第1話

文字数 1,427文字

 「手遅れ医者」という落語小咄(こばなし)がある。
 何でも患者さんを診たら家族を別室に呼んで「もう、手遅れだ。でもできるだけ治療してみよう。」と言って薬を処方する医者がいる。効果がなければ「手遅れだったから」と言い訳がきき、万が一助かれば「手遅れの患者を治した」と名医になれる、という内容だ。この小咄(こばなし)の落ちは、2階から落ちた怪我人を診て「もう手遅れだ」に対して、「落ちてすぐに連れて来たんですがねえ…」との家族に、「いや、手遅れだ。落ちる前に連れて来なきゃ。」
 最近、臨床の現場で「もう歳だから」という言葉をよく耳にする。診断のために検査を勧めても、診断がついて治療を勧めても、患者さん本人、そして家族が「もう歳だから」という理由で辞退してしまうのだ。本人の同意が得られなければ、それがどんなに患者の不利益になろうとも医療は提供できない。
 これは個人的な見解だが、受けたくない検査や治療を「もう歳だから」という理由にして辞退する「もう歳だから患者」と、診療の結果を「患者が同意しなかったから」のせいにする「手遅れ医者」気質の医師との組み合わせはある意味で最強であり、かつ最悪なのだ。
 今を去ること10数年前、当院に中堅の総合診療科医(主に内科)と行け行けドンドン主義の心臓血管外科医の間で、患者の治療方針をめぐり大論争になった。総合診療科に通院していた80過ぎの男性が下腿が腐って入院した。診断は、糖尿病性足壊疽(あしえそ)閉塞性動脈硬化症(へいそくせいどうみゃくこうかしょう)だった。残された治療の選択は救肢(きゅうし)(=下肢の切断を回避し救う)の目的で下肢バイパス手術か、バイパス手術は諦めて下腿の切断かであった。
 「今までこんなに悪くなるまで一体何をしていたのか?」と心臓血管外科医は外来主治医の総合診療科医を(なじ)った。彼によると、必要な検査、治療はその都度勧めてはいたが、「もう歳だから」と患者の同意が得られず何もできずにここまで来たとのことだった。最近は、患者さんに認知症の症状が加わり、意思疎通も思うようにできなかったらしい。
 診察すると患者さんは何を尋ねても「痛え~」しか答えない。患者家族は外来主治医に対し、「患者の話をよく聞き入れてくれて、ホントにいい先生だ」とその信頼は絶大だった。
 さて、この患者さんの治療方針は如何(いか)に?
 「高齢だからといって、患者さんの希望を聞いてばかりで何も医療行為をしないならば、僧侶にでもできる。お前、坊主になったらいい。」「いや、それは医者の(おご)りだ。患者本人が検査、治療を望まずそれで満足しているならそれが最善だ。」議論は沸騰した。
 紆余曲折(うよきょくせつ)があったが結局、救肢(きゅうし)の目的で下肢バイパス手術を行った。経過は難渋し足趾は数本しか残せなかったが下腿の切断は回避できた。この治療方針を決めたのは患者本人の意思ではない。「爺ちゃんも三途(さんず)の川を渡るのに、足が2本ないと困るからなあ…」との家族の希望だった。

 今、この二人の医師はそれぞれ関西方面で活躍中である。
 総合診療科医はその後、僧籍を取得し、異色の経歴を持つ医師として数年前、テレビで紹介されていた。びっくり…!

 さて写真は2013年7月に東京上野の不忍池(しのばずのいけ)で撮影した蓮の花である。

 蓮の花は泥水のような池(蓮田)の中から真直ぐに茎を伸ばし、その先に華麗な花を咲かせる。泥から出てきても泥に汚れることはない。
 人間臭いドロドロの話題の後には、蓮の花は清々(すがすが)しくていいと思う。
 んだ!!
(2018年5月)*(2021年10月 一部筆を加えた)
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