第3話

文字数 3,585文字

 第二章 ラジオ

「こんにちは」
「今から。ご苦労さん。行ってらっしゃい」
 隣りの部屋の御爺さん。七十歳位かな。年金暮らしらしい。
 将来の自分の姿。いや。僕の時代には年金も、あてにならないか。

 冬の太陽が沈もうとしている。
 西の空が赤紫に変わる頃、店の扉を開ける。
 冷たい店内の空気が、夕べの客達の気配を消している。
 ラジオのスイッチを入れる。
 ヴゥ゛ッオァ。
『お待っとうさんでーす。今日も一日、お疲れ様』
 ラジオのコメンテーターの声が店内に響く。
 僕と世界が繋がる。

 夕べの埃を掃い出し、御通しの準備を済ませると、独り、賄いを食べる。

 ラジオから流れる楽曲が僕に問いかけてくる。
『それで、良いのか』
 ラジオの向こうの世界は光輝いている。
 近頃では、視聴者とラジオのコメンテーターや製作者が最新の通信機器で繋がり、リアルタイムの会話のように生放送の番組が進行していく。
 華やかなスポットライトが目の前にあるようだ。

 開店時刻を知らせる時報が鳴り、ラジオのスイッチを切る。
 現実の世界。
 加湿器の音が聞こえてきた。

 ガチャッ。
「わっはっはっ。あぁ。島田さん。いつものボトルで良いんでしょう。ケンちゃん。島田さんに、いつものニューボトルね」
 ママが御客を連れて、同伴出勤。いつもの一日の始まり。乾杯。カラオケ。猥談。噂話。一通り終えると、初老の常連客達は時計を気にしだす。もう、年金の支給される年齢の客達とママが、何十年も繰り返してきた日常。
 ここ数年は、午前零時を前に店の灯かりを消すようになっていた。

 年末。閉店後にママから、事務的に言われた。
「今年いっぱいで、お店閉めるから。ボトル全部、売っちゃってよ」
 来年は歳明けから失業者になる。また、モヤシと缶詰の生活。

「寒いね。今から、お出かけ」
「はい。ちょっと、柳町の古道具屋へ」
「そう。気を付けてね」
「はい。良い御歳を」
「はぁぃ。良い御歳を」
 隣りの御爺さんとは挨拶だけの仲だがホッとする。
 大晦日に独り。あの御爺さんも独りか。

 大晦日の日に、あばら家のような古道具屋で見つけた短波ラジオ。不安だったがダイヤルを合わせる。
 ヴゥ゛ッオァ。ジャァー、シャァー、シァユァワー、ヴゥワァ。
『ハァイッ、エッビィヴァディ』
 ジャァー、シャァー、シァユァワー、ヴゥワァ。
『えぇ。それでは、次の、』
 ジャァー、シャァー、シァユァワー、ヴゥワァ。
『お待っとうさんでーす。今日も一日、お疲れ様』
 はいった。僕のアパートの冷たい部屋と世界が繋がった。

 ヴゥォーアン。ヴゥォーアン。ヴゥォーアン。遠く、微かに聞こえる除夜の鐘の()
 歳が明け、ラジオのダイヤルを廻してみる。
 この電波の先に違う世界がある。
 ジャァー、シャァー、シァユァワー、ヴゥワァ。
 ジャァー、シャァー、シァユァワー、ヴゥワァ。
『ダカラ、サ』
 ジャァー、シャァー。
『カンケ、、、ナィ』
 ジャァー、シャァー。
『ヒマ、、ナンダ、、』
 ジャァー、シャァー。
『どうせジジィの使わない金だろう。社会に還元すんだよ』
 ジャァー、シャァー。
『こんな子供だましの仮想通貨じゃ集まんねぇよ』
 ジャァー、シャァー。
『俺達で値上がったように見せかけて、裏決算で大量発行し半年で消えるんだよ』
 ジャァー、シャァー、ザッザッザッ。
 何だぁ。アマチュア無線が紛れ込んだか。今どき、まさかな。タクシー無線か。それも無いな。何だろう。ラジオのドラマかな。

 半年後。ある新聞記事が心に残り、胸騒ぎがした。
『消えた十億円。半年で老人二百人が被害。計画的詐欺。投機目的の仮想通貨に注意』
 半年前に短波ラジオから流れてきた会話に酷似している。偶然だよな。

 夏が終わろうとした頃。隣りの部屋が空き室になった。
 大家さんの話では、仮想通貨の投機詐欺に遭ったと知った御爺さんは発作を起こし、そのまま意識が戻る事なく亡くなったという。
 あの事件だ。御爺さんが殺された。
 自分では、どうする事も出来ない圧倒的な力に殺された御爺さん。隣の部屋の灯かりが燈る事がなくなった。

 僕は心の隙間が埋めたくて、短波ラジオのダイヤルを廻した。
 ジャァー、シャァー、シァユァワー、ヴゥワァ。
 聞こえてくるのは、意味の無い雑音だけだった。

 街路樹の葉が黄色くなった頃に俺は仕事に就いた。最低の職場。表の格好は着飾っているが、裏では偽物ばかり。色のついた水道水をホステスがねだり、客達も分かっていて数十万円の金をドブに捨てる。
 店のゴミ捨て場で残飯を漁るオッサンと、店の従業員や客達と何が違うのだろう。
 残飯を漁るオッサンの方が正直者かも知れない。少なくとも、金に踊らされる道化師よりは真っ当に生きている。
 最低の道化師どもは、今夜も女たちを値踏みして、物扱いしている。

 僕が裏のゴミ捨て場に、残飯を届けに行った時だった。先程、店に居た二人組の客が話をしていた。
「大丈夫だよ。あのシステムもハードも処分しているし、アシのつきようがない」
「もう、無理だろう。また、同じ手口か」
「システムも変えて。今度は富裕層を狙うんだよ。十人限定。一口一億円だ。有名仮想通貨の偽物を掴ませるんだよ。少し知恵の廻る金持ちのジィさんが一番チョロいんだよ」
 奴等だ。僕は直感で分かった。あの短波ラジオで聞いた奴ら。隣りの御爺さんを殺した奴らだ。
 僕は警察に行く面倒を幾つも想像した。しかし、放っておけなかった。縁もゆかりもない御爺さんの笑顔が目に浮かぶ。奴等への憎悪だけが増していく。
 ドラマみたいな展開を想像してみても、僕の知識では正義の味方にはなれなかった。それでも、僕は奴らの溜まり場を見付けた。安アパートの一室。多分、詐欺の為のアジトだ。

 日曜日の夜。誰も居ないアパート。素人の僕でも、ドライバー一本で簡単に侵入できた。
 奴等、詐欺師たちも、日曜日の夜は休日らしい。
 部屋にはパソコンが数台あった。
 僕は何をどうしたら良いか分からなかった。ふと、思い付いた。
 僕は一旦、外に出て、深夜営業の量販店を二軒ハシゴした。二種類の洗剤を買ってきた。アパートの便器に二種類の洗剤を満たした。トイレのドアを開けたまま、僕はアパートを出た。
 浅はかで幼稚な犯罪だ。ただ、奴らが警察に届けるとは思えなかった。

 四日後の新聞記事だった。
『男性一名の不審死。アパートから仮想通貨詐欺の証拠』
 一瞬、息をのんだが、僕は平静だった。罪の意識はなかった。むしろ、快感に似た達成感があった。
 僕は、いつも通りに出勤する。
「こんにちは」
「こんにちは」
 隣りの部屋に引っ越してきた若夫婦の奥さん。お腹が大きい。来月には子供が産まれるそうだ。

 僕は店に行く途中の神社で足を止めた。誰も居ない境内に吸い込まれる。本殿の前に立っても、何も感情が沸いてこない。僕は無理やり手を合わせた。祈る事がない。僕は、さっき、すれ違った隣の奥さんと産まれてくる子供の健康を祈った。

 神社の境内を出た所で男が待っていた。
「沢谷健一さんですか」
「はい」
「あなたは殺人の容疑者です。心当たりはありますか」
 僕は人を殺したんだろうか。

 僕を捕まえるには、時間がかからなかった。今じゃ、街中に防犯カメラがある。
 後で聞かされた話では、死んだ奴のアパートには、何年も前に仕掛けられた盗聴器があったそうだ。
 きっと、盗聴の電波が風の気まぐれで、僕の耳に届いたのだろう。

 裁判では、僕の殺人の動機は社会への不満だと言っている。
 そんな事より、今の僕の望みはラジオが聞きたい。
 それだけだった。

 ☆

 十年の刑期を終え出所。 
 紹介してもらった仕事は花火職人の工房だった。勤めだして一年が経つ。世間は僕に無関心だった。
 親方が厳しく接してくれるのは有り難い。
 仕事以外での世間との接触はラジオしかない。
 ヴゥ゛ッオァ。
『お待っとうさんでーす。今日も一日、お疲れ様。本日の議題は、こちらっ。あなたにとって大切な人は誰っ。沢山のメッセージ、待ってまーす』
 ラジオのコメンテーターの声が暗く狭い部屋に響く。
 僕と世界が繋がる。
 カチャ、カヤャ。
『まず最初のメッセージはラジオネーム、イチライさん。僕にとって大切な人は何といっても、いつも僕を支えてくれる妻。そして、来月、産まれてくる子供です。って、イイですね。いつまでも仲良くね。それでは次のメッセージ、』
 僕の書きこんだ嘘のメッセージがラジオの電波に流れた。
 架空の嫁と子供が一瞬で消えてゆく。

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