第3話

文字数 6,102文字

 それからしばらくは、水晶髑髏に関する進展はなかった。――早い話が「迷宮入り」である。
 それでも、「犯人は五条光彦」だの「犯人は五条家の使用人」だの「犯人は宇宙人」だの色々と推理合戦が行われていた。宇宙人はともかく、五条家の関係者が犯人であることは僕の考えから見ても明確だった。
 そんな中、僕のアパートに来訪者がやってきた。――例の高給取りエンジニア、もとい轟木雅人である。
「大ちゃん、最近どうっすか?」
「ああ、水晶髑髏の件で持ち切りだ。新作小説もそっちに引きずられている」
「やっぱ、そうっすよね。僕が小説家でも、多分水晶髑髏の事件は小説にしちゃうと思いますよ」
 まあ、轟木雅人が事件の犯人ではないことは確かだが――立志館大学ミステリ研究会のメンバーとして、矢張り水晶髑髏の件をほっとけないのは事実なのだろう。
 轟木雅人は、持ってきた551の豚まんを頬張りながら話す。
「それで、五条家に行ったってのは本当っすか?」
「本当だ。――友人の手助けもあって、五条家に潜入することができた。五条家は甲子園でも屈指の実業家であり、被害者は当主である五条光彦の愛娘2人とメイドだった。当然の話だが、見つかった白骨死体は頭蓋骨がない状態だった」
「なるほど。それだと、頭蓋骨は――水晶髑髏に加工されててもおかしくないっすね」
「そうだ。僕もそうやって考えた。でも、手がかりが足りなさすぎる」
「そうっすよね。僕からも何かヒントを授けられたらいいっすけど、そういう訳にもいかないんすよ」
「ヒント?」
「まあ、京極夏彦の入れ知恵っすけどね」
「京極夏彦の入れ知恵か。――それなら、『狂骨の夢』に似たようなトリックが出てくるな。もっとも、アレに出てきた髑髏は水晶髑髏ではなく黄金髑髏だったが」
 僕がそう言うと、轟木雅人は手を顎に当てて訝しげな表情を浮かべた。
「黄金髑髏っすか……」
「訝しげな表情をして、どうしたんだ?」
「……なんでもないっす。でも、何らかの宗教的な要素が絡んでるのは確かっすよ」
「そうか。――まあ、この話は話半分で頭の片隅に置いておく」
「そうっすよね」
 それから、轟木雅人に越前佳菜子のことを伝えた。曰く「大ちゃんはいかにもモテなさそうな顔なので恋人がいたのが意外だった」とのことだった。
 その後も話は平行線を辿る中、轟木雅人が「帰る」と言ったので、僕はJRの芦屋駅まで見送ることにした。
「わざわざ見送ってくれるなんてありがたいっすよ」
「ああ、買い物に行きたかったからちょうど良かったんだ」
 そう言いつつ、僕と轟木雅人は改札口の方まで向かっていった。
「それじゃ、帰るわ。――また、新しい情報があったらいつでも教えてほしいっす」
「これ以上新しい情報が入ってくるのだろうか……。まあ、入ってきたらその時には教えてやる」
 改札口から轟木雅人が消えたことを確認して、僕はとりあえずその日の夕飯を買って帰ることにした。――中華はやめておこう。
 一通り夕飯を買った所で、僕はアパートへと戻った。――雅人、せめて部屋ぐらいは掃除してから帰ってくれ。
 仕方がないので、僕は部屋の片付けをしつつ新作小説のプロットを考えていた。現在の進捗が原稿用紙50枚だとして、あと50枚は書くべきだろうか。それとも、リミッターというモノを外してしまうべきか。リミッターを外したら――僕はノベルス換算で800ページぐらいは普通に書いてしまう。京極夏彦や清涼院流水(せいりょういんりゅうすい)じゃないけど、書き出したら止まらないのだ。
 部屋の片付けが終わった所で、僕はダイナブックの前に座った。――書いてやる。
 カタカタとダイナブックのキーボードを動かしていく。原稿用紙はみるみると文字で埋まっていく。同世代の人間と比べて、僕は子供の頃からパソコンを触る機会が多かった。故にキーボードを打つスピードはかなり早いと思う。頭で考えたプロットを文章にしていくだけでも、楽しい。そうこうしているうちに、原稿は100枚を越えようとしていた。とりあえずノルマはクリアだろうか。
 しかし、まだ「了」の文字は打てない。――現状に満足していないのだ。
 これをこうして、こうして、こうして――こう。そもそも、僕の小説はミステリ小説としてどうやって見られているのだろうか? 僕は本格的なミステリ小説を書いている自覚がないが――一応、世間では「本格ミステリ小説」ということになっているらしい。俗に言う「新本格」とかそういうモノだろうか。まあ、世間体を気にしていたらマトモな小説は書けないだろうけど。
 色々ブラッシュアップしていくうちに、原稿は120枚に膨れ上がった。――ちょっと書きすぎたか。しかし、これ以上追加したら支離滅裂になるし、削っても物語の本質が見えてこなくなる。――これで終わりにしよう。
 そういう訳で、漸く文末に「了」の文字を打つことができた。――あとは、講談社に原稿を提出するだけだ。
 ――細貝浩次様。新作小説の原稿をお送りいたします。題名は『(わら)水晶髑髏(すいしょうどくろ)』です。一度目を通してみて、誤字脱字等がありましたらお知らせください。訂正版の原稿をお送りいたします。
 添付ファイルに.docx形式の生原稿とPDF形式のマスタ原稿を添付して、メールを送信する。
 原稿が書き終わったと見えて、疲れがドッと出てしまった。なんというか、灰になったプロボクサーのように――その場に倒れ込んでしまった。所謂「燃え尽き症候群」だろうか。――まあ、別に物理的に燃え尽きる訳じゃないからいいのだけれど。
 それからしばらくは起き上がれなかった。相当疲れていたのか。起き上がったついでに、僕はダイナブックのメールをチェックする。――細貝浩次からのメールが来ていた。
 ――新作小説の原稿、拝見いたしました。誤字脱字等は特に見当たりませんでしたが、一応「もっとこうしたらいい」という提案をしたいと思います。
 添付されていたファイルには、加筆修正された『嗤う水晶髑髏』の原稿があった。僕はそのファイルを開く。――なるほど、こうすればいいのか。僕は小説家としての実力が不足しているので、こうやって細貝浩次からアドバイスを受けては「なるほど」と思うことが多い。
 細貝浩次からの指摘で加筆修正した原稿を改めてPDFに変換して送信。ついでに生原稿も付けて送信することにした。――結局、原稿は150枚程度になった。平均的な小説と同じぐらいだろうか。
 しかし、本当に書籍化されるとは限らない。――「諸事情により発売中止」というヤツである。たとえば「劇中の事件が現実に起きてしまった」とか、「度を越した社会風刺」とか、「剽窃(ひょうせつ)が発覚した」とか、そんな感じだろうか。僕は剽窃行為を行ったことがないので、発売中止になるとしたらもっぱら「劇中の事件が現実に起きてしまうこと」だろうか。または「極右団体や極左団体からの圧力」とか。
 まあ、今更そんなことを気にしてもどうにもならないので――僕は細貝浩次とビデオチャットをすることにした。
 ダイナブックの画面越しに、確かに細貝浩次の姿が映っている。――なぜ、ロボットアニメのTシャツを着ているのかは謎だが。
「西京極先生、原稿は拝見させてもらいました。確かに西宮で発生している『水晶髑髏騒ぎ』に引っ張られている部分は気になりますが、娯楽小説としてはこれまでにない完成度だと思います。僕は好きですよ?」
「細貝さんからそう言ってもらえるなら、僕は満足している」
「それにしても、前作である『ドイツ絡繰(からくり)の謎』からわずか半年でここまでのモノを書き上げられる西京極先生がすごいです」
「謙遜しすぎだ。――僕は、そこまでの実力を兼ね備えているとは思えない」
「まあまあ、そんなこと言わずに……」
 細貝浩次はそうやって言うが、僕は――小説家としての自信をなくしていたのは事実だ。最悪の場合、断筆も辞さないレベルである。それでも、僕の小説を待ちわびているファンは少なからずいる。僕はそういうファンの期待に答えるべく、小説を書いているのだ。
「それより、文庫版『映画監督殺人事件』ですが――通算刷版(さつばん)数が10版を超えました」
「そうなのか。――初版が2016年の4月だとしても、かなりのスピードだな。矢っ張り、メフィスト賞というのが大きいのだろうか?」
「どうでしょうね? まあ、あれだけのボリュームで読者が付くってことはいいことだと思いますよ? ただ、映画化を蹴ってしまったことはどうかと思いますが……」
「いいんだ。どうせ映画化しても――僕の意図は伝わらない」
「意図が伝わらないぐらいなら、いっそ実写化はやめてしまう……なんだか、西京極先生らしいですね」
「ああ、100人の読者がいたとして――その後も継続して読んでくれるファンは5~10人程度だと思っている。僕は『90人のにわか』よりも『10人の熱心なファン』を大切にするタイプの人間だからな」
「なるほど。――それ、何かに掲載してもいいでしょうか?」
「好きにしろ。――ただ、事実は捻じ曲げないでほしいが」
「分かりました。――そうだ、『週刊現代』で西京極先生の特集を組むとかどうでしょうか?」
「残念だが、僕はゴシップ誌が嫌いだ。尚更事実が捻じ曲げられて書かれてしまう」
 どうせ僕の特集を載せるなら、文芸誌にしてもらわないと困る。仮令(たとえ)それが自社のゴシップ誌だとしても、事実が捻じ曲げられてしまうのがオチだ。
「うーん。……そういえば、週刊現代の記者が西宮で取材しているらしいですよ? 名前は『藤堂亮(とうどうりょう)』って言うんですけど、僕とは同期入社で、そこそこ仲も良いんですよ。――そうだ、一度会ってみたらどうでしょうか?」
「そうか。――連絡先を教えてくれ」
 僕がそう言うと、細貝浩次は早速スマホで藤堂亮に連絡を入れた。
「もしもし、亮ちん? 亮ちんと話がしたい小説家がいるらしいんだけど、今って空いてる? まあ、空いてなかったら良いんだけど」
「――小説家? 誰だ?」
「西京極玉次郎っていうミステリ作家なんだけど」
「ああ、アイツか。――悪くない、今すぐ来てもらうように言ってくれ。場所は阪急西宮北口駅近くのビジネスホテルだ」
「分かった。西京極先生、藤堂亮と連絡が取れたみたいなんで、早速だけど向かってもらえないかな?」
「分かりました。――じゃあ、僕はこれで」
 そう言って、僕は細貝浩次とのビデオチャットを終えた。――長時間の接触になりそうだし、敢えて電車じゃなくてバイクで行くか。
 僕は黒いライダースジャケットを羽織って、部屋の鍵をかけた。駐輪場に停めてあるライムグリーンのバイク――カワサキニンジャに跨って、ギアを入れる。
 多分、阪急沿線をバイクで走っていたら、そのうち藤堂亮が逗留(とうりゅう)しているビジネスホテルに辿り着くだろう。そう思いながら、バイクは芦屋から西宮へと抜けていった。
 夙川(しゅくがわ)駅は相変わらず静かであり、僕のバイクの音だけが鳴り響いている。現在時刻が午後8時だとしても――静かだ。
 夙川駅から西宮北口駅までは1駅であり、バイクで走ってもしれている。やがて、闇夜に浮かび上がるアイボリーの建物――デパートが見えてきた。
 西宮北口駅はそんなデパートと合体するように併設されていて、駅前にはビジネスホテルが建っている。――ここか。
 僕は、ホテルのフロントで「藤堂亮という人物は宿泊していないか?」と聞いた。答えはもちろん「宿泊している」とのことだったので、僕は部屋番号を聞いて、彼が泊まっている部屋へと向かった。
 部屋の前で、チャイムを押す。
「すみません、藤堂亮さんでしょうか?」
 ドアの向こうから、男性の声が聞こえる。
「――はい、僕は確かに藤堂亮ですが、誰でしょうか?」
「僕です。西京極玉次郎です。藤堂亮さんに用事があってホテルに来ました」
「ああ、小説家の西京極先生でしたか。――中に入ってください」
 そう言って、僕は藤堂亮が泊まっている部屋へと通された。
 藤堂亮は――寝巻きというか、パジャマに身を包んでいた。手にはノンアルコールのビールが握られていて、テーブルには事件に関する資料が乱雑に置かれている。――取材メモだろうか。
 ベッドに腰掛けつつ、藤堂亮は僕に話を振った。
「細貝くんから詳しい話は聞いたが、なんでも水晶髑髏騒ぎを追っているのは本当なのか?」
「はい、本当です。――僕、新しい小説でもそっちに引っ張られてしまったぐらいですから」
「なるほど、それは面白い。――そうだ、これは僕が独自に入手した資料なんだが、この資料を読んで西京極先生はどう思う?」
 そう言って藤堂亮は僕にタブレットを手渡してきた。どうやら、五条家に関する資料らしい。
「五条光彦は実業家だが、同時にある研究をしているとの噂だ。――その研究とは、『死者を蘇らせる』という研究だ。そのためには、どうしても白骨死体が欲しかったとのことだ」
「ああ、だから五条家の女性が次々と白骨死体で見つかったのか。――それって、倫理的にどうなんだ? もっとも、倫理的にイカれている小説しか書いてこなかった人間が言うのもどうかと思うけど」
「確かに。それと、五条家に関する重大な資料がコレ。――どうやら、只者(ただもの)の家系じゃないらしいよ?」
「只者の家系じゃない? どういうことだ?」
「僕もそこまでの情報は手に入れられてないけど、どうやら――真言立川流を現代に復興させようとしているのは事実だ」
「真言立川流!? それって、闇に葬られた邪教ですよね!?」
「流石小説家。そういう知識は手に入れていたか」
「当然だ。僕は京極夏彦に憧れて小説家を目指すことになった人間だからな」
「京極夏彦か。中々面白いじゃないか。――そうだ、僕と手を組まないか?」
「僕と手を組む?」
「西宮の水晶髑髏騒動を――僕と西京極先生で追う。これは、僕としても西京極先生としても利害関係が一致すると思うんですよね」
「――なるほど。僕はもう『嗤う水晶髑髏』を書き上げてしまったが、小説と事実がまったくもって同じとは限らないからな」
「それじゃあ、契約成立ですねっ!」
 そう言って、藤堂亮は僕の手を取って――握った。それは俗に言う「握手」のようなモノかもしれない。
「では、明日から――よろしくお願いします!」
「――分かった」
「それと、これ――スマホの連絡先です。何かあったらすぐに連絡してください。僕はあと1週間ホテルに逗留するつもりなんで、その間に事件の解決を目指したいと思います」
「1週間で解決できるのか?」
「それは――西京極先生の力次第だと思いますよ? まあ、僕は解決できると思いますけど」
 そういう訳で、僕は思わぬプレッシャーを課せられることになってしまった。まあ、それで探偵としての僕の名声が上がるのだったらいいのだけれど。
 それにしても、藤堂亮か。――同じ講談社にも、こういう人間がいるとは思わなかった。もっとも、文芸部と報道部はベクトルが違うので知らなくて当然だろうけど。
 ――そして、僕は藤堂亮というコネクションを手にしてしまったことによって、さらなる厄介事に巻き込まれることになってしまった。
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