スカシユリ・Ⅱ
文字数 1,903文字
「ちょっとは手を抜けばよかったのにね」
窓辺でぼぉっとレース編みを眺めていたシータは、いきなり外から話し掛けられて、椅子から一寸ばかり飛び上がった。
「ヤン、子供の頃と違うんだから、気軽に覗かないでくださる?」
呆けていた顔を見られたのを繕うように、黒髪の娘は毅然と立ち上がった。
緋い羽根飾りのヤンは、シータの年上の幼馴染み。
もう狩猟ではリーダー格な筈なのだが、シータの前だと子供っ気が抜けない。
昔から変わらない澄んだ瞳で、窓から身を乗り出してレースを覗き込んだ。
「確かに、その編み目の下に編み足すのは勇気が要る。花嫁のヴェールって一番に皆の目が行くからな」
ヤンの母親も養蚕小屋で働いていて、おかみさん仲間と輪になって、背中で若い娘達のやり取りを聞いていたらしい。
「こんなの、集中して丁寧にやれば、誰にだって出来るのに」
「皆は君と違うんだから」
「どう違うのよ、私だって初めから出来た訳じゃないわ」
「そうだね、でも皆には分からないさ」
ヤンは一呼吸置いてから、背後に持っていたオレンジの花を掲げた。
「じゃじゃん!」
「あっ!」
「尾根の岩場に咲いてた。あそこ、陽当たりがいいから、開いていると思ったんだ」
「スカシユリ、すごいわ、こんなに早く」
「欲しがってたろ」
「ええ、百合の雄しべの付き方が分からなかったの。これを、刺繍で足せば……」
「・・・・」
「何よ?」
ヤンがスカシユリを自分の目の前に当て、花弁の隙間から覗く仕草をしたので、シータは首を傾げた。
「君さ、そんな風に努力している所、ちょっとくらい皆に見せたら? 光の当たる隙間しか見せなくて、軽々こなしているように見えるから、頼られちゃうんだよ」
嬉しそうにしていたシータはたちまちむっつりに戻り、花を受けとると、窓に背を向けてしまった。
「ありがと、ヤン。私、これから編み物に集中したいから、帰ってくださらない?」
「お礼にお茶位ご馳走してよ」
「言った事、分からなかった?」
「編んでりゃいいさ。勝手にやってるから」
ヤンはヒラリと窓を越え、勝手知ったる感じで、棚の茶器を引っ張り出した。
「君、濃いめだったよね」
「もお!」
シータは口を尖らせたが、本気で嫌がる風でもなく、ヤンの好きにさせていた。
小さい頃からこの彼だけが、他の村人と違って、長娘の自分から一歩退かずに、ズケズケ踏み込んで来た。
そういえば、空飛ぶ馬を欲しがったり、しょっちゅう放浪の旅に出たり、ちょっと変わった少年だった。
散々ふわふわしておいて、いつの間にか狩猟のリーダーに収まっているんだから、ちゃっかりした物だわ。放浪癖が抜けたのは、いつ頃だったかしら?
「花嫁のヴェールってさ」
考え事をしながらレースを繰っていたので、ヤンが何か喋っていたのにようやく気付いた。
「えっ? 何?」
「あぁ」
ヤンは慣れた感じで言い直した。
「母さんがさ、花嫁のヴェールって本来は皆の祝福を込める物だから、大勢で編んだ方がいいのにって」
「……」
「娘達で話し合って決めた事だから、古株は口出ししないけれどとか、ブツブツ。僕に言われてもねぇ」
「私に言われても困るわ」
「うん、そうだね」
「ねえ、その話を続けるのなら、帰ってくれない?」
シータが手を止めてヤンを睨んだ。
「ごめん、もう言わない」
ヤンは殊勝に茶をすすり、シータは何だか集中を削がれて、溜め息を吐きながらカップを手に取った。
底も見えない、真っ黒な茶が入っている。
黒髪の娘は相好を崩した。痺れるほど苦い紅茶と燃え立つ香りが大好きなのだ。
この集落で、こんな狭い嗜好を理解してくれるのはヤンだけ。
とりあえずお礼を言おうと、口を開いた所で扉がノックされた。
「シータ、いるか?」
イフルート族長だ。
「なあに? お父さん」
シータは細くだけ扉を開けた。別にやましい事はないが、殿方が窓から出入りしているなんて、彼女の作りたい彼女のイメージと違うのだ。
「親父の所へ行ってくれるか。フウヤが腹痛だと。薬の調合を手伝って貰いたいらしい」
「またあの子……不摂生ばかりしているから」
シータは上着を取ってヤンに目配せした。自分は出掛けるから、窓からそっと帰れ、の合図だ。
ヤンは黙って頷いた。
***
シータが診療所から戻ると、夜半だった。
フウヤの腹痛は大した事はなかったが、仕事場でのカーリの様子についてしつこく聞かれて、遅くなってしまった。
心配性なんだから、子供じゃあるまいし。
でもまぁ彼女、大人しいから心配なんでしょうね。
部屋に入ると、当然ヤンはいなくなっていた。
「??」
違和感を感じた。
小机の上に畳んで置いたレースのヴェール、何だか……??
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