1話 ただいまからのはじまり
文字数 5,427文字
その一言は、ユイシロ・ミミコにとって晴天のへきれきだった。
久々の実家に戻ってきて、荷物を部屋に置いて。
「さあこれからどうしようかな~」と肩をポンポン叩きながら、リビングに戻ってきたところを彼女の父―ゼンジ―はこの一言で出迎えたのだから。
ミミコはあわてて、記憶のひきだしを開け始めた。
……たしかにそんな話を聞いた記憶はあった。
それは今の学校に入学する前のことだから――
それから口を開くことなく、パラリと新聞をめくる音だけが聞こえる。
と感じ取ったミミコは、「ぜんぜん不十分なんだけど」と内心で不平を吐きつつ、こう続けた。
ゼンジは何も言わずコーヒーをすするだけだった。
――それは《否定のサイン》である。ミミコは心臓が嫌な汗をかいたようなヒヤリとした感覚を覚える。
ユイシロ・ゼンジは上昇志向の強い人間だ。権力者と呼ばれる地位になってもその性質は弱まる気配はない。
20年前に起こったある事件をきっかけにして、彼はこの
しかも政治の手腕は確かなようで、街の人からも強い信頼を寄せられている。
その娘であるミミコはいわゆるお嬢様と呼ばれる存在になるのだろう。
彼女の通う学校も、よく知られた中高一貫のお
学校のクラスメイトともこういう話題になることもあったし。
でも、もっと先の話だと思っていた。
少なくても今の学校を卒業してから、そしていくつかの”ご縁があったら”を乗り越えて、その先にあるものだと思っていた――)
そこからはあれよこれよという間に時間が過ぎていった。
メイドたちはミミコへと連れて行き、髪を整え、化粧をほどこし、装飾を身に着け――と、テキパキとお見合いに相応しい格好へと変換していく。
しかし、服を脱がされそうになった瞬間。
ゆいいつ、そこだけは抵抗を見せた。
ミミコのお見合い相手の名前は『クラッセ』といった。
年齢は27歳。ミミコより一回り上である。
彼は母親を連れて、予定の時刻ちょうどに現れた。
最初の30分は親同士で話し合っていた。
近況報告だとか、一通りの形式張った挨拶が終わって、ゼンジは退席した。
続けて、クラッセの母親も退席……するかと思ったが、
そんなことなく。今もクラッセの横に座り続けている。
ミミコの内心をまったく無視した会話が目の前で繰り広げられている。
特に喋ることもなかったし、その会話にまじりたいとも思わなかったからだ。
クラッセだけは視線に気付いている様子はない。
いまも母親と楽しそうに会話をしていた。
ミミコはもはや視線と空気感に耐えきれなくなり、これが止まるならばと、名前すらついさっき知ったお見合い相手に話かけることにした。
ミミコは視線を、クラッセの母親へと、おそるおそる移す。
そこには厳格って言葉が服を着たような女性が座っており、何も言わず、やはり品定めをするような視線をミミコに送り続けるだけだった。
ミミコは言われるがままにそれを受け取る。
……それはどう見ても、ジュエリーボックスにしか見えなかった。
こういう場で渡されるそれにとても嫌な予感を覚えたが、もはや開けるしかなかった。
――中には、豪華な宝石のついた指輪が入っていた。
なんとも言えない悪寒が、ミミコの背筋を走り抜けていく。
「ええ。私もそう思います。しかし、この指輪はペアになっていまして。
身につけた者は、互いの位置と状態がわかる《アナライズ》と、相手のところに転移できる《トリスト》の魔力が込められています。
トリストのほうは、一週間に一度だけという制限はありますが」
(――じゃあなぜこの人は左手の薬指に付けているのだろう。
言動と行動がぜんぜん一致してない……。
これは身につけたら、後戻りができなくなるやつだ。
でも私には、これを身に着けないって選択肢は……ないんだろうな)
もしそんなことをすれば、ゼンジは抑えてつけてでも指輪を入れるだろう。
そして何らかの魔力で外れないようにもするだろう。
それは、今までの経験からわかりきっていることだった。
ミミコは部屋から出ると後ろ手でドアを締める。
幸いにして、廊下には誰もいなかった。ようやく落ち着ける空間である。
部屋の空気感を全て吐き出すべく、大きく深呼吸をする。
――1回、2回、3回。
頭から部屋の空気が抜けていくのを感じる。
思考がクリアになっていくのを感じる。
ユイシロ・ミミコにはとある性癖がある。
それはとにかく自由であることを好むというものだ。
何にも縛られない、みんながやりたいことをやっている、それでも調和している。そういう状態をミミコは一番好む。
1番嫌いな言葉は束縛。
束縛って文字を見ただけで吐き気がするぐらいだった。
そんなミミコにとって、この指輪は絶望の象徴である。
私のクラスメイトにならこういうの平気な子たくさんいるのに。
神様に小一時間問い詰めてみたいところだ。
「こんな私が、こんな家に生まれたせいで、相性最悪のマザコンさんとお見合いさせられているんだけど」って)
不審に思うメイドの前を通り過ぎて、ミミコは玄関のドアを開ける。
なぜ外に出たのか?
その理由は決まっている。
・この世界とユイシロ家について。
ここは『魔法があるけど文明は現代の日本より少しだけ劣っている』世界です。
この世界は世界間の繋がりがとても不安定で、色んな世界の色んな時間と繋がったり途切れたりしています。
そのため別世界から迷い込む人が多く、その数は年間で約10万人にも及びます。
《転移》の魔法を使ったらこの世界に飛んできたとか、
霧の中を歩いていたらこの世界に付いたとか、
不慮の事故で死んでしまった者を気の毒におもった女神様がここへ転移させたとか。
そういった理由で色々な世界から来訪者がやってきています。
住民たちはそのことに慣れており、別世界の来訪者を見てもあまり驚きは感じません。
現代日本からも何名かこの世界に迷い込んでいます。
しかし彼らは専門家ではありませんから現代の最新技術まではわかりませんでした。
それでも彼らの知識はこの世界の文明の発達に多大なる貢献をしました。
この世界の住民はそのことに感謝し、日本人に地位と権力を与えました。
ユイシロ家もその一つであり、ミミコも日本人の血を継いでいます。
とは言えもうずいぶん昔の話ですので、彼女の日本人の血は限りなく薄まっています。