§06 12/17(金)平木・紀平・茶山・日浦@午後三時

文字数 4,201文字

 四人の男女はバラバラにやってきた。
 最初に現れたのは平木さんだった。それも十五分ばかり早い。平木さんはこの会合(?)のホストという立場にあり、駅からの道筋に迷った人間からの連絡などに対応しなければならない。たぶん、そういうことだ。
 この日は朝方に降った雨が昼前には上がり、晴れ間が覗いたものの気温は高くない。ネイビーのロングコートの下に、柔らかそうな襟のついた真っ白なニットのセーターと、濃い目のベージュのワイドパンツ(柄はグレンチェックと呼べばいいのか?)――という出で立ちで、黒いパンプスを脱ぎ、入口を見るポジションに正座した。私がテーブルにメニューを置くと、みんな集まったらね、と艶やかに笑った。
 ……いや綺麗だなあ。ずっと長峰さんがいちばんだと思ってきたけど、こうして私服姿を見てしまうと、平木さんのほうが上かも…とか思っちゃうなあ。預かったコートをこっそり探ってみたとき、商標のわかるタグがどこにも見つからなかったから、これ、誂えたんだよね。上着は誂えるものだって、どこかで読んだ記憶があるよ。
 ――あのね、古臭い甘味処には似つかわしくないとか、そういう意味じゃないんだ。ここ言っても人形町だからさ、お金持ちな感じの女の人がけっこう来るよ。……あ、もしかしてお父さん、それで腰が引けちゃうのかな? ありそうな話だなあ。お父さん三代目だもんね。三代目ってそういうものだって、これもどこかで読んだ記憶がある。
「今日って混んでるほう?」
「雨上がったから、いつもと変わらないと思う」
「あとで二人増えても大丈夫?」
 二人、増える…?
「買い物が早く終わったら、茉央が悟朗連れてくるかも、て」
「あ、そうなんだ。じゃあ、隣り空けとくように案内するけど。ただ、いっぱいになっちゃったら――」
「だよね。茉央の買い物なんて当てにならないからさ、ちょっと気にしといてくれればいいよ。悪いね」
 なるほど。袴田くんはポーターとして吹雪さんに付き合わされている、という話だったのか。そう言えばおととい学校で、男子たちが袴田くんをぶっ殺すって騒いでいるとか日浦が言ってたけど、あれってやっぱりそういう意味? 吹雪さんと袴田くん? なんだか全然イメージが湧いてこないんだけど……。
 次に現れたのは紀平さんだった。五分前である。黒のハーフコート(前はジッパー)、深紅のニット(ぴったりしてるやつ)、黒のスカート(アクセントに小さな花の刺繍)、そして黒のタイツに黒のハーフブーツ、長めの髪はバレーをやっている人みたいにきっちりとまとまって。――すごくカッコいい! 学年トップ感が漲ってる。男子はちょっと声かけづらいだろうな。自信満々な雰囲気だよね。
「女が先にそろうって、どういうこと?」
 紀平さんの第一声は、私にコートを預けたあと、平木さんの正面に腰を下ろしながら、その怜悧な眉間に皺を寄せつつ発せられた。
「あいつら添え物だからいいけどさ。(と平木さんに)――あ、そんな丁寧に扱わなくていいよ、安物だから。(と私に)――人形町って初めて来たんだけど、道路が広くてびっくりよ。もっとせせこましく集まってるイメージなかった?(と平木さんに)――ねえ、一緒に座ろうよ。奎ちゃんと仲いいんだね?(と私に)」
「私は〈中の人〉なので」
「あ、そっか。実家手伝ってるんだったね。偉いね」
「いえいえ、ちゃんと頂くものは頂いてますから」
「安くこき使われてる感じ?」
「近所のコンビニと相場連動するシステムです」
「それいいねえ。親なら雇い主に言いたいこと言えるしさ、ここなら変なこと言ってくる男の客もいないだろうし、バイト先としては最高じゃない。――あ、電話! 奎ちゃんだ。あいつ道わかんないのかな?」
 その通り、日浦と茶山くんは人形町駅で待ち合わせたあと(あそこも出口が多いのでお互い迷ってなかなか会えなかったらしい)、大通りから入る道を間違えて、浜町の緑道まで行ってしまっていた。――ので、私が電話を替わり、通りを戻ってくる正しいルートを誘導してあげる羽目になった。
 男たちの服装には詳しくは触れない。茶山くんは白いパーカーがとてもよく似合っていた(中は黒無地のTシャツだったけど)。が、座敷に上がるといかにも窮屈そうである。体が大きいという問題ばかりでなく、こうした場で、おしゃれしてきた女子を間近にする状況に、やや緊張しているようだ。
 私はいかにも「中の人」っぽい感じで同級生四人から注文を受け、それらをテーブルに調えると、あとは話の内容までは聴き取れない距離からの傍観者になった。――そう、彼らは同級生である。が、こんなことは中学の時からあったし、高校生になってからも中学のときの友達(というか、単なる同級生)はよくやってくる。ただ、男子の顔は記憶にない。甘党の男子もいるはずで、しかし同級生の女子の実家はさすがにちょっと…と考えるのだろう。従って、いま見えている景色は、私には初めて見る情景だった。
 決して彼らを覗き見しようだなんて考えはなく、ほかにもお客様がいて、お茶を所望されたりするものだから、私は小まめに小上がりのほうへも顔を出す。たいがい平木さんと紀平さんが話しており、茶山くんは木像のように固まっており、日浦がちらりと私に目を向けて、にやりと小さく微笑みかける。むろん日浦はまさかこの私が佐藤由惟に――すなわち日浦の今カノに宣戦布告すべく意思を固めているなどと、夢想だにしていない。当たり前である。私がそう決意したのは前夜のことだ。
 実際、この場に臨むにあたり、なんらかの作戦を用意できているわけでもなかった。昨夜の今日なので、そんな余裕はない。己の大胆な決意に自ら驚いて、その驚きも冷めやらぬ間にこの場を迎えてしまった。たぶん、そちらの方面に長けている女たちは、こんなとき、巧みに自分の部屋へと誘導できたりするのだろう。いったいなにをどうすればそんなことが実現できるものなのか、皆目見当もつかない。私の宣戦布告は胸のうちで叫んでみたに過ぎなかった。決意なんて最初はみんなそんなもんだよね? ……ね?
「吉野さん――」
 三十分ほど経過したところで、平木さんに声をかけられた。
「茉央と悟朗は来ないって。だからもう気にしなくていいよ」
「あ、はい。わかりました」
「ねえ、吉野さんも今度おしゃべりしようよ。リケジョはこの先どう生きていくか? 三人で話したいなあ」
 私がこの二人と? そんな、畏れ多いこと……。
「吉野を巻き込むなよ。せっかく純心に真っ直ぐ育ってるんだから」
「まるで私たちが不純にねじ曲がってるかのような言い方したね?」
「私たち? 平木も数えるの?」
「まさか平木さんがねじ曲がっていないとでも?」
「里美に比べれば程度は軽いと思うよ」
「程度問題で言うなら、奎ちゃんのカノジョさんこそ、なのでは?」
 日浦は黙った。黙って紀平さんを睨みつけた。紀平さんは平然とそれを受け止めている。負けないよう目に力を溜めてもいない。私は隣りのテーブルを片付けたお盆を胸に硬直してしまった。胸の内で、あたふたと言葉を探しながら――。
「紀平さん、まだ聞いてないの?」
 沈黙の時間はさほど長くなかったと思う。平木さんの声に、紀平さんが顔を向けた。
「佐藤はこの週末で実家に戻るんだよ。だから日浦もおしまいなんだ」
「……は?」
「いやまあ、『おしまい』ていうのは公式な役割の話だけどね。好きならその先は二人で勝手にやればいい。ただ私らは関与しないってこと。茉央がぶち切れた時点でなにもかも吹き飛んじゃったしね」
「……奎ちゃん、それほんと?」
 私もビックリして日浦の顔をじっと見守ってしまった。
「これは時限爆弾ゲームだ、て言ったのは里美だぜ?」
「それ言ったの天野よ」
「どっちでもいいけどさ、実はその爆弾て吹雪だったわけだろ? 佐藤が問題なんじゃない、あそこに吹雪を巻き込んだのが失策だった。桃井は自分ではどうにもならないもんだから、うまいこと吹雪の威光を拝借しようとしたわけさ。でも袴田は関係させたくない。というか、関係させられるとは思えなかった。まあ、たぶんそうなんだろう。吹雪のその後の振る舞いを見ればね。――細田なんてさ、吹雪から見ればどうでもいいやつだよ。でも袴田がからんだ途端にぜんぶ引っくり返しちまった。もちろん振り出しには戻ってないよ。一度は吹雪が登場したわけだから、また佐藤が嫌がらせをされるなんて事態にはならない。そこはほんと、吹雪の凄いところだ。でも桃井はおしまいだ。平木が言った通りだ。――でもね、俺は良かったと思ってる。佐藤は桃井に身を預けるような感じでいたからね。そんなのいつまでも続くはずないし。だから佐藤は家に戻らなくちゃいけない。あの騒動でステージが変わったんだよ」
 日浦がなにを言っているのか、私にはさっぱりわからなかった。なんだか酷く見当違いな内容をしゃべっているように感じた。でも、なんとなく、桃井さんがとても気の毒に思えた。誰かからそんなふうに思われるのは、桃井さんには不愉快なことかもしれない。実はそんな話ではまったくなく、気の毒なのは吹雪さんのほうかもしれないし、やっぱり佐藤由惟なのかもしれない。日浦の見当違いとも思える話からでは、なんとも言いようがなかった。でも、この話題を最初に切り出した平木さんが、日浦の理屈になにもコメントせず黙っていることが、要するに答えなのではないだろうか?
「話はわかったけど、それで奎ちゃん、どうするのよ?」
 紀平さんには今の日浦の話がわかるの…?
「まだなにも決めてない」
「まさか放り出すんじゃないよね?」
「それも選択肢にはある」
「そんなことしたら――この先もう絶対に口利かないから」
「なんで里美が? おまえずっと「私は関係ない」て言ってたろう?」
「私は関係ないよ。でも奎ちゃんは違う。親戚のおじさんじゃないんだから、じゃあ由惟ちゃん頑張ってね、で終わっていいはずがない!」
 お客様から声をかけられ、私は同級生たちのテーブルを離れた。険悪とまでは言わないけれど、少し重たい空気を抱えた様子で、彼らは五時過ぎに店を出た。なんの作戦も用意できていなかった私は、心配そうな顔つきを日浦に向けはしたものの、結局その背中を見送っただけだ。しかし、まさか平木さんが戻ってくるとは思いもしなかった。
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