6、解ける季節

文字数 7,558文字

解ける季節

今日は朝から殊の外寒くて、冬らしい天気であった。これで、やった、やっと冬らしい気候になってくれた、と、有識者たちは喜んでいた。一般の人たちも、ヤッパリこういう風になってくれた方が、いいよねえ何て意味のない話を繰り返していた。それくらい、今年はおかしな気候だという事である。

そんなわけだから、当然体調を崩す人も多い。そのせいでいつも病院はごった返しているし、病院以外の治療法をやっているところも大繁盛するのだった。その中には、時に治療とは言えないんじゃないか、とおもわれるものも流行ることがある。時にはそれが、医療よりもすごいという迷信を起こすこともある。

今日も、製鉄所では、水穂さんが、田沼武史君に本を読んでやっていた。タイトルは、武史君の大好きなライオンとネズミである。読み終わるとすぐに、もう一回読んでと武史君は催促するのだった。

「はい、もう一回読みますよ。ライオンとネズミ。えーと、昔々。」

十回目にライオンとネズミを読み始めた水穂さんは、もう疲れてしまって、ひどく咳き込んでしまうのであった。

そのころ、ジャックさんと杉三は、台所で利用者たちの食事を作る作業をしていた。さて、盛り付けるか、なんて言っているときに、いきなりドドドドと音が仕手、武史君が台所にやってくる。杉三が、あれ、どうしたの、なんて、彼に声をかけると、

「杉ちゃん、一寸来て!」

と、武史君は言った。子供らしい言い方ではあるが、その顔はあきらかに緊迫した顔で、なにかたいへんなことがあったのだという事を示している。

「武史君どうしたの?何かあったの?」

杉三が聞くと、

「杉ちゃん、一反木綿が出たの!」

という。一反木綿とは、急に人前に現れる布の妖怪で、人の口に巻き付いてその人を窒息死させるという、恐ろしい妖怪であった。どういうことだとジャックさんが聞くと、

「ははあなるほど。つまり、水穂さんがまた発作を起こしたんだな。よし、すぐに薬飲んで寝かせよう。」

杉ちゃんにはそれがわかったらしく、武史くんと一緒に、四畳半へ移動した。ジャックさんも、具体的になんで言えないんだろうか、と首を振りながら、四畳半へ行く。

ジャックさんが四畳半へ到着すると、杉三が水穂さんに薬を飲ませているところだった。畳は、水穂さんが吐いた中身のせいで、朱く汚れていた。

「もう、武史、ちゃんと言わなくちゃだめだろう。一反木綿が出たと言っても、なんのことであるか、全く分からないだろうが。」

ジャックさんは、急いで雑巾で畳を拭いたが、畳はもう張り替えなければだめだという事を示していた。杉ちゃんに飲ませてもらった薬が効いたのか、水穂さんは、しずかに眠りだすのである。

「お前さんもな、ライオンとネズミ読んで、疲れちゃったのなら、ちゃんと疲れたって言えよ。そういうことだって、必要になるんだよ。」

杉ちゃんは、静かに布団をかけてやりながら、水穂さんに言った。水穂さんはたぶんほとんど聞いていないだろう。

「しっかし、この子は、どうして、危険を知らせるのに、一反木綿が出たという表現を使ったんだろう。」

ジャックさんは、父親らしく、そういうことを言った。

「だからあ、言えなかったんじゃないの?」

「言えなかった?」

「そういう危険なことが起きているってことをな。危険なことを口にしたら、自分も、危険だと思っちゃう。繊細な奴というのは、そういうもんだぜ。そうだろう、武史君。」

「はあ、、、。」

杉ちゃんにそういわれて、ジャックさんはため息をついた。

「まあ、男だからねエ。ちょっとしたことでも、デーンと構えているのが、男のすることなんだろうが、どうも武史くんは、線が細いんだなあ。」

「そうですか。うちの武史が、そんな弱弱しい男でしたか。」

ジャックさんは、そういうことを言う。

「まあ、世間では、何たらかんたらという、アルファベット三文字の名前を、そういう繊細過ぎる人に付けているらしいが、何でもそうやって、病気にしてしまうのも考え物だよな。そうじゃなくて、それぞれ一人一人違うんだって思えば、それでいいじゃないか。」

と、杉ちゃんは、そういうことを言った。それはジャックさんも同感だった。日本人はうまく話せないことも、コミュ障と言ったりして、あたかも障害者のように、レッテルを張るのが好きだと思う。でも、それと、弱い男とは話が別。

「武史、いくら怖いと本当に感じてしまっても、本当の事はしっかり伝えないといけないよ。それでは、オオカミ少年と同じことになってしまうからね。」

ジャックさんは武史くんをそう戒めたが、武史君は小さくなって泣いているのだった。

「これでは、どーんと構えるなんて、出来そうにないですね、、、。」

それではだめだと伝える前に、怖がって泣いてしまうようでは、そのようなことは、ゆめのまた夢のような、ものである。

武史君が、男らしくドーンと構えるようになるのは、もしかしたら一生かかってもできないかもしれなかった。そういう、線が細すぎて、周りに対応できない人も、もしかしたら、障害者認定を受けることができるようになるかもしれなかった。

次の日。ジャックさんが、家の中で、花瓶に入った花を写生していると、インターフォンが鳴った。

「こんにちは。」

と、女性の声がする。その声は聞き覚えがあった。ジャックさんが、インターフォンのモニターを眺めると、浜島咲が写っていた。

「ああ、浜島さん。」

ジャックさんは、急いで、玄関のドアを開けた。

「こんにちは。今日は、面白い民間療法をしてくれる人を探してきたの。もしかしたら、右城君にも使えるかもしれないでしょ。いきなり製鉄所に行ったら、杉ちゃんに怪しまれるから、まず初めにジャックさんに紹介しようと思って。」

と、浜島咲は、にこやかに笑って、そういうことを言うのだった。

「面白い民間療法?」

ジャックさんが聞くと、

「ええ、私も、お試しでちょっとやってみたんだけどね。受けてみたらすごく気分がよくなったのよ。もしかしたら、ジャックさんも知っているかもしれないなって思って。」

と、咲は、そう言いながら、お邪魔しますと言って、家の中に入った。

「その人には、ここに来てもらう様に、電話したわ。お宅の住所は、グーグルで検索できるから。」

そういう風に、住所がすぐにわかってしまう世の中になってしまうのは、ちょっと怖い気がするが、とにかくもう一人誰かがくることは分かった。

「へえ、いったいどんな人ですか?」

「ええ、とても頼りになる人だから、どんどん話して頂戴。質問なんかがあるんだったら、何でも聞いてくれるわ。名前は、杉浦篤子さんっていうの。」

「はあ、そうですか。」

とりあえず、咲を椅子に座らせて、紅茶を出したジャックさんは、一体何が起きるのか、よくわからないという顔をしていた。

数分後、またインターフォンが鳴る。

という事で、ジャックさんがインターフォンの前に行ってみると、一人の中庸な背丈の女性が立っていた。

「こんにちは。浜島さんから紹介をいただきました。杉浦です。」

声から判断すると若い女性ではなく、中年の女性のようである。

「とりあえず、お入りください。」

ジャックさんは、彼女を部屋の中に入らせた。服装は、普通のジーンズジャケットといういで立ちであるが、きちんと着こなしていて、変にチャラけた様子はない。

「じゃあ、杉浦さん、杉浦さんのお話、ジャックさんにも聞かせてあげて。」

隣の席に座った咲が、その杉浦さんという女性に声をかけた。

「はい、初めまして。杉浦篤子です。職業は、フラワーセラピストをしています。」

という彼女だが、フラワーセラピーという横文字は、ちょっと合わないようなしゃべり方だった。それよりも、伝統芸能に従事しているような、そんなしゃべり方である。

「あたしは、昔は生け花をしていたんですけどね。今は、フラワーセラピーとして、色々悩んでいる人に、お花で癒す活動をしているんです。その中で、フラワーエッセンスと言ってね、お花にかかっている露を、希釈して飲んでもらうという癒しの技法があるんです。それが医学的にどう作用するかとか、そういうことは置いておいて、それを飲むと、感情に作用して、心を落ち着かせたり、体調を整えたりすることができるようになるのよ。」

「ああなるほど、ホメオパシーというやつですか。」

杉浦さんがそういうと、ジャックさんはすぐに答えた。

「確かに、イギリスでは、医学の一つとして、認識されていました。僕はそういうことをやったことはありませんが。」

「まあ、そういう事なら、余計にやりやすいわ。それで、私もね、そのフラワーレメディーというお花のエキスを飲ませてもらったんだけど、すごく元気がよくなって、疲れがとれるようになったの。だから、右城君にもどうかなと思って。それで、本場のイギリスではどうなのか、ジャックさんにもお話を伺いに今日やってきたのよ。」

咲は、楽しそうにそういった。確かに、ジャックさんも名前だけは知っている治療法だったが、かといってその治療のお世話になったわけではないので、正確なことは知らないのだった。

「僕は、イギリス時代、そういうモノにお世話になったことはなかったのでねエ。ちょっとわからないなあ。僕の方が、喜んで教えてもらいたいくらいだ。日本で、ホメオパシーの話を聞くとは、ぜんぜん予想もしていませんでしたよ。」

とりあえず、正直にそういった。

「ねえ、あたしだって、体調が悪かったのが、ずっと楽になったんだから、右城君だって、今までずっと一般的な薬が効かなくて、悩んでいる訳でしょ。だから、こういう民間治療もやってもいいと思ったのよ。」

と、咲がまたそういうことを言った。

「せっかくだから、本場のイギリスでの話が聞きたかったけど、知らないと言われて、がっかりした。ねえ、本当に何も知らないの?ジャックさん。」

「いやあ、僕もそういうモノにお世話になったことは、ほとんどありませんでしたからねエ。原因不明の体調が悪いなんて、僕はかかったことはなかったからなあ。」

ジャックさんは、咲の話に、またそういうことを言うしかなかった。でも、その話を聞いて、右城君ではなくて、別の誰かに話したらどうかという気持ちがわいてきた。

「ちょっと教えてください。その、ホメオパシーというのは、誰にでも投与できるんですか?」

と、ジャックさんは、そう聞いてみる。

「ええ。年齢も何も関係ありません。人間だけではなく、動物さんにも使えます。犬や猫、そのほかの小動物何でも。水を飲む動物なら、何でも使えますわ。」

杉浦さんは、すぐに答えた。

「では、杉浦さん。お願いなんですが、家の息子に出してやってくれませんかね。うちの息子は、ちょっと線が細すぎるところがありまして。ほんとうのことを言うのに、怖くてできないというくらいなんです。」

ジャックさんは、とうとういつも悩んでいることを言ってしまった。

「そうですか。それは確かに問題ですよね。息子さんも、ほんとうのことがいえるように、感情が安定するといいですよね。本当に疲れているんだったら、レスキューのレメディがいいんじゃないかしら。それなら、試供品として、水にレメディを入れたものをお送りしましょうか?」

と、杉浦さんはにこやかに言った。確かに、物腰は柔らかく、悪い人とは思われないのであるが、どこか怖いという雰囲気が感じられる。

「じゃあ、それ、お願いしたいです。うちの住所に送ってくれればいいですから。その使いかたはどうすればいいのでしょうか。」

「ええ、500ミリリットルのペットボトルに入れてお送りしますから、それを一気に飲み干してしまってもいいですし、少しずつ飲み干してもいいですよ。それを、そうだなあ。週に一回続けてくれませんか?」

杉浦さんは、にこやかに言った。

「じゃあ、お送りするわ。とりあえず、12本送りましょうか。息子さんが、ただの水なんてまずいと言っても、我慢して飲むように続けてくださいよ。」

「はい。わかりました。」

ジャックさんは、契約書を見せられて、署名欄に、サインをする。

「其れから、これは任意なんだけど。」

と、杉浦さんは、こういうことを切り出す。

「これをするかしないかは、あなた次第でいいんですけどね。もし、息子さんが、しずかに落ち着いて来たら、ほかの人にも紹介してやって頂戴。そうすると、本部から紹介料をお礼としてお支払いするわ。」

それは、一寸できないなとジャックさんは思ったが、隣の浜島咲もにこやかな顔をしていたので、その時はあえて何も言わなかった。

「それでは、二三日のうちに、御宅へフラワーレメディーを入れた水が、12本届くと思いますから、よろしくお願いしますね。」

と、杉浦さんは、ジャックさんの顔をみて、にこやかに笑う。

「はい、わかりました。」

と、ジャックさんは、そういった。そのあとは、浜島咲と、杉浦さんとで、にこやかに世間話を続けた。杉浦さんは、海外旅行にも行っているらしく、ドバイや、中国の思い出話をにこやかに語るのだった。それは、フラワーエッセンスを始めてから、人生が変わったという話から必ず始まっていて、ッまるでフラワーエッセンスが人生を変えてくれたように見えるのであった。

「まあ、そういう事で、人生が変わるくらいフラワーエッセンスは重要な治療法なのよ。欧米では、ちゃんと保険診療で受けられる国家もあるくらいだし。この試供品で息子さんが成功したら、ぜひ、それを、他の人にも分けてやって頂戴ね。」

杉浦さんがそういうと、ちょうど、お昼を知らせる鐘がなった。

「ああ、私、次のクライエントさんが一時からあるから、もうこで帰りますね。よろしくお願いします。」

杉浦さんは、そんな事を言って、椅子から立ち上がり、玄関の方へ歩いて行った。咲も、またよろしくね、といって、にこやかに出て行った。

その数日後、大きな段ボール箱が宅急便でやってきた。差出人は杉浦篤子。中を開けてみると、此間言った通り、12本の500ミリリットルのペットボトルが入っている。

「武史。」

と、ジャックさんは、ちょうど宿題をしていた武史君に、声をかけた。

「これを飲むと、お前が感じている気持ちが楽になるんだって。ほら、怖くて本当の事が言えないって言っただろ?それを和らげるために、買ってみたんだ。試しに飲んでみてごらん。」

武史君は、嫌そうな顔をしたりはしていなかったが、でも何か乗らないような気持ちの様だった。

「ほら、まずくないから、飲んでみてごらん。」

ジャックさんは、武史君にペットボトルを見せた。

「うん、そこに置いておいて。今宿題しているから。」

と武史君はそういうことを言うので、ジャックさんは、武史君にそれを渡して、とりあえずは部屋を出た。

その数日後の事である。何気なく、新聞を開いたジャックさんは、そこに載っていった、記事を見て、目の玉が飛び出すほど驚いた。

そこには、杉浦さんの写真が写っていて、なんと、薬事法違反で逮捕と書かれていたのである。

なんとも、杉浦という人は、フラワーレメディを溶かした液を、ねずみ講式に販売している、連鎖販売取引を繰り返していたのである。これでは、浜島さんも、その被害にあっているんだろうか。急いで、浜島さんに電話をしたが、つながらなかった。

で、そのフラワーレメディを溶かしたものは、本当に効くのだろうか。それは今までの武史君の態度を見ると、わかると言えばわかる。でも、少なくとも、変わったという様子はなく、たぶん、それが結果という事なんだろう。

つまり、だまされたのか。

武史君は、製鉄所に行っていた。杉ちゃんの手伝いをしたいんだと言って、聞かなかったんだっけ。そういう線が細いというところがある癖に、意思は強いという癖は、どこから出たのかと不思議な気持ちになる。

武史君の事が心配になった。若しかして、こういうことがあるんだったら、武史君もおかしくなってしまうかもしれないと思ったのだ。ちょっと様子を見に行ったほうがいいなと思い、ジャックさんは、急いでタクシーを走らせて、製鉄所に行った。

とりあえず、製鉄所の玄関から中に入る。利用者に武史が来ていないかというと、利用者は、ああ、水穂さんと一緒です、と彼は答えた。なので、ジャックさんは急いで四畳半へ向かう。

「おいしい、おじさん。」

四畳半の中から、声が聞こえてきた。多分、水穂さんと食事でもしているのだろうか。急いでふすまを開けてみると、

「これを飲むとね、気持ちが楽なるんだって、おじさんは、楽になった?」

という声が聞こえて来るのだ。

「そう?変わらないねエ。」

中から水穂さんの声も聞こえてくる。

「だよね。僕の顔は何時までも僕の顔だよね。こんなの飲んだって、変わらないよねえ。落ち着くなんて、いつも落ち着いているよねえ。」

「本当だね。武史君はよくそういうところに気が付くね。」

水穂さんと武史君は中でそういう話をしているのだった。それでは、武史君に一本取られたような気がする。

「それでは、僕が悩んでいることは、いつ解決するのだろう?」

と、ジャックさんは、大きなため息をついた。

「武史は、ちゃんと検査を受けさせて治療するべきなのかなあ。」

またどこかの袋小路にはいってしまったような、そんな気がしてしまった。いつまでも、この状態が続くのか。

「でも、いいじゃない。武史君は、武史君のままでいればいいんだよ。それで生き生きとしていれば、お父様も喜ばれるよ。」

「ありがとうおじさん!じゃあ、また読んでよ。」

また、ライオンとネズミの本を読みだす武史君。水穂さんのその言葉は、確かにその通りでもあった。生き生きとしていれば、喜ぶか。一番はそれなんだけどなあ。それのために親が一生懸命やらなきゃいけないんだ。

何だか、また別の目標ができたような気がして、ジャックさんは、ふすまに手をかけた。

季節は、春に向かっていくのだろうか。遠くの山の雪が少しづつ減っていく。同時に、武史君も変わっていけるように、雪解けを促さなければならないのだ。


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