愛されたいとは思わない

文字数 3,195文字

 日にち(ぐすり)、という言葉がある。
 時間が傷を癒す。そんなふうな意味らしい。
 その言葉どおり、時の流れとともに癒える傷もあるのだろう。でも、そうではない傷も存在する。
 何十年経った今も、それは変わらず私を責め(さいな)む。

 ***

 家族構成を聞かれて「親兄弟はいない」と答えると、たいてい相手は一瞬絶句する。この世のなかに親のいない人間などいない、とでもいうような反応だなと不思議な気持ちになる。親のいない人間はなにも私ひとりではないだろう。そんなに珍しいものだろうか、と。
「そんなふうには見えない」
 といわれることが多い。
 

とは?
 いつもヘラヘラしているので

には見えない、という意味だろうか。
 親のいない人間に対するイメージとは? と不思議に思う。
 天涯孤独の人間がヘラヘラと笑って暮らしていたらおかしいだろうか。皮肉ではなく、ただ不思議に思う。

「どうして結婚しないのか」
 と聞かれることがときどきある。
 ずいぶん立ち入ったプライベートに踏み込んでくるなと感じるが、他人に浮いた噂のひとつもないのがそんなに気になるものだろうか。
 正直に答えると相手を困惑させるのはわかっているので、当たり障りのないことをいってお茶を濁す。
 ()せないのは、
「自分より強い男のひとがいないから」
 と冗談でいったつもりが、
「そりゃあんたより強い男なんかこの世にいない」
 とあっさり納得されたことだ。
 私はべつに超合金でできているわけではない。確かに鬼メンタルの持ち主で他人に厳しいかもしれないが、悲しいときには人並みに泣くし多少は慈悲の心も持ち合わせているつもりだ。鬼の目にも涙である。

 親を亡くしたばかりの頃、
「私たちのことを家族だと思ってなんでもいって」
 と声をかけてくれた近所の人がいた。馴れ合いを苦手とする私は自分からその人に近づくことはなかったが、あちらからなにかと声をかけてきてはよくわからないうちに家に招かれて子守りの真似事をする羽目になった。
 その人は母親で小さな女の子が二人いた。
 その人の親戚だという、私より二十歳くらい年上の男の人とのお見合いを勧められて、あまりにぐいぐい来るのでお茶を濁すだけでは防ぎきれず本当のことを話した。
「子どもの頃に性的虐待を受けていたのでおとなの男が怖いし嫌い」
 だと。
 すると話を聞いたその人はいった。
「妊娠しなくてよかったね」
「初潮がくる前だったんでしょ? よかったね」
 と。
 はっきりと覚えている。そういったとき、その人の膝の上には小さな女の子が座っていた。

 この人は、
 虐待を受けていた私と同じような年頃の女の子を育てながら、笑って「妊娠しなくてよかったね」という台詞を吐ける人間なんだ。

 我ながら驚くほど()めた目でこの親子を見ながら私はヘラヘラと
「そうですね」
 と笑った。
 笑うのはそう難しくない。
 今、自分は切り捨てられたな、と思いながら、それを

にも出さずに笑える程度には私は強い人間だった。

 ***

 親はいない、というのは正確ではない。
 母親はおそらくまだ生きている。私が小学生の頃に、食卓の上に書き置き一枚を残してよその男と出奔した。現在は縁を切っているが、若い頃に実は会いに行ったことがある。
 そのときに、母親が駆け落ちした男とはまたべつの、かつて母親の内縁の夫だった男に性的虐待を受けていた、と打ち明けると、母親は一瞬沈黙したあと
「嘘やろ」
 と鼻で笑った。
 それだけだった。
 つられて私も笑ったかもしれない。

 ああ、またか、と思いながら。

 ***

 母親が出ていったあと、とり残された私と父親は二人で暮らしていた。父親は私がまだ幼い頃に母親と再婚した人で、私の実の父親ではない。それなのによくしてくれた。感謝している。
 その父親はわたしが成人する前に癌で入院した。末期癌で、余命は三ヶ月。担当医に呼ばれて私はひとりでその宣告を受けた。
「ご本人に知らせますか?」
 その判断は当時の私には難しかった。
 でももう時間がない。
「本人にはいわないでください」
 そう決めたのは私だ。
 だから父親は、その三ヶ月後の三月に亡くなる瞬間まで、自分の病名を知らないまま逝った、はずだった。
 それが正しかったのかどうか、今もわからない。騙したというのなら、これは私が死ぬまでひとりで抱えていく罪だ。

 まだ父親の意識があった頃、担当医と看護師さんたちに呼ばれて病室の外へ出た。看護師さんの手には紙切れがあった。
「お父さまから、息子さんに連絡してほしいと……」
 父親には、私の母親と再婚する前に結婚していた奥さんと息子さんがいた。それはうっすらと聞いたことがあった。連絡先は知らない。
「父が、息子さんに会いたいと、そういったんですか」
 父親は、私にではなく看護師さんにその連絡先を預けたのだ。病人にそこまで気を遣わせた、と頭が真っ白になった。担当医と看護師さんたちは「しまった」という顔になり、
「でも私たちはあなたを患者さんのご家族として、これからも対応させていただきますので」
 みたいなことをいったと思う。そのあと、カウンセラーを紹介するといわれたが断った。余命わずかな患者の家族をケアするカウンセラーらしい。
 私にそんなものを受ける資格などない。

 父親の元妻に連絡をしたら
「なんでこんなになるまで連絡してこんやったんや!」
 と怒鳴られた。それからは元妻は足しげく病室に顔を出していたらしい。息子さんにはお通夜のときに会った。感情的な元妻(母親)とは異なり、穏やかでおとなしそうな男の人だった。彼にとって私は父親を奪った相手だっただろうに、敵意はまったく感じられなかった。
 血の繋がった実の息子に会いたいといったなら、父親はきっと自分の死期を悟っていたのだろう。
 間に合ってよかった。そう思う。

 葬儀のあと、父親の位牌と、祖父母が眠っていた仏壇一式は元妻が引き取っていった。
「あんたはいずれ嫁に行くんだから実家の仏壇の面倒まで見られないでしょ。私がちゃんと面倒見るから」
 と。
 一周忌までは法要に呼ばれたような記憶がある。
 そのあと、父方母方双方の親戚とは一切付き合いはない。
 それから私はずっとひとりで生きてきた。
 途中で猫を拾って一緒に暮らしはじめたが初代の子はまもなく虹の橋を渡っていった。

 私はいつも見送る側で、選ぶ権利などない。

 私はこれまでの人生に於いて、ずっとだれかのいちばんにはなれなくて、でもそれでよかったと思っている。決して強がりではなく、本当に。
 もしだれかのいちばん大事な人になって、自分が先に旅立つことになったら、相手を見送る側に立たせてしまう。見送る側の辛さは私がすでにじゅうぶん知っている。同じ思いをしてほしくない。

 愛されたいとは思わない。

 私の愛は、たぶんとても(いびつ)な形をしていて、相手を駄目にしてしまう。今までがそうだった。

 物語の主人公でなくていい。
 脇役とか通行人Aとか、さして重要でない立場がいい。
 いついなくなってもだれにも気づかれず、ふと、
「そういえば、あの人は?」
 と、運が良ければあとになって思い出してもらえるような、そういうのでいい。じゅうぶんだ。

 私はだれのことも憎んではいないし、そんな余力はもうどこにもない。すべては過ぎたこと。
 それなのに傷口だけがときどき思い出したようにじくじくと痛む。孤独だけがそれをわずかに癒してくれる。




 ……きれいなものが見たい。
 この世もまだ捨てたもんじゃないと思えるような、そんな、うつくしいものが見たい。

 愛されたいとは思わない。
 ただひとつ願えるならば、きれいなものが見たい。

 暗闇に灯る、小さな蝋燭(ろうそく)の火のような、
 吹けば消えてしまうような、わずかな光でいい。

 あかりをください。

 望むことがあるとするならば、
 ただそれだけです。
 それだけで生きていけると思う。

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