1年目5月~6月
文字数 2,535文字
幽霊部員になろう。そう決めてから何日、何週間が経っただろうか?
木原は読書倶楽部の生活に慣れつつあった。
一週間に一冊でも、二週間に一冊でも良い。一ヶ月に一冊は必ず読み、その月の最後の週の金曜日に、部員同士で本の紹介をするというのが普段の活動だ。
木原は読書倶楽部の部室に初めて行ったその日に牙と共に本を借りに行くことになった。本を借りた後は部室で少しお喋りし、解散となった。帰り道、木原と牙は電車通学で同じ電車を利用しているという事が判明した。
それが木原にとって運の尽きだった。
木原と牙は、駅やその周辺でよく会うようになった。木原は牙に気づいても、気づいていないフリをするが、牙は確実に木原を見つけ、声をかけてきた。牙が長身だから人を見つける事が得意なのだろうと木原は思った。
「おはよう!優間君」
と、いつからか、木原は下の名前で呼ばれるようになった。恋仲になったわけではない。
「おはようございます。今日も雨みたいですね。」
木原は、先輩に挨拶をするだけでなく、自分から話題を提供するようになった。木原にとって女子の先輩と沈黙の時間を過ごす事は、気まずく、耐えられない事であった。
「そうだねぇ。梅雨に入りそうだよね。傘は持ってきた?」
明るい笑みを浮かべて、牙は木原のどんな話題も見捨てず広げてくれた。木原は、牙のとても優しい態度に安心感を抱きつつも、ある疑問が生じていた。
何故、牙先輩は私にまで優しいのだろう?
GWが終わった後、クラスメイトの中に、知り合いと呼べる人が木原にもできてきた。その知り合いの話によると、木原は、前の学校で問題児だったとか、剣道部の部員を衝動的に殴っただとか、そういう噂が広まっていたらしい。気に入らないが、完全に嘘とも言えないため否定もできない。
しょうがない。
木原は気にしない事にした。実害はまだ出ていない。
その噂は先輩の間にも伝わっていったらしく、ある日、木原が部室に入ると、中にいた岬から
「お前、剣道部相手に暴れていたんだろ?」
とニヤニヤしながら話しかけてきた。
「そうみたいですね。」
と、落ち着いた態度で木原が答えると、
「調子乗んなよ。」
と睨まれた。
急に低い声になったので、木原は一瞬驚いたがそれだけだった。
少し体が大きくて、偉そうで、それだけの男だった。
睨んでくる岬から少し目線を逸らしてみると、もう一人の女子が木原を睨んでいた。
車田 リリ(くるまだ りり)という同級生の女子だ。クラスは違うが木原と同じ進学コースの女子である。岬の恋人であると破魔矢から教えてもらった事を思い出した。彼女の目からは、木原を嫌うというより、岬を応援する思い、自分は岬の味方であるという意思表示が強く感じられた。別に興味が無いため、木原はスルーしているが、面倒だとは思った。
破魔矢も噂に左右されない人間だった。成績優秀で模範的な生徒である彼女は、木原を悪だと決めつけなかったのである。
「どうやら、僕が悪人だなんて噂があるらしい。知ってる?」
と、一度木原は破魔矢に聞いてみた事がある。
「岬先輩があれだけ言いふらしてたらね。まあ、私は気にならないけど。自分に害が無いから、良いやってね。」
と破魔矢は答えた。本心からそうらしく、車田のように業務連絡で話しかけてた時に冷たい態度をとるような事は、破魔矢はしなかった。
仮に、木原の噂を牙が信じていたとしよう。そしたら、彼女は木原に話しかけず距離を置くようにするはずだと木原は考える。そうすると、牙先輩は噂を信じていない事になる。前に破魔矢が言っていたように、木原の悪い噂を岬が言いふらしているため、牙が木原の噂を知らないという事はない。
だとすると、牙先輩は木原の噂を信じていないという事になる。それだけなら理解できる。しかし、自分にまで優しい対応をして何の意味があるのだろうか?
木原は人の好意を素直に受け取れないタイプの人間だった。
だからこそ、考える必要のない事まで考えてしまうのだ。
木原が考え続けるのを止める者はいない。
力仕事ができる人間が少ないのだろうか?いや、しかし、読書倶楽部には就職コースの杉道 剣(すぎみち けん)という木原よりも体が大きく、力の強い男がいる。元柔道部らしい。彼は礼儀正しい男で、先輩から頼まれた事はしっかりやるタイプだ。木原の出る幕はない。
何故なのだろうと疑問は増すばかりで、遂に、とんでもない答に木原は辿り着く。
牙先輩は私なんかに、何か期待をしているのだろう、と。
多くの人間がこれを知ったら大爆笑する事間違え無しだろう。自分をどれだけ過大評価しているのかとツッコミを入れるかもしれない。
木原の乏しい人間関係によって築かれた世界の中では、女子が男子に優しくする理由は、
①昔からの知り合いである。
②相手を恋愛対象として見ている。
③相手に何かを期待して、リターンを求めて投資の意味で仲良くする。
の3パターンしか存在しないのだ。
牙と高校で知り合い、牙に彼氏がいる事を偶然知った木原にとっては③しか考えられないのである。
牙に彼氏がいる事は、猛野と牙の会話を偶然聞いて知った。そもそも、牙も彼氏がいる事を隠そうとしてはいない。
木原は、これ以上部活動に深く関わりたくないと思っていた。しかし、牙が見せる笑顔やその優しさに甘えていたいという思いが木原を迷わせる。
クラスメイトより頼りになり、高校に来て初めて、自分に優しくしてくれた人。
木原は、牙の人間性や生き方に憧れるようになった。この2ヶ月で木原が受けた優しさは、辛い過去に苦しむ木原の心に強く響いた。恋愛感情ではなく、自分がこの人みたいになれたらと。そんな思いが、牙と話せば話すほど木原の心を支配するようになった。
自分は凡人未満の人間だ。そんな自分が牙先輩のような優しい人に期待され、優しくされているのが罪なのではないか、無意識のうちに私は良い人ですと振る舞って牙先輩を騙しているのではないか、と木原は思うようになった。
だからこそ、6月の終わりに木原は決意した。
自分の愚かさ、汚さを牙先輩に見せようと。彼女が優しくするべき人間はもっと他にいる。自分なんかに期待する価値は無いのだ、と。
木原は読書倶楽部の生活に慣れつつあった。
一週間に一冊でも、二週間に一冊でも良い。一ヶ月に一冊は必ず読み、その月の最後の週の金曜日に、部員同士で本の紹介をするというのが普段の活動だ。
木原は読書倶楽部の部室に初めて行ったその日に牙と共に本を借りに行くことになった。本を借りた後は部室で少しお喋りし、解散となった。帰り道、木原と牙は電車通学で同じ電車を利用しているという事が判明した。
それが木原にとって運の尽きだった。
木原と牙は、駅やその周辺でよく会うようになった。木原は牙に気づいても、気づいていないフリをするが、牙は確実に木原を見つけ、声をかけてきた。牙が長身だから人を見つける事が得意なのだろうと木原は思った。
「おはよう!優間君」
と、いつからか、木原は下の名前で呼ばれるようになった。恋仲になったわけではない。
「おはようございます。今日も雨みたいですね。」
木原は、先輩に挨拶をするだけでなく、自分から話題を提供するようになった。木原にとって女子の先輩と沈黙の時間を過ごす事は、気まずく、耐えられない事であった。
「そうだねぇ。梅雨に入りそうだよね。傘は持ってきた?」
明るい笑みを浮かべて、牙は木原のどんな話題も見捨てず広げてくれた。木原は、牙のとても優しい態度に安心感を抱きつつも、ある疑問が生じていた。
何故、牙先輩は私にまで優しいのだろう?
GWが終わった後、クラスメイトの中に、知り合いと呼べる人が木原にもできてきた。その知り合いの話によると、木原は、前の学校で問題児だったとか、剣道部の部員を衝動的に殴っただとか、そういう噂が広まっていたらしい。気に入らないが、完全に嘘とも言えないため否定もできない。
しょうがない。
木原は気にしない事にした。実害はまだ出ていない。
その噂は先輩の間にも伝わっていったらしく、ある日、木原が部室に入ると、中にいた岬から
「お前、剣道部相手に暴れていたんだろ?」
とニヤニヤしながら話しかけてきた。
「そうみたいですね。」
と、落ち着いた態度で木原が答えると、
「調子乗んなよ。」
と睨まれた。
急に低い声になったので、木原は一瞬驚いたがそれだけだった。
少し体が大きくて、偉そうで、それだけの男だった。
睨んでくる岬から少し目線を逸らしてみると、もう一人の女子が木原を睨んでいた。
車田 リリ(くるまだ りり)という同級生の女子だ。クラスは違うが木原と同じ進学コースの女子である。岬の恋人であると破魔矢から教えてもらった事を思い出した。彼女の目からは、木原を嫌うというより、岬を応援する思い、自分は岬の味方であるという意思表示が強く感じられた。別に興味が無いため、木原はスルーしているが、面倒だとは思った。
破魔矢も噂に左右されない人間だった。成績優秀で模範的な生徒である彼女は、木原を悪だと決めつけなかったのである。
「どうやら、僕が悪人だなんて噂があるらしい。知ってる?」
と、一度木原は破魔矢に聞いてみた事がある。
「岬先輩があれだけ言いふらしてたらね。まあ、私は気にならないけど。自分に害が無いから、良いやってね。」
と破魔矢は答えた。本心からそうらしく、車田のように業務連絡で話しかけてた時に冷たい態度をとるような事は、破魔矢はしなかった。
仮に、木原の噂を牙が信じていたとしよう。そしたら、彼女は木原に話しかけず距離を置くようにするはずだと木原は考える。そうすると、牙先輩は噂を信じていない事になる。前に破魔矢が言っていたように、木原の悪い噂を岬が言いふらしているため、牙が木原の噂を知らないという事はない。
だとすると、牙先輩は木原の噂を信じていないという事になる。それだけなら理解できる。しかし、自分にまで優しい対応をして何の意味があるのだろうか?
木原は人の好意を素直に受け取れないタイプの人間だった。
だからこそ、考える必要のない事まで考えてしまうのだ。
木原が考え続けるのを止める者はいない。
力仕事ができる人間が少ないのだろうか?いや、しかし、読書倶楽部には就職コースの杉道 剣(すぎみち けん)という木原よりも体が大きく、力の強い男がいる。元柔道部らしい。彼は礼儀正しい男で、先輩から頼まれた事はしっかりやるタイプだ。木原の出る幕はない。
何故なのだろうと疑問は増すばかりで、遂に、とんでもない答に木原は辿り着く。
牙先輩は私なんかに、何か期待をしているのだろう、と。
多くの人間がこれを知ったら大爆笑する事間違え無しだろう。自分をどれだけ過大評価しているのかとツッコミを入れるかもしれない。
木原の乏しい人間関係によって築かれた世界の中では、女子が男子に優しくする理由は、
①昔からの知り合いである。
②相手を恋愛対象として見ている。
③相手に何かを期待して、リターンを求めて投資の意味で仲良くする。
の3パターンしか存在しないのだ。
牙と高校で知り合い、牙に彼氏がいる事を偶然知った木原にとっては③しか考えられないのである。
牙に彼氏がいる事は、猛野と牙の会話を偶然聞いて知った。そもそも、牙も彼氏がいる事を隠そうとしてはいない。
木原は、これ以上部活動に深く関わりたくないと思っていた。しかし、牙が見せる笑顔やその優しさに甘えていたいという思いが木原を迷わせる。
クラスメイトより頼りになり、高校に来て初めて、自分に優しくしてくれた人。
木原は、牙の人間性や生き方に憧れるようになった。この2ヶ月で木原が受けた優しさは、辛い過去に苦しむ木原の心に強く響いた。恋愛感情ではなく、自分がこの人みたいになれたらと。そんな思いが、牙と話せば話すほど木原の心を支配するようになった。
自分は凡人未満の人間だ。そんな自分が牙先輩のような優しい人に期待され、優しくされているのが罪なのではないか、無意識のうちに私は良い人ですと振る舞って牙先輩を騙しているのではないか、と木原は思うようになった。
だからこそ、6月の終わりに木原は決意した。
自分の愚かさ、汚さを牙先輩に見せようと。彼女が優しくするべき人間はもっと他にいる。自分なんかに期待する価値は無いのだ、と。