帰国

文字数 735文字

 JALに搭乗した。機内食に一口サイズの蕎麦が出た。木下啓介の「なつかしい笛や太鼓」が上映されていた。長谷川きよしの「黒の舟歌」を聴いた。祖国、日本に帰ってこられた。本牧ふ頭を出航したのが、もう何年も前のようだ。
 帰国して間もなく、ボードマン・フライト・スクール経由で正式なFAA飛行免許とスクールの卒業証書が届いた。卒業証書は額に入れ、いつでも見ることができる、自分の部屋に飾った。FAA飛行免許とログブックを持参し、何度も陸運局へ赴き、皮張りで見開きタイプの重厚な、パーマネントで使用可能な日本のプライベート免許を手に入れた。
 使い捨てカメラを現像した。心には数えられない程の出来事を、鮮明に刻んだのに、実際に写した写真は十数枚ほど。その中の1枚に、格納庫の前で笑顔で立つ、自分が映っている写真がある。米国へ行くきっかけを作った、航空雑誌に掲載されていた写真と瓜二つ。記事の筆者と、寸分違がわない格納庫前の自分の姿である。不思議な偶然の一致。シンクロニシティなのかも。ひょっとすると、レストランにボードマンのセスナを不時着させたのは「自分だったのではないか」と、妙な空想が広がった。
 プライベート免許は、自慢話しの「種」として時々使っているが、操縦用としては、帰国してから1度も使用していない。パーマネントライセンスなので、年に1回指定された病院で身体検査を受け、無線資格を取れば、いまでも操縦は可能だと思うが、免許の中身を完璧に知る者としては、微塵にも操縦用として使用するつもりはない。
 免許の真の価値は「自分の中に、もう一人の賢明な自分がいる」ことに気づかせ、先哲が曰く「自分の中には、無限の潜在能力がある」ことを深く信じさせてくれるための、証明書となっている。
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