【〈対話〉とは2】〈対話〉を妨げるものは?
文字数 1,453文字
前回、「〈対話〉とは何か」について整理してきたけど、今度は「〈対話〉を妨げているものは何か」について見ていきましょう。
この点については、中島はとても饒舌よ。本のタイトルを「〈対話〉のない社会」にするくらいにはね。
前回、『言葉の「裏」を了解するコミュニケーション』を中島は嫌っているということを紹介したよね。こうしたコミュニケーションの現れる文脈として、本の第4章では「優しさ・思いやり」が挙げられている。
そうね。思いやりというのは例えば……これは本に出てきた例ではないけど、「秀吉は信長の草履を懐で温めていた」なんて逸話がよく語られるでしょう。そういうものだと思う。
よい面はあるし、中島もそのことは認めている。
でも、言葉の「裏」を了解するコミュニケーションというのは、誰にでもできるものではないわ。
例えば、自閉症スペクトラムの人は、「言葉の裏を読むことが苦手」だったりするし。
ええ。そして障碍とバリアフリーの関係でよく言われるように、バリアを設けている人たちは、往々にしてそのことに無自覚。中島はこうした状態を『「思いやり」の暴力』と呼んでいる。154ページね。
あと、これは本でも言及されていないんだけど……Yes Means Yesって知ってる?
(BGM: Austin Mahone "Dirty Work")
間違えた。「女のイヤは、イヤじゃない」。
そ、そうね……(積読になっている当該書籍を思い出しながら)
「空気」から利益を得ている者も、「空気」に抑圧されていながら抵抗しない者も、「空気」に加担しているという点では共に加害者であり、「空気」に加担することで〈対話〉を失っているという点では共に犠牲者である、といった感じね。
すると、ここまでをまとめると、
・「空気」が社会に君臨しており、それが〈対話〉を妨げている。
・強者も弱者も「空気」に加担している。
・これらのことが『言葉の「裏」』や「思いやり」として表れる。
・よい面もあるが、バリアフリーではないし、ときに性暴力のような弊害となる。
こんな感じでしょうか。