第ニ章

文字数 2,767文字

 青葉駿太は市立桜ヶ丘中学に向かって登校していた。だが、足が重かった。その原因は、昨日転校してきた野中希のことだ。昨日は、希は一言も喋らず、ホームルームがおわった。そのあと、希は逃げるように教室を出ていった。そのあとで、教室中が希に対する悪口でいっぱいになった。
「なにあれ、意味わかんないですけど」
「あんなのガン無視でいいっしょ」
「いじめてやろうか」「賛成」
 そんな言葉が繰り返されていたのを、駿太は憂鬱になりながら思い出していた。一学期までは、三年二組は本当に仲が良くて良いヤツばかりの自慢のクラスだった。だが、転校生の登場で雰囲気が一変してしまった。
 駿太は校門をぬけて、自分のクラスに向かって階段を上がる。三年生の教室は二階だ。
 市立桜ヶ丘中学は鉄筋コンクリートの五階建てで、一階に理科室や美術室といった特別教室、それと保健室がある。保健室の峰先生はベテランの女性養護教諭で、生徒達から厚い信頼を得ている。駿太も部活で怪我をしたときは、峰先生にお世話になったことがある。そのときは、優しい言葉をかけてもらいながら処置してもらった。そんな心遣いが生徒達に人気の理由だと駿太は思っている。そして、二年生の教室は三階に、一年生の教室は四階にあり、五階には大きいホールがある。このホールは、学年集会と呼ばれる、学年ごとに取り決める校外学習や学校祭などの説明会みたいなものをやる場だ。
 一階から二階に上がるだけなのに、今日はやけに階段が長く感じる。本当に辛い。
 二階に着いて、三年二組の教室に向かおうとしたとき、廊下の向こうから駿太の親友である柳田航平が歩いてくるのが見えた。航平は、難しい表情をしていた。いつもなら、「駿太、おは!」と元気に挨拶してくるのに今日は焦点も定まっていない目をしていた。そして、駿太にも気づいていないようだった。
「おい、航平どうした。なんか顔色悪いぞ」
「あ、駿太。俺さ、どうしていいか分からなくてさ」
「なんかあったの?」
「うん。それがさ、海東たちが転校生の机を囲んでてさ。なんか、ヤバそうだから教室から出てきたんだよ」
 いつもの航平の明るさが消えていた。
 「マジでか・・・・・・」
 駿太が危惧していたことが、もう起ころうとしている。というか、もう起こっているのか。
 とりあえず、駿太は航平の後に続き三ー二のプレートが掛かった教室に向かうことにした。
 教室に不穏な空気が流れているのが廊下にも伝わってくる。その教室は紛れもなく駿太の三年二組だった。
 廊下の外から、教室の中を覗いてみた。すると、野中希が席に座っていて、その周りを海東拓人とその取り巻き達が囲んでいるのが見て取れた。
「おまえさ〜、転校してきて友達になってやろうって言ってんのに何その態度?」
「無視すんなって。カッコつけてんの?」
「マジで、カッコ悪いから」
 海東拓人の取り巻き達がゲラゲラと笑う。
「つーか、なんか喋れよ」
「おまえ、キモいよマジで」
 野中希の顔はハッキリと確認できなかったが、前一点を睨みつけているふうに見える。あとは一切喋らない。
 すると、拓人が教室から出ようとして、
「あ!」
 駿太はバツが悪い短い悲鳴を上げたが、拓人は駿太達には目もくれずに、トイレへと入っていった。そして、拓人は手にバケツを持って現れ、迷うことなく野中希の正面に向かう。
「おい、やめろ!」
 航平が叫ぶ。が、遅かった。
 拓人は、希の頭上でバケツをひっくり返した。バケツの中に入っていた水が、ザバーッと流れ出し、希はびしょ濡れになった。拓人の取り巻き達がゲラゲラ笑っている。勉強をしているのか本を読んでいるのかは分からないが、机に向かっていた生徒も一瞬ビックリしたように希の方を見たが、また何事もなかったかのように各々の机に向き直っていく。
 駿太は呆気にとられ、身動きがとれずに固まってしまった。気づくと、航平が拓人に詰め寄っていくところだった。
「海東、おまえ水ぶっかけるとかやりすぎだぞ!」
「いやいや、俺はこいつと友達になってやろうとして話しかけてんの。でも、こいつ黙ったままだろ」
「でも、もっと水かける以外に方法があるだろ」
「こいつが喋らないから悪いんだよ」
「でも、水はないだろ」
「うるせーな!」
 拓人は航平の胸ぐらを掴み、航平を突き飛ばした。航平は後ろに倒れそうになるが、片手をついて体勢を立て直し、再び海東拓人に詰め寄ろうとする。そのとき、海東の取り巻きの一人が、航平を後ろから羽交い締めにした。
「おい、離せよ!」
「おまえ、拓人君に指図したな」
「はあ?なにが指図だ。下っ端は黙ってろ」
 航平は強気だが、羽交い締めにされた上、相手は海東をいれて五人。淘汰うちできる数ではない。
 駿太は海東拓人を見た。恐ろしい顔でニヤニヤと笑っている。羽交い締めにされ、もがく航平のほうに近づき、腕を振り上げた。
 駿太は、航平を助けることができなかった。目を背けた。顔を下に伏せた。勇気がなかった。
「ごめん、航平......」
 駿太は、心のなかで航平に謝った。
「ドス!」と鈍い音がした。
 駿太は顔を上げた。
 「えっ!」
 駿太は眼の前の光景を疑った。
 野中希が立ち上がり、海東拓人の頬を殴っていた。さっきの鈍い音は、野中希が海東拓人を殴った音だったのだ。拓人は、倒れていた。
「痛え......」
 拓人が悲痛な声を出した。見ると、唇から血が出ている。
 拓人が立ち上がって、希に掴みかかろうとしたところで、駿太は勢いよく拓人の後ろにまわり、拓人を羽交い締めにした。駿太は、この行動が自分自身でもびっくりしていたが、もう全力で拓人にしがみついた。拓人は、駿太の腕の中で力強く暴れる。
「離せよ!テメー!離せって!」
 希は、もがく海東拓人の前に唾を吐き、無言で教室を出ていった。

「お前達、なんだこれは!」
 しばらくして、担任の川本先生が教室にきた。床は濡れているし、机も椅子もひっくり返っているしで当然、川本先生は酷く怒った。駿太と航平は、川本先生にさっきまでのことを説明した。話を聞いている川本先生が、どこか悲しげだった気がしたのは駿太だけだろうか。
 教室を片付け、掃除してそのままホームルームとなった。ホームルームでは、桜ヶ丘中学の楽しみな行事である、体育祭と文化祭がもうすぐあるということが伝えられた。だが、駿太は気が進まなかった。体育祭も文化祭もクラスの団結が必要な行事である。今の三年二組に、団結しよう、というのは無理な話ではないか。転校生である野中希と他のクラスメート達との関係が悪いからだ。
「あの野郎......」
 駿太が声の方を向くと、海東拓人が唸っていた。
 駿太は学級委員として、このクラスをまとめないといけない。一筋縄ではいかないのは分かっている。駿太は、ため息をついた。
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