8 理想

文字数 1,686文字

「ねぇねぇ!だ・か・ら!どうして初対面のマイミさんにキスしたの?」

「そそそ…それは…ッ」

「…私も知りたいです。早坂さん」

「えっ!?舞美さんまで!?」


早坂さんが慌ててうろたえる様子が面白くて、ロウと一緒になって、ついからかってしまった。

でも、ちょっと気になるのも事実。

やっぱり、あんな事をしでかすような人に見えないのよね。


「…あのっ…そのっ…舞美さんが!あまりにも魅力的で可愛くて…衝動を抑えられなかったんですっ!!」


どうにでもなれ!…と、半ば投げやりに放たれた早坂さんの言葉に、慌てふためくのは今度は私の番。

そんなにはっきり言われるとは予想していなかったから、顔に熱を集めるには充分だった。


「マイミさん、顔赤いよ?」

「そんな事ない!」

「あ、でもハヤサカさんの方が赤いや。もしかして僕、お邪魔かな?」

「い、いや!ロウ君はここに居てくれ!」

「そうよ!子供のくせに気を遣わなくていいの!」

「そう?じゃあ、僕のことは気にせずに二人で話してね」

「もう…変なところで大人なんだから…」


まるでお見合いの立会人ね。

私の(にら)みも例の微笑みで受け流したロウは、生クリームを乗せたプリンをスプーンで(すく)い、大きく開けた口にパクリと頬張った。











よし。一旦、頭の中をクリアにしよう。

交通渋滞のように、情報も状況もごった返していた。

何故か僕は今、笑顔で舞美さんと向かい合い、コーヒーを飲んでパンケーキを食べている。

その隣には、舞美さんが「ロウ」と呼ぶ9歳の男の子が座り、僕達はおそらく、仲睦まじい家族に他人からは見られているだろう。

これこそまさに、僕が思い描く理想の未来図だ!

しかし、これは現実だろうか…?
まるで白昼夢の…夢の中にいるようだ。

もし本当に現実であるならば、彼女、舞美さんは女神級の優しさを持っている。

強引な行為で傷つけた張本人の男と、成り行きとは言え、カフェで軽食を楽しんでいるのだから…


「あの…早坂さん。私は貴方が思っているような『素敵な女性』ではないですよ」

「そんなことはありません!現に今も、こうして僕と向かい合ってくれているじゃないですか」

「それは…ロウが…」

「分かっています。成り行きで仕方なく…ということは。それでも僕は嬉しいんです!…簡単な男でしょう?」


そう言って緩やかにコーヒーを口に運ぶと…


「…ふふっ…」


舞美さんが(たま)らず、というように吹き出して微笑んだ。

あぁ…綺麗だな…

それは愛想笑いなどではない、(まぎ)れもなく彼女自身の純粋な笑顔だった。

カフェの窓から射し込む陽の光のせいだけではない、キラキラとしたオーラを(まと)った舞美さんが眩しくて、ふと目を細めた。


「ほら、やっぱり可愛い…舞美さんはもっと自分に自信を持っていいと思います。こんなに愛らしくて優しくて魅力的なんですから」


もう昨日以上に落ちることはないと考えると、緊張は影を(ひそ)め、自然な微笑みが浮かび、思っていることがしっかりとした言葉になって彼女へと放たれる。


「男の人にそんな風に言われたの、初めてです…」

「そうなんですか?みんな見る目がなかったんですね」

「早坂さん、褒めすぎです…」


頬を桜色に染めた舞美さんは、ついに恥ずかしさを忍ばせて(うつむ)いてしまった。

舞美さんが喜ぶなら、いくらでも褒め言葉は出てきそうだ。

まるで十代の少女のような初々しい反応に、男としての本能に近い、悪戯心(いたずらごころ)がくすぐられる。

この歳になって…と驚き、胸の内で嘲笑した。

舞美さんをもっと困らせたい、(はずか)しめたい…という(やま)しい衝動が湧いてくるとは…


どうせダメ元なんだ。

素直に思っていることを伝えよう。

ひとつ気になることはあるが…


心臓は飛び出しそうなくらい弾んでいたが、思考回路はなかなかの冷静さを保っていた。



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