第1話 サイボーグ009
文字数 2,249文字
みなさんこんにちは。こちらは1967年早生まれの私(甘らかん)が、自分がハマってきた昭和・平成アニメや漫画や特撮などを振り返るエッセイ【昭和オタク道(しょうわおたくどう)】になります。
第1回を飾るのは石ノ森章太郎先生の代表作【サイボーグ009】です。
この作品がなかったら私はオタクになっていなかっただろう。
*
1(ワン)、2(ツー)、3(スリー)、4(フォー)、5,6,7,8(ファイブシックスセブンエイト)、009(ゼロゼロナイン)
私が生まれて初めて覚えた英語です。
1960年代のアニメを集めたLPレコード(CDなど存在しない時代)というものが家にありました。親がどういった経緯でそれを買ったのかはわからないのですが、いろんなアニメの主題歌やEDが入っていたアルバムは「キュッキュッキュ、おばーけのキュ。ぼくはお化けのQ太郎」「おれは、怪物君だ、怪物ランドの王子だぞ(白石冬美さん歌唱)」「われらのスーパージェッター」「どこ、どこ、どこからくるのか黄金バット」などというラインナップのものでした。物心ついたころに鬼リピしていた、生まれる前に放映していたアニメたち。
その中にサイボーグ009の主題歌とED「戦い終わって」も入っていたわけです。9人が近づいてくる足音から、声優さんひとりひとりが、ワン、ツー、スリーと名乗りをあげ、最後に「ゼロゼロナイン!」からイントロに入る。
【え、なにこの曲めっちゃ刺さるんですけど】
と幼児が思ったかは不明ですが、当時は白黒でしたので黄色いマフラーが表現できなかったのでしょう、009だけ白服に赤いマフラーで、歌詞も「赤いマフラーなびかせて」なんですね。時代と共に通常の赤い服に黄色のマフラーに戻りましたが、白黒時代から長いマフラーの動きをうまく表現しようとしています。009は加速装置でとんでもないスピードだすわけですから、マフラーがらせんを描くように地面と水平です。カッコ良すぎてめまいがしてきました。白黒時代のものは再放送とかアニメ特番とかで見たのだと思います。
*
漫画が読める年齢になったとたん原作本に手を出しました。シリーズがあまりに長くて途中で挫折してしまったのですが、アニメはテレ東でやったのだけ見なかったのかな。『009 RE:CYBORG』(2012年、009は宮野真守さん)は観に行きました。最新版ということで、加速装置フルで爆心地から逃げる009がカッコよすぎて「やはり島村ジョーは永遠の婿」と思ったくらいです。
ウィキ先生によると1964年連載開始とあります。複数の出版社で連載され、アニメやラジオドラマやらたくさんの声優さんが00ナンバーサイボーグを演じてきたようです。
私の009の印象は森功至さんです。おかげで初の声優推しが森さんになりました。森さんのイケボで「らかんくん(ここはあえてくんなんですよ)」言われたい、言われたいぞ(ハァハァ)。それは置いとけないが一応置いといて。
*
悪の商人に拉致されて勝手に改造されて兵器として造られてしまった00ナンバーサイボーグは【試作品】です。試作品なので人選にあたり、全員違う人種でというのがブラックゴースト団の意向で、各国から全員が誘拐されてくるわけですが、島村ジョーだけは純粋な日本人ではなく混血児です。親はすでにおらず、なにをしたのかわからないが少年院から脱走したところでとっ捕まる。
目が覚めたらすでに改造済みでよくわからないままに他の00ナンバーの仲間とギルモア博士とともに【人間兵器からの脱出】をしていくわけです。組織を裏切り、平和のために活動していくというのが物語の出だしだったわけですが、連載が長引くにつれ。
【彼らは一体なにと戦っているのだ?】
となっていくのですが、まぁ、そこのとこは、私も途中で挫折しているし、まぁ、いいか、あやふやってことで。と遠い目になる。
*
ところで、この頃の漫画の主人公というのは【親がいない】という設定が目につきます。
島村ジョーしかり、タイガーマスクの伊達直人、矢吹丈に至ってはジョーつながりなのか少年院にいました。髪型までごらんのとおりです。
ヒーローというものは【孤独】の二文字が似合わなくてはならない。そしてワル。そういう風潮だったのでしょう。だからこそ敵対するホセ・メンドーサはリア充なわけで……あしたのジョーは今は横に置いといて。
1960年代において【サイボーグ】というワードを生み出しただけでSF漫画の金字塔だ。
9人がそれぞれに長けた能力があり、力を合わせて戦っていく姿は令和の今なら当たり前のように転がっている設定ですが、連載開始1964年です。昭和も戦後さほどたっていない時代です。すごい想像力です。
*
009においては「こんな能力あったらな……」というあこがれまでも抱いたものです。人はこれを中二病というのだろうが、歯医者に行くたびに「加速装置つけてください」というのをこらえたりもした。いや、実際、奥歯にスイッチがある加速装置ってなにかコツがないと加速しっぱなしになります。どういう仕組みなのだろうか。そんなことを考えて1日が終わった【加速装置欲しい人】はそこらじゅうにいたのではなかろうか。
半機械人間とか兵器とか、人の心がないかのように言われてしまう00ナンバーたち。しかし「ぼくらは人間だ」と宣誓するところは、石ノ森先生の平和への願いだったと思うのです。
結論:島村ジョーは無条件にかっこいい。
~終わる~
第1回を飾るのは石ノ森章太郎先生の代表作【サイボーグ009】です。
この作品がなかったら私はオタクになっていなかっただろう。
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1(ワン)、2(ツー)、3(スリー)、4(フォー)、5,6,7,8(ファイブシックスセブンエイト)、009(ゼロゼロナイン)
私が生まれて初めて覚えた英語です。
1960年代のアニメを集めたLPレコード(CDなど存在しない時代)というものが家にありました。親がどういった経緯でそれを買ったのかはわからないのですが、いろんなアニメの主題歌やEDが入っていたアルバムは「キュッキュッキュ、おばーけのキュ。ぼくはお化けのQ太郎」「おれは、怪物君だ、怪物ランドの王子だぞ(白石冬美さん歌唱)」「われらのスーパージェッター」「どこ、どこ、どこからくるのか黄金バット」などというラインナップのものでした。物心ついたころに鬼リピしていた、生まれる前に放映していたアニメたち。
その中にサイボーグ009の主題歌とED「戦い終わって」も入っていたわけです。9人が近づいてくる足音から、声優さんひとりひとりが、ワン、ツー、スリーと名乗りをあげ、最後に「ゼロゼロナイン!」からイントロに入る。
【え、なにこの曲めっちゃ刺さるんですけど】
と幼児が思ったかは不明ですが、当時は白黒でしたので黄色いマフラーが表現できなかったのでしょう、009だけ白服に赤いマフラーで、歌詞も「赤いマフラーなびかせて」なんですね。時代と共に通常の赤い服に黄色のマフラーに戻りましたが、白黒時代から長いマフラーの動きをうまく表現しようとしています。009は加速装置でとんでもないスピードだすわけですから、マフラーがらせんを描くように地面と水平です。カッコ良すぎてめまいがしてきました。白黒時代のものは再放送とかアニメ特番とかで見たのだと思います。
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漫画が読める年齢になったとたん原作本に手を出しました。シリーズがあまりに長くて途中で挫折してしまったのですが、アニメはテレ東でやったのだけ見なかったのかな。『009 RE:CYBORG』(2012年、009は宮野真守さん)は観に行きました。最新版ということで、加速装置フルで爆心地から逃げる009がカッコよすぎて「やはり島村ジョーは永遠の婿」と思ったくらいです。
ウィキ先生によると1964年連載開始とあります。複数の出版社で連載され、アニメやラジオドラマやらたくさんの声優さんが00ナンバーサイボーグを演じてきたようです。
私の009の印象は森功至さんです。おかげで初の声優推しが森さんになりました。森さんのイケボで「らかんくん(ここはあえてくんなんですよ)」言われたい、言われたいぞ(ハァハァ)。それは置いとけないが一応置いといて。
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悪の商人に拉致されて勝手に改造されて兵器として造られてしまった00ナンバーサイボーグは【試作品】です。試作品なので人選にあたり、全員違う人種でというのがブラックゴースト団の意向で、各国から全員が誘拐されてくるわけですが、島村ジョーだけは純粋な日本人ではなく混血児です。親はすでにおらず、なにをしたのかわからないが少年院から脱走したところでとっ捕まる。
目が覚めたらすでに改造済みでよくわからないままに他の00ナンバーの仲間とギルモア博士とともに【人間兵器からの脱出】をしていくわけです。組織を裏切り、平和のために活動していくというのが物語の出だしだったわけですが、連載が長引くにつれ。
【彼らは一体なにと戦っているのだ?】
となっていくのですが、まぁ、そこのとこは、私も途中で挫折しているし、まぁ、いいか、あやふやってことで。と遠い目になる。
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ところで、この頃の漫画の主人公というのは【親がいない】という設定が目につきます。
島村ジョーしかり、タイガーマスクの伊達直人、矢吹丈に至ってはジョーつながりなのか少年院にいました。髪型までごらんのとおりです。
ヒーローというものは【孤独】の二文字が似合わなくてはならない。そしてワル。そういう風潮だったのでしょう。だからこそ敵対するホセ・メンドーサはリア充なわけで……あしたのジョーは今は横に置いといて。
1960年代において【サイボーグ】というワードを生み出しただけでSF漫画の金字塔だ。
9人がそれぞれに長けた能力があり、力を合わせて戦っていく姿は令和の今なら当たり前のように転がっている設定ですが、連載開始1964年です。昭和も戦後さほどたっていない時代です。すごい想像力です。
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009においては「こんな能力あったらな……」というあこがれまでも抱いたものです。人はこれを中二病というのだろうが、歯医者に行くたびに「加速装置つけてください」というのをこらえたりもした。いや、実際、奥歯にスイッチがある加速装置ってなにかコツがないと加速しっぱなしになります。どういう仕組みなのだろうか。そんなことを考えて1日が終わった【加速装置欲しい人】はそこらじゅうにいたのではなかろうか。
半機械人間とか兵器とか、人の心がないかのように言われてしまう00ナンバーたち。しかし「ぼくらは人間だ」と宣誓するところは、石ノ森先生の平和への願いだったと思うのです。
結論:島村ジョーは無条件にかっこいい。
~終わる~