第2話

文字数 1,556文字

 見合い結婚だった。
 そうだろう、夫に恋愛が出来る訳ない。私は何度かあったけど。
「趣味は読書です。あとは何もありません」見合いでの夫の言葉。
 介してくれた夫の叔母も「賭け事、女遊びは絶対ありません。保証します」と自信たっぷりに言った。夫の叔母と私の姉が同じ陶芸教室に通っていてこの話になった。私たち二人はどちらも初めてのお見合い。夫の叔母の話だと、専業主婦でいてくれる方が希望ということだ。私は家事が嫌いでないし、会社勤めで人間関係に嫌気がさしていたのでその方がいい。
 夫は私より二歳年下の二十七歳。仕事は大手出版社勤務。その当時は辞書編纂の部門だった。今は校閲部で仕事をしている。ぴったりの職業だ。
 私はイケメンには興味がないし、へらへらおしゃべりな男は嫌いだ。この人なら静かな生活ができそうだと思って結婚したのだ。朴訥そうな風貌も私好みだった。
 もちろん見合いしただけで結婚まで進んだのでない。「何度かデートしてみてから返事ください」と夫の叔母が言ったのでそうした。夫は見合いの日に結婚しようと決めたそうだが。ふふ。
 初めてのデートは銀座。
 夫が言ってきた。まあ、何処へ連れていってくれるのかしら! そう思った。でもただ歩くだけ。それも悪くないか、ショーウインドウを見て歩くだけでもいいわ、とも思った。で、夫はというと首を少し上に曲げ、前方上を見ながら歩いている。何を見ているのだろう。え、ビルのサイン? 他の人とぶつかりそうになる。実際肩が触れた人もいた。相手はギッと睨んで過ぎて行った。危ないな。私は夫の右脇に左腕を差し入れた。初めてのデートで私たちは腕を組んで歩くことになった。でもぜんぜん心が躍らない。視覚障害者のサポーターみたいだった。終わるとき夫は「ありがとう」と言った。なんか介助の礼を言われた感じ。
 次のデートは、横浜中華街。
 そこではゆっくり歩くことになる。立ち並ぶ看板の中に中国語が結構あったからだ。夫は立ち止まっては、漢字だけの看板を読む。で、次へと進む。何度かそれを繰り返す。私も街並みと店舗を観て歩く。夫は進むのが遅い。待っていると、美味しそうな匂いが漂ってくる。お腹が鳴る。我慢できず言った。「せっかく中華街にきたのだから、何か食べましょう」。夫は同意した。おそらく私から言わなければ銀座のときのように歩くだけで終わってしまっただろう。目の前にあった中国料理店に入った。その店のインテリアは漢字を装飾として壁中に配している。夫は「お、漢字がいっぱいだ」と喜んだ。そして壁を見回しながら食べた。
 三度目は、夜に逢った。場所は歌舞伎町。
 結構いろいろな場所を知っているんだ。私は夫が無粋なだけでないので安心した。ネオン煌めく中を歩く。「お、この看板!」と言って角を曲がった横の通りに入った。しばらくすると困った。その通りの看板やネオンサインの文字。パチンコやカラオケ、漫画喫茶はまだいい。そのうち風俗店の看板が目立ち始めた。『キャバクラ〇〇』『ガールズバー△△』『XYZマッサージ』などとけばけばしく輝いている。夫はそれらを観ては、歩いている。私は歩いている人と目を合わせたくなくて、下を向いて夫の後について行く。
「お兄さん、いい娘いますよ」チラシを持った客引きが夫に声をかけた。と、後ろにいる私を見て「おっ、おしあわせにー」と見送る。からかわれた! 私は夫の腕を取りぐいぐいと引っ張って早足で歩く。数十メートル先の角で、疲れて立ち止まったら、そこにピンクのネオンがあった。『ホテル・ルージュ』。慌てて、「ちがうのよ」と真っ赤になって弁解した。夫は「解かっています。安心して。でも面白い店がいっぱいあるね」と言って、さっきもらったチラシを読み始めた。私は後ろから夫の腰を押して進んだ。
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