けいれよ。

   それが王の託宣であった。当時もいまも黄金は大地の奥底から生ずるもので、水、とくに海にあらがう象徴と考えられていた。それで作った鏡を洞窟の奥、悲しみの地に供えよというのだ。
   キリウは王から賜った黄金鏡を胸に牟音尾に急いでもどった。そして船団を率いて王の語った“龍”の棲む島――龍ヶ島――に向かい、龍の割れ岩から洞穴へと入り、王の託宣を実行した……

 三十九
 研修室のパソコンブースで三人は人目を避けるようにして「鎮獣記」の翻訳版にかじりつき、さらにつづく結末まで一気に読み進めた。
 まもなく日付が変わるという頃、コピー用紙から目を上げた佐良は喉が腫れたような圧迫感をおぼえた。おなじ文書をともに読み、知識をすでに得ているこの三人でなら、内容について議論しても祟られない。頭ではわかっていたが、とてもでないが感想を述べる気になれなかった。
 沈黙を破ったのは冷静な研究者である中井だった。「まさに獣を鎮めた経緯を記した文書ね。キリウをはじめとする牟音尾の一族ではその後、祈祷師を島に常駐させるようになった。それが祭祀の始まりというわけね。なんだかこれまで見えなかった部分がクリアになった感じがするわ。カルデラ北部、これによるなら『龍の割れ岩』って言うのかしら、そこにだけは近づかないよう申し合わせたうえで、さらに一連の出来事は口外してはならないことになった。これこそが“御言わず”の起源なんだわ」
 「一連の出来事――」ミチがぽつりと言う。「そのなかでも黄金鏡にまつわるくだりなんだと思う。もっとも秘密にしておかなければならない部分というのは」
 「たしかにそうだ」ようやく佐良は声を発することができた。一語一語慎重につづける。「言霊という言葉があるとおり、声に出してみることでなにか霊的な影響が生じると日本では信じられてきた。でもその逆もあると思う。つまり霊的な力が失われるということさ。卑弥呼の秘儀によりせっかくこめられた験力、邪悪なものを封印するパワーが、ぺらぺらしゃべることで薄まってしまう。そういうことってあるんじゃないかな。もちろんまったく理性的じゃないし、非科学的な発想だけどね」
 「奇怪な事件が相次いでいるんだし」中井が達観したように言う。「この文書のなかに答えがあるような気がしてきたわ」
 「化け物は、海で死んだ者たちの亡霊であるとされている」佐良は該当部分を指でなぞった。「言うなれば海の呪いなんだ。だからここ数日間の出来事もみんな、海、龍ヶ島の海がかかわっている。そう考えるといろいろなことが符合するんじゃないかな。ぼくの後輩や取り調べにあたった刑事、その知人が相次いで“溺死”したことなんかも」
 「生贄にされた女の子たち……ナミって名前もちゃんと出ているけど……みんな、結局は海に殺されたってことかな」ミチが救いをもとめるように佐良を見つめた。
 佐良が答える。「きっとそうなんだろう。大木に憑りついた“ナミ”は、生贄となって殺された少女の霊だったんだ。そしてその霊は、千七百年以上たったいまなお、自らの命を奪った海を引きずっている。だから憑りついた者たちの居場所に海水のようなもの、いや、まさに海水そのものが残るんじゃないかな」佐良は蕎麦屋の二階にあふれていた大量の水や大木のベッドにできた染みのことを伝えた。「遠い影の世界から海がやって来るんだよ。みんなその残滓なんだ」
 「だとすると」中井が目をすがめた。「その刑事さんや知り合いの人にも少女たちの霊が?」
 「だと思う。相手によって憑りついた霊はちがうのかもしれないけど、みんな、黄金鏡を取りもどしたがっていたんじゃないかな。それでぼくの後輩たちを操ろうとした」
 「そんな簡単に操れるものなのかしらね」
 「刑事たちがどうだったのかはわからないけど、ぼくの後輩、大木はふだん明るく振る舞っていても四十代なかばで独身だし、他人にはうかがい知れない孤独や苦悩があったんだろう。そこにつけこんできたんだよ。幻覚……いや、もっとわかりやすく言うなら、甘い夢を見させたんじゃないかな。ナミという女性について話していたときの大木の恍惚とした顔が忘れられないよ。たしかにあれは憑りつかれた感じだった。きっと龍ヶ島ルポのときに憑依を受けたんだろう。それで言いなりになって、あんな事件を引き起こした。ところが黄金鏡は見つからぬまま、霊による誘導は破綻してしまった。やつが“御言わず”の禁を破ってしまったんだろう。たぶん黄金鏡の一件をだれかにしゃべったんだね。きっと取り調べた刑事にだと思う。それがきっかけで刑事も憑依を受けた。あとはその連鎖さ」
 「だけど」ミチが首をかしげる。「そもそもは黄金鏡を盗みだしたのがいけないのでしょう。だから銀治という男は悲惨な死に方をした。だったらそれを譲り受けた親友はどうしてその後半世紀も無事だったんだろう」
 「悪意がなかったんじゃないかしら」中井が推理する。「神の宿る島から盗みだしたものだとは知らなかったとしたら、罪はないでしょう。それに返そうにもどこに返せばいいかわからないのだし。ある意味、保管していたとも言えるんじゃないかしら」
 「でもな」佐良は全面的には同意できなかった。「龍ヶ島から持ちだされたものだというのを、福元祥生は薄々わかっていたんじゃないか。銀治から譲り受けたのは、彼が島からもどってきた直後だったのだし。ただ、鎮獣記に書かれているような、鏡のくわしい来歴までは把握していなかったのかもしれない」
 「海で亡くなった者たちの亡霊が妖獣に変化し、人々を襲うようになった。その化け物を鎮めるための黄金鏡だったというわけね」中井がプリントアウトされた鎮獣記の翻訳版にあらためて食い入る。「鯨のように巨大……この部分が気になるんですよ。六月頃に漁師が目撃した奇怪なものの話です」
 「夜の海で船べりになにか大きなものが近づいてきたっていう話かな」
 「そうです。とても大きなもの……だけど鯨というわけではありませんでした。船に近づいてきただけじゃないんです。姿形ははっきりとは見えなかったけど、船べりから上がってきそうになったらしいです。船のなかに。たしかにここにも、陸に上がるとあります」
 「トドとかセイウチとかの鰭脚類ならその可能性はあるかな」
 「でもこのあたりの海にそんなのいないですよ」
 「だったら巨大な半魚人……恐ろしい形相は人間そのものだともある。まさに妖獣だな。もし本当にいるなら見てみたい気もするけど」
 「ここの意味がわからないんですよ」ミチが手にしたコピーの一部を指さした。「……世代を重ねる。われわれの体を使って島の子宮の地で。生贄のはらわたをすすり、腹を食い破ってあらわれる……人間の体を使って世代を重ねるって?」
 「考えたくないね」禍々しい想像を佐良は吐き捨てた。「島が女人禁制というのは、じつはちがう意味があったのかもしれないな。だから化け物を島で封じておかないと、牟音尾だけでなく、大和の国の中枢にまで危機が迫る。卑弥呼は本気でそう考えたんだろう」
 「怖いわ」ミチが寒気をおぼたように両腕で自分の体を抱きしめた。鎮獣記の最後のくだりだった。卑弥呼の託宣を具体的にどうやって実行に移したか、そこには感情を差しはさむことなく淡々と記してあった。「鏡を供えるのも命がけだったなんて」
 そのときだった。
 パーテーションの向こうが騒がしくなった。研修室にだれか来たようだ。佐良はそちらに目をやるなり、動けなくなった。
 「よぉっ」
 佐良に気づいた要次は満面の笑みを浮かべ、近づいてきた。
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