これは記憶か妄想か
文字数 3,500文字
子どもの頃からずっと脳裡に刻み込まれている記憶が二つある。ただ、どちらとも、現実にあったことかどうか判然としない。
なので、これから書くことはあくまでも「桐乃の頭のなかにある記憶(もどき)」であって、すべてが事実かどうかは私自身にもわからない。そういう類いの話だと思って、さらっと読み流していただけたらと思います。
***
ひとつめの記憶。
私はおそらく小学生、それも低学年くらいだと思う。場所は、ずっと住んでいたアパートの部屋。私の隣では、おとなの男の人がスケッチブックを開いて絵を描いている。小さい私は横からそれを覗き込んでいる。描かれているのは、山間 を渡るロープウェイ。濃い鉛筆で、印象的なペンタッチ。一本の線ではなく、幾重にもぼやかすように描かれている。水墨画のようなイメージ。
「すごい」
「じょうず」
私は絵に見惚れて喜んでいる。
自分の目線が低いためか、男の顔を、私は見ていない。畳の上にあぐらをかいて、その上で男の手によって魔法のようにみるみる姿を現していくロープウェイを、ひたすら見つめている。
私はずっと、それを父親だと思い込んでいた。
成長してから、
「そういえば子どもの頃に、ロープウェイの絵を描いてくれたよね」
となんの気なしに父親にいうと、しばしの沈黙のあと、ぽつりと返ってきた言葉。
「そりゃあワシじゃない」
「えっ、うそ」
記憶のなかの男の顔はまったく覚えていないが、私はその相手を少しも警戒してなかった。私は人見知りの激しい子どもだった。父親以外のおとなの男に懐くはずはない。
いま思えば、父親には悪いことをした。
きっと間男だと思ったに違いない。
でも、記憶のなかには母親の姿はなかった。
では、あの男はいったいだれだというのか。
幻にしては、やけにはっきりと覚えている。ベランダの窓から差し込む陽の光。今はもうほとんど見かけることのない、昭和の時代のブラウン管テレビの前。
そこで私は印象的なタッチで描かれるロープウェイをじっと見ている。
夢だとしたら、こんなにくっきりとは覚えていない。私は見た夢をすぐに忘れる。
***
二つめの記憶。
同じく、私は小学生で、これも低学年か中学年くらいの頃だと思う。そのとき私は、とある少女漫画から商品化されたグッズ(おもちゃ)を手に持っていた。
当時の少女漫画誌『ひとみ』で連載されていてアニメ化された、英洋子さんの『レディ!!』という漫画の、たぶん主人公が持っていた「鍵」で、その鍵を納めるためのリボンのついたケースがセットになっていた。
ちなみに、アニメ版のタイトルは『レディ レディ!!』で、「レディ」がひとつ増えていたと思う。
(検索してみたらその通りだった)
場所は、化粧品販売店、というのだろうか。女の人がひとりでやっていて、今思えば、名の知れた大手化粧品会社の営業というかセミナーというか、そういうかんじの形態だったのだろうと推測している。とにかく化粧品を扱っていた。それだけは間違いない。
母親は私を連れて、しょっちゅうそのお店に入り浸っていた。お茶を飲みながら、女の人と二人で長時間話し込む。退屈した私は、手すさびに鍵のおもちゃを弄びながら、辺りをうろついたりおとなしく座ったりを繰り返していた。
その、二人の会話の断片を、私の頭は記憶している。
「助けて、と声が聞こえた」
「○○○のところの信号で」
「うちがあの子の代わりになれたらよかった」
母親は泣いていた、と思う。
「おかあさん、どうしたん?」
「いいから、あんたは遊びよき」
「桐子ちゃん、いい子だから、ね」
母親と女の人は、たぶん私には理解できないと思っていたのだろう。
だれかが死んだのだ、とわかった。
死という概念を、そのときの私はすでにぼんやりと理解していた。
ああ、そうだ。たぶん、「自分はいま死んだな」と思うような目に、すでに何度か遭ったあとだった。幼い私に手を出すようなクズな男とようやく別れて、母親が、今は亡き私の父親の元へ、私を連れて戻ったあとだった、と思う。
私の母親は情緒不安定な人間だった。怒るとすぐに怒鳴るし手が出た。買いものからの帰り道、私がなにかをしつこく聞いたかなにかで、それが母親の怒りに火をつけ、すぐ側の川に突き落とされたことがある。
母親は一度も振り返らずにひとりで去っていった。たまたま通りがかった人が私を川から引き上げてくれた、と記憶している。そのときの私は緑色のチェックのジャンパースカートを着ていた。それがたっぷり水を吸い込んでひどく重たかった。濡れた靴下と、水が溜まってカポカポなる靴がひどく不快だった。
この川には蛍がいる。
今、私が毎晩、蛍の光を眺めながら帰るのは、この川沿いの道。
とんでもない親だな、と今なら思う。
当時は、自分が悪いのだと思っていた。
母親は、たぶんまともではない。
元々そうなのか、子どもを事故で喪って、そのせいで不安定になったのか、それはわからない。
その後、母親はよその男と出奔する。
私は箪笥の奥から、三つの母子手帳とへその緒が入った小さい木箱を見つけた。
結論からいえば、私は三人兄妹の末っ子だった。母子手帳によると、姉と、兄がいることになる。
事故で死んだのは、おそらく、その兄だ。
事故現場も、私は知っている。
家の近くの、手押しタイプの信号機のある横断歩道。現在は見かけないが、私が子どもの頃には、その信号機の根元に緑色の花挿しがくくりつけられていて、そこに花が供えられていた。
私は、いま住んでいるこの街で生まれ育った。生まれた病院を母子手帳で確認したので間違いない。その母子手帳を私は紛失してしまい、もう手許にはない。
そして、私が2歳のとき、母親は、今は亡き私の父親と再婚した。そのときの写真を私は見たことがある。
そこに兄の姿はなかった。
姉については、のちに母親から聞き出した。
母親いわく、私の血の繋がった父親が引き取った、とのこと。
兄については、母親から直接聞いたのか、自分が耳にした記憶の断片から勝手にそう推測しただけなのか、正直、自信はない。
子どもの頃の私も、母親と同じで、たぶんそうまともではなかったと思うので、勝手に妄想をたくましくしただけ、という可能性は否めない。
でも、この記憶がもしただの妄想ならば、私は自分のほかの記憶すべてを信じられなくなる。
せめて母子手帳と、写真を……アルバムを残しておくべきだったのかもしれない。私は過去の写真すべて、卒業アルバムなども含めて、自分が写っているものはすべて処分してしまった。
……その前に、母親が家を出たときに、彼女は自分自身が写った写真すべてをきれいにアルバムから抜いて持っていってしまっていたので、アルバムはボロボロの歯抜け状態だった。警察に捜索願いを出すために、母親の写真を探そうとした父親がアルバムを開いて、はじめてそれに気づいた。
私は子どもの頃から鏡を見るのが怖かった。
一度だけ、幼馴染みにそれを話したことがある。
正直、今でもまだ少し怖い。
自分の顔を見るのがあまり好きではない。
なので、写真は極力撮りたくないし、残したくない。
そのせいか、私は人の顔をあまり覚えられない。
たぶん、自分の顔すらも。
***
記憶か妄想か判然としない、とりとめのない話にお付き合いいただき、ありがとうございます。
三十年以上、頭の片隅に刻み込まれていた記憶を、この際、記録として書き残しておこうと思い立って書いたものです。いつも通り、スマホでベタ打ちで推敲なども一切せず、勢いだけで書いたので、かなり読みづらいと思います。すみません。
手を加えると、全部消してしまいたくなりそうなので。
血の繋がった父親と姉がその後、どうしているのかは知る由 もないし、こういっては冷たいかもしれませんが、興味もありません。
そうですね、幸せに暮らしていてくれたら良いな、とはぼんやりと思います。
会いたいとは思わないし、今さら会ったところで、きっとお互い困惑するだけ。
私の父親はひとりだけだし、私は一人っ子として育ちました。それだけです。それでいい。
最初は日記のほうにサクッと書こうと思っていたのですが、思いのほか長く、またちょっと重たい話になってしまった気がするので、すでに【完結】にしていたにもかかわらず、こちらに追加してしまいました。
もしお気に入り登録してくださっている方がいらしたら、突然更新通知が届いてびっくりさせてしまったやもしれません。申し訳ありません。
続きは、たぶん、もうない、と思います。
なので、これから書くことはあくまでも「桐乃の頭のなかにある記憶(もどき)」であって、すべてが事実かどうかは私自身にもわからない。そういう類いの話だと思って、さらっと読み流していただけたらと思います。
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ひとつめの記憶。
私はおそらく小学生、それも低学年くらいだと思う。場所は、ずっと住んでいたアパートの部屋。私の隣では、おとなの男の人がスケッチブックを開いて絵を描いている。小さい私は横からそれを覗き込んでいる。描かれているのは、
「すごい」
「じょうず」
私は絵に見惚れて喜んでいる。
自分の目線が低いためか、男の顔を、私は見ていない。畳の上にあぐらをかいて、その上で男の手によって魔法のようにみるみる姿を現していくロープウェイを、ひたすら見つめている。
私はずっと、それを父親だと思い込んでいた。
成長してから、
「そういえば子どもの頃に、ロープウェイの絵を描いてくれたよね」
となんの気なしに父親にいうと、しばしの沈黙のあと、ぽつりと返ってきた言葉。
「そりゃあワシじゃない」
「えっ、うそ」
記憶のなかの男の顔はまったく覚えていないが、私はその相手を少しも警戒してなかった。私は人見知りの激しい子どもだった。父親以外のおとなの男に懐くはずはない。
いま思えば、父親には悪いことをした。
きっと間男だと思ったに違いない。
でも、記憶のなかには母親の姿はなかった。
では、あの男はいったいだれだというのか。
幻にしては、やけにはっきりと覚えている。ベランダの窓から差し込む陽の光。今はもうほとんど見かけることのない、昭和の時代のブラウン管テレビの前。
そこで私は印象的なタッチで描かれるロープウェイをじっと見ている。
夢だとしたら、こんなにくっきりとは覚えていない。私は見た夢をすぐに忘れる。
***
二つめの記憶。
同じく、私は小学生で、これも低学年か中学年くらいの頃だと思う。そのとき私は、とある少女漫画から商品化されたグッズ(おもちゃ)を手に持っていた。
当時の少女漫画誌『ひとみ』で連載されていてアニメ化された、英洋子さんの『レディ!!』という漫画の、たぶん主人公が持っていた「鍵」で、その鍵を納めるためのリボンのついたケースがセットになっていた。
ちなみに、アニメ版のタイトルは『レディ レディ!!』で、「レディ」がひとつ増えていたと思う。
(検索してみたらその通りだった)
場所は、化粧品販売店、というのだろうか。女の人がひとりでやっていて、今思えば、名の知れた大手化粧品会社の営業というかセミナーというか、そういうかんじの形態だったのだろうと推測している。とにかく化粧品を扱っていた。それだけは間違いない。
母親は私を連れて、しょっちゅうそのお店に入り浸っていた。お茶を飲みながら、女の人と二人で長時間話し込む。退屈した私は、手すさびに鍵のおもちゃを弄びながら、辺りをうろついたりおとなしく座ったりを繰り返していた。
その、二人の会話の断片を、私の頭は記憶している。
「助けて、と声が聞こえた」
「○○○のところの信号で」
「うちがあの子の代わりになれたらよかった」
母親は泣いていた、と思う。
「おかあさん、どうしたん?」
「いいから、あんたは遊びよき」
「桐子ちゃん、いい子だから、ね」
母親と女の人は、たぶん私には理解できないと思っていたのだろう。
だれかが死んだのだ、とわかった。
死という概念を、そのときの私はすでにぼんやりと理解していた。
ああ、そうだ。たぶん、「自分はいま死んだな」と思うような目に、すでに何度か遭ったあとだった。幼い私に手を出すようなクズな男とようやく別れて、母親が、今は亡き私の父親の元へ、私を連れて戻ったあとだった、と思う。
私の母親は情緒不安定な人間だった。怒るとすぐに怒鳴るし手が出た。買いものからの帰り道、私がなにかをしつこく聞いたかなにかで、それが母親の怒りに火をつけ、すぐ側の川に突き落とされたことがある。
母親は一度も振り返らずにひとりで去っていった。たまたま通りがかった人が私を川から引き上げてくれた、と記憶している。そのときの私は緑色のチェックのジャンパースカートを着ていた。それがたっぷり水を吸い込んでひどく重たかった。濡れた靴下と、水が溜まってカポカポなる靴がひどく不快だった。
この川には蛍がいる。
今、私が毎晩、蛍の光を眺めながら帰るのは、この川沿いの道。
とんでもない親だな、と今なら思う。
当時は、自分が悪いのだと思っていた。
母親は、たぶんまともではない。
元々そうなのか、子どもを事故で喪って、そのせいで不安定になったのか、それはわからない。
その後、母親はよその男と出奔する。
私は箪笥の奥から、三つの母子手帳とへその緒が入った小さい木箱を見つけた。
結論からいえば、私は三人兄妹の末っ子だった。母子手帳によると、姉と、兄がいることになる。
事故で死んだのは、おそらく、その兄だ。
事故現場も、私は知っている。
家の近くの、手押しタイプの信号機のある横断歩道。現在は見かけないが、私が子どもの頃には、その信号機の根元に緑色の花挿しがくくりつけられていて、そこに花が供えられていた。
私は、いま住んでいるこの街で生まれ育った。生まれた病院を母子手帳で確認したので間違いない。その母子手帳を私は紛失してしまい、もう手許にはない。
そして、私が2歳のとき、母親は、今は亡き私の父親と再婚した。そのときの写真を私は見たことがある。
そこに兄の姿はなかった。
姉については、のちに母親から聞き出した。
母親いわく、私の血の繋がった父親が引き取った、とのこと。
兄については、母親から直接聞いたのか、自分が耳にした記憶の断片から勝手にそう推測しただけなのか、正直、自信はない。
子どもの頃の私も、母親と同じで、たぶんそうまともではなかったと思うので、勝手に妄想をたくましくしただけ、という可能性は否めない。
でも、この記憶がもしただの妄想ならば、私は自分のほかの記憶すべてを信じられなくなる。
せめて母子手帳と、写真を……アルバムを残しておくべきだったのかもしれない。私は過去の写真すべて、卒業アルバムなども含めて、自分が写っているものはすべて処分してしまった。
……その前に、母親が家を出たときに、彼女は自分自身が写った写真すべてをきれいにアルバムから抜いて持っていってしまっていたので、アルバムはボロボロの歯抜け状態だった。警察に捜索願いを出すために、母親の写真を探そうとした父親がアルバムを開いて、はじめてそれに気づいた。
私は子どもの頃から鏡を見るのが怖かった。
一度だけ、幼馴染みにそれを話したことがある。
正直、今でもまだ少し怖い。
自分の顔を見るのがあまり好きではない。
なので、写真は極力撮りたくないし、残したくない。
そのせいか、私は人の顔をあまり覚えられない。
たぶん、自分の顔すらも。
***
記憶か妄想か判然としない、とりとめのない話にお付き合いいただき、ありがとうございます。
三十年以上、頭の片隅に刻み込まれていた記憶を、この際、記録として書き残しておこうと思い立って書いたものです。いつも通り、スマホでベタ打ちで推敲なども一切せず、勢いだけで書いたので、かなり読みづらいと思います。すみません。
手を加えると、全部消してしまいたくなりそうなので。
血の繋がった父親と姉がその後、どうしているのかは知る
そうですね、幸せに暮らしていてくれたら良いな、とはぼんやりと思います。
会いたいとは思わないし、今さら会ったところで、きっとお互い困惑するだけ。
私の父親はひとりだけだし、私は一人っ子として育ちました。それだけです。それでいい。
最初は日記のほうにサクッと書こうと思っていたのですが、思いのほか長く、またちょっと重たい話になってしまった気がするので、すでに【完結】にしていたにもかかわらず、こちらに追加してしまいました。
もしお気に入り登録してくださっている方がいらしたら、突然更新通知が届いてびっくりさせてしまったやもしれません。申し訳ありません。
続きは、たぶん、もうない、と思います。
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