第3輪 薔薇の間

文字数 2,202文字

魔法陣を描いたイシュタルは、手を組むと陣の中心に立ち、呪文を唱え始めた。
アゼルセス・タマヒーヤ

アザの力

顕現なる魂

やがて訪れる

霊安の地

そして止まる

霊進の路

白いイカヅチと共に、イシュタルは紫色の煙に包まれた。


やがて紫雲はヒトガタに形取り、梵字のキリークを核とし、イカヅチを吸収しつつそれは姿を現した。

ほっ。
よしよし。

可愛い子が生まれたね。

今日からきみはマリーベルだ。

はい。

マリーベルですね。

イシュタルはマリーベルと共に、エドガーのいる部屋へと戻る。

彼は乱雑に薔薇を食い散らかしていた。

兄さん!

新しい子を紹介するよ!

おはようございます。

マリーベルです。

なっ?!

なんだその子は!

可愛い!

可愛いだなんて。

嬉し。

エドガー様ですね?

エドガー様だって?

お兄様と呼んでくれ、マリーベル!

お兄様。
なんて可愛らしい!

鈴が鳴るような声!

白く、新しいういろうのような肌!

花を散らしたような唇!

滑らかな髪!

何もかもが素晴らしいよ!

ういろう肌か。

新しい表現だ。

ういろう、美味しいですね。

大好きです。

きみはういろうを知っているのか!

淡雪みたいな美しさ!

淡雪だなんて。

もう。

いや、全く。

可愛い子だ!

イシュタル!

この子はどうしたの?

呼んだの。
そうなんだ。

ぼくの妹にしていい?

妹にして頂けるのですか?

嬉しい!

お兄様、よろしくお願いします!

なんて従順なんだ!

マリーベル!

ぼくの愛!

ぼくの天使!

お兄様!

なんて甘美な響き!

おお!

マリーベルよ!

永遠に一緒にいよう!

ぼくの愛!

お兄様!

私の愛!

愛していますわ!

お兄様!

お兄様!

二人が熱い抱擁を交わすのを、イシュタルは優しい目で見守った。


エドガーとマリーベルが寄り添って座るのを横目に、イシュタルはそっと部屋から抜け出す。

食事の支度をしようかな。

血の滴る肉料理。

炊屋に行き、肉料理の支度をする。











マリーベル、はい!

あーん!

あーん。

美味しいです!

お兄様!

準備した食事を、エドガーとマリーベルは並んで食べ始めた。

二人が和やかな様子で過ごすのを、イシュタルは無表情で見守る。

……。

アーネちゃんに会いたい。

おい!

イシュタル!

水!

お姉様、よろしくお願いします。
はい。
イシュタルは炊屋へ行くと、ピッチャーに冷水を汲む。
どうぞ。
冷たい水をください!

出来たら愛してください!

僕の肩で羽を休めておくれ。
こういうところ、誰に影響されたんだろう。
それぞれのグラスに水を注ぎ、イシュタルは部屋の隅の椅子に座る。


彼らの食事風景を見ながら、ため息を吐いた。

このままメイドかなあ。

やっぱりイシュタルは、イナンナの優しいお姉ちゃんにはなれないみたいだ。

シュメール神話の女神・イシュタル。

彼女と同一視されることもある、妹のイナンナ。


イシュタルとイナンナは、夫のドゥムジを巡って争ったり冥界くぐりを競ったりと、仲が良いとはとても言えなかった。


神話内で語られることはないが、イシュタルはイナンナとの距離感に悩んでいた。

そしてそれは、永遠に埋められないものだということも。

神話の通りだ。

あのイナンナの化身のエドガーとは、永遠に仲良くなれないだろう。

血の滴るステーキに!

乾杯!

レアの中のレアですね!

お兄様!

これでエドガー兄さんは、ずっとこのお屋敷に閉じ籠もったままになるのかな。

マリーベルはどうするだろうか。

食事が終わるのを待ってから、イシュタルは片付けに入った。





それから数日、エドガーとマリーベルは屋敷内で穏やかに過ごしていた。

あの、シーラお母様が納屋で刺されるシーンに何度も興奮した。
巨大なフォークでグサリ。

のシーンですわね。

フォークだって?

ギャグセン高いね!

色香で惑わす女を農業用のフォークでグサリ!

まあ恐ろしい。

お兄様は決して滅んだりはされないで。

私を置いてどこにもいかないで!

バカな!

マリーベルを置いて逝くなんて!

有り得ないよ!

ぼくなくして誰がきみを愛せるだろう!

抱き合う二人を、イシュタルは無表情で眺めていた。

紅茶を淹れ、薔薇のエッセンスを3滴落とす。

お茶ですよ。
薔薇の匂いがする!

ローズヒップかい?

ローズヒップはバラ科だけど、バラの香りはしないよ。

エッセンスを落としただけ。

キンポウゲ科は!
クリスマス・ローズですわね。
マリーベル!

きみはなんて賢いんだろう!

はみだしていない!

はみだし……。
はみだしネタなのに、はみだしていない、か。

なんて難しいんだろう。

エドガー兄さんは。

うるさいよ!

イシュタル!

ぼくの心からはみ出すきみを許さない!

追放しよう!

追放?

家出しろってこと?

家出を許すの?

許さないの?

お兄様、なんて難問を。

難しかった、マリーベル?

きみにはとても解けまいよ。

ぼくの頭の中が!

はみ出すからこそ、はみ出されるってか。

一つ一つ考査して位置の確認をするのが面倒だわ。

イシュタル!

何を訳のわからないことを!

厳しい事を言わねばなるまい!

でていけ!

まあ!

置いていかないで!

お兄様!

マリーベル!

きみに言っているんじゃない!

そこのイシュタルに言っているんだ!

……イナンナ。

やはりこうなるのか。

さようなら、エドガー。

兄さん呼びは!
……兄さん。
よく出来ました!
あとはお任せくださいまし。

お姉様。

ありがとう。

マリーベル。

エドガー兄さんに幸せを!

おお!

マリーベルよ!

きみがぼくに幸福をくれるんだね!

お兄様!

地の果てまでもついていきますわ!

このマリーベルが!

お兄様!

お兄様!

熱い抱擁を交わす二人を見守った後で、イシュタルはそっと館を出た。

霧の深い朝であった。

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登場人物紹介

ロク

ヒチ

エドガー

イシュタル

マリーベル

アーネトルネ

キウメロ

パティコ

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