白き鳥は籠の中
文字数 2,978文字
尖った山々がいくつもある。山には濃霧 がたちこめ、雲のように広がっていた。
空は海のように蒼く、太陽が燦々 と地上を照らす。雲はないものの、どこまでも続いていた。
ふと、遠くの空から鷹 が鳴きながら飛んでくる。鷹は霧をもろともせず、地上目がけて落下した。
そんな鷹の眼には美しく煌 めく運河が見える。
鷹 は何を考えるでもなく、運河の上流へと飛んでいった。しばらくすると鷹の視界に大きな街が映る。
街のあちこちに河があり、小舟が置かれていた。人はそれに乗り、河をのんびりと進んでいく。
多くの建物は朱 い屋根、柱になっている。朱い提灯 を何本も飾り、それらが風によって時おり揺れていた。
左右の家屋の間にある道は細いものから太い場所まであり、常に人々で埋め尽くされている。
「……ピュイ?」
鷹 は適当な屋根の上に乗り、かわいらしく小首を傾げた。
せわしなく動く人たちは、桃や白などの色を使った漢服 を着ている。青空のような色もあった。けれど宵闇のような暗い色を着ている者は一人もいない。
鷹 は人を観察することに飽きたのか、翼を空に向けて飛び去った。
騒がしい街を奥に進むと、長い階段がある。その階段を登れば、美しい門が見えた。門の左右には一人ずつ、剣を腰に添 えて立っている。そんな者たちを通りすぎれば、街にある建物が霞 むほどに大きな宮殿が聳 えていた。
朱 の屋根は街の建物と同じである。しかしそれ以外……外装や柱など。庶民では手の届かぬ豪華 な作りとなっていた──
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆
「──そうか。ご苦労であった」
宮殿の奥には王座がある。
そこに座るのは髭 を生やした四十代半ばの男だ。
何本もの細長い線が垂れた帽子、至るところに金龍 の刺繍 が施 された漢服 。これらは全て黒く、気品あった。
男が呼吸をしただけで空気すら重苦しくなっていく。静寂 よりもズシリとした鎖 のような……男以外の発言は許さぬ空間が、この場の気温を下げていった。
「顔を上げよ。発言を許そう」
玉座に腰を落ち着ける男が声を発する。
すると、この男よりも低い位置で跪 いていた青年が顔を上げた。
「──ならば、さっそく鳥籠 への出入りを許可してほしい」
青年は大きな喉仏を動かしながら、クスッと口角をあげる。自身よりも高い位置に居座る男を見上げ、ほくそ笑んだ。
青年は黒髪を三つ編みにしている。腰まで伸びた髪は烏のような濡羽色 だ。
瞳は同色で切れ長。強く、鋭い眼差しをしている。健康的な肌色と大人びた風貌 は、彼の整った目鼻立ちを際立 たせていた。
髪や瞳と同じ黒色の漢服 は、両肩に花柄の刺繍 がされている。
そんなふうに全身が黒で覆 われている彼は不敵な笑みを浮かべた。
「私と貴方との取引は終わったはずだ。これ以上引き延 ばすのであれば、こちらとて容赦はしない」
瞬間、この場にいる全ての者がざわつく。
何ともぶしつけか。礼儀も何もあったものではない。なかには武器を構えて、三つ編みの青年へと切っ先を向ける者もいた。
それでも彼は飄々 とした笑みを絶やさない。それどころか玉座へ腰かける男へと、帳 の視線を飛ばした。
「わかっているはずだ。ここにいる者たちでは、私を捕まえる事など叶わないのだと」
誰にも捕捉 はならず。
自信たっぷりに言葉を放ち、立ち上がった。青年の身長はおよそ百九十センチ前後はあろうか。スラリと伸びた身長をひけらかし、大きくて無骨な手で剣の入った鞘 を腰へと修 めた。
周囲の者たちが警戒心 を顕 にしても、彼はくつくつと一笑する。
やがて口角はすぐに閉められ、背中から冷めた息が洩 れた。玉座にいる男を凝望 し、無言で踵 を返す。
「……っ!? 待たれよ、全 思風 殿!」
玉座で高らかに話していた男の態度が一変。三つ編みの青年──全 思風 ──を、慌てて引き留めようとする。
「……私の気は短いんだ。同じ件 を言わせないでもらいたい」
「……っ!?」
転瞬 、場が凍りついていった。長い黒髪が暗闇のように揺れ、彼の身を焦 がすかのよう。
全 思風 の豹変 に驚いたのは玉座に腰かける男だけではない。武器を持つ者、それ以外の人たちまでもが、彼の放つ怒気 に身を震えさせていた。
場を勝ち取った全 思風 は黒曜 のように妖しく美しい。その姿を崩すことなく一歩、また一歩と、扉へと進んでいった。扉を開け、ひれ伏している者たちに背中を向けてほくそ笑む。
肩にかかる三つ編みを叩 き、背中へと戻した。中にいる者たちへは目もくれることなく、靴音を響かせながら歩く。
ときおり痛いほどに差す視線はあるものの、全 思風 は飄々 とした様子である場所へと向かった。
全 思風 は廊下をまっ直ぐ進む。
磨 かれた床や太い柱などは白いけれど、特にこれといった真新しさはなかった。人の気配はなく、静寂が靴音を強く響かせていく。それでも彼は我関せずだった。
やがて廊下の中区へと差しかかる。等間隔に立てられている柱の間に手を置き、壁をグッと強く押した。すると壁が重音 を鳴らし、ゆっくりと横へと開いていく。
中をのぞけば、そこは暗闇だった。それでも彼は灯りをつけることなく、まるで見えているかのような足取りで進む。
コツコツと、足音が一定の音律 を刻んでいった。
数分ほど歩くと、眼前に一つの提灯 が転がっているのに気づく。それを手に取り、ふっと片口を上げた。懐から紙を出し、提灯 へと近づける。すると提灯 は淡く光り、周囲を照らした。
「……待たせてしまってごめんね」
提灯を自身の顔の前まで持ってくる。
灯りが見せるのは一つの牢屋だ。しかし不思議なことに、屋根が丸くなっている。中をのぞいてみれば、くたびれた壁や床だけの部屋だった。扉は鉄格子だが、人ひとりが通れそうなほどの隙間がある。それでも誰も出てくる様子はない。
「──小猫 」
低い声で牢屋の中へと語りかけた。そして鉄格子の扉を開ける。
ギイィ……
錆びた音を奏でながら開いた扉を前に、彼は一歩ずつ中へと足を踏み入れた。
瞬間、牢屋の外から見ていた景色は一瞬にして切り替わる。殺風景そのものだった中は、深紅 の花で埋め尽くされていた。風もないのにさわさわと揺れる花は、根に毒を持つ彼岸花 である。
彼が少し動いただけでも花びらは落ちていった。手に取ろうとすると淡く、宝石のように輝きながら舞う。溶けていくそれをひと粒摘めば、お菓子のように甘い香りがした。嘱 すと、砂糖のような甘味となる。
部屋の形そのものは鳥籠のままに、場面だけをごっそりと変えてしまったような……そんな光景が彼の視界を覆 った。
「……意識がなくとも、身を守っているのか。ふふ、本当に君は賢いね」
朱 の花畑の奥へと進む。やがて彼岸花 が不自然な形で生えている場所に着いた。
彼岸花 が輪を作っているのだ。
中心には、この場に不釣り合いな者が横たわっている。
透明な硝子 のような髪をした、美しい子供だ。長いまつ毛、病的なまでに白い肌。花畑の中にすっぽりと埋まってしまう小柄な体型も相まって、精巧 な人形のような見目をしていた。
そして、真っ白な喪服 を着ている。
「……仔猫 」
子供の首に触れ、呼吸をしていることを確かめた。トクトクと、弱くはあるが脈は動いている。
全 思風 はほっとした様子で頬へと手を伸ばす。
すると……
子供の長いまつ毛がふるりと、僅かに動いた。
空は海のように蒼く、太陽が
ふと、遠くの空から
そんな鷹の眼には美しく
街のあちこちに河があり、小舟が置かれていた。人はそれに乗り、河をのんびりと進んでいく。
多くの建物は
左右の家屋の間にある道は細いものから太い場所まであり、常に人々で埋め尽くされている。
「……ピュイ?」
せわしなく動く人たちは、桃や白などの色を使った
騒がしい街を奥に進むと、長い階段がある。その階段を登れば、美しい門が見えた。門の左右には一人ずつ、剣を腰に
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆
「──そうか。ご苦労であった」
宮殿の奥には王座がある。
そこに座るのは
何本もの細長い線が垂れた帽子、至るところに
男が呼吸をしただけで空気すら重苦しくなっていく。
「顔を上げよ。発言を許そう」
玉座に腰を落ち着ける男が声を発する。
すると、この男よりも低い位置で
「──ならば、さっそく
青年は大きな喉仏を動かしながら、クスッと口角をあげる。自身よりも高い位置に居座る男を見上げ、ほくそ笑んだ。
青年は黒髪を三つ編みにしている。腰まで伸びた髪は烏のような
瞳は同色で切れ長。強く、鋭い眼差しをしている。健康的な肌色と大人びた
髪や瞳と同じ黒色の
そんなふうに全身が黒で
「私と貴方との取引は終わったはずだ。これ以上引き
瞬間、この場にいる全ての者がざわつく。
何ともぶしつけか。礼儀も何もあったものではない。なかには武器を構えて、三つ編みの青年へと切っ先を向ける者もいた。
それでも彼は
「わかっているはずだ。ここにいる者たちでは、私を捕まえる事など叶わないのだと」
誰にも
自信たっぷりに言葉を放ち、立ち上がった。青年の身長はおよそ百九十センチ前後はあろうか。スラリと伸びた身長をひけらかし、大きくて無骨な手で剣の入った
周囲の者たちが
やがて口角はすぐに閉められ、背中から冷めた息が
「……っ!? 待たれよ、
玉座で高らかに話していた男の態度が一変。三つ編みの青年──
「……私の気は短いんだ。同じ
「……っ!?」
場を勝ち取った
肩にかかる三つ編みを
ときおり痛いほどに差す視線はあるものの、
やがて廊下の中区へと差しかかる。等間隔に立てられている柱の間に手を置き、壁をグッと強く押した。すると壁が
中をのぞけば、そこは暗闇だった。それでも彼は灯りをつけることなく、まるで見えているかのような足取りで進む。
コツコツと、足音が一定の
数分ほど歩くと、眼前に一つの
「……待たせてしまってごめんね」
提灯を自身の顔の前まで持ってくる。
灯りが見せるのは一つの牢屋だ。しかし不思議なことに、屋根が丸くなっている。中をのぞいてみれば、くたびれた壁や床だけの部屋だった。扉は鉄格子だが、人ひとりが通れそうなほどの隙間がある。それでも誰も出てくる様子はない。
「──
低い声で牢屋の中へと語りかけた。そして鉄格子の扉を開ける。
ギイィ……
錆びた音を奏でながら開いた扉を前に、彼は一歩ずつ中へと足を踏み入れた。
瞬間、牢屋の外から見ていた景色は一瞬にして切り替わる。殺風景そのものだった中は、
彼が少し動いただけでも花びらは落ちていった。手に取ろうとすると淡く、宝石のように輝きながら舞う。溶けていくそれをひと粒摘めば、お菓子のように甘い香りがした。
部屋の形そのものは鳥籠のままに、場面だけをごっそりと変えてしまったような……そんな光景が彼の視界を
「……意識がなくとも、身を守っているのか。ふふ、本当に君は賢いね」
中心には、この場に不釣り合いな者が横たわっている。
透明な
そして、真っ白な
「……
子供の首に触れ、呼吸をしていることを確かめた。トクトクと、弱くはあるが脈は動いている。
すると……
子供の長いまつ毛がふるりと、僅かに動いた。